第286話 Call my name
翌日、レグル家はシルヴィを王様に紹介するため登城していた。
謁見の間の前ではレグル公爵とシルヴィが腕を組んでいる。
「娘をエスコート出来る日が来るとは思わなかった。ありがとう、シルヴィ」
「お父様に喜んで貰えるほど嬉しいことはありません」
「旦那様も父親としての夢はおありでしたのね」
すぐ後ろではオリヴィアも控えており、まさしく親娘で準備万端といった感じだ。
だが、
「……ほのぼの会話をしているところ悪いが、どうして俺も連れてこられてるんだ?」
オリヴィアの腕はがっしりと和泉を捉えており、彼もまた駆り出されたのが窺える。
「クリスはアリシア様に経緯の説明をしていますし、シルヴィのエスコートをするのは旦那様の役目です。ならば共に登城するわたくしのエスコートをする相手として、イズミさん以上に相応しい殿方がいるとでも?」
「そう言われると、いない以外の言葉が出ないんだが」
「ついでに伝えるのであれば、これはレッスンです。間違えている部分はきっちりと指導しますので、そのことを理解するように」
「……レグル夫人。昨日の今日だぞ?」
「昨日の今日だからこそやるのです」
反論しても無駄なのは分かっている。
けれど一応は反論してみて、やっぱり駄目だった和泉。
なので諦めの境地となって腕をしっかり構えた。
同時、扉が開かれたので四人は謁見の間に入る。
王様はいつも通り平然とした様子で待ち構えていた。
「新たな娘をエスコートしてきました」
「先ほどクリストがアリシアに説明していたので委細承知しているぞ」
「左様ですか。愚息はお眼鏡に適う動きが出来たでしょうか」
「アリシアがその場にいれば、もっととんでもないことをしているだろう。幸運だったのはクリストを選んだことでユウトも一緒に動いたことだな。そのおかげで随分と楽になっている」
くつくつと笑う王様は、ふと後ろで細々と動いている二人が目に付いた。
「イズミはオリヴィアに絞られているようだな」
「仕方ない。こうなったらレグル夫人が納得するまで仕上げるのが最善策だ」
「イズミさん? そのように仰るのなら腕の角度が違います。せっかくレイナさん用に指導しているのですから、しっかりと覚えるように」
「……分かっている」
ぐうの音も出ないのか、あの和泉が言われたとおりに腕の角度を修正する。
二人のやり取りに少し場が和んだところで、王様は改めてシルヴィを見た。
「シルヴィア=ファー=レグルよ」
「はい、我が王」
「今後、リライト魔法学院に通いながらアリシア=フォン=リライトの公務を手伝うように。これは大魔法士からの命令である」
いきなり言われたことにシルヴィは、ほんの少しだけ驚いた。
アリーのところに叩き込むとは言われていたが、こんなにも簡単に物事が進むとは思っていなかったからだ。
レグル公爵もそこが気に掛かったのだろう。
「よろしいのですか、我が王?」
「実際、鍛えるとなれば王族だけが把握する機密に関わる部分も触れさせることになるが……リライトは大魔法士に借りがあるからな。これで清算出来るなら、高くもないが安くもならん。そこを見越してユウトは言ったのだろう」
朝一番、その部分を突いた書状がトラスティ家から届けられた。
そうなれば断るのは難しい。
とはいえ早々に貸し借りが清算出来るのは互いに良いことだろう。
「確かに仰る通りですね。私がこれ以上何かを言うことはありません」
「いや、確認して貰うのは大事なことだ」
王様とレグル公爵は互いに納得すると、二人でシルヴィを見る。
「シルヴィアよ。その歳にしては外交の能力に長けていると聞くが、大魔法士の右腕となるにはまだまだ長所を伸ばさねばならないことは理解しているな?」
「はい」
「だからこその機会だ。存分に吸収し、大魔法士に役立てて欲しい」
「ありがとうございます、我が王」
綺麗なカーテシーを行いながらシルヴィは礼をする。
一連の動作は洗練されていて、ただそれだけで彼女がどれほどの教育をされてきたのかが分かる。
と、その時だった。
パタパタと騒がしい足音が聞こえ始める。
「や、やっぱり少し遅れてしまいましたか」
「書類の承認に手間取りましたからね。ついでにシュウを叩き起こすことに失敗しましたから」
慌てた様子でやって来たアリーとクリスが謁見の間に姿を現す。
二人はシルヴィの姿を認めると、周囲の状況関係なく側に近付いた。
「お久しぶりですわね、シルヴィア=ファー=レグル……いえ、シルヴィ」
「お久しぶりです、アリシア様」
「あら? わたくしはシルヴィと呼んだのに、わたくしのことをアリーとは呼んで下さらないのですか?」
からかうように言えばシルヴィは照れたような表情になって、わたわたと周囲を見回した。
けれど皆は生暖かい表情で見守っているだけ。
なので恐る恐るではあるが、王女が希望する通りの呼び方をする。
「ア、アリー様でよろしい……でしょうか?」
「……まあ、そこは立場故に仕方ないと思っておきましょう」
シルヴィにとってアリーとは憧れの存在であり、これから住む国の王女。
とてもじゃないが、さん付けすら恐れ多い。
「さて、この後はトラスティ邸に向かうのでしたよね?」
「はい、アリー様。我が主にもご挨拶をと思っておりますから」
「では皆で行くとしましょう」
そう言ってアリーは王様を見る。
「よろしいですわね、父様?」
「こちらを優先して貰ったが、どちらかといえば大魔法士の家臣としての立場のほうが、シルヴィアには重いだろうからな」
「世界最高の立場を持つ方の右腕です。わたくしとて大魔法士の右腕として相手をする場合、このようなやり取りは出来ませんわ」
大国の王や王女さえ同格。
蔑ろに出来ない。
「だけど今はアリーとシルヴィですので、気軽にレッツゴーですわ!」
アリーはそう言うと、苦笑するレグル家の面々と一緒に謁見の間を出て行く。
王様は出て行ったアリー達を見ながら、レグル家と同じように苦笑いしてぽつりと零した。
「アリシアも随分と立場の使い分けが上手くなったものだ」
◇ ◇
到着したトラスティ邸では、優斗が早速説明を始めた。
「え~、なんか最近は自分の家臣を増やすことにでもなってるのか、気付いたら先日に続いて家臣が一人増えました」
優斗がテキトーな感じで言いながらも、トラスティ家の家臣はパチパチと拍手する。
「ただし、しばらくはアリーのところに叩き込んで勉強の日々だし、レグル家の養子になったのでロレンとロニスみたいにトラスティ家でどうこうっていうのはありません。今後は僕の右腕として働いて貰うつもりなので、理解しておいて下さい」
「ちなみにどれくらい強いんですか?」
「本人は普通だけど、契約してる守護獣が御伽噺クラスって感じですよ」
「つまりは我々の想像に違わぬ家臣がやって来た。そういうわけですね?」
「どんな想像してるかは前に聞いたけど、大体その通りの強さです」
優斗が説明し終えると、ガッツポーズする人と項垂れる人が七対三の割合に別れた。
「よっしゃ! やっぱりユウトさんが二連続で普通の家臣を連れてくるわけがないって!」
「本人は普通だけど……って、『だけど』がいらないんですよ! 負けちゃったじゃないですか!」
どうやら賭けをしていたらしく、各々が色々な反応を示す。
その中で家政婦長のラナは平然とした様子で頷くと、すぐ隣にいるロレンとロニスに説いていた。
「どうやらユウトさんのことを理解していない者達がまだまだ多いようですね。ロレンとロニスもユウトさんが普通の人を連れてくると思っていたようですが、認識が甘かったのは今回で理解しましたね?」
「はい、家政婦長。いずれは家の中を取り持つ者として勉強になりました」
「我が主が直々に連れてきた家臣ともなれば、やはり都市規模は破壊出来なければ駄目なんですね」
「ロレンとロニスが連れてきた中では例外的に普通だということです。リヴァイアス王の手腕が素晴らしいことを忘れてはなりませんよ」
心が読めるのに普通と言われることこそ魔窟と呼ばれる所以のトラスティ邸。
その魔窟の中心人物とも言うべき優斗は、呆れながらも仕方なさそうに笑っている。
「というわけでシルヴィ、ちょっとレオウガを召喚してもらえる? ついでに紹介しておきたいから」
「かしこまりました、我が主」
言われたとおり、レオウガを喚び出す。
純白の獅子は威風堂々と現れたが、そこにいたフィオナとマリカを認識した瞬間……慌てて従うように頭を下げて伏せの姿勢を取った。
「レオウガ? 一体、どうしたのですか?」
「フィオナとマリカを見ていきなり……って、そういうことか。レオウガの精霊使役は真っ当だから、さすがに驚くよね」
「奥様も我らの主である以上、敬意を払うのは当然ではあるのですが……どちらかといえば驚きが勝っているような?」
「僕よりもレオウガよりも精霊との感応が強いフィオナと、そもそも精霊だの何だのの親玉だからね」
レオウガにとって優斗は敵だったからこそ立ち向かってはいたが、何もなければ精霊王の契約者として最大の敬意を払う相手だ。
だというのに今、彼の目の前にいるのは自分以上に精霊との感応が強い少女と精霊だの何だのの親玉。
伏せて敬意を払うのは当然なのだろう。
「親玉ですか? 申し訳ありません、いまいち理解が――」
「龍神の赤子なんだよ、マリカは」
優斗がそう言った瞬間、シルヴィは反射的に片膝を着いた。
同時に慌てて頭を垂れる。
「た、大変失礼なことを! 我が主が大魔法士様である以上、想像して然るべき事態でした!」
龍神の赤子がリライトにいるのは大々的に説明されている。
そして、そこに大魔法士がいるのなら多少なりとも関わりがあるかもしれない。
そのことをシルヴィは失念していた。
「これは秘匿の中でも特別だからね。僕達はマリカを本当の子供だと思ってるし、情報操作もあって気付くのは不可能に近い。僕が正体を知ってる可能性はあっても、僕の子供が龍神に思い当たる人はほぼいないよ」
リライトの事情を知ってる上層部が、そのように仕組んでいる。
だからこそマリカを伸び伸びと育てられるのだ。
「それじゃ、あらためて自己紹介をして」
優斗が手を広げてシルヴィを指し示すと、慌てていた彼女に周囲の目が集まる。
トラスティ家の面々に彼らの家臣、さらにはレグル家や王族まで揃っている。
その中でレグル家だけは優しい表情でシルヴィのことを見ていた。
そのことに気付いたシルヴィは大きく深呼吸をすると、胸を張って堂々と皆を見る。
「わたしは大魔法士様の家臣にして右腕、そしてレグル家の養女となった『シルヴィア=ファー=レグル』と申します。共にいるのは獅子王レオウガと呼ばれる魔物です」
シルヴィは自然と笑顔を浮かべていた。
これから伝えようとしていることに、何の不安も感じない。
「どうか皆様――」
きっと、ここにいる人達も自分が願うことを叶えてくれる人達だ。
それを知っている自分が嬉しくなって、頑張って本当に良かったと思う。
ここまで辿り着けたことを運命と呼ぶのか、それとも偶然と呼ぶのか。
自分にとっては、どうでもいいことだ。
ただ、それでもシルヴィにとって誇るべきことがあるとすれば。
必死に頑張った末に、二つの灯火を胸に抱いて心を折らなかったからこそ今があるということ。
「――わたしのことは〝シルヴィ〟とお呼び下さい」
だから無意識に声を弾ませながら、彼女は自分の名を皆に伝える。
ここにはもう名前を呼ばれなかった少女はいないのだから。
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