第一章 あたしと魔物とエクソシスト-6
「何……これ……」
真っ黒な空から、この街を包むように、薄く白い光が射し込む。ゆったりと波打つ光は、いつかテレビで見たオーロラのようだった。
それは本当に、綺麗で、……綺麗で。
「魔物をあるべきところへ返すための、最終手段だ」
高橋が光を仰ぎながら言う。金色の髪が、光の中で透けるように輝いていた。
「へっ……? 最終手段?」
聞いた言葉をそのまま繰り返す。
最終手段。打つ手がなくなったときの切り札。
そしてあたしははっとした。
――最終手段って、何、どういうこと!?
「ちょ、ちょっと待ってよ高橋!」
「……ん?」
高橋がゆっくりと振り返ろうとする。光に包まれたその姿が、高橋のくせに――美しくて、なのに妙に不安で、まるでそのまま消えてしまいそうに見えて、あたしは思わず立ち上がり、そのまま高橋のマントに両手でしがみついた。
「だって、最終手段って! それって最後まで残しておく手段なんでしょ、つまり最後まで残しておくだけの理由があるんでしょ!? た、例えば高橋が危ない目に遭うとか、まさか何かを代償にしなくちゃいけなかったりとか……!」
自分の口から出てきた言葉を聞いて、今さら背筋がぞくりと震えた。脳みそがとんでもない方向にぐるぐる回って、それ以上言葉にならない。
口をぱくぱくと、開けたり閉じたりするしかできなくなったあたしを、振り返りかけた格好の高橋がじっと見ていた。やがて、口を開く。
「……いや、別に?」
「はい?」
「いや、だから、『最終手段』だからと言って、一生に一度しか使えないだとか、使えば三日三晩寝こむだとか、そういったことは全くない。やろうと思えば、五分に一回くらいの頻度でなら連発できるし、使った後はほどよい疲労感でよく眠れる」
あっさりと、あたしの怖れは否定された。
余計に口をぱくぱくさせながら、なんとか尋ねる。
「……え、じゃあ、どうして『最終手段』……?」
「それは、ほら」
高橋が上を指差した。未だに、薄い白い光は空を覆っている。
「これだけ光り輝いていると、さすがにご近所に暮らす方々に『何だこれは』と気付かれるリスクが高くなってしまうだろう。だから、最終手段」
なんだその理由は!
「俺は狙いを定めるのが苦手なだけだから、これだけ広範囲に光を発生させれば間違いなく仕留められる。しかしことが一般人に知られると面倒なことになる。悩ましいな」
あたしの想像と全く方向の違う答えに、けれど納得はさせられてしまって、あたしはマントを握っていた手でそのまま高橋の腰辺りをぱしぱしと叩いた。全然力が入らない。
「あ……あたしの心配を返せ、今すぐ返せぇ!」
「……心配していたのか?」
真顔のまま、高橋が首を傾げる。不思議そうに。それに不意をつかれて、あたしは一瞬、「高橋を叩く」という行動を忘れてしまった。そして思い出したとき、あたしの脳は「蹴る」という命令も追加していた。
「うるさい、とりあえず返せ!」
「心配し返せばいいのか? しかしお前の何に対して心配すればいいのかがさっぱり分からない。すまないが、心配と釣り合うような、別のもので勘弁してくれ」
「べっ、別のものって何よ……」
「電卓十個くらいで許してもらっていいだろうか」
「そんなに電卓ばっかりいらねえよ!!」
「難しいな、後で改めて考えよう」
ああ、本当、何だったんだろう。心配する必要なんてなかったんじゃない。心配していたって認めるのが腹立つくらいだ。……そうだよね、目の前で「最終手段」なんて言われたからびっくりしたけれど、高橋は空から降ってきて光を放っちゃうエクソシストだもんね。あたしはここに立ってはいるけれど、右手から光もなすびも出ない、巻き込まれただけの中学生だしね。超一般人、「超」は「一般」までだけを修飾するのだ。
こっそりため息を吐く。それを聞いているのかいないのか、高橋は変わらない口調で「さて」と言い、辺りを見回した。
「そろそろ、半分くらいか」
「え?」
高橋の動きにつられて、あたしも周りを見る。
いつの間にか、あたしの周りにあったはずの薄黒い霧が晴れてきていた。
「ほら、デネボラが消えるぞ」
「『消える』って、デネボラは大丈夫なの?」
「『裏』へ帰るだけだ。あるべき場所へやがて帰る、だから問題はない」
大きな魔物は自分の変化に気付いたのか、静かに、じっとしている。あ、小さな欠伸をした。
「そっか」
「ああ」
光と、薄らぐ魔物と、多分エクソシスト。
ゆっくりと流れる時間の中で、あたしは立っていた。
「それじゃあ、俺も帰るか」
ついに魔物も光も静かに消えて、高橋が大きく伸びをした。
「帰るの?」
「そろそろ眠い。本部に帰って報告もしなくてはいけない、……そうだ、そういえば」
伸びを終えた高橋があたしを見つめる。相変わらずの無表情。でも少し柔らかく見えるのは、気のせいだろうか。
「名前を聞いていなかった」
「……のばらだよ。原のばら」
「そうか」
口の中であたしの名前を一度唱えてから、高橋はこくりと頷いた。
「協力に感謝する。ありがとう」
「う、うん?」
……あたし、結局のところ高橋に巻き込まれて騒いでいただけのような、……まあいいか。……いいよね?
「こちらこそ、……うん、ありがとう」
「ああ。またな」
「じゃあね」
高橋は、じじじ、と揺れる街灯の下を歩いて、そして暗がりに溶けた。
ああ、あたしも早く帰ろう。腕時計を見れば、本当ならとっくに家に着いているような時間だ。お母さんがきっとうるさい。帰って、そして早く寝よう。
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