第196話 世界一の純愛

 

 

 朝早い時間にも関わらず、王立劇場には大きな幕が広げられていた。

 

「これは凄い」

 

「そうですね」

 

 優斗とフィオナは凄い存在感を醸し出しているそれに、思わず感嘆してしまう。

 幕には絵が描かれており、まるでポスターのようだ。

 

「あれって卓也が黒竜からリルを守るシーンなんだけど……なんか凄いことになってるね」

 

 苦笑してしまう。

 描かれているのは右手を突き出して防御魔法を使っている卓也と、彼に左手で肩を抱かれているリルの姿。

 幕の上部には謳い文句である、

 

『唯一人――君を守る』

 

 という文字がデカデカと書かれている。

 

「卓也とリル、呆然としなければいいんだけど。もの凄い似てるし」

 

「誰がこんな幕を用意したんでしょうか?」

 

「どうせリステルだよ」

 

 優斗とフィオナは話しながら、関係者用の出入り口に向かう。

 するとカメラを手にしたリステルスタッフに大きく頭を下げられる。

 

「おはようございます! 昨日ご説明させていただいた通り、写真を撮ってもよろしいでしょうか?」

 

「はい、どうぞ」

 

 にっこりと笑った優斗は、フィオナと一緒にピースをする。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 劇の開始時間は午後三時だというのにも関わらず、朝早くからかなりの人数が並んできた。

 全席指定席だというのにも関わらず、待ちきれないかのように。

 そして入場が始まったのは午後一時。

 荷物検査を受け終わると、客が続々と入ってくる。

 舞台袖で隠れながら客の入り具合をチラっと見た卓也は、少し驚きを隠せない。

 

「凄いお客さんの数だな」

 

 途切れることなく劇場の出入り口から客が入ってくる。

 隣で一緒に隠れて見ていたリルに声を掛けた。

 

「恥ずかしくないか? オレは結構恥ずかしいんだけど」

 

 こんな人前で演技するなんて、と思う。

 リルは頷きながらも、

 

「確かにとっても恥ずかしいけど、ちょっとだけ……ううん、凄く嬉しいの」

 

「どうしてだ?」

 

「あたしと卓也の恋はみんなに祝福されてるって思うから」

 

 こんなにもたくさんの人達が自分達を見たくて来てくれた。

 

「みんなが夢見てくれてる。みんなが喜んでくれてる。あたしの恋は、そういう恋なんだって思うと……嬉しくて仕方がないの」

 

 照れ笑いを浮かべる。

 

「リル……」

 

 卓也は彼女の言葉に表情を崩して……とあることに気付いた。

 なんか変な気配を幾つも感じる。

 

「……おい、いつからいた」

 

 視線を向ける。

 すると何人ものクラスメートが二人のやり取りをガン見していた。

 

「あっ、どうぞどうぞ続きをやってね」

 

「俺らのことは気にするな」

 

「そうですよ」

 

「出来るか!!」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 出演者が上手袖へと集まる。

 

「僕個人が呼んだ人達も来てたよ」

 

 優斗も先ほど客席を覗いてみたが、ノイアー達の他にも絵本作家であるミントの姿もあった。

 始まるまであとちょっと。

 リステルで行われているように、最初はいつものメンバーがリルと出会うところから始まる……ではない。

 彼らしか知り得ない、卓也の根幹から始まる。

 

「焦って台詞飛ばさないようにね」

 

「一番最初に台詞を言うからやりそうで困る」

 

 優斗が隣で緊張した面持ちの卓也をからかう。

 

「分かってるよ」

 

「でもやったらやったで面白くていいんじゃね?」

 

「……絶対やらない」

 

 イジる修にブスっとした卓也。

 皆で声を出して笑った。

 

「あら、拍手が聞こえますわね」

 

 開演の証。

 席に座っている者が焦がれる、物語の始まり。

 

「それでは皆さん、お願いしますわ」

 

 アリーが舞台に向かって手を広げた。

 優斗、和泉、修が頷く。

 

「それじゃ、楽しもうか」

 

「最初で最後だろうからな。演劇は」

 

「だから面白くやろうぜ」

 

 三人で卓也の肩を叩いた。

 

「よし、やるか」

 

 気合いの入った卓也が舞台へと歩いて行く。

 

 

 今宵、一日限りの開演。

 ノンフィクションの演劇を本人が演じる舞台。

 いつまでも話継がれていく物語が幕を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗闇の中で卓也の独白が始まる。

 

「ある物語を読んでいた時、ある一つの台詞が目についた。『大切な人が襲われてたらどうする?』という、ありきたりの台詞。主人公があまりにも名言っぽく言っていたので、親友達と『自分だったらどうする?』なんて話をした」

 

「相手を倒す」

 

「まあ、修はそう言うだろうな」

 

「殺すよ」

 

「……優斗。物騒すぎるだろ」

 

「落とし穴でも掘る」

 

「和泉、お前は本当にズレた返答してくれるな」

 

 四人から笑い声が漏れる。

 

「卓也は?」

 

 優斗からの問い掛け。

 卓也は素直に答える。

 

「オレは──守る。何があっても守り抜いてみせる。そうしたらお前らがどうにかしてくれるだろ?」

 

 軽い論調。

 けれど信頼を滲ませた声音。

 

「なんだよ、俺たちがどうにかするって」

 

「だってそうじゃん。お前らが助けてくれるから、オレは『大切なものを守る』って選択肢を選べるんだから」

 

「……その考えはなかったよ」

 

 優斗が恐れ入った、とばかりに感心した。

 

「けど卓也らしいんじゃね」

 

 うんうん、と修が頷き和泉が面白そうな声になる。

 

「ならば時が来た際には守って落として倒して殺してあげるとしよう」

 

「頼むな」

 

 気軽な親友達のやり取りが終わる。

 間が空いた。

 そして十分に場面転換したと思わせたと同時、舞台上に明かりが灯る。

 後は普段行われている演劇と同じ進行だ。

 リルと出会った時から、黒竜に襲われるまで特に変更点はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 国境付近のやり取り。

 レイナ役とイアン役の二人が声を交わす。

 

「もうしばらくしたらアリシア様もいらっしゃいます。しばし、この場所で待とうと思うのですがよろしいでしょうか?」

 

「ああ。アリシア様にも少し話したいことが──」

 

 

『ここにいたか! 第1王子に第4王女ッ!!』

 

 

 突如、観客席の天井から声が響く。

 同時に風が観客の全身を叩く。

 驚いたように上を見てみると、そこにいるのは黒竜。

 というか、黒く塗られた白竜。

 白竜は姿を現すや舞台上に降り立つ。

 観客から驚きやら悲鳴やらがあがった。

 当然といえば当然だ。

 魔物がいるなんて完全に想定外の事態なのだから。

 けれど出演者達は演技を続ける。

 

「……本当に問題があるとは。ユウトはさすが、と言うべきなのかどう思うべきか」

 

「嫌な予感が当たり、か。しかし早々に来るとは優斗も思ってなかっただろう」

 

 レイナ役と和泉がごちる。

 と、ここで観客も気付いた。

 この黒くて格好良い竜がキャストだということに。

 そして戦闘が始まった。

 黒竜役の白竜も手加減しながら和泉、イアン役、レイナ役を吹き飛ばす。

 同時に口には何かが渦巻いていた。

 

「ドラゴンブレス!? ……っ、逃げてくれタクヤ!!」

 

 白竜が卓也達に狙いを付ける。

 序盤の見せ場。

 卓也が聖の上級魔法を使うところだ。

 

「求めるは――」

 

 チラリとリルの姿を視界に入れて、ふと彼は懐かしくなる。

 

 ――たぶん、これが始まりの瞬間だったんだろうな。

 

 当時は色々なことを考えていた。

 足手まといは嫌だ、と思ったこと。

 ムカつくお姫様をどうしてか守ろうと思ったこと。

 けれどそれが自分とリルの始まり。

 うん、と頷いて卓也は右手を突き出す。

 

「――求めるは聖衣、絶対の守護ッ!!」

 

 加減されたドラゴンブレスと卓也の防御壁が衝突する。

 リルも懐かしさと彼の凄さを再び目の当たりにして、一瞬だけニヤけそうになった。

 けれどすぐに演技を続ける。

 

「あ、あたしは守ってくれなんて言った覚えない」

 

「お前の都合なんて知るか!! オレが守りたいんだよ!!」

 

 案外余裕そうな卓也の様子を見て、僅かにドラゴンブレスの威力が強まる。

 

「――このっ!」

 

 卓也の防御が迫真の演技になった。

 魔物なのに上手い。

 

「……ねえ、もうやめてよ。死んじゃうよ」

 

「お前も一緒に死ぬから絶対にやめない。似合わないぞ、泣きそうな顔。それにあと、ちょっとだから」

 

「……何が?」

 

「あとちょっとで……修たちが来る」

 

「き、来たってどうしようもないじゃない! お兄様でもやられてしまうのよ!」

 

 当時は本気でそう思っていた。

 修達が来たところでどうしようもない、と。

 

「残念ながらオレの親友達は規格外でね。黒竜ぐらいでも、武器さえあれば問題ないんだよ」

 

 本当は武器があろうとなかろうと、さくっと勝つのだが。

 さすがに小説版でも卓也の台詞が変更されていた。

 

「嘘とか思うかもしれないけど本当なんだ。きっと、あいつらがどうにかするから」

 

 直後、下手袖から三人が走りながら現れる。

 

「…………ったく、ホントにさ。最高だよ」

 

 演技ではなく笑ってしまう。

 いつだって思う。

 いつでも卓也の思いは変わらない。

 

「最高だよ、お前らは!」

 

 今までも、そしてこれからも。

 

「「「  求めるは風切、神の息吹!!  」」」

 

 自分の仲間は本当に最高だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒竜(白竜)を撃破したあとは、ほのぼのとした演技が行われた。

 卓也達でしか知らないやり取りもあり、観客からも嬉しそうな声が漏れる。

 そして中盤が過ぎていき、皆の期待が無意識に高まる後半へと進む。

 リステルで行われたパーティーで、ライカールの王女――ナディア役のクラスメートが卓也をなじる。

 客席から僅かに憤った吐息が聞こえて、感情移入してもらえていることが出演者にも伝わった。

 より一層、演技に力が入る。

 当時の状況そのままにクリスが卓也を追いかけ、追いつき、そして二人で話し始める。

 

「タクヤが辛いのは分かります」

 

 椅子に座ったクリスは過去と同様の言葉を、今度は台詞として伝える。

 

「けれど自分は辛いであろうタクヤにこう言います」

 

 それでも、と。

 当時から思っていた。

 昔も今も変わらない。

 卓也は“一人”じゃない。

 パン、と卓也の背中を叩いた。

 

「頑張ってください。タクヤが頑張らなければ辛いのはリルさんだけです」

 

 顔を上げた彼にクリスは微笑む。

 

「彼女は良くも悪くも真っ直ぐです。けれどこういう場において、真っ直ぐな彼女は傷つきやすいんですよ」

 

 自分自身の役をやるというのは、ある意味で本当にやりやすいとクリスは思う。

 なぜなら、心境を思い返せば台詞と寸分違わない言葉が出てくるのだから。

 

「心に壁を作っていないからリルさんは傷つきやすいんです。だから……守ってあげてください。自分たちはリルさんを助けてあげられますし、フォローしてあげられます。庇うことだって出来ます」

 

 この演劇の幕にも書いている。

 一つだけ、自分達では適わないことがある。

 

「けれど守れるのはタクヤだけなんです」

 

 卓也以外、いない。

 

「相応しくないから何だと言うんです。他人が決めることじゃありません。釣り合わないから何だと言うんです。そいつらだってリルさんが決めた相手に口を出せるほど、彼女と釣り合いが取れているわけでもありません」

 

「だけど……事実だろ?」

 

「勝手に己を下に見るのをやめてください! 自分の親友は間違いなくリルさんに相応しい! これはレグル公爵家の長子であるクリスト=ファー=レグルの言葉ではなく、タクヤの親友である『クリス』としての言葉です」

 

 演技をする分には素でやっているからいいが、だからといって2000人以上もいる観客を前にして親友宣言するのは、なかなかに羞恥プレイだ。

 

「前にタクヤは言っていましたね。リルさんと愛ある生活を望むから『頑張る』と」

 

 結果がこれだ。

 凄まじいとしか言えない。

 

「今はもう、リルさんが好きなんでしょう!? だったら今こそ、頑張ってください! 誰よりも今、タクヤの頑張りを待っているのはリルさんです!」

 

 きっと二人の物語は強いだけじゃないから好まれる。

 弱い姿もあるからこそ、引き寄せられるものがあるのだ。

 そして弱い時があったとしても、彼を奮起させられる親友達の姿があることも好まれる要素なのだろう。

 

「だってそうじゃないですか。リルさんが今、隣にいてほしいと願っているのは自分でもユウトでもありません。タクヤですよ」

 

 というかリルが自分達を待っていたら、それはそれで何か嫌だ。

 

「ユウトたちが言ってました。タクヤが一番、格好良い瞬間は……一生懸命のときだって。自分にも見せてください。タクヤが一番格好良い瞬間を」

 

「……ホント、お前らは要求がきついよな」

 

「過剰な信頼はしていないつもりです」

 

「わかったよ」

 

 クリスと卓也は顔を見合わせて、もう一度だけ笑う。

 よくもまあ、パーティー会場でこんな小っ恥ずかしい会話をしたものだ。

 

「そこまでバカみたいに信じてくれるなら、頑張るしかないだろ」

 

 卓也が立ち上がる。

 

「格好良いところを見せてくれたら、あとは任せてください。そのために自分たちはいるのですから」

 

「サンキュ、クリス」

 

 駆け出す。

 卓也の頼もしい背中を見て、クリスが笑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの時はただ、彼女を守る為に動いた。

 好きな女の子を守りたいと思った。

 ずっと、ずっと。

 自分が死ぬまで守り続けたいと願った。

 

「リルっ!」

 

 名前を呼ぶ。

 険しい表情をさせていたのは演技だったろうに、卓也の姿を見てほっとした表情になった姿は、演技なのか本当なのか誰にも分からないほどに自然だった。

 

「卓也っ!」

 

「待たせて悪かったな」

 

 リルに近付き、庇うように前に立った。

 

「なに? 今さらやってきてどうするの?」

 

「王女の婚約者が貴様というのは最低だな」

 

「ああ、相応しくない」

 

「釣り合わないですね」

 

 多々、罵詈雑言が卓也に向かう。

 けれど客席も今度は同じように憤ったりはしない。

 彼の活躍に期待している。

 

「オレは弱っちくて臆病者だよ。だけど、それがどうした? お前らがどれほど言ったところで、リルの婚約者に相応しくないなんてことはない。決めるのはこいつだ」

 

 立場を考えたら選ぶわけがない。

 了承も得られるわけがない

 だけど恋をしてしまった。

 彼のことを。

 彼女のことを。

 互いが互いを選んだ。

 だから相応しいとか相応しくないとか、誰かに決めてほしくなんかない。

 

「前に誓ったんだ。リルを守るって」

 

 あの言葉はいつまでも卓也の中で有効だ。

 

「こいつを守るのはオレの役目なんだよ」

 

「身の程を弁えなさい」

 

「逃げた奴が何を言っている」

 

「そうだそうだ!」

 

「リル王女の相手に貴方如きが務まるわけがありません」

 

 さらに蔑む視線を卓也に向ける。

 特にナディア役の女の子は鼻で笑った。

 ここで極限まで嘲ることが出来なければ、卓也の格好良さが際立たない。

 だからある意味で一番可哀想な演技指導を喰らった彼女は、本当に本物みたいな態度を取る。

 

「雑魚が吠えないでほしいわね。下賤な存在である貴方が高貴な私と会話していること自体、感謝しなさい」

 

「するかボケ! 雑魚が吠えちゃいけないってことはない! 大切なものを守るためなら相手がどれほど強大でも噛み付かないといけないんだよ!」

 

 台詞そのままに言い返す。

 だが、

 

 ――なんか思い出したらムカついてきた。

 

 今思えばどうしてこいつらに『リルと婚約を解消しろ』と言われなければならない。

 

「つーか、さ」

 

 ムカついた卓也は、苛立ちそのままに言葉を叩き付ける。

 それはリステルの中で口コミによって広がった彼の格好良さ。

 二人の歩んだ日々が物語となった切っ掛け。

 

 

 

 

「テメーらさっきから、うだうだと五月蠅えんだよっ!! オレが惚れた女に手を出そうとしてるんじゃねぇ!!」

 

 

 

 

 叫んだ瞬間、抑えきれない歓声が客席から届いた。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 その後は優斗が闘技大会の決勝でナディアを倒したこともあって、彼らを引き連れて退場。

 さすがに折檻シーンは描写できないので、すぐに卓也とリルがバルコニーで語り合う場面へと続く。

 観客はまもなくエンディングとなる物語に、しんみりと感傷を覚えていた。

 

「ねえ、卓也」

 

「どうしたんだ?」

 

「あたし、卓也と一緒に料理したい」

 

 リルの言葉に卓也は驚く素振りを見せる。

 そして心の中で彼女の提案が衝撃だったことを笑いそうになった。

 

 ――本当に驚いたよな。

 

 王女様が料理を一緒に作りたい、なんて。

 とてもビックリだった。

 

「無理はしなくていいって」

 

「無理じゃない」

 

 リルは舞台の上で彼のことを見つめながら台詞を喋る。

 その時の想いそのままに。

 

「ただ、あたしは卓也と一緒にいたいだけ」

 

 互いの瞳が相手を捉える。

 けれど次の瞬間、卓也がちらりと舞台袖に視線を向けた。

 いるのはアリーとフォローに回っているクラスメート達。

 彼女達は強く頷いた。

 卓也も小さく頷く。

 

 ――やるか。

 

 ここからが本当の本番。

 シナリオにはない、完全なアドリブ。

 たった一人の大好きな女の子に贈る、卓也の一世一代の告白。

 

「なあ、リル」

 

 卓也は小さく笑うと彼女の右手を取って引き寄せた。

 そのまま自分の腕の中に収める。

 

「卓也?」

 

 問い掛ける台詞。

 返す卓也の言葉は、

 

「オレはさ、たくさんの人を守れるほど強くない。というか、別に誰も彼も守りたいと思わない」

 

 台本に載っているものと違った。

 

「……っ」

 

 リルが覚えている、あの一瞬とも違った。

 同時に照明が小さくなり、スポットライトが二人を照らす。

 彼女から小さく驚きの吐息が漏れた。

 けれど卓也はそれでもいい、とばかりに言葉を続ける。

 

「でも、たった一人だけいるんだよ。オレだけが守りたいっていう女の子が」

 

 抱きしめる力を少しだけ強めた。

 

「親友にだって譲りたくない、大切な想いがあるんだ」

 

「……卓……也……?」

 

 困惑を隠せない。

 彼は今の台詞を喋ったことはない。

 惑うリルに対して、卓也は少し照れたようにポケットに手を入れると小さな箱を取り出した。

 

「だからこれを贈るよ」

 

 本来であれば、それはリルにあげるネックレスだったはずだ。

 けれど彼が取り出したのは違う。

 正方形で、とてもじゃないがネックレスが入っているとは思えない。

 卓也が箱の蓋を開けた。

 

「…………えっ……?」

 

 リルの驚きの声が観客席にまで伝わった。

 

「あ、れ、ちょっ、ちが……こ、これ……っ!」

 

 大きく慌てふためく。

 そこで観客も気付いた。

 今、舞台上で行われている小説にも演劇にもないシーンが……ただの変更ではないことに。

 これは学生ながらの遊び心が入った変更じゃない。

 まさかと観客が思う。

 目の前で行われているのは“演劇である瑠璃色の君へ”ではない。

 

「リル」

 

 主演がヒロインの名を呼ぶ。

 されど誰も知らない物語……でもない。

 演じている者も、支えている者も、見ている者も等しく理解していた。

 これは続きだ。

 誰もが憧れ、夢見て、焦がれた二人の“今”の日々。

 シナリオも何もない『瑠璃色の君へ』が、目の前にあった。

 

「いいか、一回しか言わないからよく聞けよ」

 

 誓いの言葉を告げた時と同様の台詞を使った卓也は一歩、二歩と下がる。

 少し離れた位置にいる二人。

 スポットライトだけが彼らを照らしていた。

 

「リル=アイル=リステルさん」

 

 卓也はまるで演劇のように左手を胸に当て片膝をつき、箱を持った右手を前へと差し出す。

 そして中心にある“指輪”を彼女に見せながら、

 

 

 

 

「オレと結婚してください」

 

 

 

 

 プロポーズをした。

 

「……っ!」

 

 リルは驚きと嬉しさと幸せと、色々なものがない交ぜになって、思わず口元に手を当てた。

 彼女の反応に笑みを零しながら卓也は伝える。

 

「婚約してるっていうのに婚約指輪がないのって何か変だろ?」

 

 王族だから別に必要ない、ではない。

 どうしたって卓也自身の感性からは違和感しかないのだから。

 

「オレとお前が婚約してるのは事実だし、結婚だって絶対にする。誓いの言葉だってお前に伝えた。だけどな……」

 

 リステル王の言葉によって決まった二人の婚約。

 けれどそれだけじゃ寂しい。

 

「だからって、オレの言葉で結婚を申し込むのも指輪を渡すのも“やらなくていい”なんてことはない」

 

 別に構いはしないだろう。

 結婚が決まってる相手に、改めて結婚を申し込んだって。

 婚約指輪を渡して喜ぶ顔を見たいと思うぐらい、別にいいだろう。

 

「これでもお前に似合うやつ、結構探したんだよ。で、良いのが見つかったんだけど高くてさ。ギルドで頑張ったんだ」

 

 修や和泉に協力してもらって。

 リルへ贈る指輪のお金を作った。

 

「受け取ってくれるか?」

 

 僅かに照れた様子の卓也。

 リルは彼の姿に、彼がやってくれたことに声を震わせる。

 

「……卓也は……ずるいわ」

 

 自分はただ、彼が恋人というだけで嬉しかった。

 彼が婚約者というだけで喜びに満ちた。

 彼と結婚するという未来があるだけで、笑顔になれた。

 なのに、

 

「いつだって、そう」

 

 彼はそれだけじゃ済ませてくれない。

 

「あたしのことを幸せにしてくれる」

 

 自分のことを考えて、想って、大切にしてくれる。

 決して悲しませたりしないように、彼なりにいつも頑張ってくれる。

 

「……幸せで、幸せすぎて……受け取らない選択肢なんて思い浮かばない」

 

 大好きな人が選んでくれた指輪。

 それをどうして拒否できるだろうか。

 選択肢なんてない。

 リルが望むのは一つだけだから。

 

「嵌めてくれる?」

 

 左手を彼に差し出す。

 嬉しそうに頷いた卓也が、立ち上がってケースから指輪を取り出し彼女の左薬指に通した。

 引っ掛かることもなく、分かっているかのように指のサイズに合った指輪。

 

「ピッタリね」

 

 リルは少し左手を挙げて指輪を見る。

 石座に嵌まっている宝石は、彼女の由来――ラピスラズリ。

 “幸運の象徴”だ。

 

「ねえ、卓也」

 

「ん?」

 

「前に言ってくれたわよね。卓也にとってあたしは『幸運の象徴』だって」

 

 仲間によって救われた彼にとっての幸運はリルと出会ったこと。

 他の何にも代えることなど出来ない、唯一の出会い。

 

「あたしも同じよ」

 

 けれどそれは彼だけじゃない。

 自分も同じ。

 

「卓也がいてくれる。それがどれだけの幸運なのかよく分かってる」

 

 リルは彼から少し離れると苦笑いを浮かべた。

 

「だってあたし達の出会い方って、どうしたって恋愛に発展しないじゃない?」

 

 出会った頃を互いに思い出す。

 確かにリルは強烈だった。

 

「かもな」

 

「だからあたしにとっても幸運なのよ」

 

 出会った頃は考えられなかった。

 恋をすることも、一緒に暮らすことも。

 こんなにも彼のことが好きで、皆に認めてもらえたことも。

 

「だって、ほら」

 

 リルは客席に座っている人達を見回す。

 親族がいて、家族がいて、故郷の国の人達がいて、名前も知らないけれど自分達のことを知っているたくさんの人がいて。

 皆が舞台の上にいる自分達を熱心に見ている。

 

「たくさんの人達があたし達を祝福してくれてる。羨ましいって憧れてくれてる。どうしても演劇している姿を見たいって来てくれてる。みんながあたし達のこと、応援してくれてる」

 

 こんなこと、普通は出来ない。

 王族である自分が、たくさんの人達が憧れるような恋が出来るなんて思ってもいなかった。

 

「どれもこれも、全部……」

 

 彼がいたから。

 

「“貴方”がいてくれるからなのよ」

 

 同じ国にいたわけではない。

 同じ世界の人間ですらなかった。

 彼は本来なら出会えるはずがなかった異世界人の男の子。

 

「本当に……奇跡みたいに貴方があたしの前にいてくれるから」

 

 だからリルにとっての幸運とは彼と出会ったこと以外、ありえない。

 佐々木卓也という少年に出会った奇跡こそがリルにとっての幸運。

 

「どれだけ感謝しても感謝し足りないくらいなの」

 

 リルは卓也の顔を見つめる。

 そして今一度、思い返した。

 

「…………」

 

 彼と出会った日のことを。

 彼と出会ってからの日々のことを。

 彼と一緒に過ごす今のことを。

 

「……っ」

 

 思わず涙が溢れてきた。

 共に歩む人生が幸せで。

 嬉しくて。

 楽しくて。

 温かくて。

 どうしようもないほどに、感謝しかないから。

 

「……ありがとう」

 

 リルは声を震わせながら伝える。

 感謝の言葉を。

 

「馬鹿なあたしと出会ってくれてありがとう」

 

 知らない貴方のことを貶したのに、それでも出会ってくれた。

 

「面倒なあたしと話してくれてありがとう」

 

 わがままばっかり言ったのに、それでも一緒にいてくれた。

 

「恋をさせてくれてありがとう」

 

 幸せな気持ちがあることを教えてくれた。

 

「好きになってくれてありがとう」

 

 何にも代えられない、大切な気持ちを向けてくれた。

 そして、

 

「いつでも守ってくれて――ありがとう」

 

 唯一守ると誓ってくれた男の子。

 これまでも、今も、これからも。

 彼が守ってくれることは本当に幸せしかない。

 

「世界中の誰より貴方が一番。あたしにとって貴方以上の人なんていない」

 

 いるわけがない。

 自分の幸福は彼と共にあるのだから。

 

 

「大好きよ、卓也」

 

 

 世界で一番。

 誰よりも大好き。

 

「だからさっきの答え」

 

 リルは眦を拭って微笑む。

 先ほどの返答は決まってる。

『結婚して下さい』と言われたのなら。

 応じる言葉は一つだけ。

 

「よろしくお願いします」

 

 小さく頭を下げて、リルは本当に幸せな表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

「あたしを貴方のお嫁さんにして下さい」

 

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