第308話 If. After the villainess:その言葉に嘘はなく
城門までバラッドとエリザが辿り着く。
けれどそこにあった馬車を見て、バラッドは心臓が掴まれる思いがした。
「……この馬車は…………」
ボロボロの馬車だった。
何故か鉄で覆われた外装には、幾つもの細かい傷がついている。
車輪の部分も歪んで、さらには欠けている。
貴族の夫人が乗る馬車では、断じてないと言い切れるほどにおかしい。
驚きで目を見張るバラッドだったが、いつの間にか左腕から弱々しい感触が消えていることに気付いた。
慌てて左側を見れば、彼女は手を離してゆっくりとした調子で歩き出し、御者台に座って脇に置いていた外套を被った。
「……エリザ……様」
どうして御者がいないのかとバラッドは騒ぐことをしない。
どうして馬車が傷付いているのかも確認は出来ない。
問い掛ける全てが彼女を傷付けると分かっているから。
だから右の拳を握り締めたバラッドに、
「……リライトの……騎士様」
エリザは小さく声を掛ける。
そして精一杯の笑顔を浮かべた。
「もう一度……貴方に会えてよかった」
十四年前に視線が合った、唯一の人。
感謝を伝えたかった人。
「護ってくださって……」
さらに今日は悪意からも身を挺してくれた。
だからどうしても、最後にもう一度だけ言いたい。
「……ありがとう」
十四年前と、今日の感謝を込めて。
再び見えたことに、心からの想いを。
「とても……とても……」
我が子以外で久しぶりに、本当に十四年以上の時を経て抱いた感情。
「……嬉しかった」
きっと表情は上手く動いていない。
おそらく声も自分が思っているよりも出ていない。
けれど、それでも精一杯の想いを込めて。
笑顔と気持ちをバラッドに届ける。
「……それでは……失礼致します」
もう会うことはないであろう他国の騎士に頭を下げて、エリザは馬車を出す。
どうか、この後のことに気付かないでくれるように祈って。
だが祈るということは、ある意味では儚い望みであると同義だ。
彼女の想いは呆気なく絶たれることとなる。
バラッドの視界から馬車は小さくなり、段々と下がっていって。
完全に姿が消えると、
『――――っ!!』
バラッドの耳には、どこからともなく。
大きな歓声が聞こえてきたのだから。
◇ ◇
馬車が動き出したところで、アガサ達は優希・ライト・シルヴィに状況の説明を終えた。
リライトの女性騎士もヴィクトスの護衛も勢揃いしている。
「これから起こるのは、人間の醜悪な部分を煮詰めた行為です」
アガサが年少者二人の肩に手を置く。
説明されたことに困惑した二人だが、それでも優希の立ち直りは早い。
すぐに強い意志を灯した瞳をアガサに返した。
けれどライトは、まだ惑う様子が見て取れる。
「ライト」
アガサは声を掛けると、優希の肩に置いた手を離してライトの両肩に置いた。
「目を逸らさずに、しっかりと見て下さい。これは勇者として立つ貴方が知らなければならないことです」
きっとアガサが言うことを本当の意味で理解出来るのは、もう少し後のこと。
起こった事を見ない限りは通じない。
一方で優斗もシルヴィに声を掛ける。
「シルヴィ。僕はこれから起こる光景を、君が見ることに意味はあると思ってる」
「はい、我が主」
シルヴィはこれから何が起こるのかを分かっている。
ただ一つ、分かっていないのは自分がその光景を見て……何を思うのか。
そこがシルヴィ自身、不明となっている部分だ。
ただ、優斗が言ったことを疑いはしない。
きっと自分はこれから起きる出来事を見て感情が揺れ動く。
その覚悟だけは持って、成り行きを見守ろうと決める。
「始まった」
優斗が視線を窓に向けて呟いた途端、歓声が上がった。
同時、歓声に交じって何かが当たる甲高い音が聞こえてくる。
それは民衆の怒号のような声にかき消さそうな小さな音だが、それでも間違いなく王城にいる優斗達にも届いていた。
その光景に優希が思わず口元に手を当てる。
「石を……投げつけてるのですよ」
耳に届く甲高い音は、投げつけた石が馬車の装甲に当たる音。
馬は本来、臆病な生き物ではあるが……慣れているのかゆっくりと進み続ける。
けれどライトは目を疑っていた。
「待って……、待って下さい! あの人、外套を被ってるだけなんてすよね!?」
馬も車も身を守るように装甲を着けている。
しかしエリザだけは身を守るようなものを一つも身に付けていない。
そのことに気付いたライトの身体が反射的に動いて……止められた。
彼がどのような反応をするか分かっていたアガサが、後ろから抱きしめるように留めたからだ。
「アガサ、どうして!?」
「……今はまだ助けられません。我々には知らないことが多すぎるのですから」
ライトが動きたいのは分かりきっている。
けれど、それでも今は駄目だ。
今、動いたところで何の解決にもならない。
優希はライトとアガサの両方の気持ちが痛いほど理解しているから、ライトの左腕をぎゅっと握った。
シルヴィは馬車に石を投げつける光景を見ると、無意識に胸元を握り締める。
そして何が起きているのか正確に把握していないバラッドの姿を見て、反射的に窓を開けた。
「バラッド様! 立ち止まっている場合ではありません!」
大きな声で目一杯に叫ぶ。
僅かに聞こえたのか、反応したバラッドにさらなる大声で伝える。
「貴方が彼女を護りたいと思っている騎士であるのなら、この光景を目に焼き付けなければなりません!!」
シルヴィの声を聞いたバラッドは、反射的に振り返って馬車が下っていた方向を見る。
未だに歓声は響き、轟いているが、
「いや、馬車の動く速度が遅いといっても見に行くには時間がない」
優斗は馬車が進んでいるルートを見ながら呟く。
下りきったら右に大きくカーブしている。
いくら下り坂で暴走しないために動きが遅いといっても、平坦になれば馬も少し速度を上げるだろう。
そうなれば間に合わない。
「バラッドさん、動かずに身体を固めろ」
優斗が風の精霊を用いながら声をバラッドに届ける。
そして次の瞬間、左手を軽く振った。
「シルフ。彼をこっちに連れてきて」
風の大精霊を召喚しバラッドの身体を空中へ持ち上げる。
そのまま数秒で自分達の所まで一気に運んだ。
驚いた様子のバラッドだったが、それも振り返って馬車の光景を見ると……一気に表情が曇る。
同時、右の拳が再び強く握り締められた。
「……バルスト。この国全ての人間が、エリザ様を貶めていいと思っているのか?」
同じ場にいて、目を背けている弟にバラッドは声を掛ける。
「……兄上。それが……国王の定めたことです」
エリザは奴隷ではない。
歴とした男爵夫人であり貴族だ。
あのような仕打ちをされるなど、あってはならない事態だ。
「……何が罪だ。何が大罪人だ」
これでは奴隷であり生贄だ。
どの瞬間を切り取っても人間扱いされていない。
「どうしたって彼らの所業を理解するわけにはいかない」
握り締めた拳から血が滴り落ちる。
鼓動が脈動し、胸の奥が締めつけられるように苦しくなる。
「……“俺”は先ほど、彼女を護ると言ったのです」
騎士とは護るべき者、護りたいと思った者を必ず護り通す。
自分が告げたことを曲げるつもりはない。
曲げたくないから騎士になった。
「……まだ終わらせるわけにはいかない」
彼女の現状を知らなければ、十四年分の引っ掛かりを抱えたまま帰国したかもしれない。
けれど知ってしまった。
今、エリザがどのような処遇を受けているのかを。
だから、
「自分が告げた言葉を終わらせていいわけがない……っ!」
バラッドは強い覚悟を持って、馬車に起こっていることを目に焼き付ける。
今一度、自分が騎士になった理由を強く自身に刻み込むために。
そしてライトも目に映る光景を見て、未だ気が動転してしまう。
「……何なんですか、これ」
たった一人の女性に石を投げつけ、騒ぎ、正義だと言わんばかりに吠える。
そんなこと、現実にあっていいわけがない。
「どうしてこんなことが起こってるんですか!?」
ライトの叫びに、ほとんどの人間が答えられない。
唯一、優斗だけが紛うこと無き事実を述べる。
「王族や貴族と同じように、平民に溜まっているストレスだとか不満だとかのガス抜き……というのが正しいんだろうね」
優斗が視線でバルストに問いかければ、彼は僅かに首肯した。
「自分達より上位の存在を貶めることは彼らに快感を与える。快感は幸福と繋がり、自分達の現状から目を背けることが出来る」
成長ではなく停滞、劣化していく国の在り方。
本来であれば国の行く末を導いている王や、自分達の領地を管理している貴族に不満や鬱憤が向くことだろう。
けれどこの国には、それを投げつけることが許される貴族がいた。
エリザという男爵夫人が。
「だからこそ他の上位者――王族や他の貴族に不満が向かない」
全ては彼女のせいだと言って。
全てはエリザが悪いのだと押しつけて。
「……だけど、おそらくは王都周辺だけだと足りない。どこかで蜂起が起こる可能性もある」
自分達が見ているのは、その一部分にしか過ぎない。
一瞬を切り取っているだけなのだろう。
「バルストさん。彼女は会議の前後、国中を回ってたりしますか?」
「……会議の前、二週間ほどの行程で回っていると聞いています」
「やっぱりね」
全ての負債はエリザに向けられる。
道路が汚いことでさえ、自分達が投げつけた石を片付けないから……ではなく、そこをエリザが通ったから悪いと思っている。
それほどまでにエリザは何もかもを背負わされている。
「ライト君。君が動いたところで何も変わらないよ」
「どうして……ですか?」
「目の前の状況をどうにかしたとしても、その後は何も変わらない。もっと根本的な部分を解決しないと彼女は助からない」
あの場にいって彼らの行為を遮ったところで、それは一時しのぎにしかならない。
彼女を取り巻く環境は何一つ変わらない。
「助けたいのなら、必要な情報を集めることだよ」
勇者であるライトがこの光景を目撃してしまった以上、この一件について確実に動くだろう。
アガサも優希も彼の行動を受け入れるはずだ。
なればこそ必要なことを優斗は伝える。
「助けるために用いる絶対の理由。それを手に入れるまでは動いちゃいけない」
きっと現実は彼が望むように動いていく。
現時点から未来に向けて、エリザを助けるために必要な情報を与えていく。
だからこそ、それを手に入れるまでは無闇に動いてはいけない。
「分かり……ました」
優斗の伝えたいことが分かったのか、ライトの身体から力が抜ける。
後ろから抱きしめていたアガサは、弟分の反応にほっとして優斗に小さく頭を下げた。
「兎にも角にも、この後は国王や王妃と顔合わせになる。その際、どういった情報が欲しいのかは教えて」
優斗は周囲の人間を見て、柔らかい表情を浮かべる。
「君達が望む情報を僕やアガサさんが引き出すから」
◇ ◇
少しして王太子が戻ってくると、優斗達はバルストと別れて謁見の間に連れていかれた。
ライトや優希などは表情が固いが、それに気付くような王太子ではなく、のほほんとした様子だった。
だからこそ謁見の間で王妃や国王と対面した時も、随分と間の抜けたことだった。
王太子がヴィクトス王国の面々を紹介すると、優希の時に王妃がキラキラした表情になる。
「あらあら、可愛らしい娘じゃないの」
優希の顔をマジマジと見ながら、王妃は王太子の肩を軽く叩く。
「もしかしたら貴方にとって、彼女が『運命の出会い』なのかもね」
「お、お母様!」
王妃の言葉に王太子は照れるように言い返すが、優希だけでなくアガサもライトも二人のやり取りに若干の恐怖を覚えていた。
何を平然と親子のやり取りをしているのか、正直言って意味が分からないからだ。
さらには優斗のことを王太子が紹介すると、王妃はポンと両手を可愛らしく叩く。
「凄いわ! 大魔法士って本当にいたのね!」
あっけらかんとした調子で、感動した様子の王妃。
けれど優斗は王妃を一瞥すると、ふっと息を吐いて国王に言葉を向けた。
「これが本当に王妃なのか?」
温かみがない声音で、突き刺すように問う。
三十歳を過ぎた大人が、初対面の最上位者に対してこのような反応を見せて空気が和むとでも思っているのか。
それを確認するかのような声音だ。
王妃の反応は何も問題ないと朗らかに笑っていた国王だが、優斗の反応が芳しくないことには気付いたらしい。
だからこそ優斗はもう一度、突き刺す言葉を使う。
「もう一度だけ訊くぞ。この礼儀知らずが王妃なんだな?」
まだ二十歳にもなっていない、制服を着ている少年。
だからといって軽んじることも侮ることも許されるわけがない。
国王としては『誰であれ』王妃が声を掛けたのなら、皆が毒気を抜かれると思っているのかもしれない。
だが自国以外の人間にそのような行動をすれば、待っているのは内心の嘲笑だ。
まともにやり取りをしてくれる人間でも、それは王妃だからこそ気を遣っているに他ならない。
「その……王妃はこのような性格なので、ご了承いただければと。彼女は場を和ませる柔らかい雰囲気を持っていますので」
「なるほど。言いたいことは、よくよく“理解した”」
本来であれば優斗はもっと色々と辛辣なことを言うが、確認したいことはそれだけではない。
他にもライトや優希、シルヴィの考えを聞いて問うべきことがある。
「だからこそ、あんなことが出来るわけだな」
「……あんなこと、とは?」
「馬鹿げた仕打ちを、他国の人間が見ている状況で行う。正直言って理解出来ない行為だ」
優斗が嘲るように言うが、どうもウェイク王国の人間にはピンと来ないらしい。
「ああ、そうか。言わないと分からないなら言ってやるが、例の男爵夫人――エリザ様だったか? 彼女に対してお前達が城内で行ったこと、そして馬車に対して民が行ったこと。これを理解出来る他国の人間がいると思うか?」
優斗がはっきりと告げると、国王はそんなことかとばかりに安堵の息を漏らした。
「彼女は大罪人ですので、そのようなことをされても仕方ないのですよ」
「大罪人、と言ったか? だとしたら、どうして牢屋に捕らえていないんだ?」
ウェイク王国には法律がある。
罪人を罰するための場所もある。
だというのに、扱いが法から掛け離れている。
「罪人は牢屋に入れるべきじゃないのか?」
「いえ、それは……」
至極当然のことに対して、国王は若干言い淀む。
説明しても難しいと考えているのかもしれないが、だからこそ優斗が追求を止めることは絶対にない。
「罪人ではなく奴隷、というわけだな? であれば彼女の扱いも理解は出来る」
奴隷であれば、どのように扱っても文句は出ない。
「まあ、この国に奴隷制度があるとは聞いてなかったが」
「……い、いえ、その、奴隷制度はないのですが……」
「だったら尚更おかしいだろう。明確に説明も出来ないのに、大罪人という言葉だけで自分達の行為を正当化しようとする。随分と頭のおかしいことだ」
「で、ですが彼女は昔、王妃を殺そうとして……っ!」
「だから何だ? それが罪人として、どうしてあのような罰に繋がるんだ? どういった法律に基づいて刑を執行してるんだ? そもそも執行している刑の名前は何だ? そこから答えろ」
優斗の矢継ぎ早な質問に国王は答えられない。
答えられるわけがない。
だが、だからこそ優斗の目論見通り王妃が言い訳に加わった。
「か、彼女にあたしは殺されそうになって、だからこそ怖くて……っ!」
「それで? 彼女が受けている仕打ちは法律の何に基づいて執行されているのか問うているわけだが、お前が殺されそうになったことと彼女が今、受けている仕打ちに何の因果関係があるんだ? 当時、王太子の婚約者ですらない男爵令嬢に対する殺人未遂はそこまで重いのか?」
「ジャックはあたしのことを思って王命を出してくれたのよ!」
「つまりは私刑、というわけか」
ハッと優斗は鼻で嗤う。
ほんの数分で随分と馬鹿げた情報を多々、出してくれたものだ。
優斗は満足げな表情でアガサを見ると、彼女は頷きを返した。
彼女の反応から見て、必要な情報はある程度手に入れたと見ていいだろう。
優斗は嘲る様子を見せたまま、
「であれば、この後に予定されていた食事は別で摂らせてもらう」
予定としてウェイク王族と交流を深める食事会があった。
けれど、それを反故すると優斗は言い放ったのだ。
突然のことに言葉が出ないウェイク王族に対し、優斗は懇切丁寧に説明を始める。
「これも言わなければ分からないか? この国では食事に薬を盛られる可能性を消しきれない。だから食事会に参加するのは見送ると言ったんだ」
「なっ!? だ、大魔法士様といえど礼儀がなっていないのでは!?」
「この礼儀知らずを目の前に出しておいて、お前達が礼儀を語るなよ」
優斗が王妃を一瞥して嘲笑する。
さらにはアガサが優斗の隣に立って言葉を加えた。
「もう一つ、ヴィクトスよりお伝えします。申し訳ありませんが、明日は別行動を取らせていただきます」
淡々と、ただ単純に事実だけを述べた言葉。
そのことに驚きの反応を大きく見せたのは王太子だ。
「……えっ? な、何故ですか!?」
「王太子殿下に紹介される場所だけを見るのでは意味がない、ということです。明日以降は独自に動いてウェイク王国を確認させていただきます。特に用がなければ、そのまま帰国しますのでご理解願います」
むしろ拒否されたところで行動を変えることはない。
アガサの意思が込められた言葉に、王太子は慌てて言葉を返す。
「そ、それでは貴女達が行く場所に私も一緒に付いていきます」
「いいえ、不要です」
「ですがもし危険があった場合――」
「王太子殿下がいなかっただけで危険がある。そのような国に留学することはないと断言させていただきます」
取り付く島もないほどに拒否するアガサ。
そして若干の静寂が生まれると、アガサは踵を翻した。
彼女の行動にライトも優希も追随し、ウェイク王族が呆けている間に全員が謁見の間から姿を消した。
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