第二章ー1:明日の夜、高いところで-1

 道路の片隅に丸まり込む黒い毛玉。あたしの背丈をゆうに超える大きさのそれは、空気を含んでふわ、ふわと揺れる毛が柔らかそうで、思わず抱き着きたくなる。その毛玉から覗く小さな口が、くんくんくん、と動く。アスファルトの隙間から覗く、冬でも残った僅かな雑草に、口が触れる。ぴくん、と嬉しそうに、長い耳が立つ。けれどその毛玉――巨大なウサギは首を傾げる。そこに草があるのに、いつまでたっても食べられないのだ。

 なぜなら。この草は、この世界のもので。

 このウサギは、この世界のものではないから。

「最終手段――発動」


 今日は一月六日。

 一日一回ペース、今年に入って、あたしが見た限りでもすでに四回目の発動となる最終手段。辺りに眩い光が満ちて、ウサギはゆっくりと「裏」へ帰っていった。最後まで、草がうまく食べられないことが腑に落ちない様子で、首を傾げていたけれど。

「よし、終わったな」

 高橋が軽く手を叩いた。

 四日前、一月三日の「巫女バイト」の帰りに出会い、あたしを魔物退治に巻き込んだこの自称エクソシストは、その後も毎日やってきた。一月四日は、朝、年賀状を出しに行く途中で出会い、「切り捨てると十匹、魔物を逃がした」と言い出した高橋に断れず巻き込まれ、その夜に駆り出され魔物退治。

 一月五日は、午後の部活の帰り、住宅街の細い夜道で猫に餌をあげながらあたしを待っていたらしい高橋に出くわし、やっぱり魔物退治。

 今日、一月六日は、同じく午後の部活の帰り道、空から目の前に高橋が降ってきて、魔物退治

 魔物退治と言ったって、あたしは別にエクソシストではないので何をするでもなく、高橋が最終手段をぶっ放すのを見学して、終わり。

 でもついて行かざるを得ないのだ。この世界の存在ではない「魔物」はあたしに直接害を及ぼしてきたことはないけれど、逃げた魔物がうろうろしている街で、もしそいつに出会ってしまったら。もしもそいつが今度こそチミモウリョウ的な奴だったら。って思ったら怖いじゃない、仕方ないじゃない!

 そういうわけで毎日毎日、高橋の「ウサギの魔物が逃げたので捕まえるのを手伝ってくれ、神の使い」という言葉に、「神の使いじゃないけどな!」とそこだけは否定して、あたしは魔物退治に付き合っていた。

 マントを翻し、高橋があたしに背を向けて歩き出す。

「それでは、俺は帰還する。またな、神の使い」

「『また』があるのかよ! もう逃がさないでよ!? あと神の使いじゃないんだってばー!」

 神の使いのことを主張するころには、高橋の姿は見えなくなっていた。……聞こえてたかな……いや、たぶん聞こえてても聞いてくれたためしがないんだけど……。

 もうすっかり夜だ。静かになった住宅街を、あたしも家に向かって歩き出す。

 今日も、家に帰るころには随分と遅くなっていた。うう、厳しい練習の後に魔物退治までやって、毎日本当に疲れる。今日もご飯とお風呂を済ませたらすぐに寝てしまいたい。

 玄関を開けると、心配そうな、不審そうな、そんな顔でお母さんが「おかえり」と声をかけてきた。

「のばら、年が明けてから帰るのが遅いわね、何してるの?」

「……いやー、ちょっとー、自主練習?」

「ふうん……?」

 まさか正直に言うわけにもいかず、適当にごまかす。半分くらい納得したような表情のお母さんの目線が、靴箱の上へ移る。あたしもそれにつられて見る。靴箱の上の、カレンダーを。

「のばら、練習もいいけど、」

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