第221話 all brave:笑顔を望んだ日

 

 数年前、おおよそ片が着いた。

 これ以上は襲われないと断言できるわけではないが、それでもほとんど全ての敵を片付けたはずだった。

 だから優斗はこれを機に住み慣れた土地を離れることにした。

 誰も知らないような場所で、全てをやり直すことにした。

 そして新居へ向かっている車の中、優斗は運転手に話し掛ける。

 

「……青下」

 

「なんでしょう?」

 

 運転をしている青下は視線を前から逸らすことはしない。

 けれど耳は後部座席にいる優斗へ傾けた。

 優斗は流れる景色を見ながら、ふと思ったことを訊いてみる。

 

「僕は……」

 

 たくさんの人を傷つけて生きてきた。

 たくさんの人を呪うように生きてきた。

 たくさんの人をゴミのように扱って生きてきた。

 優斗自身、それは仕方がないことだと考えている。

 そうしなければ『今、生きている』ことはないと知っているから。

 けれど歪だ。

 あまりにも人としておかしい。

 そんなことは分かっている。

 人として最低な部類まで堕ちていることも、理解している。

 けれど、それでも考えてしまうことがある。

 

「……僕は優しくなれるだろうか?」

 

 例えば、誰かに手をさしのべたり、

 

「僕は幸せになれるだろうか?」

 

 例えば、この胸の裡に温かい光を宿したり、

 

「僕は……」

 

 例えば、あの親みたいな政略じゃなくて、

 

「素晴らしい恋をできるだろうか?」

 

 好きな人と一緒に生きていけるのだろうか。

 普通に、一般人として。

 どこにでもいるような人間になれるのか、自分には分からない。

 

「優斗さんはどうしたいのですか?」

 

「僕みたいな奴でも優しく在れる、と。そう信じたい」

 

 優しさを受けずに生きてきた。

 だからこそ、優しい人になりたい。

 

「僕みたいな奴でも幸せになれるんだ、と。そう思いたい」

 

 幸せを感じたことはなかった。

 だからこそ、幸せになりたい。

 

「僕みたいな奴でも誰かを大切にできる、と。そう願いたい」

 

 誰も彼も石ころのようにしか見えない。

 だからこそ誰かを大切にしたい。

 

「それとも、こんな人間は不可能だとお前は笑うか?」

 

 それはそれで仕方ない。

 どのように言われても仕方ない生き方しかしていない。

 けれど青下はバックミラーで優斗を覗いたあと、すぐに答えた。

 

「やるかやらないか。それだけでしょう」

 

 正しいとは絶対に言えない生き方でも、どうすることが正解だったと誰が言えるものか。

 正義は意味がない。

 正しさは通用しない。

 理屈も、理論も、優しさも温かさも何もかも唾棄すべき世界で、彼は生きてきた。

 ならばやり直しても構わない、と青下は考える。

 正しい世界にやっと出ることのできた少年が、正しく生きられるように。

 

「……やろうとしないと、可能性も生まれないか」

 

「ええ。そしてまずは嘲笑以外に愛想笑いの一つも出来なければ、一般的な方々を相手にするのは大変だと思いますよ。普通の人生を望むのならば」

 

「お前が言うのか?」

 

「一応は人生の先達としての言葉です」

 

「なら、真摯に受け止めることにしよう」

 

 そして優斗は窓ガラスに映る自分の顔を見つめる。

 

「……けれど笑う、か」

 

 呟いた瞬間、何かが過ぎった気がした。

 なんとなく両手で頬を引っ張ってみる。

 窓ガラスに映るのは、頬が引っ張られた自分の顔のみ。

 どうしたって、これが笑っているようには見えない。

 

「出来るように練習しないと駄目だろうな」

 

 過ぎった顔を思い返すことはしない。

 笑顔を思い出す真似もしない。

 名前も浮かべることは許されない。

 ただ、そういうことがあった、と。

 記憶の片隅に置いておくだけ。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 優希は走る。

 一秒でも早く到着したいが為に、決して速度を緩めることはしない。

 セリアールに召喚されてから、ずっと一緒にいてくれた女性が捕まっている。

 走って心拍数が上がった心臓が痛いほどに脈動し、胸の裡には恐怖が迫ってきた。

 この世界に召喚されてからの日々が、色々と思い浮かんでくる。

 

『私はアガサと言います。今日からは私が一緒にいますからね』

 

 喋る気力も生きる気力も何もかもが失われていた時、彼女と出会った。

 アガサはいつも一緒にいてくれた。

 

『ユキ。天気が良いので外で散歩でもしましょう』

 

 何も言葉を発さず、何も反応しない優希の側に居続けてくれた。

 決して屈せず、いつも話し掛けてくれて、懸命になってくれた。

 

『今日は二人、ユキに紹介しようと思います。貴女の後見の家になってくれたキャロルと、勇者の孫のライトですよ』

 

 キャロルとライトを紹介してくれて、今度は三人で自分に話し掛けてくれた。

 

『そういえば最近、大魔法士と呼ばれる方がリライトに現れたそうです。ユキと同じ異世界人の方ですよ』

 

 アガサ達はこの世界に召喚されてから、誰よりも一緒にいた。

 おかげで少しずつ話せるようになった。

 たどたどしく話す優希の話を、アガサ達は満面の笑みで聞いてくれた。

 彼女達に救ってもらって、たくさんの時間を過ごして、大好きになった。

 キャロルのことが大好きだ。

 さっきは怒ってしまったけど、それでも自分の為にやってくれたことぐらいは分かってる。

 ライトのことも大好きだ。

 臆病なところもあるけれど、優しさの裏返しだということを知っている。

 

『優しい姉か、頼もしい兄ですか。では私が優しい姉になりましょう。これでも私、優しいと評判ですから』

 

 そしてアガサのことが本当に大好きだ。

 セリアールに召喚されてから、ずっと一緒にいた女性。

 優希の小さな夢を聞いた時、すぐに笑顔で『優しい姉』になると宣言してくれた。

 本当に最低だった自分が嫌いだったけれど、アガサが言ってくれた。

 

『妹のことが嫌いな姉はいません。これは私が貴女の姉になると言ったから嫌わないのではなく、大好きだから言うのですよ』

 

 ずっとずっと。

 絶対に忘れない。

 今回の勇者会議に参加する時だってそうだ。

 

『それがユキの望むことなら、一緒に行きましょうか』

 

 おそらく苦しめてしまった。

 自分と優斗の関係性を伝えていたのだから。

 再び、召喚された時の自分に戻ってしまわないか心配させてしまったと思う。

 けれど彼女は頷いてくれた。

 自分が『会いたい』と言ったから。

 その気持ちを大事にしてくれた。

 

「……っ!」

 

 自分が走る先々で音が鳴る。

 兵士が壁に押しつけられて、崩れ落ちている。

 どうしてかは分からないけれど、そんなことを今は気にしてる暇は無かった。

 躓き、ヘルムが落ちる。

 けれど、どうだっていい。

 走って、走って、走って。

 

「アガサっ!!」

 

 城の外に出た瞬間、目一杯叫んだ。

 見据える先にいるのはアガサを捕えているトラストの勇者。

 すぐ近くには剣を彼女に向けている兵士の姿もある。

 

「アガサを離して下さい!!」

 

「全員が集まるまでは、彼女には居てもらう」

 

 平然と答えるトラストの勇者。

 優希はぐっと手を握りしめる。

 

「だとしたら、代わりにわたしが人質になるのですよ!」

 

「人質? 何を言っている。俺は単に、話をする為にこうしているだけだ。勇者の俺が人質を取るなど馬鹿なことを言わないでもらおう」

 

 本当に理解できないような口調と表情。

 と、優希の容姿に気付いたトラストの勇者は呟く。

 

「……黒髪に黒い眼。そういえば、ヴィクトスも異世界人をすでに召喚していたな。“勇者を支える者”とはお前がそうなのか」

 

 ならば、とトラストの勇者は言葉を吐き出す。

 

「異世界人であるならば、優秀な人間と子を――」

 

「――貴方にそんなことを決める権限はありません!」

 

 瞬間、捕えられているアガサの鋭い声が遮った。

 トラストの勇者に言わせない。

 優希には聞かせもしない。

 

「ヴィクトスの異世界人の在り方に口を挟む権利も何も、貴方にはありません」

 

 大人しかったアガサが急に豹変した。

 けれどエクトは何も気にしない。

 

「平和を作るためには些細なことだ」

 

 絶対にして唯一の理由がある。

 であればこそ、権利は存在するし言葉にしたところで何の問題も無い。

 と、そこに修達も到着する。

 エクトは目論見通りに揃って現れた勇者達に笑みを零すが、一人足りないことに気付く。

 

「大魔法士はどうした」

 

 周囲を見回してみるが、どうしても優斗の姿だけがない。

 けれど王城のある場所――謁見の間にある窓から覗いている姿。

 見つけた、とエクトが笑みを浮かべる。

 

「降りてこい、大魔法士! でなければ勇者会議が始められないだろう!」

 

 そしてアガサに視線を送る。

 これだけで全員揃うはずだ、と。

 エクトは単純にそう考える。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 優斗の嵌めている指輪から輝きが消えた。

 そして窓から状況を見ながら呟く。

 

「すでに一部は瓦解し始めてきている、か」

 

 兵士の数はおおよそ、千人ほどだろう。

 集まった兵士達が全て、何一つ疑うことなくトラストの勇者の行動に疑問を持っていないか、と問えば違う。

 トラストの勇者と聖女の周囲にいる人間達は、特に信仰している部類だろう。

 けれど彼らから離れるにつれ、顔を見合わせている兵士や眉を寄せている兵士が散見できた。

 メアリも外の光景を見て優斗の言葉に頷く。

 

「兵士達の崇拝も、やはり差異があるということじゃろう。そして何よりも彼らがトラストの勇者に求める姿はあまりにも崩れやすい」

 

「ああ。彼らが見ている幻想はあまりにも理想が高い。トラストの勇者の扱いはまるで現神人だ。だからこそ信頼が崇拝になり信仰になったのだろうし、トラスト王を含めた王族や貴族の猛プッシュがあったことも拍車を掛けたはずだ」

 

 “未来視”という、聞くだけで羨望を受けるものを持っている。

 さらに王族が全肯定し、祀り上げられた。

 

「ただ……」

 

 “何か”が引っ掛かる。

 展開としては分かりやすいが、どうにも違和感がある。

 トラストの勇者の性格も、兵士達も、貴族も、王族も、どうして“こうなった”のだろうか。

 無論、今言ったような理由でも論理としては通る。

 かといって論理が通ろうと正しいかどうかは別問題だ。


「まだ僕達には見えていない情報がありそうだな」


 これ以上の予想は妄想となり得るので、優斗は考えることをやめる。

 軽く舌打ちをして、優斗は頭を振った。

 情報が足りなさすぎて、真実が朧気になっているように思える。

 なのでメアリとの話を続けた。

 

「けれど『完璧なる者』は負けた。『聖なる勇者』は敗北した。その光景を見ていた者には僅かでも崇拝に楔を打つ。理想が高すぎるからこそ、目の前で起こった出来事に対して否定できるのは盲信している場合だけだ」

 

 先ほどの修との戦いを見ていた兵士は思うことだろう。

 あまりにも簡単に、まるで赤子の手を捻るかのようにエクトは負けた。

 それは『完璧なる者』の姿としては、あまりにもおかしい。

 

「加えて今、起こっていること。これが崇拝にさらなる楔を打つ」

 

「勇者達を集めるのに人質を使うのは無様、というわけじゃのう。おおよそ『完璧なる者』が使う手段ではない。聖女が掲げる言葉とも相反している、と言ってもいいじゃろう」

 

 真っ当な思考を持っていればおかしいことに気付く。

 勇者達の行動の矛盾に。

 

「しかしあの手際の悪さなら、もっと早くに気付かれていいのじゃが……」

 

「口は達者だが、何一つ動いていないからな。気付く要素はない」

 

 言い方を変えれば、ある意味でお伽噺の世界にいた、ということ。

 世界平和を掲げる彼らに付いていけば間違いない、と思わせるほどに。

 

「では大魔法士殿。上手くいけばトラストは変われる、と。そうなのじゃろうか?」

 

 何気なく問い掛けるメアリ。

 しかし彼女の表情はあまりにも冷めていて、問い掛けとまるで一致していない。

 

「分かっていて訊いているだろう、王女様」

 

「まあ、分かっているつもりじゃよ」

 

 勇者が揃っている。

 一部は信仰が崩れてきている。

 まるで改革の為の第一歩のように思えるが、

 

「所詮は夢物語じゃ。他国の勇者に負わせるべきものではないじゃろう?」

 

「ああ。負うべきはトラスト王だ」

 

 と、その時だった。

 エクトの叫び声が聞こえてくる。

 

「どうするつもりじゃ?」

 

「行くのは面倒だが、少なくとも僕もあの場に行かないと話が進まないらしい」

 

 アガサは捕らわれている。

 だとしたら、まず修達の目的としては彼女を救うことだろう。

 そして彼女を救うには話を進める必要がある。

 

「大魔法士殿が救うつもりなのか?」

 

「まさか。僕自身が救う、というのは語弊がある」

 

 “誰か”を救う勇者にはならない。

 宮川優斗は勇者という存在に決してなれない。

 

「だけど……」

 

 そう言えることがすでに、過去とは違う証拠だ。

 優斗は優希とアガサを視界に入れる。

 

『わらってほめてください!』

 

 笑顔を浮かべられなかった時の自分とは違う。

 

『お願いします、ユキと会って下さい!』

 

 今は大切な人の為に動く理由を理解できる。

 そして最愛の女性の為に誓った。

 

『過去に、この世界の1年が負けていいはずがない』

 

 決して過去に負けない。

 だから――過去の宮川優斗と違うからこそ言えるようになった。

 

「手助けしたい、とは思うよ」

 

 表情を崩しながらメアリに伝える。

 主役になる気はさらさらない。

 むしろライトが救うのが当然だと思っている。

 けれど手伝いぐらいはやってもいい、と。

 そう思えるようになった。

 

「さて、と」

 

 窓を開けて飛び降りる。

 風の魔法を使って勢いを軽減し着地した。

 そしてトラストの勇者に向かって歩いて行く。

 すかさず優希が言い放った。

 

「アガサを離して下さい!」

 

 優斗を含め、全員が揃った。

 先ほど彼は言ったはずだ。

 全員が揃うまでは離さない、と。

 けれど今、全員が揃った。

 これ以上はアガサが捕まっている理由はない。

 しかし、

 

「まだ話は終わってない」

 

 エクトはさらに要求を突きつけようとする。

 

「平和を作る為にお前達には俺の言うことを聞いてもらう」

 

 彼の発言に勇者と勇者に類する者達が顔を顰めた。

 特にヴィクトスの面々は手が震えるほどに怒る。

 その中で優斗とアリーは顔を見合わせ、修はあまりにもトラストの勇者の行動の意味が分からず、訊く以外に理解する方法が見出せなかった。

 

「お前、これが平和の為になるとでも思ってんのか?」

 

「当たり前だ。俺の言うことこそ――」

 

「――じゃあ、テメーがやってることは何なんだよ。平和とは掛け離れてんじゃねーか」

 

 この状況のどこが平和だ。

 明らかに異常な事態にしか見えない。

 

「お前達が俺達の言うことを聞かないからに決まっている。平和の為には些細なことだ」

 

「些細? 些細だ? はっ、馬鹿言ってんじゃねーよ。テメーのやってることはまったく些細じゃない。兵士集めて、女を人質にして、これのどこが平和の為にやってる『些細なこと』なんだよ」

 

 言うことを聞かせる為にアガサを人質にし、威圧する為に兵士を集める。

 どこを取っても何一つ平和に通ずるものがない。

 しかし『言うことを聞かせる』という一点において、良い手段ではある。

 彼らが勇者である以上、間違った手段だとは言えない。

 

「いいや、修。こいつがやっていることは些細で本当に何の役にも立たない」

 

 だから、一人だけ平然とトラストの勇者に歩いて行く。

 

「あまりにも短絡的すぎるな」

 

 優斗はアガサの姿を気にせずに進む。

 同時にトラストの勇者へ問い掛ける。

 

「お前はどうして、人質を取れば言うことを聞くと思った?」

 

「……っ、だから人質ではないと――」

 

 否定しようとするトラストの勇者。

 けれど意味はない。

 何をどう取り繕おうと、現状は人質だ。

 別の意図があってもなくても変わらない。

 

「人質で最大限に有効なのは、交渉相手にとって大切であるか否かだ。加えて勇者や類する者のように優しき人達であるなら、同様の効果を与えられる」

 

 純粋な魂を持っている勇者。

 彼らと共に在るパーティメンバー。

 ならば今日会った他人だろうと助けたいと願い、どうにかしようとする。

 

「だが僕に通用するわけがないだろう」

 

 しかし大魔法士はどうだろうか。

 勇者は別種の存在だ。

 宮川優斗の為人を知らなければ、彼の言葉は真実に映る。

 

「ヴィクトスは僕に“喧嘩”を売った。助ける義理は存在しない」

 

 断言して優斗は蔑むようにライトを一瞥すると、エクトに対し嘲笑する。

 

「貴様……、正気か?」

 

 無論、正気の言葉だ。

 トラストの勇者は見たはず。

 彼が優斗に対して『大魔法士』をやめろ、と言った瞬間を。


「殺したいのなら殺せ。余計な邪魔も手間も減る」


 そして自らが知っているはずだ。

 ああなった優斗が相手に対してどういう態度を取るのかを。

 であればこそ、彼の言葉は虚ではなく実に見えてしまう。

 

 

 

 

 一方、ライトは自分のやったことに恐怖を覚えていた。

 確かに喧嘩を売るようなことを言った。

 それがここに来て、アガサを蔑ろにするような状況にするとは思ってもみなかった。

 エクトの言っていたことで握りしめた拳が、今度は恐怖で震える。

 だけど、

 

「……駄目です」

 

 先ほどの想いが足を動かす。

 震える身体を叱咤し、優斗の前で両手を広げる。

 

「邪魔だ」

 

「どきませんっ! 例え誰であろうとも、アガサを傷つけさせないっ!」

 

 これは自分のせいだ。

 

「ぼくが……駄目だったから」

 

 大魔法士に馬鹿なことを言った。

 

「ぼくが……恐がりだったから」

 

 アガサを守れなかった。

 いや、守らなかった。

 

「だけどぼくは挽回したいっ!」

 

 この身はヴィクトスの勇者。

 彼女を守るのは自分だ。

 

「お前の事情はどうでもいい」

 

 しかし優斗は九曜を抜き放つ。

 トラストの勇者の様子を窺い、掛かったと内心でほくそ笑みながら。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 ライトが剣を抜き、剣戟が響く。

 ヴィクトスの勇者と大魔法士の戦闘が始まった。

 けれどライトの相手は『最強』の二つ名を持った男。

 何一つ勝てる見込みは存在しない。

 キャロルと優希は反射的に動こうとするが、二人を止める存在が現れた。

 

「このまま動かないでください」

 

 アリーと春香が二人を僅かな動きで制する。

 

「アガサさんを助けたくないのですか?」

 

 決して目立たぬよう、イアンとモールの背後――トラストの勇者の死角になっている場所で会話を交わす。

 

「な、なにを――」

 

「はーい、ストップストップ。叫ばれるのはぼく達も困るんだよ。せっかく“優斗センパイが演技してる”んだから、余計な脇役は舞台を乱すだけだって」

 

 大声を出そうとするキャロルの口を塞ぐ春香。

 

「ぼくも正直、こうやってるのはバレそうだから嫌なんだよ。だから黙ってくれないかな?」

 

 春香のお願いに対して、キャロルが渋々と頷く。

 アリーは共に動いてくれたクラインドールの勇者に感嘆した。

 

「それにしてもハルカさん、よく分かりましたわ」

 

「優斗センパイとアリシア様がアイコンタクトした後にあんなこと言えば、普通に気付くよ」

 

 さらには会話の節々からおかしさが満載だ。

 ある程度の付き合いがあれば理解できる。

 

「…………宮川優斗は……何を……?」

 

 優希が恐る恐る尋ねる。

 アリーは真正面を向いたまま、今の状況の説明をする。

 

「トラストの勇者は我々が要求を受け入れない限り、アガサさんを離すことはないでしょう。つまり要求が通らない場合、アガサさんから剣を降ろすことはない。ですから単純な話、トラストの勇者達に隙を作る為にやっているのですわ。軽い三文芝居のようなものです」

 

 そして優斗がやるからこそ真実味がある。

 勇者ではなく、大魔法士と呼ばれる者であるからこそ。

 

「端から見れば彼は第三勢力。勇者側にもトラスト側にも驚異となる存在となっていますわ」

 

 優斗がライトを風の魔法で吹き飛ばす。

 けれど修が手を伸ばして上手にライトをキャッチした。

 

「優斗っ! テメー、彼女を見捨てる気か!?」

 

「優斗くん、馬鹿なことやってないでよ!!」

 

 修と正樹は意味が分からない、とばかりに困惑した様子を見せる。

 そして、

 

「……ああ、もう。ったく、あの馬鹿止めるぞ!」

 

「分かったよ!」

 

 再び立ち向かうライトをフォローするように、二人は剣を抜いて前後を挟むように立つ。

 アリーは表情は変えないまま、内心で『お見事』と拍手した。

 素晴らしい演技力だ。

 

「そして第三勢力の大魔法士は勇者側と対立した。であれば――」

 

 アリーは僅かにトラストの勇者と剣を持っている兵士を注視する。

 明らかに対立している二つの勢力が目の前で戦っているのならば、

 

「――トラスト側は気を抜きますわ」

 

 僅かに兵士の剣先が下がってきた。

 エクトも戦いが起こっていることに笑みを浮かべ、警戒がなくなってきている。

 

「少なくとも彼らの決着がつくまでは被害がない。それはやはり緊張の欠如を生みますわ」

 

 交渉は通用しない。

 会話が出来ない輩に言葉は意味がない。

 だからこそ助ける為には力尽くだ。

 その為に欲しいのは僅かな猶予。

 ヴィクトスの勇者がアガサを助ける隙と、修達がフォローに入る為の隙。

 けれどキャロルには納得がいかない。

 

「……あの男を信じられるわけが……ありませんの」

 

 宮川優斗が他人を助けるなどあり得ない。

 今だってライトを傷つけているのに、信じられる要素がない。

 

「貴女に信じてもらう必要はありません。わたくしはミヤガワ・ユウト側の立場であり、決して同意も同調も理解も納得も求めないように」

 

 しかしアリーは意に介さない。

 信じられないのならば仕方ないことだ。

 彼女は優希側の人間なのだから。

 けれど優斗は今もトラストの勇者の動向を窺いながら、九曜を振るっている。

 決して大きなダメージをライトに与えず、かといってトラストの勇者が演技しているのに気付かぬよう、圧倒的な振る舞いをしている。

 

「どうした。大層なことを抜かした割には大したことがないな」

 

 優斗は嘲るように言いながらライトの剣戟を全て受ける。

 

「この……っ!」

 

 ライトの振るう剣速がさらに上げる。

 しかし下からの斬撃は容易に逸らされ、続けた縦からの振り下ろしは九曜に止められた。

 一歩下がり、全力で突き動けば身体を半身にしてかわされ、追うように横へ跳ねさせた薙ぎは跳ね上げられる。

 そして体制が戻せないまま、優斗が風の精霊術で再び吹き飛ばす。

 

「優斗、テメーふざけてんなよ!」

 

「もうやめてよ、優斗くんっ!」

 

 次いで修と正樹が飛び込もうとするが、ライトが叫ぶ。

 

「だいじょうぶです!」

 

 吹き飛ばされたものの、倒れもせずに剣を地面に突き刺して勢いを殺しながら立った。

 

「ぼくが……アガサを守るんです!」

 

 先ほどよりもさらに強い意志を瞳に灯し、ライトは大魔法士に立ち向かう為の言葉を吐き出す。

 

「求めるは疾風――」

 

 右足を引き、半身になった。

 握る剣の柄は右の脇腹に置き、突き出せる状態にする。

 大切なのは通用するかどうかじゃない。

 挑まなければ可能性など生まれない。

 アガサを助けると決めたのだから。

 助けたいと願ったのだから。

 ここで屈することだけはあり得ない。

 

「――迅の如く」

 

 風の力を受け、走るよりも速く飛び込むと優斗に目掛けて剣を突き出した。

 しかしヴィクトスの勇者にとっての渾身の一撃は九曜によって逸らされる。

 さらに左腕を取られた。

 

 ――またやられる。

 

 ライトはダメージを受ける心構えを瞬時に取る。

 

「だったら、さ」

 

 けれど大魔法士から聞こえる言葉は先ほどとは違い、小さい声ながらも僅かに温かさを感じるものに変わった。

 

「だったら、アガサさんを助けてきなよ」

 

 先ほどから何度も吹き飛ばしてきた。

 これも全て前置きだ。

 次に起こす行動に対する、油断を誘う為のもの。

 

「吹き飛べっ!」

 

 捕えた左腕を自らの左手で思い切り引き、彼の背に右手を当てる。

 そして何度もやっているように吹き飛ばした。

 今度は――トラストの勇者に目掛けて。

 もちろん、エクトは未だ油断している。

 兵士も同様に剣先はすでに水平よりも下へと落ちていた。

 だからこそ最高の不意打ちになる。

 ライトは声を掛けられたことにより、状況の把握はエクトよりも早い。

 これは攻撃の為の吹き飛ばしではなく、最速で飛び込む為に叩き込まれた風の魔法。

 故にライトは右手に持った剣を構え、兵士を見据える。

 

「わあああああああぁぁっ!!」

 

 狙うべきは一点。

 アガサに向けられていた剣。

 

「――なっ!?」

 

 トラストの勇者が気付いた。

 が、指示するよりもライトの方が速い。

 剣を振り抜き、相手の剣を叩き落とす。

 さらに身体を回転させ、アガサの腕を捕らえているエクトの左手を狙って剣を振り上げる。

 

「……っ」

 

 当たりはしなかったが、慌てたエクトがアガサの腕を放した。

 だがライトは顔を曇らせる。

 

 ――失敗した!

 

 最悪、掠り傷でも当てなければならないところなのに、空振りした。

 着地の勢いもすぐに殺せるわけじゃない。

 それでも足に力を込めて踏ん張り、一秒でも速くアガサを救う為に動こうとしたところで、

 

「よく頑張ったな」

 

 ライトをキャッチしたリライトの勇者がいた。

 加えて、

 

「せっかくライトくんが頑張ったんだから、ちゃんとフォローしないとね」

 

 落とされた剣を拾おうとした兵士を肘打ちで昏倒させ、アガサと共に下がっていくフィンドの勇者の姿もある。

 

「……えっ、これ……」

 

「まあ、とりあえず戻るぞ」

 

 修がライトを抱えながら一っ飛びして勇者達のところへ帰る。

 遅れてアガサも合流した。

 正樹だけは剣を向けながら、ある程度の距離でトラスト勢を牽制しているので向こうも迂闊に攻撃してはこない。

 すると優斗が軽い調子でライトに話し掛けた。

 

「ライト君、大丈夫だった? 痛くないように吹き飛ばしたつもりだけど」

 

「えっと……その、はい。だいじょうぶです」

 

 頭の中でハテナマークが灯るライト。

 何がどうなっているのか分からない。

 先ほどまで戦っていた相手がどうして、こんな調子で訊いてくるのだろうか。

 

「まっ、優斗に立ち向かえるなら合格点だわな」

 

「大魔法士は本当に怖いからな」

 

「モール、怖いとか言うな」

 

 けれど周囲の人達は把握しているのか、優斗に対してフレンドリーに話している。

 さらにアリーが優斗を労った。

 

「お疲れ様ですわ」

 

「迫真の演技だったでしょ?」

 

「助演男優賞を与えてあげます」

 

「僕の目論見だと2,3人ぐらいは本気でライト君を庇いに来ると思ったんだけどね。案外、察しが良くて逆に焦ったよ」

 

 モールやイアンぐらいは動くと思っていたのだが、普通に察していた。

 

「あれで見抜けないのは、ただのアホだろう。大魔法士を少しでも知っている者であれば、当然お前の不自然さに気付く」

 

「ユウトの先ほどの態度から鑑みれば『喧嘩を買った』のはおかしいと分かる。殺気もなかったことだしな」

 

 まず敵と見なしていなかった。

 だとしたら『喧嘩を買った』というのはおかしい。

 さらに彼が敵と相対する場合は大抵、大気か地面のどちらかが震える仕様だ。

 今回はどちらもないのだから、殊更に分かりやすい。

 ライトは彼らのやり取りを見て呆然とする。

 

「……演技……だったんですか?」

 

「おおっ。そういうこった」

 

 アリーと優斗がアイコンタクトで始め、周囲が気付き、その為の演技をしていたまでのこと。

 

「よくやったな。お前が勇気を出したから、アガサを助けられた」

 

「だ、だけどこれ、手間なだけじゃ……」

 

 自分が優斗に立ち向かう必要は皆無だ。

 むしろ修と正樹の速さを鑑みれば、自分が関わることは余計なことでしかない。

 

「バーカ。お前がやることに意義があるんだよ。それに手伝うっつったろ? 主役はお前なんだよ」

 

 修がにっ、と笑う。

 確かにライトが出て行かなかったら、他の勇者が優斗に立ちはだかっただろう。

 けれどヴィクトスの勇者が本気で動いたからこそ、さらに真実味が増した。

 余計に相手の油断を誘ったはずだ。

 

「格好良かったぞ、ヴィクトスの勇者」

 

 

 

 

 一方、アガサは優希に小さく笑みを浮かべる。

 

「戻りました」

 

「アガサっ!」

 

 優希が抱きつき、アガサが柔らかく頭を撫でる。

 

「心配を掛けてしまいましたね」

 

 本当に大切な妹を心配させてしまったことを申し訳なく思う。

 けれど撫でている最中、ふと気付く。

 

「ユキ、ヘルムはどうしました?」

 

 そういえば現れた当初から被っていなかった。

 おかげでトラストの勇者にも異世界人ということがバレてしまった。

 けれど被っていないということは、優斗と和解したのだろうかと希望的観測が生まれる。

 

「…………あっ……」

 

 だが彼女の反応で全く違うことを知った。

 優希は頭を触り、ヘルムがないことに気付く。

 しまった、とアガサは失敗してしまったことを悟った。

 

「……あの……その…………」

 

 優希はアガサからよろめきながら離れ、ちらりと優斗を見た。

 必死だったから、ヘルムが外れた瞬間は拾う時間すら惜しいと感じていた。

 けれどそうじゃない。

 自分が顔を出す、というのはもっと最悪な事態を引き起こす。

 

 ――知られた……のですよ……。

 

 優斗は自分の姿を見たはずだ。

 ということは理解したはず。

 “加害者の娘”がこの世界にいることに。

 

「……っ!」

 

 身体が震えた。

 彼にとって最悪の過去。

 人として終わらせた夫婦の娘。

 彼が死んだことに誰よりも喜び、嬉しがった最低の人間。

 それが意気揚々と目の前に姿を現した。

 

「……ごめん……なさい」

 

 優希は震えながら、必死に顔を隠そうとしてうずくまる。

 

 ――思い出させて……しまったのですよ。

 

 優斗に過去を。

 この世界で笑顔を浮かべていた彼に、思い出したくもないであろう過去を。

 

「……ごめんなさい……ごめんなさい」

 

 もう遅いと思ってる。

 けれど隠さずにはいられない。

 後の祭りだとは分かっていても、

 

「…………ごめんなさい……っ!」

 

 どうか、こんな最低なはとこに気付かないことを祈る。

 

 

 

 

 優希の異変はすぐに周囲に伝わった。

 もちろん優斗も彼女の様子が一変したことに気付く。

 

「ヘルムがないこと、気付いたんだね」

 

 今の優希は素顔を出している。

 優斗の記憶より成長した顔で、確かに昔の面影がありありと存在している。

 それを見られたことにより、バレたと思ったのだろう。

 とはいえ普通なら気付くのも難しいと思うのだが、優希はそう思っているからこそ震えている。

 

「だとしたら、決着をつけないと駄目だね」

 

 もう曖昧な状況は許されない。

 白黒着けないと駄目だ。

 

「正樹」

 

 牽制しているフィンドの勇者の名を呼ぶ。

 正樹は少しだけ視線を向けると、

 

「うん」

 

 一つ、優しく頷いた。

 そして急変した勇者側の隙を突こうとするトラスト側に対し、

 

「邪魔をするなら容赦しない」

 

 聖剣を輝かせ、さらなるプレッシャーを掛ける。

 源やモール、イアンも事情は理解できないながらも正樹に寄って同じように牽制を始めた。

 そして歩こうとした優斗だが、ライトが立ちはだかる。

 

「ユキを……どうするつもりですか?」

 

 宮川優斗は天海優希にとって、最低な人間だと自覚させられる象徴。

 今の優希と彼を会わせることは、何一つ利点が浮かばない。

 けれど、

 

「あの子が何一つ悪くないことを理解させる」

 

 優斗から届いた言葉は、ライトが考えている彼とは全く別の言葉だった。

 

「……ユキを……恨んでないんですか?」

 

「逆だよ。あの子が恨む立場で、僕が恨まれる立場なんだよ」

 

 だから自分を苛む必要はない。

 怖がる必要もない。

 自身を責める必要などありはしない。

 

「どんな事情があろうとも、僕がやったことは間違いなくあの子から家族を奪った。それは紛れもない事実なんだから」

 

 ライトに儚げな笑みを浮かべて、優斗は歩く。

 次いでキャロルが止めようとするが、彼女はアリーが止める。

 

「止めないでいただきたいですのよ、アリシア様!」

 

「言ったでしょう。貴女がアマミ・ユキ側の立場ならば、わたくしはミヤガワ・ユウト側の立場だと。そして彼が動くのなら、応援するのみですわ」

 

 アリーは春香と一緒にキャロルを無理矢理遠ざける。

 優斗は従妹に感謝の意を示して、さらに歩く。

 そして優希の前でしゃがみ込んだ。

 はとこは未だ震え、何度も何度も繰り返すように呟いている。

 

「……ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 思い出させてごめんなさい。

 最低な人間がいてごめんなさい。

 たくさんの意味が込められた、優希の謝罪。

 

「それは君が背負うものじゃないよ」

 

 だから伝えよう。

 優斗が何を思って、何を考えているのかを。

 

「――っ」

 

 優希が声の主に気付いた。

 呟く言葉は止まったが、身体の震えはさらに大きくなる。

 優斗は続けて言葉を届ける。

 

「確かに君の両親は僕を殺そうとした。けれど君は何もやってない。責任を負う必要はないし、君の両親を殺した僕を恨んでいい。自分自身を責める必要は一切ない。小難しく考える必要はないんだよ」

 

 彼女からしてみれば、宮川優斗は絶対的な加害者。

 

「悪いのは僕だ」

 

 故に優希が自分自身を追い詰める必要は皆無。

 ただ単純に優斗を恨めばいい。

 

「……違うのです」

 

 しかし優希は全てを知っている。

 だからこそ首を横に振る。

 

「違うのですよ! わたしはあの二人の子供なのです! あんな酷いことを言って、しかも殺そうとして大怪我させた親の子供なのです! なのに勘違いして、宮川優斗のことを恨んでたのですよ! 死んで清々したと思ってたのですよ! だから責任はわたしにもあるのです!」

 

 誰が悪いのか。

 自分の両親だ。

 紛れもなく、何一つ否定できないくらいに自分の両親が悪い。

 なのにも関わらず自分は優斗を恨み、憎んだ。

 加害者の娘が、悪くもない相手のことを死んで清々したとまで思った。

 

「違うよ。当然の想いなんだから、責任なんて存在しない」

 

「でも――っ!」

 

 どこまでも続く平行線。

 折れることなく、どちらも自分が悪いと主張する。

 このままでは決して交わることもない話し合い。

 だから、

 

「だぁ、もうめんどくせえな!!」

 

 修が決着のつかない二人のやり取りに口を挟んだ。

 

「互いのことを悪くないと思ってんだったら、それでいいだろうが!!」

 

 小難しいことを考える必要はない。

 仕方ないと済ませる話ではないだろう。

 けれど自身に罪を押しつけたところで何も解決しない。

 何も終わらない。

 

「私も同じ考えです」

 

 そしてもう一人、同調する人物がいた。

 その声に優希が顔をあげる。

 

「……アガサ」

 

 天海優希が望んだ優しい姉になると誓った女性。

 彼女は顔をあげた優希の頭を優しく撫で、そして言う。

 

「互いに自分が恨まれることこそ当然だと考えているなら、もう話は終わりです。この子の両親に殺されかけたミヤガワ様が逆襲したところで当然であり、娘であったとしてもこの子に責任はない。そうではありませんか?」

 

 恨んでいるわけではない。

 憎みあっているわけでもない。

 切っ掛けは最悪で、結果も最低で不条理。

 優しさはどこにもなく、正しさもどこにもない。

 そんな人生を歩んだ二人だとしても、

 

「私はユキとミヤガワ様に優しい希望があってほしい、と。そう願うのです」

 

 別れた道がある。

 本来なら決して交わることはない道が。

 けれど今、この世界で再び出会った。

 ならばと願いたい。

 優希が夢見た日々は、終わっていないということを。

 

「……」

 

 優斗は大きく息を吸って吐く。

 色々と思うことはある。

 自分と優希の結末に優しいものはないと、心の底から信じていたから。

 

 ――だけど。

 

 もし、そうではないと言うのであれば。

 一度だけ、手を伸ばしてみようと思う。

 差し出す手を取られなくてもいい。

 けれど手を伸ばさなければ始まらないから。

 優斗は納得したように一度頷く。

 

「僕はこれから甘っちょろくて、生温い結末を言おうと思う」

 

 だから問い掛けよう。

 

「一つだけ答えてほしい」

 

 過去の出来事を見据えて尚、自分が悪いと責める少女に向けて。

 甘っちょろい結末を。

 

「君は両親を殺した加害者の僕を許せる?」

 

 真っ直ぐに優希を見て問い掛ける。

 

「……えっ?」

 

 初めて優希が優斗を向いた。

 言葉を聞き、アガサがすっと引き下がる。

 

「ゆ、許すとか許さないとかではなくて……」

 

「僕はどちらなのかを問い掛けてるんだよ」

 

 他の答えは望んでいない。

 求めているのは許せるか、許せないか。

 

「僕は自分がやった過去を後悔してない。そうしなければ生きていけないと今でも確信してる。だから君の両親を殺したことを決して謝りはしないし、間違えたことをやったとも思っていない」

 

 あまりにもおかしい。

 正しさなんてどこにもない。

 人としてあまりにも終わってる。

 

「そんな僕を許せる?」

 

 優希の両親を殺して尚、そう告げる人間のことを。

 彼女は許せるだろうか。

 

「……そん……なの……」

 

 けれど優希の答えは決まっている。

 

「……許せ……ますよ」

 

 考えるまでもない。

 議論する必要もない。

 

「……当たり前ではないですか」

 

 優斗は悪くない。

 彼は身に降りかかる悪意を振り払っただけなのだから。

 

「わたしの両親が切っ掛けなのです。元凶なのです。だから両親を貴方が死ぬように仕向けたとしても、わたしは……恨むべきではないと思っているのです」

 

 だって、そうじゃないか。

 優斗が何か悪いことをしたから、両親が殺そうとしたなら分かる。

 だけど彼は何もしていない。

 莫大な財産を持っていただけで、何一つ優斗は悪くない。

 

「……憎めるわけ……ないのです」

 

 間違ったことをしたのは優希の両親だ。

 親だから、というだけで理由も何もかもを放り出して彼を恨み憎むなんて、自分には無理だ。

 

「それに、ほんの少しだけだったけど……わたしはあの日々を忘れてないのです」

 

 優希の脳裏には今でも鮮明に残ってる。

 勉強机に向かう自分と、斜め後ろに立って机の上にある教科書に記された公式を指さす優斗。

 理解するまで教えてくれた、はとこと過ごす日々。

 

「……楽しかったのです」

 

 歳の近い男の子がいたから。

 

「……嬉しかったのです」

 

 面倒そうにしながらも、構ってくれたから。

 

「無愛想で、鉄仮面で、ロボットみたいだったけど、それでも……っ!」

 

 忘れ得ぬ日々だった。

 勘違いして、たくさん恨んだけれど。

 勝手に思い違いをして、たくさん憎んだけれど。

 それでも優斗と過ごした日々が、優希の胸の裡から消えることはなかった。

 だって、

 

 

「まるでお兄ちゃんがいるようで、たまらなく嬉しかったのですっ!!」

 

 

 呼びたかった名前があった。

 期待してしまった想いがあった。

 幼い頃の、幼い夢。

 

「――っ」

 

 本当なら懐かしむことすらしてはいけない。

 そう思っていた。

 

「……貴方は……馬鹿みたいに恨み、勘違い甚だしいほどに憎んで、死んだことに喜んだわたしを――っ!」

 

 だけど違った。

 そうじゃないって言ってくれた。

 

「加害者の娘であるわたしを――っ!!」

 

 もし、望んでもいいのなら。

 もし、祈ってもいいのなら。

 自分はいつまでも希う。

 再び優斗と話せるようになりたい。

 笑顔で彼と向き合いたい。

 だから、

 

 

「――貴方は許してくれますか!?」

 

 

 この胸にある想いを。

 泡沫となったはずの、あの日々を取り戻す為に。

 優希は叫んだ。

 

「……っ!」

 

 涙を流すのは間違いだって分かっているけれど、それでも零れてしまう。

 止めどなく頬を伝ってしまう。

 優希は下を向き、指で擦って止めようとした……その時、

 

「許すよ」

 

 優しい声音が優希の耳に届いた。

 そして眦に溜まった涙を彼の手が拭う。

 慌てて優希が顔を上げると、優斗が優しい表情で見ていた。

 

「……み、みや……が……わ…………ゆうと……っ」

 

 どうしてだろう。

 涙が止まらない。

 一言、告げられたことが嬉しくて。

 ただただ、視界が滲んでしまう。

 

「わ、た、わたし……っ!」

 

 それでも一生懸命、喋ろうとして。

 何か話そうとしたけれど、しゃくってしまって。

 結局、泣くだけ。

 

「表情が固い。何を切羽詰まってるの?」

 

 けれど優斗は柔らかい表情のまま、優希のほっぺたを引っ張る。

 

「笑うっていうのは、こういうことだよ」

 

 それは過去にあった二人のやり取り。

 笑う、という感情を持っていなかった優斗に対して、優希がやってくれたこと。

 だから懐かしさと共に優斗は同じことをする。

 優希が頬を引っ張ると同時にやっていたこと。

 一番最初に笑顔を望んでくれた子に贈る、

 

 

 

 

「そうだよね、優希」

 

 

 

 

 精一杯の優しい笑顔。

 もう苦しむ必要はない。

 自己嫌悪する必要もない。

 自分のような人間だって笑っているのだから、優希も笑っていい。

 笑っていてほしい。

 

「……そうなの……です」

 

 そして優斗の願いは届く。

 声を震わせながらだけど。

 涙をぽろぽろと流しながらだけど。

 それでも優希は、昔と同じ笑顔を優斗に浮かべた。

 

「その通りなのですよ!」

 

 初めて揃う二人の笑顔。

 笑うことのできなかった少年と、笑うことを求めた少女。

 6年前には決してあり得なかった瞬間が、ここにある。

 そして優斗は優希の頭を軽く撫でた。

 

「アガサさんの為に頑張ったこと、満点だよ。偉いね」

 

 優しい笑みで告げられたこと。

 優希が忘れるわけがない。

 忘れられないあの日の出来事。

 

「覚えて……いたのですか?」

 

「だからこうして褒めてるんだよ」

 

 柔らかな声音に優希の目からまた、涙が溢れそうになる。

 けれど袖で思いっきり拭って、向日葵のような笑顔になった。

 

「それじゃ、ちょっとのんびりしよっか」

 

「いいのですか?」

 

「問題ないよ。優希も僕と話したいこと、たくさんあるでしょ?」

 

 きっとたくさんあると思う。

 この世界に来るまでのこと。

 この世界に来てからのこと。

 優斗が昔の優希を知っているから、尚のこと。

 集団から外れて腰掛けられるような場所に歩く。

 

「大魔法士! 逃げるつもりか!?」

 

 するとトラストの勇者から声が飛んできた。

 優希が少し不安そうな表情になるが、優斗は意に介さず言い切る。

 

「“逃げる”っていうのは弱者が強者にする行動だ。弱い奴から逃げる、なんてものは論理として破綻してる」

 

 大魔法士がトラストの勇者から逃げる、なんて論理は存在しない。

 いくら相手に人数がいようと、烏合の衆でしかないのにあり得ない。

 

「そして僕が何を言ったか覚えているか?」

 

 最初に賭けをした際に言ったはずだ。

 瞬間、二つの影が前に立ち優斗は笑みを浮かべる。

 

「僕はこいつらに全てを預けたんだよ」

 

 仲間に自分の人生を。

 最高の仲間に全てを任せた。

 

「ええ。そうですわ」

 

「テメーらの相手は俺達だ」

 

 故にアリシア=フォン=リライトと内田修は立ちはだかる。

 自分達と宮川優斗に向けられた全てを終わらせる為に。

 

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