第310話 If. After the villainess:十四年前の行く末



 そして数分後、マジェン男爵邸宅に到着した。

 男爵の家としては随分と小さく、ところどころ傷が見受けられる。

 とても貴族の邸宅とは思えないが、誰もそのことを声にすることはなかった。

 ついでに昨日、彼女が乗っていた馬車も邸宅の脇にあることが確認出来た。

 全員が車の外に出ると、カイトは薪を受け取る。

 優希やライト、アガサはこれからが本番だと気を引き締める。

 しかし優斗だけは不意に何か気付いたのか、男爵邸の二階部分に鋭い視線を向けた。


「ユウト様、どうされましたか?」


「何かの音と……多少の振動がある」


 バラッドの確認に淡々と答える。

 けれどすぐ嫌な予感に至った優斗は、カイトへ視線を向けた。


「それでは私は薪を片してきますので、少しお待ち――」


「いや、ちょっと待って。先に家の中を確認したほうがいい」


 同時、かなり激しい振動音が優斗達の耳に届いた。


「誰かが家の中で暴れてる」


 告げた瞬間、カイトは察しが付いたのか薪を放り出して一目散に家の中に入っていく。

 彼の慌て振りにライト達もすぐさま、状況を理解し彼を追い掛けるように家へ飛び込んだ。

 そしてカイトが駆け上がった先――二階にあるエリザの寝室兼執務室では、エリザの胸ぐらを掴んでいる男が立っていた。

 エリザは気を失っているのか全身の力が抜けていて、ぐったりとしている。

 さらには床に血が散乱しており、出血もかなりありそうだった。

 ライトや優希、アガサはその光景を見て絶句し、シルヴィやバラッドは拳を強く握り締めた。

 カイトに至っては怒りで身体が震えている。


「……お前、母上に何をやってるんだ」


「こいつが金を出さないのが悪いんだろうがよ!」


 掴んだ胸ぐらを上下に揺さぶる男に、カイトは怒号を浴びせた。


「……っ! ふざけるなよ、お前っ!!」


 カイトは男に飛び掛かり、胸ぐらを掴んでいた腕を無理矢理に外してエリザを地面に降ろすと、男を強制的に部屋の外へと投げ飛ばすように追い出す。

 代わりに室内に残った優希達は倒れているエリザを慌ててベッドの上に乗せて介抱する。


「この中で治療魔法を使えるのは……」


 アガサの問い掛けにリライトの近衛騎士達がすぐさま反応する。


「我々が中級の治療魔法を使えます」


 バラッドと同僚の女性騎士が急いで治療魔法をエリザに施す。

 見ている限り、かなり不味い状況だ。

 中級の治療魔法を重ね掛けしたところで……好転するするかは怪しいほどに。



 一方で優斗は廊下で男を一方的に殴っているカイトの様子を窺っていた。


「いつもやってることじゃねえか! それに俺に手を出していいのか!? このことを上が把握すれば、お前と母親は――っ!」


「黙れよ!! 母上を殺そうとしたクズをこれ以上、生かしておけるわけないだろ!!」


 言い返しながらカイトは男の顔を殴り飛ばす。

 普段とは違う、意識を失った母親の姿を見ただけで分かった。

 いつものように殴っているとしても、エリザは前よりもずっと体調が思わしくない。

 今までは限界ギリギリで耐えていたとしても、今の彼女が耐えられるものではない。

 それこそ生死の淵を彷徨うほどに。

 しかも何も考えずに殴っていたクズが――血縁上の父親なのだ。

 だからカイトは思い切り拳を握り、死ねばいいとばかりにもう一度、握った拳を突き出した。


「……なっ……」


 しかし優斗が何故かカイトの拳を受け止める。

 突然のことに驚くが、すぐに叫んだ。


「離して下さい! 俺はこいつを殺しますっ!」


「今はそれどころじゃないから、まずはエリザさんの所に行ったほうがいい」


 激高するカイトを宥めるような声音で告げられたことに、カイトはハッとしてすぐに振り返った。

 少し正気に戻ったことを確認した優斗は、手を離してカイトを部屋の中へと向かわせる。

 すると男はカイトが部屋に入ったのを視界に入れると、


「あのクソガキ、自分が暴れたら誰がどうなるか分かってねえようだな」


 頭を振りながら受けたダメージを抜こうとしているクズ男に、優斗は冷たい視線を向ける。

 そして、


「お前は寝てろ」


 手刀を顎に叩き込んで、昏倒させた。

 さらに肩や足の関節を外して廊下に転がす。

 これでしばらくは起きないし、起きたところで何も出来ない。

 クズを軽く始末した優斗が部屋の中に戻って様子を窺うと、案の定と言うべきか状況は悪化の一途を辿っていた。


「母上っ!!」


 枕元でカイトが必死に呼び掛けて意識を戻そうとしている。

 バラッドや女性騎士は懸命に中級の治療魔法を施しているが、


「エリザ様……っ!」


「……不味いですよ、バラッド。呼吸も浅いし、脈拍がほとんど……」


 女性騎士が手首や首筋に手を当てるが、ほとんど脈動を感じない。

 シルヴィも状況を悟ってか、胸元をぎゅうっと握り締めている。

 迫り来る不可避の死に、優希は縋るように優斗を見つめる。


「優兄、神話魔法とかで駄目なのですか!?」


「僕は彼女を救う独自詠唱の神話魔法は創れない。そのイメージが出来ないからね」


 優斗は万能ではない。

 出来ないことはあるし、不可能なこともある。

 少なくとも優斗が今の現状で彼女を救う神話魔法を創り出すことは、どうしたって不可能だと断言出来る。


「……ミヤガワさん……っ!」


 けれど、それでも。

 絶望的だろうと、足掻くことを絶対にやめない人間が一人いる。


「ミヤガワさんっ!!」


 ライトは優斗が神話魔法を創れないと言ったにもかかわらず、大きな声で大魔法士の名を呼んだ。


「ぼくは……っ! ぼくは助けたいです!」


 理屈なんてない。

 どうにかしたいと思ったって、自分に出来ることはない。

 魔法も未熟で、騎士達よりも凄い魔法を使えない。

 どれだけ願ったって今、エリザを救う魔法を使えるわけがない。

 それでも助けたい気持ちを抑えることは出来ないから。


「未熟なぼくに手を貸して下さいっ!」


 ただ、ただ。

 幼い勇者は懇願するしかない。


「…………」


 優斗はライトの懇願する姿を見て、優希の願うような姿を見て。

 全員の様子を確認して。

 うん、と一度だけ頷くとアガサに視線を向けた。


「アガサさん、お金は出せる?」


 その問いが意味すること。

 優斗が何をしようとしているのかを察したアガサは、すぐに頷きを返した。


「はい。ライトと優希の願いですから、対応させていただきます」


「分かった。治療魔法を使ったままで、ちょっと待ってて」


 優斗はそう言うと、すぐに踵を返して馬車に向かう。

 そして瓶を幾つも持ってきて、テーブルの上に置いた。

 優斗が持ってきた瓶が何なのか、ライトはすぐに気付く。


「これ、霊薬ですよねっ!? ミヤガワさん、持ち歩いてるんですか!?」


「遠出する時は念のため箱単位でね。僕は治療魔法が中級までしか使えないし、独自詠唱でも相手次第で治療系を創れない。かなり重宝してるんだよ」


 自分自身のことですら治療の神話魔法を創れない。

 なので万が一を考えれば、霊薬は優斗にとって必須だ。


「皆、さっさと出してくれって思うかもしれないけどね。僕は状況を完璧に把握していない以上、他人に対して霊薬を不用意に使うことが出来ない。僕が大魔法士であるからこそ、そこら辺の人に考えなく容易に使ってしまえば、他の人達にも同じことをしなければいけなくなる」


 勇者は目の前に不幸があれば、なりふり構わなくてもいい。

 だけど大魔法士である自分は、状況に応じて動かなければならない。

 役割の違いが、そういった縛りを生んでしまう。


「だから彼女を助けるには、ライト君の言葉が必要だった」


 ライト達が助けたいのは分かっているけれど、優斗の言い方によっては唆しているように見える。

 そうなれば霊薬のやり取りも、金をせびっているように感じる者が現れる。

 だから欲しかったのは『勇者』の絶対的な言葉と、その意思。


「ライト君の願いと、そのために動く人がね」


 その事実があれば、優斗にはエリザを救う手段が存在する。

 勇者が助けたいから霊薬を売りつける、という手段が。


「というわけで――」


 優斗は瓶を空けると、精霊術を用いて霊薬を瓶から抜き出した。

 そして近衛騎士達に伝えて、エリザに霊薬を流し込ませるための気道を確保させると、


「ヴィクトスの勇者と支える者。そしてこの場にいる人達の願いを、まずは叶えるとしようか」



       ◇      ◇



 霊薬を飲んだエリザの容態は大分落ち着いたようだったが、意識を戻すことはなかった。

 皆が心配そうに彼女を見つめる最中、優斗は机の上にある紙を手に取って読んでいた。

 しばらく皆が無言の時間を過ごしていると、彼女の目蓋が僅かに震える。

 そしてゆっくり目が開いた。


「…………」


 意識を取り戻したエリザは、ゆっくりと横を見て僅かに驚きの表情を浮かべる。


「……騎士……様?」


「……エリザ様。無事で……良かった」


 昨日、城門で別れた銀髪の騎士がベッドのすぐ側で心配そうに自分を見つめていた。

 どうしてここにいるのか、何をしているのか訊きたいことは山ほど浮かんだが、それでもほっとした表情の彼に何かを問うことは出来なかった。

 すぐ隣には最愛の息子も同じように佇んでいて、安堵の表情を見せていた。


「……カイト」


「母上、大丈夫ですか?」


「……ええ。どうやら心配を掛けたようね」


 あの男に殴られたことはエリザも覚えている。

 夫とは名ばかりの男で、常に散財することしか考えていないクズ。

 今日とて僅かな税収を遊びに使うと言い放ち、それを断ったエリザに癇癪を起こし殴りつけてきた。

 自分を受け入れたことで国王や元兄から大層な金を毎年貰っているというのに、どうしてこれほど金遣いが荒いのだろうか。

 殴られるのはいつものことだが、衰弱した身には過ぎたダメージだったのだろう。

 これほどまでに息子を心配させるとエリザは思っていなかった。


「……気を失ってしまうなんて、不甲斐ないわ」


「何を言っているのですか! 気を失っただけではありません! 母上は霊薬がなければ死んでいたのですよ!?」


「……霊薬……?」


 カイトの言葉に首を捻るが、近くの机に置いてある瓶を見て、エリザは息を呑む。

 本物の霊薬の瓶が、そこに空となって置いてあるからだ。


「……カ、カイト? これはどうしたの?」


 息子の発言からして、自分に使われたのだろう。

 だが霊薬ほど高価な物を支払うお金はない。

 焦るエリザに対して、カイトが答える前にアガサが口を挟んだ。


「そのことについては気になさらないで下さい」


 柔らかい口調で、アガサは丁寧に頭を下げる。


「ヴィクトス王国ミルス公爵家のアガサ=ロル=ミルスと申します。ここにいるヴィクトスの勇者パーティの監督者です」


 アガサの簡単な紹介にライトと優希が簡単に頭を下げる。


「ヴィクトスの勇者が貴女に霊薬を使うと決めたのです。ですから気にされてしまうと、我々が困ってしまいます」


 お金の心配はしなくていい。

 勇者だからこそ、そういったものを入れたくないと暗に告げる。


「よろしいの……ですか?」


「はい。ここで金銭を受け取ることは、我が国の勇者は自身の矜持を捨てることになりますから」


 なので気にしなくていい。

 言葉と表情、雰囲気で伝えるとエリザはほっとした表情を浮かべる。


「ミヤガワ様。エリザ様が意識を取り戻されたので、身体に優しい料理をと思うのですが」


「元々が衰弱してたからね。栄養のある料理を作ってあげる必要はあるよ」


 この家にも領地にも、大した食材は期待出来ない。

 とはいえ食材自体は昨日、大量に買ってあるので馬車に乗っている。

 なので栄養のある料理を作ることは可能だ。


「だけど、その前に知るべきことは知らないと」


 優斗が当然のように告げた瞬間、優斗以外の人間の空気が一気に張り詰める。

 助かってよかった、と誰もが思っている状況で言い出すとは予想出来るわけがないからだ。

 その中で優斗は皆の反応を見て、小さく息を吐いた。


「全員、入れ込みすぎ。ライト君や優希だけじゃなくて、うちの人達もだけど」


 誰も彼もがエリザを救おうと心が動かされている。

 確かに目の前で死にかけていれば、誰だってそうなるのも仕方ないが……それが過去に通ずるわけではない。


「まあ、入れ込むのも仕方ないと言えばその通りだからね。僕が簡易的にやってあげるから、ちょっと下がってて」


 優斗がそう言ってエリザに近付く。

 そしてベッドの側で止まった。


「……あの。貴方……いえ、貴方様は?」


 彼は確かバラッドから『ユウト様』と呼ばれていた少年だ。

 おそらくは貴族なのだろうと察し、エリザは言葉遣いを正した。


「……そうですね。僕には幾つかの名がありますが、まずは貴女にこれを名乗るとしましょう」


 どの名を名乗るべきか。

 少し考えたが、おそらくは彼女が信じられるであろう中で最大のものを使う。


「宮川優斗。僕はリライトの異世界人です」


 出てきた名にエリザは目を見張ると、無意識にバラッドに視線を向けた。

 彼は彼女が視線を向けた意図に気付くと、小さく頷く。


「こちらにいらっしゃるのは、間違いなくリライトの異世界人であり、我々にとっては遙か高みにおられる御方です」


 他にも意図が含んでありそうな言葉。

 間違いなく、ただの少年ではない。

 それを示すかのように、優斗はアガサを含めた全員を部屋の外に出るよう身振りだけで指示した。

 他国の公爵令嬢もいるというのに、誰も彼の行動に不満を覚えていない。

 いや、口を挟めない。

 それだけで彼の立ち位置がどういったものかが分かる。


「……カイト。わたくしは大丈夫だから、皆様と一緒に部屋の外で待っていて」


 息子である少年は残ろうとしたが、母に言われては仕方ない。

 一緒に部屋の外へと出て行った。


「すみません。ぞろぞろと了解もなく部屋に入ったりして」


「……いえ。わたくしは助けられたのですから、感謝しかありません」


「このままだと、こっちの人達が勝手に暴走しそうだったので。まずは簡単にでも話す必要があると思いました」


 仕方なさそうな表情を浮かべる優斗に、エリザは疑問を投げかける。


「……その、どうして我が家に? おそらく皆様はウェイク王族と何かしらやり取りをするために来られたのですよね?」


「確かに事情があってウェイク王国に来たのですが……少々、状況が変わりました」


 始まりは優希とライトの留学の真意を探るために来た。

 けれど今、最も大事なことは違う。


「貴女を知っている人間がいて、貴女と出会ってしまったからです」


「…………わたくしと……出会ったから?」


「ええ。先ほど紹介させて貰いましたが、こちらにはヴィクトスの勇者やリライトの近衛騎士がいます」


 エリザのことを知っているバラッドがいる。

 そして何より勇者がこの場にいる。


「貴女の状況を知って、見過ごせるわけがなかった」


 彼女のことがあったから騎士となった。

 彼女のことを知ったから止まるわけにはいかなかった。


「だから知る必要があるんです。十四年前の事実を」


「……わたくしの言葉だけで、信じられるのですか? 十四年前のことを」


「本来は無理でしょうね。どこにも証明できるものがない」


「……でしたら――」


「――ですから信じられる方法を採るだけです」


 優斗が簡単そうに言ったこと。

 それに驚いてエリザは目を見開いてしまう。


「とはいえ長々と時間を掛けると、追い出した人達が面倒なんですよね。それに貴女にも悪影響がある」


 優斗はベッドの脇に立ったまま、見下ろすような形で横になっているエリザと相対する。


「この後の流れでは、内容を詳しく調べることもあるでしょう。ですが今は簡易的に確認させて貰います。体調は戻ってきてはいるでしょうが、それでも今からやることは身体に障るのをご了承願います」


 優斗がやろうとしていることは、本能的な部分を無意識に浮かび上がらせる。

 そのためストレスが掛かるのは必然だ。


「貴女にはまだ、理解しがたい状況だとは思います」


 突然に現れた集団。

 バラッドだけしか分かっていない状況で、知らない人間達が自分のことを調べようとしている。

 まさしく意味が分からない。

 優斗としては悠長にやってあげたかったが優希やライト、他の人間達の入れ込み具合が凄まじかった。

 これ以上、踏み込んでしまえばエリザが悪意を持った罪人……どころか大罪人だった場合に大きな心の傷が残る。

 だから今、やるしかなかった。


「申し訳ない。彼らのために必要なことだからこそ、やらせてもらう」


 瞬間、重い空気がエリザにのし掛かった。

 息はし辛く、身体は恐怖で竦む。


「……っ」


 その中で、エリザははっきりと優斗の視線を感じていた。

 一挙手一投足……ではない。

 ほんの僅かな挙動も視線の移ろいも見逃さない。

 微かな呼吸の乱れでさえ、彼には見通される。

 そう思わされるほどの圧倒的な存在感に、エリザは無意識に息を呑んだ。

 優斗はエリザの様子を窺うと、さらに圧力を増してから問い掛ける。


「貴女は王妃を殺そうとしたか?」


 いきなりの核心を突く言葉。

 過去にその事実があれば、視線でも挙動でも息の一つでも何かしら乱れるであろう。

 目の前の化け物が撒き散らす恐怖は、そういった部分を強制的に浮かび上がらせる。

 これ以上の恐怖であれば、勝手に身体が震えだし、勝手に息が乱れるだろうが……そうはならない。

 そのギリギリのラインを見極めて、目の前の少年は恐怖を与えてきている。


「……いいえ」


 だからこそエリザは、息一つ乱さずに答えることが出来た。

 優斗は彼女の返答に腕を組むと、軽く目を細める。


「自分の居場所を奪った相手だろう? 憎かったはずだ」


「……いえ。憎むというよりは……憤りが強かったのを覚えています。当時の王太子は何も出来ない男爵令嬢を側に置くどころか、王妃にするなど何を考えているのかと」


 今の王妃は政務を行わない。

 いや、行わないのではなく行えない。

 そのための勉強をしていないのだから当然だ。

 近隣諸国との繋がりも、王妃を通したところで期待することなど不可能。

 彼女はただ、性格を以て場を和やかにすることだけを求められている。

 他国には無意味な、自国だけでしか通用しないことだけが彼女の王妃としての役割だ。

 馬鹿馬鹿しいとさえエリザは思う。


「ということは国王を愛していなかったのか?」


「……はい、全く」


 国王についてエリザは良い感情を抱いたことはない。

 昔から義務的にしか接してこなかった男に、好印象を持つことはない。

 自分が歩み寄ろうとしても無駄だった。

 挙げ句に『運命の出会い』だの『真実の愛』だのと宣って、婚約者を放って男爵令嬢を囲う始末。


「……あの男を愛せるほど、わたくしは聖人君子ではありません」


 いや、国王だけではない。

 この国で愛した男などいない。

 いるわけが……なかった。


「そうか」


 優斗は相づちを打つと、何の感情もない瞳でエリザを見据える。

 けれど、不意に圧力が消えた。

 表情も何もかもが、ほんの数瞬前とは打って変わっている。


「嘘を吐いている様子はない、か」


 気合いや根性で耐えられるような圧力ではない。

 演技をしようとしても、平静を保つことは出来ない。

 なればこそ優斗はふっと息を吐くと、エリザにゆっくりするよう伝えてから机の上にあった紙を何枚か持ち出し、追い出した面々と合流するため部屋の外に出た。


「ど、どうでしたか?」


 ライトの矢継ぎ早な質問に優斗は答える。


「少なくとも彼女は王妃に殺意を抱いたこともなければ、嫉妬で狂ったこともない」


 大魔法士が語ることに、ヴィクトスもリライトの面々も表情が明るくなる。


「感情の部分だけで言えば白か黒かだと白。そういうことだよ」


 優斗が断言すると、皆がわっと湧いた。

 息子のカイトでさえ、優斗の言葉に驚きの表情を浮かべていた。

 何故なら今まで誰も信じなかったことを、いきなり出てきた人達が信じたのだから。

 カイトは優斗を見て、そしてリライトとヴィクトスの人達を見た。

 リライトの異世界人の凄さを、きっと皆が知っている。

 だから彼の断言を素直に受け取った。

 それほどまでに絶対の信頼が優斗にはある。


「さて、と。これでようやく朧気な輪郭が形を伴ってきた」


 殺意がなく嫉妬もない。

 国のためにと独断するような思慮の浅い部分もない。

 そうなると殺人未遂をする可能性は限りなく低い。

 なればこそ、現状は何なのか。

 十四年前の物語が何を伴ってきたのか。

 やっと分かってきた。


「これが『運命の出会い』と『真実の愛』の行く末だよ」


 この国の国王と王妃が始めた物語。

 誰もが好み、誰もが羨む言葉を扱ったストーリー。

 だけどそれは、創られた作品のように綺麗な世界ではない。


「ウェイク王国は発展や繁栄によって幸福を得ようとしてない」


 国王にも王妃にも、国を成長させる力を持っていない。

 持っているわけがない。

 だから微睡む物語で必要だったのは――生贄。

 成長することのない国にとって、悪意の行き先を一身に受ける存在が必須だった。


「彼女の不幸を礎にして幸福を得る」


 不満も不平も向けていい。

 罰しても傷付けても何もかもを奪ったとしても彼女ならば『どうでもいい』と、そうされて当然だとばかりに嘲笑した。

 王族も、貴族も、平民も。

 誰も彼もがエリザを嘲笑って、傷付くことに喜んで、堕ちていくことを楽しんで、そうして全てに目を背けた。


「これが――ウェイク王国の答えだ」


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