第307話 If. After the villainess:視線が合う二度目



 会議という名ばかりの場所で轟く罵声と嘲笑。

 時間を限界まで使って行われる、王族と貴族のストレス解消。

 それを今まで何回も、何十回も受けて。

 いつも終わる時には心が打ちのめされる。


 けれど会議ばかりではない。


 無理矢理に、強制的に結ばされた婚姻も。

 その相手となった男も。

 王族も貴族も平民も何もかもが彼女の心を引き裂いてくる。

 唯一、心安らぐのは利発に育った息子と二人でいる時だけ。

 だが心安らぐとしても、癒やされるわけではない。

 そのように弱った部分を息子に見せられるわけがない。


 だから、いつも一人。


 自分は嘲りと笑いの場に立ち、全てに耐えてきた。

 いつまで続くのか、いつ終わるのかも分からないけれど。

 それでも自分の“誇り”を失うわけにはいかなかったから。


「…………」


 最後に国王から侮蔑の言葉を受けて、彼女は会議室を出た。

 この場における役割はお終い。

 ゆっくりと、ゆったりと歩きながら城内を歩く。

 だが彼女を貶める“全て”が、終わったわけではない。


「…………」


 少しでも気を抜けば泣きそうになる。

 ほんのちょっとでも食いしばることをやめれば、途端に歩けなくなる。

 霞みそうになる思考と、真っ直ぐに歩くことさえままならない弱った身体。

 だからこそ吹き出しそうになる弱音を、必死に押し留めて。

 いつも下を向いていることを強制されて。


「…………」


 前を向こうとする。

 けれど、どうしても視線は上がらなくて。

 足下を見ながら、言うことの聞かない身体を揺らしながら歩く。


「ご婦人」


 その時だった。

 不意に声を掛けられる。


「…………」


 知らない声と、覚えていない声音だった。

 自分の蔑むこの国で、あり得ないほど優しさに満ちた声色だった。

 思わず足を止めて、ゆっくりと視線を上げていく。

 段々と視界に入っていく姿は――騎士。

 リライトの紋章を制服に編み込んだ、他国の人間。


 けれど。


 どうしてだろう。

 彼の騎士の全てを視界に収めると、少しだけ姿がぼやけてしまった。



 何故なら、そこには――終わりの日に刻まれた懐かしい銀髪が揺れていたのだから。



       ◇      ◇



 歩きながらバラッドは思う。

 彼女と話したことはない。

 一方的に知っているだけで、関わることのない遠い世界の人だった。

 遠目からしか見たことがない彼女は、いつも自分を律するように表情を引き締めて、次代の王妃となるべく振る舞っているように見えた。

 けれど全ては十四年前に崩れてしまった。

 あの断罪劇が彼女の全てを変えた。

 誰もが熱狂し、讃え、物語の中にいると信じて酔っていた日に、全ての業を背負った。


 だから彼女は今、バラッドの目の前にいる。


 どうにか正面を向こうとして、それでも視線は下に落ちて。

 細い身体を揺らし、覚束ない様子で歩いている。

 故にバラッドは見過ごすことが出来ない。

 騎士として生きようと思った理由も、騎士になると決めた理由も。

 全ては彼女が始まりだったのだから。


「ご婦人」


 声を掛けると、少しして女性の足が止まった。

 少ししてから、ゆっくりと顔が上がってくる。

 僅かに揺れる彼女の金髪は、昔より光沢はない。

 それが彼女の十四年間を物語っているようで、バラッドは心苦しくなる。

 だけど自身のそんな感情をおくびにも出さず、自分の姿を捉えて僅かに目を見開いた彼女に再び声を掛けた。


「どうやら体調が優れない様子ですが、どちらへ?」


「……城門まで。馬車に乗るため、歩いています」


 女性は少しだけ目元に手を当てると、再びバラッドを見て小さく答える。


「左様でしたか。それなら馬車までお送りします」


「ですが……」


「体調が思わしくない女性を見過ごせません。送らせていただきたいのです」


 決して押しつけがましくならないよう、騎士として律した姿を見せながら告げる。

 女性はバラッドの顔を見た後、僅かに目を伏せて。


「……ありがとうございます」


 ゆっくりと頭を下げて、バラッドに言葉を返す。


「リライトの……騎士様」


 彼女の了承を得ると、バラッドは失礼にならないようエスコートする。


「……っ」


 左腕に掛かる彼女の手の感触は、あまりにも儚げで弱い。

 けれどバラッドは心配する心を表に出さずに、ゆっくりと歩き出した。

 少し進めば優斗達とすれ違うので、連絡することは忘れない。


「ユウト様。彼女を馬車が待つ外まで送ってきます」


「分かった」


 優斗は端的に頷いて、彼の行動を了承する。

 バラッド達はそのまま無言で王城の出口まで歩いていく。


「…………」


「…………」


 女性の状況が芳しくないのは誰だって分かることだ。

 けれど根掘り葉掘り訊くのはあり得ない。

 だからこそ無言になるわけだが階段を降りている際、不意に女性がバラッドに声を掛けてきた。


「……以前、この国にいたことが?」


 彼女がどうして、このような問いをしたのか。

 もしかして自分のことを覚えているのか、それともちょっとした話題で出したのか。

 バラッドには分からないが、それでも自分自身のことを偽ることはしない。


「はい。エトワーレ子爵家の出身です」


 正直に答えると、彼女の右手が少しだけ震えた。


「……やはり貴方様だったのですね」


「私のことを存じているのですか?」


「……いえ。身分などは知りませんでした」


 直接的な繋がりはない。

 バラッドが一方的に知っているだけの関係……だった。


「……けれど貴方様は…………」


 彼女にとって悪夢のように酩酊した状況で、ただ一人――正気を保っていた男性。


「……あの日。唯一、わたくしと想いを……共にしてくれた御方でしたから」


 彼には気にしなくていい、と。

 けれど同じ気持ちになってくれたことを感謝したかった。

 その想いを伝えたかった人だった。


「……覚えていらっしゃったのですね、『エリザ様』」


 視線が合ったのは、あの日――二人がどうしようもなく心に傷を負った十四年前。

 一人は全ての道が閉ざされ、地の底に叩き落とされた。

 もう一人は酩酊する国に恐怖を覚え、己の力の無さに悔いを残した。

 だけど、だからこそエリザは小さく頭を下げる。


「……ありがとう……ございます。わたくしと……同じ気持ちを抱いてくれて」


「いえ、感謝されることなど……っ!」


 バラッドは何も出来なかった。

 叫ぶべき言葉を知っていながら、為すべき行動を理解していながら。

 熱狂を止めることも、異様な状況から救うことも出来なかった。

 けれどエリザはほんの僅かに微笑む。


「……わたくしは……そんな貴方様がいてくれたからこそ……感謝しているのです」


 孤独を知ったからこそ余計に理解してしまう。

 あの日、ただ想いを同じくしたバラッドがいてくれたことが、どれほど心強かったのかを。

 我が子を抱きしめる以外で、久しぶりに……熱が少しだけ灯った気がした。

 と、その時だった。


「貴方は何をしているのですかな?」


 バラッドとエリザの姿を見た壮年の男性が、わざわざ声を掛けてきた。

 表情から見るに、碌な事は言わないだろう。

 だからバラッドは少しだけ身体をエリザの前に出して答える。


「ご婦人の体調が優れない様子だったので、送っているのです」


 バラッドの返答に男性は嫌らしく、にやっと笑う。

 ついでに立ち姿を見て、他国の騎士だということにも気付いたのだろう。


「貴方は知らないかもしれないが、この女は大罪人だ。他国の騎士であっても守るべき者と打ち倒す者の判別ぐらいは出来なければいけないのでは?」


 馬鹿にするように告げる壮年の男性。

 思わずバラッドの視線が鋭くなるが……左腕が弱々しく引かれた。

 そちらを見ると、エリザが視線を下げている。


「……騎士様、ありがとうございます。わたくしは……ここで大丈夫です」


 本人としては凜と言っているのだろうが、声は弱々しい。

 掛けられている右手も、僅かに震えている。

 だからバラッドは彼女の言葉を了承しない。

 何故なら大丈夫と言った彼女が掛けている手を離さなかった。

 それが彼女の内心を物語っていると思ったから。


「いいえ、私が馬車まで送ると言ったのです。どうか私の言葉を嘘にさせないでいただきたい」


 柔らかな声音で伝えると、エリザの下がった視線が少しずつ上がっていく。

 そして瞳に自分が映ったことをバラッドが確認すると、男性に鋭い視線を送る。


「ご婦人のことを大罪人と仰っていましたが……」


 まだ過去のことは分からない。

 エリザが罪を犯したのか、それとも犯していないのか。

 それすらバラッドは理解していない。

 だが、


「人間としての尊厳や権利すら否定し、貶めることを是とする。まるで理性を手放した野蛮な行為が罪ではない、と。貴方は言うのか?」


 罪人であれば牢にいるべきだろう。

 けれど彼女は違う。

 なればこそ相応の扱いをする必要があるはずだ。


「罪を犯した者は贖うことすら許されず、永遠に堕とされるべきだと貴方は――この国は言っているのか?」


 ふざけるな、とバラッドは思う。


「そのような行為を、私は騎士として――」


 絶対に認められない。

 素知らぬふりをすることも許せない。

 だから、


「――看過することは出来ない」


 護りたいと思った自身の気持ちを曲げたくない。

 けれど壮年の男性は、バラッドの言い分に立腹してしまう。


「あ、貴方は……貴様は他国の騎士でありながらウェイク王国を罵倒しているのか!?」


「蛮国ではないと宣うのなら、ご婦人に対する行為が常軌を逸していることを理解すべきでは?」


「……っ!」


 けれど言ったところで無駄だろう。

 誰も彼もが彼女を貶めていいと思っているのだから。

 壮年の男性が言葉に詰まったことを確認すると、バラッドはエリザを促す。


「行きましょう、ご婦人」


 ゆっくりと、急がせず。

 されど颯爽と男性の前からバラッド達は去って行く。

 途中、驚いたように自分を見つめるエリザに、バラッドははっきりと伝える。


「大丈夫です。騎士とは護るべき者、護りたいと思った者を必ず護り通します」



       ◇      ◇



 バラッド達が優斗達の前からいなくなって、三人で話し合う。

 その中には色々と重要な情報があった。

 建設的な会話が出来ているとアガサは思いながら、ふと廊下の窓を覗き込む。

 その先にあるのは城門で、一台の馬車が止まっていた。


「……? あの、ミヤガワ様。少しよろしいですか?」


 バルストと話している優斗にアガサは声を掛ける。

 優斗が会話を中断してアガサに向くと、彼女は窓の先に向けて指を指す。


「あの馬車はどういうことでしょう? おそらくエリザ様が乗られる馬車だとは思うのですが……何故、男爵夫人の馬車があれほど仰々しいのでしょうか?」


 止まっているのは、まるで戦で使われるかのような馬車。

 強固な外装を取り付け、馬も武装しているかのような格好だ。

 優斗もアガサの指摘に目を細めて馬車を眺めるが、すぐ理由に気付く。


「アガサさん、あの馬車が通る道を見たほうがいい」


 王城は少し山なりの場所に作られている。

 そのため城門から先は下り坂になっているのだが、


「民衆が……集まってる?」


 王城の三階にいるからこそ見える。

 下り坂となっている場所に続々と人が集まってきていた。


「まさか……っ!」


 アガサが驚いたようにバルストを見る。

 彼は険しい顔をして頷いた。


「……その通りです」


「御者もいないということは、彼女はどうしているのですか?」


「外套を被って御者台にいます」


 それだけで大丈夫なのだろうか、とアガサは一瞬だけ思う。

 けれど大丈夫なわけがない。


「あまりにも酷い。そう思ってしまいますね」


 アガサはふっと息を吐く。

 すると優斗が少し考える仕草を取った後、アガサに声を掛けた。


「アガサさん。優希は大丈夫だと思うけどライト君はどうする?」


 彼の問いが意味することをアガサはすぐに理解した。

 これから起こるであろう光景を二人に見せるか否か。

 そのことを監督者であるアガサに問い掛けたのだろう。


「……決して世界は優しいだけではない。いや、それ以上に醜悪な部分もある」


 優希は過去のことがあるからこそ、耐性がある。

 目を背けたいことでも向き合う強さがある。

 けれどライトはまだ知らない。

 世の中に不幸があるといっても、どれほどのものがあるか。

 どういったことが起こっているのか。

 ヴィクトスの勇者は見たことがない。


「それをライトは知らなければならないと思っています」


 これから数多を救うために。

 これからも勇者として在るために。

 目を背けてはいけないことだ。


「だとしたら室内から全員、呼び出したほうがいいよ。これはライト君も優希も――」


 優斗は室内の扉を指差す。


「――シルヴィも知るべきことだと僕は思う」



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