第227話 小話㉓:それは一重に彼の為

 

 

 トラスティ邸で昼食をとっている時、ふとリルは気付いたことがあった。

 

「そういえばトマトって久々に食べるわね」

 

 最近、この赤くて丸い野菜を食べていない。

 かなり出番がありそうなものだが、久々だということを思い出してリルはビックリする。

 すると優斗が小さく笑った。

 

「いつも卓也と一緒にいるから仕方ないんじゃない?」

 

「どういうこと?」

 

「卓也はトマトの味とか食感とか、全部駄目なんだよ。あとほうれん草も『いつ飲み込めばいいか分からない』とか言って苦手」

 

 卓也の嗜好を熟知している優斗は、普段ロスカに頼んでトラスティ邸の食卓にトマトが出すことはない。

 けれど今日はトマト嫌いな人物がいないので、食卓に出てきたということ。

 

「野菜好きなのにトマトとほうれん草は苦手なのね。知らなかったわ」

 

 リルは苦手ではないので、いつか自分が作る料理で出していたかもしれないので、ほっと一安心する。

 けれど不意に思うこともあった。

 

「ね、ユウト」

 

「なに?」

 

「料理って『嫌いなものでも調理方法で食べられるように出来る』かもしれないのよね?」

 

「まあ、やりようによっては」

 

 ピーマンやニンジンが苦手だった場合を細かく刻んで存在感を薄くする、とかは基本だろう。

 

「ユウトは卓也が食べられるように、とかやらなかったの?」

 

「ほうれん草はどうにかなるかもしれないけど、トマトだけは筋金入りだから面倒」

 

 優斗もかなり試行錯誤することになる。

 それほど卓也のトマト嫌いは凄まじい。

 

「……そうなのね」

 

 リルは優斗の話を聞いて、あることを思い付いた。

 出来るかどうかは分からないが、それでもやりたいと思ってしまったことが。

 心の中で頑張ろうと決意するリル……なのだが、優斗が気付く。

 

「ファイトだよ」

 

「……あんた、人の内心を読まないでよ」

 

「いや、リルが分かり易すぎるんだって」

 

 優斗の話を聞いて、リルが決意の表情を浮かべれば誰だって気付くというものだ。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 翌日。

 リルは王立図書館へと来ていた。

 クリスと和泉も彼女の護衛として来ていたが魔法科学コーナーに行っているので、リルは一人で大量の本と格闘していた。

 もちろん手に取っているのは料理本。

 何冊も読んではどんどんと積み重ねていく。

 

「ほうれん草は他の食べ物と一緒に食べさせればいいと思うのよね。だからグラタンとかいいかも」

 

 そして積み重ねた本から、一番美味しそうなレシピが書かれているものを引き抜く。

 けれど目下、問題なのはほうれん草ではない。

 

「……トマトはどうしようかしら?」

 

 昨日、さらっと優斗にバレたので卓也のトマト嫌いっぷりを聞いてみた。

 すると想像以上に酷い状況だということを知ってしまう。

 

「味も駄目、食感も駄目、匂いも駄目、か。トマトソースも無駄って言ってたわね」

 

 料理のちょい役で登場したとしても、卓也はエスパーの如く気付くらしい。

 舌の精度が良いのだろうが、だからこそ余計に難しくなってしまう。

 

「……あ~、もう。厄介ね」

 

 トマトが使われている料理をたくさん見たが、どれも却下だった。

 卓也を騙せるようなものじゃない。

 

「ちょっと休憩」

 

 考えが煮詰まってきたので、リルはぐ~っと伸びをする。

 そして頭をからっぽにしながら、積み重ねられた本を視界に入れた。

 我ながらよく、これほどたくさんの料理本に目を通したものだと思う。

 その理由はもちろん単純明快で分かり易く、誰にだって気付かれてしまうものだが、

 

 ――大好きな人の為に料理を作ろうとしている姿を、卓也に出会う前のあたしが見たらどう思うかしら?

 

 リルは当時の自分の性格を思い出して苦笑してしまう。

 

 ――鼻で笑うわ、きっと。

 

 料理なんてしようと思ったことがない。

 好きな人なんて出来ると考えたことがない。

 今の自分の姿を過去の自分に伝えたとしても、絶対に理解されることはない。

 

 ――しかも『世界一の純愛』って言われてることを教えたら爆笑するわ。

 

 本になって、劇になって、誰もが恋い焦がれる物語になっている。

 そんなことを昔の自分が納得できるわけがない。

 

 ――だけど仕方ないわよね。

 

 今の自分は卓也のことが大好きなのだから。

 それだけで料理をすることもたくさんの本を読むことも、全然嫌じゃない。

 最近は料理を作ることも楽しくなってきたし、もっと頑張ろうと思ってしまう。

 と、ここで和泉とクリスがリルに近付いてきた。

 

「調子はどうですか?」

 

 何冊か手に持っていることから、どうやら借りて帰るらしい。

 

「卓也にトマトを食べさせる料理を何にするか決まったか?」

 

 和泉が直球で尋ねてきた。

 リルは今日、図書館に行くことに関して卓也を連れて行くわけにはいかなかったから二人に付いてきてもらったのだが、その意図を教えてはいない。

 

「……あたし、イズミに言ったかしら?」

 

「気付かないとでも思うのか?」

 

「リルさんは分かり易いですから。というより授業中にタクヤのことをこそこそ見ながら、どこかにトリップしたように笑みを浮かべれば『タクヤの為に何かをする』というのは、誰でも安易に想像できます」

 

 クリスにもバレバレだった。

 なのでリルも観念して現状を二人に伝える。

 すると和泉が一つ、助言をした。

 

「前提条件を変えたらどうだ?」

 

「変える?」

 

「トマトを使う料理を探さないほうがいい、ということだ。むしろ全く使わない料理に組み込んだほうが、トマトらしさが無くなると思う」

 

「創作料理をしろってこと?」

 

「そこまでは言わない。しかし全く別のアプローチでいったほうがいいんじゃないか」

 

 相手はあの卓也だ。

 優斗でさえ面倒だと思うトマト嫌いの輩に対して、正攻法で挑むのは得策じゃない。

 

「だけどあたし、そこまで調理が上手くなったわけじゃないわ」

 

 目下練習中の身。

 未だに失敗だってしてしまうのに、ハードルが高いのではないだろうか。

 

「だが最近は失敗も少なくなってきただろう?」

 

 和泉がさらっと事実を述べた。

 リルは若干、顔が引き攣る。

 

「……何で知ってるのよ」

 

「タクヤが嬉しそうにお弁当を食べてる日は、自分が作ってるわけでもリルさんの家の方が作っているわけでもなく、リルさんが作ったものですから」

 

 クリスが補足というより追加口撃をする。

 

「もしかして、あたしが作ったやつとかあんた達も食べた?」

 

「もちろん俺もクリスも優斗も修も貰った」

 

「……恥ずかしすぎて死ぬわ」

 

 今だから余計に思うことだが、失敗した料理というのは中々に恥だ。

 できるなら封印したい記憶だとリルは思う。

 

「最初の頃はサラダなのか野菜炒めなのか分からない、斬新な料理が多かった」

 

 和泉がしみじみと語る。

 特に野菜炒めはデコボコなサイズの上に固かった。

 けれどドレッシングがないことから野菜炒めと判別できた例もある。

 

「炒めるのを失敗しただけよ!」

 

「けれどタクヤはいつも美味しそうに食べてましたよ」

 

 平然と平らげていた。

 今となっては見慣れたが、正直言って驚きの光景だった。

 

「だから出来ると思います。リルさんなら」

 

 クリスが爽やかな笑みを浮かべる。

 和泉も同意だと言わんばかりに頷いた。

 

「……イズミ、クリス」

 

 二人の無条件と言っていいほどの信頼にリルも出来るような気がして、

 

「分かった。やってみるわ」

 

 力強く頷きを返した。

 そして本の山を再び手に取り、トマトが使われていない料理を幾つも読み進めていく。

 

「こういうのは直感でいい。相性とかそういったものを考える必要はない」

 

 和泉からの助言を聞き入れながら、幾つもの料理を目に通す。

 そして、

 

「……あっ」

 

 何十と並んでいるレシピの中から。

 これだったら、と思えるものをリルは見つけた。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 というわけで翌日、優斗を講師として巻き込んで作ってみることにした。

 リルが料理を作るということで、なぜか修とアリーもごはんを炊くことに参加。

 全員がエプロンを着けたところでリルは調理を開始する。

 

「とりあえずトマトは最終的に潰すけど、まずは切り刻んだほうがいいわよね」

 

 包丁でトマトのヘタを取り除いて切り始める。

 優斗がリルの手つきに感心する仕草をした。

 

「どうしたの? マジマジと見たりして」

 

「いや、平然と料理をこなす王女も斬新過ぎると思って」

 

 どこかにいるだろうか。

 冒険しているわけでも何をしているわけでもなく、嗜みとして覚えているわけでもないのに、ただ婚約者が料理好きなので料理が出来るようになった王女というのは。

 リルも自分のおかしさは分かっているので苦笑してしまう。

 

「あたしは降嫁するから、この珍しい姿もあとちょっとよ」

 

「そうだね」

 

「まあ、でも普通はあんな感じかしら」

 

 リルは視線でとある二人の様子を窺う。

 

「お米を“洗う”ですわね」

 

 アリーは米と鍋を見ながら気合いを入れるポーズを取った。

 けれど修がすかさずツッコミを入れる。

 

「石鹸で、とかいうボケはいらねーからな」

 

「まさか修様はわたくしがそのようなことをするとでも?」

 

 するわけがない、とばかりに胸を張るアリー。

 しかし、

 

「僅かに視線が石鹸に動いたの見逃してねーぞ。一瞬悩んだろ、アリー」

 

「……才能を余計なところに無駄に発揮しないでほしいですわ」

 

 案の定な光景があった。

 リルはアリーと修の様子を見て、くすくすと笑う。

 

「王女っていうのは普通、あんな感じよね」

 

 自分の場合は卓也が丁寧に教えてくれるので、二人のようなやり取りはなかった。

 けれどもし自己流でやったとしたら、目も当てられない光景だったろう。

 

「とはいえ、あたしも頑張らないと」

 

 今のリルは料理が出来るようになったとはいえ、まだまだ初心者の域を出ない。

 気を抜いてばかりはいられなかった。

 トマトを切り刻み、すり潰し、さらに汁気を抜く。

 そして薄切りの豚肉を目の前に用意した。

 優斗もここからは注意深くリルの調理を見詰める。

 

「何枚も豚肉を重ねて、その間にすり潰して水分を取り除いたトマトとマヨネーズを和えたものを乗せるんだよね?」

 

「そうよ」

 

「薄く均等じゃないと卓也の味覚だったらトマトを感じるだろうから気を付けて」

 

「分かったわ」

 

 と、ここでリルは不意に思い付いたことを口にする。

 

「ねえ、ユウト。ここにチーズをスライスして入れたら、さらに紛れるかしら?」

 

「同じ層に入れるってこと?」

 

「ううん、豚肉を二枚挟んで上下に入れようと思うわ」

 

 優斗は彼女の提案に少し考える。

 

「いや、面白いと思うよ。相性としては悪くないし」

 

 リルは自分の思い付きが通ったことに喜び、豚肉の間にチーズを挟み込む。

 そして、

 

「小麦粉をまぶし、卵へとくぐらせてパン粉をつける」

 

 優斗から言われた通りにリルは手を動かし、

 

「あとは熱した油に入れて、きつね色になったら完成だよ」

 

 油へと作ったものを投入する。

 あとは様子を見て、油の海から取り出すだけだ。

 一安心したところでリルと優斗は修&アリー組の様子を窺う。

 

「米は研いだから、あとは鍋に火を付けてちょうちょい様子見て完成だな」

 

 コンロの下にあるスイッチを押せば、魔法具によって勝手に火が付いてくれる。

 アリーも頷いた。

 

「も――」

 

「求めることは何もないぞ」

 

「ちょっとした冗談ですわ」

 

「嘘つけや」

 

 

 

 

 

 

 少しして、上手に出来上がった揚げ物がリルの前にあった。

 包丁を使って切ってみると、チーズもとろけていて美味しそうに見える。

 

「成功かしら?」

 

「上手くいってるとは思うけど、実際に食べてみないと何とも言えないよね」

 

 というわけで四人で試食してみる。

 

「……うん。大丈夫じゃないかな」

 

「チーズを入れたの正解だったかもしれないわね」

 

「これ、美味いな」

 

「美味しいですわ」

 

 トマトらしさは感じないように思える。

 とはいえ、内情を全く知らない人にも試食してもらいたい。

 誰かいないか、と探しているとちょうどフィオナとココがマリカとのお散歩から帰ってきた。

 優斗は台所に顔を出した嫁に一切れ、箸で掴むと、

 

「フィオナ、あーん」

 

「はい、あーんです」

 

 突然のことだったが素直に口を開けるフィオナ。

 そしてリルが作った料理を食べる。

 次いでアリーがココの口にも放り込んだ。

 

「感想は?」

 

「とても美味しいですよ」

 

「ん、美味しいです」

 

「トマト入ってることに気付いた?」

 

 優斗の質問にフィオナとココは目をぱちくりさせる。

 

「えっ? いえ、全然分かりませんでした」

 

 首を振って否定するフィオナ。

 

「ほんとにトマト入ってるんです? わたしも全く分からないです」

 

 ココも咀嚼しながら、不思議そうに首を捻る。

 優斗とリルは彼女達の反応にハイタッチした。

 

「これだったらOKだと思う」

 

「そうね」

 

「じゃあ、あとはちゃっちゃとグラタンを作ろっか」

 

「分かったわ」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 料理二品が完成し、夕食に卓也を呼び寄せた。

 

「リルがここで料理を作るって珍しいな」

 

 普段は自分の家でしかやらないので、トラスティ邸でエプロン姿のリルを見るのは卓也も不思議な感じがした。

 席に着き、卓也はリルが運んでくる料理をまじまじと見る。

 

「グラタンとトンカツか?」

 

 おそらくはそうだと思う。

 見た感じ、失敗はなく上手に出来ていた。

 

「えっとね。ほうれん草とトマトを使った料理を作ってみたの」

 

 リルが中身にあるものを伝えると、卓也の表情が若干引き攣った。

 ほうれん草はまだいい。

 味や匂い、食感が嫌だとかそういうわけではない。

 

「……ト、トマトか」

 

 けれど上記に挙げたものが全部入っている食材があると思っただけで、妙に肩に力が入った。

 

「卓也が食べられるように色々と調理方法を考えてみたの。でね、これを作ってみたのよ」

 

「トンカツの中に入ってる……のか?」

 

「正確にはミルフィーユカツだったかしら。自分で調べて、ユウトに立ち会って教えてもらったのよ。これだったら卓也も食べられるかもしれないって」

 

「……だけどトマトか」

 

 美味しそうに見えるとか上手に調理が出来ているとか、そういった次元を越えている。

 “トマト”というだけで、卓也にとっては何であろうとも怖じ気づいてしまう。

 けれどリルもそれは百も承知のこと。

 

「はい、卓也」

 

 皆がいる中で、彼女はミルフィーユカツを卓也の口元に運ぶ。

 

「……マジか」

 

 さらに拷問のような恥ずかしい状況になった。

 二人きりの時だったら、卓也も問題なく食べられる。

 というか照れるけれど嬉しいだけだ。

 しかしまだ自分は優斗やフィオナの領域に立てていないのが事実。

 周囲に人がいるというのに、そこまで羞恥心を捨ててはいない。

 だが、ここで逃げるのは男が廃る。

 例えどれほど嫌いなトマトであろうとも、仲間達と一緒であろうとも、婚約者に『あーん』をやられてしまっては卓也が取る行動は一つ。

 覚悟を決めて口を開けること。

 

「……っ」

 

 放り込まれたミルフィーユカツに対して、最大限の気合いを入れて噛み締める。

 そして迫り来る食感、味、匂いに身構えたのだが、

 

「あれ?」

 

 予想していた全てが感じられなかった。

 今度は自分でもう一切れ、食べてみる。

 

「……食える。というか美味しい」

 

 何もトマトを感じない。

 もう一つ箸で掴んで口に放り込む。

 そして何度も咀嚼し、

 

「……ん?」

 

 ふと口の中に存在した違和感に顔が歪む。

 全身に鳥肌が立った。

 卓也の様子の変化にリルも気付く。

 

「ご、ごめん卓也! 少し形が残っちゃったのかもしれない!」

 

 慌てて水の入ったコップを彼に手渡し、彼の背中をさする。

 卓也はリルから受け取り、流し込むように水を飲み干した。

 一息つき、心配ないことをリルに伝える。

 

「いや、なんていうか運が悪かっただけだと思う。たまたま、そういうのがあっただけだ」

 

 おそらく少し形が残ってしまったやつが、緩和する為のマヨネーズやチーズがないところにあったのだろう。

 

「十分、オレでも食べられるよ」

 

 卓也はリルに笑顔を浮かべながら、今度はグラタンをスプーンですくう。

 

「うん、こっちも美味い」

 

 ほうれん草も入っているが、こっちに関しては味は結構どうでもいい。

 好んで食べるものでもないが、どうにもほうれん草が良いアクセントになっていると感じたのはリルが作ったものだからなのだろうか、と考えて卓也は内心で苦笑してしまった。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 無事に夕食も終わり、トラスティ邸からの月夜が照らす帰り道。

 卓也とリルは寄り添って歩いていた。

 

「わたしの料理、どうだった?」

 

「オレがトマトの入ってる料理を食べられたってことだけで、美味しいってことだよ」

 

 本当に美味しかった。

 卓也にトマトを感じさせないように、かつ料理として破綻しないように作ってあった。

 

「けど、どうして作ろうと思ったんだ? 別に栄養を考えて、とか好き嫌いはよくない、とかじゃないんだろ?」

 

 そういうことにこだわるような婚約者じゃない。

 なのにどうして、やろうと思ったのだろうか。

 リルはちらりと卓也を見ると、少し顔を赤くした。

 

「ほら、優斗も面倒だからって匙を投げてたじゃない?」

 

「そうだな」

 

「だからあたしが作って食べてもらえたら、その、ちょっと優越感だったり……して」

 

 照れくさそうに語る婚約者の姿に、卓也は思わず顔を逸らしてしまう。

 けれどそこでリルが卓也の右手の甲を左手でぎゅっと抓った。

 

「でもあたしの失敗作をあいつらにも食べさせないでよ。すっごい恥ずかしかったんだから」

 

「しょうがないだろ。あいつらとおかずを交換するなんてしょっちゅうなことだしな。それにオレは美味いと思ってたから仕方ない」

 

「なんでよ? あれが美味しいわけないじゃない」

 

「男っていうのは単純なんだよ。女の子の手料理を食べただけでテンション上がる」

 

 例え美味しくなくても、自分の為を想って作ってくれたのなら美味しく思えてしまう。

 特にリルの場合は分かり易いぐらいに卓也の為に作っているから、尚更だ。

 

「しかも朝っぱらからエプロン付けて弁当作ってたら、それだけで何度も惚れ直すって」

 

 エプロン姿の婚約者というのは魅力が三倍増し。

 しかも王女であるリルが、という事柄も加わればさらに倍の六倍増しだ。

 

「あたし以外でもエプロン姿見たら、ドキってする? フィオナとかアリーが手作りのお弁当を作って渡してきたら、テンション上がる?」

 

「馬鹿言うな。惚れ直すって言っただろ」

 

 卓也は手の甲を抓っているリルの手を外すと、指を絡ませて恋人繋ぎをする。

 とはいえリルと同様に照れくさくなったのは変わりなくて、再び顔を逸らしてしまう。

 

「これで返事になるよな?」

 

 卓也がどう思っているか、これでリルには伝わるはず。

 けれど彼女は窺うような上目遣いで卓也を見て、

 

「その、十分過ぎるぐらいなんだけど……」

 

 歩みを進めていた足をゆっくりと止めた。

 同時、逸らしていた卓也の顔もリルへと戻る。

 

「……っ」

 

 彼女の上目遣いが直撃して、卓也の心臓が高鳴った。

 加えて何をして欲しいのか、何となく分かってしまう。

 だから卓也は前を見て、後ろを見て、横を見て、人影がどこにもないことを確認した。

 そして覚悟を決めると僅かに頭を下げる。

 

「リル」

 

 逆に彼女は踵を上げて、少し背伸びをした。

 月に照らされて伸びた影が、ほんの少しだけ重なる。

 

「…………」

 

「…………」

 

 触れ合っていた箇所が数秒後、ゆっくりと離れた。

 互いにどうしようもないぐらい、心臓が大きく鼓動しているのが分かる。

 

「……あ、当たってたか?」

 

「……うん。大当たり」

 

 そしてリルは月明かりでも分かるほどに顔を真っ赤にさせた後、心底幸せそうに卓也の右腕に顔を埋めた。

 

 

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