第175話 小話⑯:幸運が運ぶ日々

 

 卓也は興味深そうに、壁に掛かっている画を鑑賞する。

 

「結構、面白いもんだな」

 

 美術館の絵画展でデート。

 正直、今までの卓也では考えられなかったことだ。

 優斗&フィオナやクリス&クレアだったら、知的だし雰囲気に合っている。

 けれど自分とリルが行く、というのはあまり想像していなかった。

 いや、和泉とレイナよりはマシであると思っていたが。

 

「これはね、300年前に鬼才と呼ばれた画家の作品なのよ。作品としては最後のほうで、順に並べていくと分かりにくいものだけど、最初とこの作品を比べると違いがよく分かるのよ」

 

 館内を回りながら、リルは卓也に一つ一つ丁寧に説明する。

 いつもとは違う彼女の姿。

 普段はあまり感じない“王女”を見つけ出したようで卓也は顔が綻ぶ。

 

「卓也? どうして笑ったの?」

 

「気にしないでいいよ」

 

 ただ、嬉しくなっただけで。

 それだけなのだから。

 

「……? 変な卓也」

 

 首を傾げる婚約者だったが、すぐに説明を続けた。

 卓也は画を見て、リルを見ては喜ばしい気持ちになる。

 意外な彼女の姿と、けれど彼女の存在を考えれば意外じゃない場所。

 

「ねえ、さっきから何を笑ってるの?」

 

 くいっと繋いでいる左手を引っ張られた。

 やっぱり気になっていたのか、より主張して言葉が届く。

 

「いや、リルも王女様なんだなって思って」

 

「……普段が王女らしくないってこと?」

 

 若干、ムスっとした表情になった。

 本当にコロコロと表情が変わる。

 

「そんなこと言ってないだろ。ただ、王女らしさ……っていうのか。こういう絵画展に来ても自然な姿だから王女らしさが際だったな、と思ったんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たまにはゆったりするのもいいもんだ」

 

「そうね」

 

 美術館を出て、公園の芝生の上に座って昼食。

 今日はリルが手伝いながら作ったものがたくさんある。

 

「……この野菜炒め、固いわね」

 

「ちゃんと火を通さないからだな」

 

「しかも塩っ辛いし」

 

「塩胡椒を入れすぎ」

 

「……次は絶対失敗しないわ」

 

「ああ、一緒に頑張ろうな」

 

 二人で一緒に弁当を食べていく。

 

「あっ、今日はもっと美味しい」

 

 卵焼きをリルが口に含むと、出来の良さに思わず笑みが零れる。

 

「リル、こればっかり練習してただろ」

 

「だって卓也、好きなんでしょう?」

 

 だから一生懸命練習している、と暗に言っている。

 

「ほら、卓也も食べてみてよ」

 

 リルはお弁当から卵焼きを取ると、箸を彼の口に持って行く。

 こういうところは王女から逸脱してきてるな、と卓也は思う。

 僅かに顔を前に出して卵焼きを口の中に放り込んだ。

 

「ん、美味い」

 

 確かに過去最高の出来だ。

 これも彼女の努力の証だろう。

 そのまま二人でお弁当を完食する。

 お腹が膨れて満足していると、リルが少し足を崩した。

 

「卓也。世の中には膝枕というものがあるって知ってる?」

 

「そりゃ知ってるけど」

 

 というか優斗とフィオナが目の前でやってることもあるんだから、知らないわけがない。

 

「やってみたいな、とか……思ったんだけど」

 

 リルはちらちら、と卓也を見ながら訊く。

 声も段々と尻つぼみだ。

 彼女は意外と言われるかもしれないが、口から出てくる言葉は素直でも、かなりの純情派。

 だから基本は卓也がリードするし、彼女からやってほしいと言うことはない。

 なので彼女の申し出は卓也にとって驚きだった。

 

「いいのか? 確かにオレも男だし、憧れてたりはするけど」

 

「い、いいのよ! あたしもやってみたかったんだから!」

 

 なんて婚約者が言うものだから、卓也は寝転がってみる。

 そして身体をずらして、彼女の太ももに頭を乗せてみた。

 真上には照れくさそうにしているリルがそっぽを向いていて、何だかんだで卓也も恥ずかしくなってくる。

 

「……これは恥ずいな」

 

「……うん」

 

 優斗とフィオナ、よくやれるもんだと思う。

 

「でも、やめたくないわ」

 

「確かに」

 

 リルが視線を下に向けて、卓也の髪を撫でる。

 少しくすぐったそうにした彼に、表情が和らいだ。

 

「公園で自分が作ったお弁当を食べて芝生で膝枕を婚約者にしてあげる……だなんて、今のあたしって王女っぽくないわ」

 

「ん~、そうかもな」

 

「けれど婚約者らしいわよね?」

 

「当然だろ」

 

 当たり前のように頷いた卓也に、リルが笑みを零す。

 

「そういえば少し気になってたんだけどさ、『瑠璃色の君へ』の瑠璃色ってどこから出てきたんだ?」

 

 ふと、卓也が気になっていたことを尋ねる。

 自分達が描かれている小説――『瑠璃色の君へ』。

 この瑠璃色とは何なのだろうか。

 

「あたしの名前と生まれた時間から来てると思うわ」

 

 卓也のふとした疑問をリルが答える。

 

「うちの女系って、大抵が“リ”から始まる名前なのよ」

 

「ああ、確かにお姉さんとかもそんな感じだよな」

 

「で、あたしの名前の由来って生まれた時間なの」

 

 彼の髪の毛に触れながらリルは紡ぐ。

 

「生まれたのが早朝の夜が明ける瞬間。鮮やかな瑠璃色の空が広がってたみたい」

 

 鳴き声が聞こえた時に窓から見えた、僅かな時間しか見えない景色。

 とても神聖な時間に思えたらしい。

 

「だから運命を感じたお父様が瑠璃という文字を反転させてリルって名付けたの。瑠璃は“幸運の象徴”だからってね。結構単純な名前なのよ」

 

「別にいいんじゃないか? オレはリルの名前、呼びやすくて好きだし」

 

 彼女に相応しいと思う。

 呼びやすく、響きも彼女に似合っている。

 

「それにお前は間違いなく、オレにとって“幸運の象徴”だよ」

 

 卓也は少し、目を閉じる。

 悲惨な生活だった。

 幸せな日々ではなかったし、運があるなんて口が裂けても言いたくない人生だった。

 

「あいつらと出会って、その後にお前と出会えた」

 

 けれど転機があった。

 内田修、宮川優斗、豊田和泉に出会ったこと。

 セリアールで仲間と出会ったこと。

 リルと出会ったこと。

 

「あいつらと出会ったことで救われた。だとしたらお前と出会ったことは、救われたオレにとって何よりも大切な幸運だ」

 

 好きな人が出来た。

 好きな人と恋をした。

 好きな人と一緒になる。

 これを幸運と言わずに何と言おう。

 

「……なんか、言ってて凄く恥ずかしくなった」

 

 言い終わって気付いたのか、卓也はゴロンと仰向けから横になって前を見る。

 リルは嬉しそうに笑って、彼の髪を撫でた。

 卓也はいつも、本当にそうだ。

 大事なことはちゃんと、言ってくれる。

 言った後で恥ずかしがる。

 そんな彼が本当に大好きだ。

 

「ねえ、卓也」

 

 だからかもしれない。

 リルの想いの一端が、口から溢れ出る。

 

「なんだ?」

 

「あのね。一緒に……暮らさない?」

 

 聞いた瞬間、卓也は跳ね起きた。

 いきなりのことにビックリしたのと、どうしてそんなことを言ったのかが分からなかったから。

 

「……あ~、まだこの世界に疎いから分からないんだけど、嫁入り前に一緒に暮らすってありなのか?」

 

「貴族や王族だとほとんどないわ」

 

 基本的には嫁入り道具を持って行く。

 貴族や王族の結婚というものは決まっているものであって、決して愛ありきのものではないのだから。

 

「でも、あたしは……」

 

 不意にリルの瞳が揺れる。

 その先は言葉にならなかった。

 彼女が溢れた想いの理由が、口にすればあまりにも馬鹿馬鹿しいから。

 どれだけ面倒な女なのだということが、卓也に知られるだけだ。

 でも、

 

「リル。お前は素直だけど、もうちょっと本音ってやつを表に出すべきだよ」

 

 卓也は聡い。

 特に今の二人の関係だったら、すぐに気付いてくれる。

 ぐっとリルを抱きしめた。

 

 

「“一人”が寂しいんだろ?」

 

 

 それはあまりにも的確な問い掛けだった。

 否定することも、違うと首を横に振ることも出来ない。

 

「……うん」

 

 素直にリルが頷いた。

 

「むしろ今まで気付いてやれなくて、悪かった。お前だけ一人だもんな」

 

 よく考えてみれば、そうだ。

 卓也は修と和泉と寮暮らし。

 レイナはすぐ近くに父親がいるし、優斗とフィオナは一緒に暮らしている。

 他は基本的に家族と一緒だ。

 リルだけが家族も仲間もいなくて、家政婦がいる家に帰っている。

 もちろんリルは家臣達のことを大切でもう一つの家族のように思っているけれど、“そういうこと”じゃない。

 

「お前は何て言うか、本当に大事なことを言わないから焦る」

 

 リル自身が本当に望むことを彼女は言わない。

 卓也のためならばどんなことでも言える彼女でも、自分のための言葉を持たない。

 でも、だからこそ卓也は誰よりも守りたいと思う。

 故に伝えることは一つだ。

 

「一緒に暮らすか」

 

「……いいの?」

 

「なんで疑問系なんだ。お前が一緒に暮らしたいって言ったんだろ?」

 

 だったらその為に動くだけ。

 なのにどうして疑問を呈すのだろうか。

 

「た、卓也のことだもの。シュウとかイズミの世話だってあるだろうし……」

 

「あいつらに関しては大丈夫だよ。オレが責任を持って面倒見てくれるところにぶち込むから」

 

 馬鹿二人をちゃんと扱える人達のところへ。

 そして胸元にあるペンダントに刻んでもらった言葉を、そして彼女の胸元にあるペンダントに刻んだ言葉を思い返す。

 

「オレはお前にちゃんと『誓いの言葉』で誓った。生涯、隣にいることを」

 

 他の誰でもない、目の前の女の子に誓いを立てた。

 

「だから安心しろ。いつだって、お前の隣にオレはいる」

 

 頭を優しく撫でる。

 するとリルの身体が僅かに震えた。

 嬉しくて、嬉しくて、瞳から溢れてくるものを止められない。

 

「案外、泣き虫なんだよなぁ」

 

 卓也は苦笑して、少しだけ抱きしめる力を強くする。

 本当に愛おしい。

 いつもは強気で苛烈。けれど大事なことは弱気で隠してしまう、泣き虫な女の子のことが。

 

「ワガママで面倒な女で……ごめん」

 

「惚れた女の子のワガママっていうのは、可愛く思えるもんだよ。実際、可愛いお願いだしな」

 

 タクヤは少しだけ身体を離すと、額にキスをする。

 そして優しい笑みを浮かべた。

 

「それじゃ、早速だけど事を済ませに行くとするか。退寮やら何やら、やることたくさんあるから」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 翌日――王城にて。

 大層焦っている修がいた。

 

「ちょ、ちょっと待て卓也! 引っ越すのは別にいい! 卓也がいなかったら、やばいってことも分かってる!」

 

 地味に生活破綻者の二人を置いておくなど、確かに不安にもなろう。

 卓也がどこぞの誰かにお願いすることもよく分かる。

 

「だけど何で王城なんだよ!?」

 

 そう、彼を引き取るのは後見である王様。

 というわけで、修は王城へとお引っ越しになるわけだ。

 

「いや、オレと同レベルでお前の手綱を握ることが出来るの、優斗か王様ぐらいしか思い浮かばなかった」

 

 なので駄目元でお願いしてみたら、王様は頷いてくれた。

 

「つーか王様もどうして受け入れたんだよ!?」

 

「確かにお前は手綱を握る奴がいないといかんと我も思った。自分で言うのも何だが、お前の手綱を握りきれるのはユウト、タクヤ、我しかいない。よって今後は我がお前の手綱を握ろう」

 

「……あ、悪夢だ」

 

 修は頭を抱え込む。

 手綱の握り方は同レベルでも、逆らえないレベルが断然違う。

 勝てるわけがない。

 一方で、和泉も和泉で難しい表情をしている。

 

「新婚夫婦のいる屋敷に転がり込むのは、いくら俺でもどうかと思うんだが……」

 

「お前の場合はクリスん家が名乗りを上げたんだよ」

 

 卓也も同じように思ったのでどうしようかと考えていたら、クリスが引き取ると言ってきた。

 クリスは和泉を見ると、大きく溜息を吐きながら、

 

「イズミを人様へ預けるにはまだ教育が足りません。うちでしっかりと教育を施したあとで、ようやくレイナさんに預けられるというものです」

 

「……両親は何と言っている?」

 

「世話を焼ける回数が増えて喜んでいますよ。これでも自分は手の掛からない息子でしたから」

 

「クレアは?」

 

「今夜はお祝いですね、と」

 

「……そうか」

 

 トンチンカンなクレアは別として、両親も歓迎している。

 

「というより、もう遅いです。父が今朝方、珍しく意気揚々と部屋の改装業者に指示していましたから」

 

「早くないか?」

 

「嬉しいんですよ、父も」

 

「レグル公爵には一室を研究用に使わせてもらっているし、迷惑を掛けている。これ以上は……とも思っているんだが」

 

「残念ながら我が家は、イズミにもっと構いたいようです」

 

 何かを言ってもクリスにさらっと流される。

 きっと何も言っても駄目だろう。

 ふぅ、と和泉が息を吐いた。

 

「分かった。おそらくは卒業までだろうが、世話になる」

 

「ええ、お世話させていただきます」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 短期留学から実際に暮らすことになった際、リルはリライト城の貴賓室からこの邸宅へと移った。

 場所はトラスティ家の近くにある。

 大きさも優斗達が住んでいる邸宅とあまり変わりない。

 住み込みの家政婦や守衛はいれど、就寝時は当然離れの建物。

 だから一人で大きな邸宅に住んでいると言っても過言ではなかった。

 でも、今日からは違う。

 そわそわしながら婚約者の到着を待っていた。

 

「リル様。少し落ち着かれてはどうですか?」

 

 トラスティ家の家政婦長、ラナの紹介で来てくれた年輩の家政婦が苦笑する。

 普段、家の中では王女然としているリルが年相応の女の子に見えて、微笑ましかったからだ。

 

「シノ、仕方ないじゃない。だって……一緒に暮らすんだし」

 

 どうして落ち着いていられようか。

 そわそわしないほうがおかしい。

 と、その時だった。

 

「リル、いるか?」

 

 玄関から声が届く。

 ぱっとリルの表情が輝いた。

 本来ならば家政婦であるシノが迎えに行くのが当然だろうが、今日ばかりはそうじゃない。

 リルが小走りで玄関に向かった。

 

「卓也っ!」

 

 彼は段ボール箱二つを持ちながら、家の中に入っている。

 背後には彼の親友も同じように段ボールを持っていた……のだが、なぜか家の中には入っていない。

 

「あっ、荷物も持ってきたのね」

 

「最低限、必要なものだけな。こいつが暇だったから手伝ってもらっ――」

 

 若干振り向きながら卓也が後ろを示そうとすると、いきなりドアが閉まる。

 親友が器用に足でドアを押し、さらには風の精霊を使ってまで律儀にやったからだ。

 

「……なんだ、あいつ?」

 

 意味が分からない親友の行動。

 だが、リルは合点がいった。

 閉まる直前、僅かに見えた微笑。

 気を遣われたのが丸わかりだった。

 リルは心の中で感謝しながら、婚約者に満面の笑みを浮かべる。

 

「お帰りなさい、卓也」

 

 告げられたことに、彼の目が僅かに見開かれた。

 けれどすぐに柔らかくなる。

 

「ああ、ただいま」

 

 些細だけど大切なやり取り。

 むず痒くなるが、嫌じゃない。

 同時に吹き出すように笑うと、玄関を開ける。

 そして“二人の家”に段ボールを持った親友を招き入れた。

 

「ほら、早くオレん家に入れ」

 

「いらっしゃい。荷物運び、手伝ってくれてありがとう」

 

 

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