第274話 Call my name:ある意味では関わっていて欲しかった一族がいた





 話し合いが終わると、緊張の面持ちで待っているシルヴィアのところに戻る。

 クリスは安心させるような柔らかな笑顔を浮かべると、


「ここからはリライト魔法学院とレンフィ魔法学院の交流としましょう」


 パン、と手を打って今までの空気を変えた。

 困惑した様子のシルヴィアにクリスは言葉を続ける。


「そして学生同士の交流です。先ほどのような呼び方は止めにしませんか?」


「……あの。それは、どういう……?」


「つまり自分達は貴女のことを学生として、どのようにお呼びすればよろしいでしょうか? ということです。ネスレ侯爵令嬢とお呼びするのは、少々堅苦しいでしょう?」


 レンフィ王国は仲良くなければ名で呼ぶことがないことは知っている。

 だからこれはリライトの流儀……なのだが、


「どうされました?」


「ああ、いえ、その……」


 シルヴィアの様子が少しおかしい。

 目を見開いて、どのように話せばいいのか分からないほどに困惑している。


「ちなみに自分は彼らから『クリス先輩』『レグル先輩』と呼ばれています。後輩に対しては、さん付けで呼んでいます」


「僕は『ミヤガワ先輩』と『ユウト先輩』だね。後輩のことは呼び捨ててる」


「そこから鑑みて、貴女はどのように呼ばれたいですか?」


 いまいち、シルヴィアの反応の意味が読めない。

 だからクリスと優斗は話を進めてみたのだが、彼女は話を聞き終えたあと……目をぎゅっと瞑ってから、僅かに震えるような声音で答える。


「……シルヴィ、と」


 きっと大切な呼び方なのだろう。

 それがリライト全員に分かるほど、想いが込められていた。


「呼び捨てで、そのように呼んでいただければ幸いです」


 希うように、されど駄目かもしれないと恐怖しているようで。

 色々とない交ぜになった表情でクリス達を見るシルヴィア。

 リライト勢は顔を見合わせると、互いに頷きを交わす。


「分かりました。今日から三日間よろしくお願いしますね、シルヴィ」


「僕もシルヴィって呼ぶことにするよ」


「年頃の婦女子を呼び捨てにしたことはないが、これから三日間はシルヴィと呼ばせて貰う」


「あたしは後輩ですから、シルヴィ先輩ですね!」


 気軽に、気楽に了承するとシルヴィア――シルヴィの表情がぱっと輝いた。


「あ、ありがとうございます!」


 四人に愛称で呼ばれて嬉しそうに、噛み締めるようにそれぞれへ頭を下げる。


「それでは次に自分達のことも名前や愛称で呼んで貰いましょう」


 どうぞ練習して下さいと言わんばかりにクリスは自分自身を指す。

 すでにクリス達が彼女を愛称で呼んだのだから、心理的には楽はずだ。

 そう思ったリライト勢だが、彼女はガチガチに緊張した様子で四人を見据える。


「……ク、クリス先輩」


「はい、その通りです」


「……ユウト先輩」


「そんな緊張しなくていいよ」


「ケ、ケインさん」


「同い歳だ。気を遣うな」


「レンリさん」


「呼び捨てでもいいですけど、それでいいですよ!」


 全員の名を呼び終えたところで、ほっと大きく息を吐いたシルヴィ。

 どうやら自身の名を呼ばれ慣れていないだけではなく、誰かの名を呼び慣れてもいないようだ。

 悪女と呼ばれているのであれば、それも仕方ないことかもしれないが……。

 と、ここでクリスが気になったことをシルヴィに問い掛ける。


「そういえば『シルヴィ』という呼び方に、何か思い入れでもあるのですか?」


「これは、その……覚えてらっしゃらないと思いますが、クリス先輩の奥様であるクレア様から付けて頂いた愛称なのです」


 懐かしむように、シルヴィは胸に手を当てて嬉しそうにはにかむ。

 クリスは彼女の様子を見ながら、クレアが彼女を『シルヴィ』と呼んでいたことを思い出す。

 同時に彼女が自分の妻であることも調べていたことに気付いて、小さく微笑む。


「妻も貴女と会っていたことを覚えていましたよ。シルヴィと一緒にケーキを食べたと言っていました」


「ほ、本当ですか!?」


 再び嬉しそうにシルヴィはぎゅっと胸元を握りしめた。


「クレア様はとても……その、形容しがたいのですが……ほわほわしていて可愛らしく、初対面のわたしにも優しくしてくださったのです」


 あの日のことをシルヴィは忘れられない。

 ずっとずっと、忘れていない。


「ミスト子爵様と話し終えたあと、一緒にケーキを選んでくださって、交換して、会話にも華を咲かせて下さいました」


 思えば突飛なことばかりだったが、とても嬉しかった出来事だ。

 するとクリスはくすくすと笑い始める。


「シルヴィもクレアの謎空間にやられたのですね」


「謎空間……ですか?」


「言葉が足りないのか、突飛な思考をしているのか、天然の極みと言うか悩むところですが……。とにかくクレアの可愛らしい部分です」


 あれに太刀打ち出来る人間を未だ見たことがない。

 優斗もクレアが絡んだ時の様子を思い出して苦笑してしまう。


「あれで面倒見が良いっていうのが不思議だよね」


「それにイズミの天敵ですから、自分は大助かりです」


 瞬間、後輩二人が目を見開いて驚きを示す。


「えっ!? あの変人先輩に天敵っているんですか!?」


「トヨダ先輩の天敵がいるとは中々に衝撃的な事実なのですが」


 リライト魔法学院の変人二大巨頭。

 そのうち、一人に天敵がいるなど驚きもいいところだ。



       ◇      ◇



 学院までは徒歩で行くとのことなので、優斗とクリスは三人を前で歩かせながら二人で話す。


「さっきの彼女の反応を、クリスはどう見た?」


「この国は仲が良くなければ名で呼ぶことがないのは知っています。ですが自分達から愛称で呼ばれて、あれほど噛み締めるように聞き入れるのは……」


「やっぱり、おかしい?」


「ええ、そうですね。それにクレアとのやり取りを話している時、胸元を握りしめて表情が崩れていました。あれでは、まるで……」


 ケインとレンリと話しながら、前を歩く少女にクリスは憐憫の視線を向ける。


「シルヴィはクレアに救われた。そう思わされてしまいます」


 彼女は後生大事そうに、クレアとの出会いを語っていた。

 普通はあり得ないはずだ。

 偶然、出会っただけの令嬢とのやり取りをあそこまで大切にしているなんて。


「レンフィ王国の生命線……」


 それはアリーが見定めた、シルヴィア=ヴィラ=ネスレに対する評価だ。


「ユウト。彼女は本当にレンフィ王国を救えるのですか?」


「それは分からないとしか言えないよ。彼女は問題点が分かっていて、それを解決出来る能力もある。だけど――」


 問題はそこじゃない。


「初手を打てる状況にあるか否か。それに限るだろうね」


「ユウトの言う初手、というのは?」


「賛同者を集めること。それが善意であれ悪意であれ、人を集めなければどうにもならない」


 一人で出来ることはたかが知れてる。

 悪意を持つ人間であろうと、上手く使えるのならそれは手駒と呼べる。


「ただ状況は全て逆風になってる。王族が使えないことも、婚約者である王太子が馬鹿であることも、サンドラとかいう面倒そうな奴のことも何もかもね」


 そもそも、あのサンドラとかいうのは何なのだろうか。

 同じファミリーネームであることから、おそらくシルヴィに虐められていると噂される妹だろうに、何故かあの場にいた。

 さらには趣味悪い装飾品を付けていて、目が痛いとしか言いようがない。


「まあ、何をするにしても現状を正確に把握しないと始まらないと思うよ」


「そうでしょうね」


 優斗とクリスは少しだけ歩く速度を上げて前方の三人に追いつく。

 そして雑談をしていたところに話し掛けた。


「シルヴィの緊張が解れたところで、面倒な部分を片付けておこうと思う。学院に着くまでに現状を大凡は理解出来るはずだから」


 最初から散々なことになっていたが、どうしてそんなことになったのかも分かっていない。

 だから面倒な連中もいない今、確認しておいたほうがいい。

 そう考えたが故の提案にシルヴィも頷きを返した。

 優斗は肯定的な反応に笑みを浮かべると、早速問い掛ける。


「まず最初にあの馬鹿王太子、僕が誰だか気付いてないの?」


「リライトからは王城にも学院にも通達があったことをわたしは知っていますが、王太子殿下が存じ上げているかどうかは不明です。ただ王太子殿下としては、わたしと妹のサンドラを同じ場所にいさせたくないがために嘘を吐いたのでしょう」


「シルヴィと妹を一緒にいさせたくない……というと、あの噂についてかな?」


「……ご存じでしたか。ユウト先輩も噂を信じますか?」


「馬鹿馬鹿しい。虐められている奴が、わざわざ来る必要がない場所にいる段階で信憑性がない」


 しかもこちらの訝しむ視線に全く気付かず挨拶した点も加味して考えれば、あれは相当に神経が図太い。


「……ありがとうございます、ユウト先輩」


「そんなことも気付かないような間抜けじゃないからね、僕達は」


 感謝されるようなことですらない。

 あの図太い根性で虐められてるとか、考えにくいだけだ。


「それじゃ質問の続きだけど、シルヴィをどこかにやるんじゃなくて自分達がいなくなる方法を選んだのかはどうしてか分かる?」


「いえ、わたしにも分かりかねます。同じ疑問をわたしも持ちましたので」


「シルヴィでも分からないってことは……何にせよリライトを格下に見たのは間違いないだろうね」


 理由が何であれ言い訳にはならない。

 シルヴィの妹を守る自負があるからこそ一緒にいるのかもしれないが、そうだとしたらシルヴィを遠ざけてリライトを案内することが筋だ。

 そしてしっかりと理由を述べて、生徒会役員が全員揃わないことを謝罪する。

 けれど王太子が取った行動は何一つ褒められる部分がない。


「それで、次の質問。シルヴィが〝悪女〟と呼ばれている理由は? 妹を虐めているとされていることも一端だろうけど、他にも噂はあるよね?」


 自身のことを〝悪女〟と呼ばれてシルヴィの身体が一瞬、ビクリと震える。

 けれど緊張しなくていいと言わんばかりに、優斗が彼女の肩をポンと叩いた。


「素直に事実を話せばいい。それだけで十分、こっちは理解するから」


 きっと彼女の周囲は誰もシルヴィの言葉を信じない。

 張られたレッテルが、悪意のある吹聴が、シルヴィの言葉を全て凪いでしまう。

 けれどここにいるのはレンフィ王国の人間ではない。

 噂だろうと何だろうと、その場で語られることよりも自国の王女を信じている。

 だからこそ曇りのない眼で真偽を確かめられる。

 そのことにシルヴィは気付いて、ふっと息を吐いてから語り出した。


「金遣いが荒い。その言葉を聞いた場合、レンリさんはどのように思われますか?」


「宝石やドレスの類いをたくさん買ってたり? あたしはそう思っちゃいます」


「仰る通りだと思います。しかし、わたしが今まで自分自身で買ったことがあるのは国外にある書物のみです」


 瞬間、リライト側が全員揃って首を捻った。

 明らかに意味が分からなかったからだ。

 けれど数秒して、優斗は何かに気付いたのか納得した表情を浮かべた。


「ああ、なるほど。そういうことか」


「えっ? ユウト先輩、今の言葉だけで分かったんですか?」


「少なくともシルヴィの買い物が何か、というのはね。本当に国を救おうとしているなら合ってるはずだよ」


 そう、これはとても単純なことだ。

 難しく考える必要は一切ない。


「農業でも産業でも何でもいいけど、この国に指南書があると思う?」


「あっ、そういうことですか!」


「ユウト先輩が仰る通りです。我が国にある産業関連の書物はリライトと比べると数十年は遅れています。ですから国外から書物を取り寄せていました」


 発展させなければ未来はない。

 だがそのための資料がないのだから、国外から取り寄せるしかない。

 当たり前のことだ。

 だが、そこでケインが疑問を挟む。


「国外からの取り寄せだから、多少の浪費はあるだろう。しかしシルヴィ、それでは金遣いが荒いとまで言われないはずだ。むしろ宝石類を買うよりも圧倒的に安い」


 この程度で金遣いが荒いと言われるはずがない。

 シルヴィは頷きを返すと、自身の金遣いが荒いと言われる本当の理由を語る。


「妹の装飾品はわたしのお下がりらしいです。どうやら気に入らない宝石などを押しつけているとのことです」


 語った瞬間、顎が外れそうになったのはレンリとケイン。

 優斗とクリスは何となくそんな気がしていたので、特に反応は見せなかった。


「……シルヴィ先輩、冗談言ってます?」


「いえ、残念ながら」


「だってあんなにジャラジャラと下品に纏っておきながら、あれがシルヴィ先輩のお下がり!? というか周囲はシルヴィ先輩が一つも装飾品を付けてないことに気付いてないんですか!?」


「気付かれていません。それに妹からは、せっかく買ったからには使ってあげないと可哀想と言われました。アクセサリーを買ったことがないので理解は出来ませんでしたが」


 そう、彼女は装飾品を付けていない。

 髪の毛でさえリボンやバレッタで纏めているわけではない。


「まあ、そういう風に嵌められたってことだね。あとは周囲に横暴な態度を取ってるってことだけど、まさか生徒会副会長として注意しているのを横暴と言われてる……なんて冗談みたいなことになってる?」


「おそらくは、そうなのでしょう。わたしとしましても彼らの行動や言動は看過し難いものですし、王太子殿下は婚約者ですから不用意に近付く妹に注意するのは当然だと思っているのですが、どうやら周囲はそう思わないようです」


 婚約者が他の女性と仲睦まじくしているのなら注意するのが当然。

 けれどそれを言えば横暴とされる。

 中々に最悪な状況と言えるだろう。


「あとは男漁りをしている、というものに関しては無実無根です」


 淡々と語るシルヴィに対して、優斗達は少し驚いた表情を見せる。

 その噂があるとは知らなかったからだ。


「ケインとレンリが調べた中には、なかった噂だね」


 完全無欠に調べたわけではないだろうから、抜けがあったのだろう。

 優斗は少し悔しそうにしているケインに視線を向ける。


「さて、ケイン。その噂がどうして流れたか分かる?」


 問い掛けに対して、ケインは考える仕草を取る。

 そして十秒ほどして理解したのか、シルヴィに確認するように言った。


「国を救うために他国も交えたパーティーで産業に実績のある方々へ声を掛けた。違うか?」


「その通りです。王太子殿下はすぐにサンドラの下へ向かってしまうので、常に一人でした」


「その中には自分の義父もいるでしょう?」


「はい。ミスト子爵様には大変、お世話になりました」


 シルヴィが声を掛けるのは男性ばかりではない。

 少しではあるが、女性もしっかりといる。

 だが大多数は男性であり、会話の内容など何も鑑みずに悪意でその時の様子は吹聴しているのだろう。


「それじゃあ、次で最後になるのかな。さっきもちょっと話したけど、妹を虐めてることについて」


 優斗は言いながらも、噂内容を鼻で笑いながら問う。


「そもそも虐める時間ある?」


「いえ、ありません。常に教育を詰め込まれているわたしに、そのような時間あるはずないのですが」


「だよね。そんな無駄な時間があるなら、もっと他にやるべきことがあるんだから」


 やるべきことが出来ていない。

 だというのに妹を虐めるなど、余計なことでしかない。


「シルヴィ先輩、両親は何て言ってるんです?」


「親は妹の言い分を全面的に信じているので、わたしは怒られるだけですね。何を言っても無駄なので、反論すらしていません」


 自分が出来ないのは親が一番知っているはずなのに、妹を信じて怒る。

 だから無駄なのだと諦めて言われるがままになっている。


「妹は自分がまるで世界の中心とでも言うが如く振る舞っています」


 自分が話題の中心で、自分が願うことは何であれ叶えられて、自分が嫌なことは誰であろうと排除出来る。

 本気でそう思っている節がある。


「計算高く狡猾。個人的にはそう思っています」


 相手を貶めることに全力を尽くす。

 相手を貶すことに快感を覚える。

 サンドラという妹は、そういうタイプだ。


「生徒会役員は全て籠絡されています。彼らには全て婚約者がいるのですが……わたしと違ってあまり問題としていないようですね」


 不思議なものだ。

 いくら政略結婚とはいえ、このままだと仮面夫婦すら難しいというのに。

 すると優斗は話を聞きながら、ふと思い浮かんだ二つのうちの一つを呟いた。


「……もしかして悪役令嬢もの?」


 同時、クリスやケインは分からずに首を捻ったが、唯一言葉の意味を理解したレンリが吹き出した。


「そんな、まさかですよ! 現実でそんなこと、あり得ないです!」


「だけど、まさしくそうじゃない?」


 優斗は元々の世界で読んでいて、この世界にも似たような小説が売っているな……と思って買ったことはある。

 なので悪役令嬢ものは優斗のみならず、この世界でも通じる概念ではあるが、


「一瞬、現状が酷すぎてノーレアルが関わってるんじゃないかと疑ったけれど、勇者の単語が出ていない以上は違うんだよね」


「ノーレアルって……あれですよね? ユウト先輩とシュウ先輩がやった『レアルードの奇跡』の主犯だった一族ですよね?」


「そうそう。だけどノーレアルが関わっていないからこそ、この国のヤバさが本当に凄いっていうか……」


 むしろ関わってくれていたほうが楽だと言いたい。


「……本当に悪役令嬢ものになると思います?」


「様子見の必要はあるだろうけど、そんな気がしてならないよ」





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