第271話 Call my name:未来を切り拓こうとする令嬢





 夏休みが終わり、九月に入る。

 学院も始まって……最初の週。

 レグル邸では意外と珍しい面子が揃っていた。

 というのも優斗が後々迫る出来事によって、週の前半を家族サービス強化日と決めたからだ。


「クリスさんは短期交流の準備、終わったのですか?」


 アリーがレグル邸の庭園で優雅に紅茶を飲むと、クリスもまた綺麗にティーカップを手に取った。


「終わっていますよ。二泊三日ですし、大げさな荷物は必要ありませんので」


 クレアも手伝ってくれましたから、と言いながら隣に座っている妻に視線を向けると、彼女は嬉しそうに頷きを返す。

 その光景にリルはラブラブね、と呟きながら問い掛ける。


「クリス、どこかに行くの?」


「はい。学院行事の一環……というより生徒会活動で獅子王の国――レンフィ王国へ行くんです」


 クリスが答えると、リルは思い出そうとするように頬に手を当てて……首を捻った。

 隣国という地理関係に加えて懇意にしている間柄ということもあり、リライトの事情にもそれなりに詳しいリルだが、それでも今の国に覚えがない。


「どこよ、そこ? 獅子王と呼ばれる国王なんて聞いたことないわよ」


「少しばかり遠い場所にある小国ですので、リルさんが知らないのも当然ですよ。それに獅子王とは国王のことではないんです」


 リステルは全く関わりがない国だ。

 知る由がない、といったほうが正しいだろう。


「あの国には守護獣と呼ばれる魔物――獅子王レオウガがいるらしいのですわ。だからこそ獅子王の国と呼ばれているのであって、国としては獅子からほど遠い日和見主義といったところです」


 アリーが淡々と、されど単刀直入な評価を告げる。

 彼女にしては珍しく粗雑な評価ではあるけれど、リルが話を聞きながら不意にくつくつと笑い始めた。


「というかクリスって、普通に生徒会の一員としてカウントされてるのね」


「まあ、臨時でお手伝いしていますから。それに……うちのイズミやシュウが大変ご迷惑をお掛けしているので、出来る限り助けてあげたいんです」


 リライト魔法学院にいる愉快犯の二人が身内なので、クリスとしては申し訳なくも思う。

 しかしながら生徒会長のククリ・ニースは、苦笑しながら受け入れてくれている。

 それが大変ありがたく、その恩を返すために今回の短期交流も了承した。


「とはいえ、このタイミングでクリスさんが他国へ向かうのは、わたくしとしてもちょうどいいと思ったところです」


 と、その時だ。

 アリーが少しばかり妙なことを、笑みを浮かべて言い始めた。

 自国の王女の表情に、クリスとしては嫌な予感しかしない。

 そして違わず、アリーは面倒なことを言い放った。


「今回の短期交流において、わたくしが持つ王族としての権力を代理執行可能な権限。それをクリスさんに与えますわ」


 内容を聞いて、理解し、額に手を当てたのはクリス。

 リルはリルで、驚かずとも彼女の発した言葉に目を見開く。


「……アリー、何かヤバい権限をクリスに与えようとしてない?」


「いえいえ。わたくしの許可があれば、クリスさんはわたくしの代理として物事を決められるだけですわ。それを今回の短期交流期間、与えるだけです」


 どこをどう取れば『いえいえ』と朗らかに言えるのかリルは理解出来ない。

 だがアリーは平然としたまま、どうしてやろうとしたのかを伝える。


「従兄様の時と同様で、必要性は認識していたのです。なので今回のことを切っ掛けに、試してみようと思ったのですわ」


 リライトの王女がそう言う以上、必要な措置だということは皆が理解する。

 けれど尋ねるべき部分があることは間違いないので、クリスは言葉を返した。


「アリーさん、どうしてそれを自分に?」


「単純なことですわ。わたくしが無条件で代理を頼めるリライトの貴族は、クリスト=ファー=レグル以外に存在しません」


 ほんの一瞬、リライトの王女としての顔を出しながらアリーは答えた。


「別に他の貴族が悪いと言っているわけではありません。ですが『無条件』となると、クリスさんしかいないのが実情ですわ」


「ココとかフィオナはどうなの?」


「ココは慌てるでしょうし、フィオナさんはフィオナさんですし、そもそもお二方は公爵令嬢です。その点、クリスさんはわたくしの代理として何も問題ありませんわ」


 あの二人はあくまで公爵家の令嬢であり、それ以上ではない。

 信用し、信頼しているとしても……やはり与えられない部分ではある。


「そもそもクリスさんのお手伝いに幅を持たせたいと思うのは当然です」


 アリーは茶目っ気を出しながら、それでもある種では切実な面もあることを声にした。


「わたくしの休みのためにも」


 正直、アリーに降り掛かる仕事は場合によって多いことがある。

 その時は優斗やクリス、他の面々の手を借りながら高速で処理している。

 それも全てはゆっくりと休みが欲しいため。


「あとどうして今回なのかと言いますと、学院を代表してレンフィ王国の王立学院に訪問する際、必要になってしまうのではないかと思った次第です」


「……アリーさん、何が問題なんです?」


「王太子のおつむが若干、弱いのですわ」


 他国の王族に対して扱き下ろす言葉を、アリーは普通に吐き出した。

 これもまた彼女にしては珍しいと言ってもいい。


「ほら、わたくしはリライトの王女でしょう? なので大抵の方々は立場的が格下になるわけです。もちろんわたくしも、基本的には気を遣っているので小国とはいえ対等に扱っていますわ。相手としても、変にへりくだる必要はありません」


 けれどそれは、言うなれば上が下に合わせている。

 リライトが屈んで視線を合わせているに等しい。


「とはいえ大国の王女たるわたくしに対して、普通は立場を分かって接してくるわけです。それを覆したのは、最近でいえば勇者会議の時と……」


 ちらり、と悪戯をするようにアリーは視線を隣国の王女に向ける。


「あたし?」


「出会ったばかりのリルさんは、珍しく上から物言いをする方でしたわ」


「……うぐっ、確かに。あたしの嫌な過去ね、それは」


 普通に無礼だったのはリルも分かってる。

 あの時の思い返して苦み走った表情を浮かべているリルに、アリーもクリスはころころと笑う。


「出迎えや学院の案内をするのは王太子である第一王子なのでしょうが、リライトの公爵家ですら蔑ろに扱いそうな気がしてならない、という感じなのですわ」


 普通はあり得ない。

 小国の王族如きが大国の公爵家を蔑ろにしていい理屈はない。

 しかしながら、それを許されると勘違いしている理由にアリーは気付いている。


「わたくしの気遣いも勘違いを助長している原因にはなっていそうですが、つまりは王族という単語だけでレンフィ王国の王太子はわたくしを同格と見做しているのです」


「……あたしが言うのもなんだけど、それは確かにおつむが弱いわね」


「まあ、クリスさんを代理にしてしまえば、相手からすると立場は最低でも対等なのですから、侮られることはないと信じたいですわ」


 ただし代理執行権を与えて終わらないのがリライトの王女。

 クリスが生徒会長に頼まれてレンフィ王国に行くと聞いたときから、もう一手打っている。


「それに生徒会長にお願いして世界最高の立場を持つ人も一緒に行きますから、何があっても問題はないと思います。あっちもあっちで生徒会に関わっていますし人選として間違いありません」


 つまり優斗が今、家族サービスに力を入れているのはクリスと一緒にレンフィ王国に行くから。

 正直、先日問題が起こったとは思えない気軽さでアリーは優斗に頼んでいた。


「我が国の王女は凄いですね。先日、大魔法士と問題があったばかりだというのに」


「リヴァイアス王国の一件は、やらなければならないことです。大魔法士を蔑ろにすればどうなるか、その結果が目に見える形で欲しかったのはリライトも大魔法士も同じ考えですわ」


 二度とやらないことではあるが、一度は必要なこと。

 心の底から嫌ではあったが、仕方ないと割り切れる。


「だからといって、それで臆病になってしまえば『えっ? その程度で日和ったの?』と従兄様に笑われてしまいますわ」


 それは我慢ならない。

 あの従兄はニヤニヤと、ニタニタと、けれどすっとぼけたような表情で言ってくるだろうから。


「とはいえ王太子の婚約者も一緒にいるはずですから、念を入れただけですわ」


 アリーは昔、一度だけ会った侯爵令嬢のことを思い返す。

 彼女の存在は今もアリーの記憶には残っている。

 何故なら彼女こそが自分の判断を変えた人物だからだ。


「王太子様の婚約者というと、シルヴィ様ですよね?」


 すると皆の話をニコニコと聞いていたクレアが声を発した。


「その通りですが、クレアさんも知っているのですか?」


「以前、お会いしたことがあります。国内産業のことについて、父から詳しく話を聞いていました。あまりにも真剣に聞いていたので、素敵な女性なんだろうなと思ったんです」


 とても珍しかった。

 王太子の婚約者とはいえ、あそこまで真剣に父の話を聞いていたのだから。


「ケーキも美味しそうに食べていました」


 いきなり出てきた突飛な情報に三人は面を食らう。

 けれど言葉を発しているのがクレアなので、全員が苦笑してしまった。


「元々、先代国王との繋がりがあってレンフィ王国への援助をしていましたが、それも二年前に打ち切る予定でした。援助を食い潰し、成長することがない国に価値はありません」


 手助けはするが、養うことはしない。

 現状、レンフィ王国がどちらなのかリライトは分かっている。

 だから援助を打ち切るつもりでいた。


「しかし唯一、一人だけ現実を見据え未来を切り拓こうとする者がいましたわ」


 あの日、あの瞬間。

 自らの存在をアリーに覚えてもらおうと動いた少女。

 レンフィ王国の現状を理解し、だからこそ脱しようと画策した者。


「それが王太子の婚約者であるシルヴィア=ヴィラ=ネスレ侯爵令嬢です」


 彼女だけが違った。

 大国の矜持がどのようなものか分かっていて、手助けの意味をしっかりと把握していた。


「ですからわたくしは彼女が王妃になるのであれば、と猶予を与えましたわ」


 首の皮一枚を繋げたのは、たった一人の少女。

 意味することは、たった一つ。


「レンフィ王国の生命線。それは王族ではなく、王族に連なろうとするネスレ侯爵令嬢に他なりません」


 小国とはいえ、国の未来が一人の侯爵令嬢に掛かっている。

 それがどれほどの異常事態なのか、リルもクリスも理解していた。

 だというのにアリーは小さく笑って、紅茶の色合いを楽しむように眺める。


「与えた猶予によって少しでも変わったのか……それとも彼女でさえ何も変えることが出来ないのか」


 アリーはレンフィ王国の行く末に興味はない。

 援助の続行を決めた以降は詳しく調べてもいない。

 全てはシルヴィアという少女が王妃になった時、判断すると決めている。

 しかしクリスがレンフィ王国に行くというのなら、


「猶予を与えた側として、一応ですが経過の確認をお願い致しますわ」


 アリーがお願いをすると、クリスは頭を掻いてから仕方なさそうに苦笑した。


「分かりました。一応は確認をしておきますよ」



 

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