第277話 Call my name:新たな家臣





「シ、シルヴィ先輩……っ!」


 膝を着いたまま動かないシルヴィを心配してレンリやケイン、クリスが動こうとする。

 けれど一人だけ、三人の行動を止めた人物がいた。


「ユウト先輩、どうして……っ!?」


「アリーが認めたのなら、一人で立ち上がれないほど弱い女でもないはずだ」


 今日、彼女はずっと一人で戦っていた。

 王太子の愚かしい行動に頭を下げて、つい先ほどは再び馬鹿な言動をした王太子にリライトを守るために戦っていた。

 だから今、膝を屈していても問題ないはずだ。

 それほど彼女は弱くないことを、出会ってからのシルヴィが示している。


「……大丈夫」


 と、その時だった。

 小さな呟きと共に、彼女が僅かに身じろいだ。


「……大丈夫です、シルヴィ。まだ……灯火は消えてない」


 右手を胸元に当てて、服をぎゅっと握りしめる。

 殺されると暗に言われてもまだ、絶望はしていない。


「それに……灯火はもう一つ増えたのですから」


 強く強く右手で胸元を握りしめて、ぐっと上を向く。


「……まだ……頑張れる」


 立ち上がり、大きく息を吸って吐く。


「……まだ……前を向ける」


 そこまで言うと、シルヴィは振り返ってクリス達を見た。

 先ほど殺すと暗に言われて膝を着いた少女はいない。

 強い意志を瞳に宿したままのシルヴィがそこにいた。


「大変、申し訳ございません。本日はこれにて席を外させていただきたく思います」


 頭をゆっくりと下げて離席することを願うシルヴィ。

 彼女の願いも当然というべきものだ。

 王太子の言い分を信じるのならば、彼女は二日後に殺される展開になる。

 逃げるなり立ち向かうなり、少しでも準備が必要なはずだ。

 けれどクリスはシルヴィは真っ直ぐ見据えると、真剣な表情で指を三本立てる。


「許可をする前に三分、自分に時間を下さい」


 本当は一分、一秒でも時間が欲しいことだろう。

 けれどクリスがこの状況下で無駄なことをするはずがない。

 今日の朝、出会ったばかりだけれどシルヴィにだってそれぐらいは分かる。

 だから素直に頷いた。

 クリスは彼女が頷いたことにほっとすると、


「これは問いです。しかし答えるも答えないも貴女次第となります」


 あることを質問する。

 それは今日、彼女のことを知ったが故の質問だ。


「おそらく貴女は自身に降り掛かった出来事に対応するため、行動しようとしたのでしょう。実現可能な範囲で、最大の結果を得るために」


 リスクとリターンを鑑みて。

 どのように行動すべきかを幾つも考え、脳内で試し、最大の結果を得る。

 彼女がしようとしていることは、ほとんどの場面において正しいと言えるだろう。


「しかしながら貴女は〝見落としている〟と自分は思います」


 シルヴィはまず一人になって、どうするべきかを思案しようとしている。

 だが本当にそうするべきだろうか。


「今一度、まずはこの場で考えてみてはどうでしょう? 貴女に何が出来て、何が出来ないのか。貴女が得た実力を最大限、発揮する場所はどこにあるのか」


 彼女が取れる行動はたくさんある。

 今、この瞬間にも存在している。


「可能性を度外視したノーリスクハイリターン。失敗したところでリスクはないのだから、試す価値はあるのではありませんか?」


「……クリス先輩、それは……」


「残り二分、自分は貴女の結論を待ちましょう。それでもここを去るというのなら、これ以上は何も言いません」


 優しげな表情を浮かべて、クリスは彼女が出す結論を待つ。

 一方のシルヴィはクリスから言われたことを真剣に考え始めた。

 今、自分がやるべきことは生き残ること。

 王太子が言っていたことに屈することは出来ない。

 胸に宿る灯火が絶望の中でも明るく輝いているのだから。


 ――可能性を度外視したノーリスクハイリターン……ですか。


 そこで、ふと思う。

 クリスは随分と強い言葉を使った。

 なればこそ誰に対して行動しろと暗に言われたのか気付いた。


 ――ユウト先輩に対して、ですね。


 自分は一体、優斗に何かを求められる人間だろうか。

 彼には最愛の妻がいることは知っている。

 つまり女性として必要されるわけがない。

 となると、やはりクリスが言った『実力』という部分。

 そこが優斗にとって必要になるとクリスは思っているわけだ。


 ――産業や農業の知識は明らかにユウト先輩のほうが上でしょう……。


 優斗の優秀さは穴などないだろう。

 自分が補える部分があるとも思えないが……。


 ――いや、補えると考えるほうが烏滸がましいのですから、何かの助力になれると考えたほうがいいのでしょうか?


 大魔法士として面倒そうなことをシルヴィは頭の中に想像して列挙する。

 そして自分が今まで注力した部分を考えると、一つだけ合致するものがあった。


「――っ!」


「どうやら思い当たったものがあるようですね」


 気付いた瞬間、クリスから声を掛けられる。

 期待通りの答えになるかどうかは分からないが、確かにシルヴィは一つ見出したのだから頷きを返す。


「それでは、答えをどうぞ」


 どうせノーリスクハイリターン。

 リスクはないのだから気負いなく伝えればいい。

 柔らかい声が、優しげな声音が、シルヴィから緊張を取り除く。

 だから片膝を着いて、いつも通りの声音で自身が見つけ出した答えを告げた。


「どうか私を――大魔法士様の家臣にさせていただきたく思います」


「大魔法士の家臣になって何をするつもりでしょうか?」


「大魔法士様の右腕となり、外交を担当致します」


 きっとクリスが求めた答えはこれだ、と。

 そう思ってシルヴィは堂々と自身をプレゼンする。


「未来の国母となるべく周辺諸国との外交に注力した私が、その力こそが国を生き長らえさせると考えた私が――必ずや大魔法士様の負担を軽減してみせましょう」


 大魔法士は必ず、国外との関わりがある。

 しかも上層部……いや、国王等とやり取りを行う。

 それが一部だけならばいいだろうが、大魔法士はそうではない。

 繋がりを求めて何十もの国が声を掛けてくる。

 だからこそ自分のような人間が必要なのだとシルヴィは言い切った。


「……なるほど。良い判断だと自分は思います」


 シルヴィの言葉を聞き終えたクリスは、隣に立っている親友に声を掛ける。


「ユウト。彼女を家臣にするのはいかがですか?」


「クリスの判断に異を唱えることはしないけど……、僕としても声にして確認しなきゃいけないことがある」


 普段通りではあるが、確かめなければならないことがある。


「普通に救えばいいだけのシルヴィを、僕の家臣にするのは〝誰〟の判断?」


「貴方の親友――クリスの判断です」


 にっこりと笑った親友の表情に、優斗は参ったとばかりに苦笑した。


「了解。それじゃ受け入れるよ」


「是非とも、そうして下さい。この歳で彼女ほど外交に長けた人間は多くいないでしょう」


「ん、分かった。半年ぐらいアリーのところに叩き込めば、形にはなるだろうしね」


 あまりにも軽いやり取りで大魔法士の家臣が一人、決まった。

 そのことに呆然としていた様子で見ていたケインとレンリだが、思わずケインがツッコミを入れてしまう。


「ミ、ミヤガワ先輩!? そんな簡単に家臣を決めていいのですか!?」


「決めていいも何も、クリスの審査を通過した彼女に僕が何を反論するの? 僕の家臣ってことは、大魔法士の家臣になるということ。僕の親友が彼女を薦める場合、僕よりも厳しい目で見ていたのは当然だよ」


「いや、まあ、そうかもしれないですが……というよりレグル先輩が認めた相手をミヤガワ先輩が断るとか、想像できないのも確かですけど」


 尋常じゃないほどの信頼関係を持つ二人だ。

 相手が自分のためにと決めたことであれば、特に違和感なく受け入れてしまうのも納得出来る。

 なのでツッコミを入れてはみたものの、すぐに納得させられるケイン。

 二人のやり取りを横目で見て笑いながら、クリスはシルヴィに話し掛ける。


「貴女はアリシア=フォン=リライトの目に留まった存在です。彼女にレンフィ王国の生命線であると思わせた事実は、誇るべきことでしょう」


「あ、ありがとう……ございます」


「我が国の王女が知る貴女の価値を、この国は理解していません。個人的にレンフィ王国は恥ずべきことをしていると思います」


 誰も彼も理解しようとしていない。

 彼女がどれほど素晴らしい実力を持っているのか、分かろうともしていない。


「それに大国の矜持が我々にはあります」


 今日、出会ってからずっとシルヴィは無意味、不必要に貶められていた。

 看過するなどあり得ない。


「リライトは目の前の不当を見逃すことはしませんよ」


 ですよね、と左右に問い掛ければケインとレンリが大きく頷いた。


「だから、もう大丈夫です。我々が貴女を守ると約束しましょう」


 クリスはシルヴィを立たせると、椅子に座らせる。


「僕からも尋ねていいか?」


 と、そこで新たに家臣となった少女に優斗が声を掛けた。

 口調が違うのは、大魔法士として知るべきことがあるから。


「何をでしょうか?」


「どうして、そこまで頑張った?」


 彼女の扱いを考えれば、頑張る必要はない。

 周囲の視線も態度も、何もかもが彼女の頑張りを求めていない。

 なのにどうして彼女は頑張り続けたのか。

 これだけは誰であれ見通すことは出来ず、本人に訊く以外に知る方法はない。


「どうして、そこまで頑張った……ですか」


 シルヴィは問われたことに、ふっと視線を夕焼けに向ける。


「わたしは未来の国母……でした。民を幸せにする義務がありました」


 生まれながらに王太子の婚約者だった。

 未来の国母となるべく厳しい教育を受けさせられ、そのために生きてきた。


「だから…………頑張りました」


 そう言ってシルヴィは、すぐに首を振った。

 今言った気持ちがないとは言えない。

 義務としてやらなければならないのは当然だった。


「だけど、本当は……っ」


 もっともっと強い気持ちがあった。


「真っ直ぐに、誠実に生きれば……きっと幸せになれる」


 親は自分を見てくれない。

 可愛い妹だけが家族で、自分を家族と扱ってくれない。


「いつか誰かがわたしを見てくれる」


 婚約者だって妹に籠絡されて、自分のことをどうでもよく扱った。


「誰かが……名前を呼んでくれる」


 親しい人がいるわけじゃない。

 親しい人を作る時間すら与えてくれなかった。


「誰かに……名前を呼んで欲しかった」


 ただ、それだけでよかった。

 親でも婚約者でも友達でも誰でもいいから。

 名前を呼んで欲しかっただけ。

 だけど、それは叶えられなくて。


「いつからか、息が吸いづらいのです。……どこにいても息苦しくて仕方がないのです」


 自分は邪魔者扱いされる。

 その場にいるだけで空気を乱す。

 いつもいつも、そうだった。

 だから息が吸いづらくて、息苦しくて。


「息苦しくない場所を望むのは……っ」


 頑張ってきた。

 誰かに認められたくて。

 たった一人でいいから、名前で呼ばれたかった。


「幸せになりたいと願うのは……っ!」


 雁字搦めで、自分の時間はないとしても。

 この国の未来が暗闇に満ちていたとしても。

 それでも自分が頑張れば幸せになれると思うのは、


「……罪でしょうか?」


 両親から蔑ろにされ、婚約者に遠ざけられ、妹に全てを奪われ、命さえ消される。

 それほどの罪だというのだろうか。


「それが罪だと言うのなら、この世界は罪人だらけだ」


 優斗は希うようなシルヴィに言葉を返す。

 当たり前のものを持っていなくて、だから当たり前を求めた。

 真っ当であれば、普通であれば、誰もが持っているものをシルヴィは求めた。


「だから駄目じゃない」


 何一つ悪くない。

 それを悪だというのなら、悪とするほうがおかしい。


「お前が言っていた〝灯火〟は、あまりに小さくて周囲を照らすことは出来なかったかもしれない。けれど――」


 周囲を照らせないから、そこが『どこ』なのかは彼女自身、分からなかったことだろう。

 しかし、もしそうだとしても言えることがある。


「――お前が前を向いて歩く道標にはなった。違うか?」


 そう、シルヴィは知っていた。

 他の誰でもないリライトの人達が教えたからだ。

 愛称で呼ばれることの嬉しさを。

 認めてくれることの喜ばしさを。

 それが、たった一度きりのものだったとしても。

 灯火となって、何度も顔を上げた。


「……ユウト先輩」


 クレアという灯火を頼りに前を向いた。

 アリーという灯火を抱いて進もうと決めた。

 そして今日、新たな灯火に照らされて居場所を得た。


「だとしたら自分自身の行く末を誇ればいい」


 周囲が見えずとも歩き出した。

 ゴールがどこにあるか分からずとも、微かな灯火を頼りに前へ進んだ。

 だからこそ今、彼女は辿り着いた。


「お前が歯を食いしばって、小さな灯火を頼りに歩いた先には――御伽噺が待っていたのだから」


 優斗は立ち上がるとシルヴィに近付き、労うように肩をポンと叩いた。


「よく頑張ったな。さすがは僕の家臣だ」



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