第144話 小話⑬:異世界人の感謝

 ラナ・クラストル。

 トラスティ家に仕える家政婦の長である。

 その付き合いはエリスが生まれた時まで遡り、実に三十余年をトラスティ家に仕えて過ごしている。

 

 バルト・クラウディ。

 婿養子となったマルスの家で守衛をしており、マルスがトラスティ家へと入ったと一緒にトラスティ家の守衛長になる。

 以降、現在に至るまでずっとトラスティに仕えている。

 そんな二人は今、

 

「マリカ様、どこに行くのですか?」

 

 それぞれ子供達の世話を任されていた。

 ラナは今、マリカと一緒に厨房へと歩いている。

 そこに一人の青年がいて、

 

「ろー!」

 

 マリカは青年に声を掛けた。

 青年は丁寧な口調で、

 

「どうかしましたか、マリカ様?」

 

「あう、あうっ」

 

 キラキラとした目で厨房にある果物に目をやるマリカ。

 青年は苦笑して、

 

「ちょっとだけですよ? たくさん食べて夕飯を残したら、またお父様に怒られてしまいますからね」

 

「あいっ!」

 

 そう言って青年はサクランボを二つ、マリカに渡す。

 ラナが呆れたように額に手を当てた。

 

「……ロスカ。貴方はどうしてそう、マリカ様に甘いのですか」

 

「いやいや、俺はマリカ様に甘いのではなく弱いんですよ。このように頼まれてしまっては断れません」

 

「まったく」

 

 ラナもロスカの気持ちは分かるので文句は言えない。

 軽く溜息をついた。

 と、マリカが満面の笑みで、

 

「らな~っ!」

 

 とてとてとやって来た。

 ラナはしゃがみ込むとマリカを抱っこする。

 そんな光景にロスカが笑った。

 

「マリカ様の抱きつき癖はお嬢様達の育児の結果ですかね。まるで曾祖母とひ孫のように見えます」

 

「見間違え……とは言えませんね。ユウトさんからは、そのように接して欲しいとお願いさいれていますから」

 

 そして理由が理由なだけにラナも断るわけにはいかなかった。

 ロスカも似たようなことを頼まれているので、同意するように頷きを見せる。

 

「たくさんの愛情をあげたい、ですか」

 

「はい」

 

 マリカはいつか、いなくなってしまう。

 それまでにたくさんの愛情を与えたい。

 優斗はそう言ってラナ達にお願いした。

 

「だから私はマリカ様に対してだけは“ひいおばあちゃん”でいることにしたのですよ」

 

 使用人ではなく。

 家政婦長としてでもなく。

 マリカに対してだけは曾祖母としている。

 

 

       ◇      ◇

 

 

「アイナお嬢様。棘があるので、不用意に触ったら危ないですからね」

 

「でもでも、すっごくきれいなの」

 

 様々なバラを嬉しそうに眺める愛奈。

 

「これ、バルトさんがそだててるの?」

 

「ええ。私の趣味です」

 

「すごいの」

 

 庭の一場所にある、咲き乱れる花の数々。

 それを管理しているのはバルト。

 彼が20年弱の時を用いて作った花の庭園は、本当に美しく咲き誇っている。

 

「バルトさん、こういうときってどう褒めればいいの?」

 

「思ったままのことを言えばいいのですよ」

 

「じゃあ、きれいなの」

 

「ええ、それでよろしいと思います」

 

 頷くバルトに愛奈は胸を張った。

 

「あいな、こういうのを褒めるのが“しゅくじょのたしなみ”ってラナさんにおしえてもらったの」

 

「では、まさしく今のアイナお嬢様は淑女でしたよ」

 

 朗らかな笑みを浮かべるバルト。

 愛奈から見ても、本当に嬉しそうに見えた。

 

「バルトさん、ニコニコなの」

 

 見ているだけで嬉しくなってくるような笑みだ。

 

「このバルト、アイナお嬢様が成長していく姿を見るのが楽しみなのですよ」

 

 もう3ヶ月。

 愛奈は色々と変わった。

 会話も出来るようになったし、貴族の娘としても頑張っている。

 最初に出会った時のような姿はもう、どこにもない。

 それがバルトには喜ばしい。

 

「じゃあ、もっとがんばるのっ!」

 

「ありがとうございます」

 

 

        ◇      ◇

 

 

「おにーちゃん、しゅーにい、たくやおにーちゃん、いずみにい。ちょっといい?」

 

 珍しく愛奈が自分の部屋に四人を連れ込んだ。

 妹の部屋で修と卓也と和泉は座り、優斗もマリカを抱っこしながら座る。

 修が珍しそうに訊いた。

 

「愛奈、どうした?」

 

「えっとね。あいなのおへやにあるお花、バルトさんのなの。それにラナさんも“きぞくのれでぃ”をおしえてくれるの」

 

 うんうん、と四人は頷く。

 部屋を彩っているのは主にラナの手腕だ。

 というよりかはエリスも彼女のセンスに任せっきりなので、愛奈の部屋どころかトラスティ邸の大抵はラナによって物が配置されている。

 

「あいなね。バルトさんとラナさんになにかお礼、あげたい」

 

 妹の発言に修と卓也と和泉は顔を見合わせる。

 優斗は思わず苦笑した。

 

「……こりゃ参ったね」

 

 幼い子供ながらのストレートな感謝。

 素直に唸らされた。

 

「お礼を“する”とお礼を“あげる”は違うか」

 

 優斗は日々、彼らに感謝している。

 そうであることが当然だと思えるほど、まだ貴族に慣れていない。

 とはいえ、だ。

 

「愛奈の言う通りだね。僕も一年近く世話になってるから、心だけじゃなくて形で示さないと」

 

 あらためて愛奈に気付かされた。

 するとマリカが優斗の腕の中で声をあげた。

 

「ろー!」

 

「そうだね。いつもごはん作ってもらってるもんね」

 

 皆の食事を考えて作ってくれるロスカ。

 

「おー、うー、とー!」

 

「フォルスさんもウィノアさんもトールさんも、みんなだね」

 

「あいっ!」

 

 他にも家政婦だったり何だったり、世話になっているのはたくさんいる。

 修も確かに、と頷いた。

 

「俺らもよ、特にロスカさんにはめっちゃタダ飯もらってるもんな。つーか来る人数、めちゃくちゃだから結構苦労かけてるわな」

 

「そうだな」

 

 和泉も納得する。

 基本的にノリでしか来ていない。

 なのに夕飯を遅らせることなくしっかりと出している、というのは苦労以外の何物でもない。

 

「修、金はある?」

 

「問題ねーよ」

 

「和泉は?」

 

「俺も問題ない」

 

 二人の返答に優斗が笑う。

 

「それじゃ、ちょっと本気出そうか」

 

 言うと同時に全員が頷いた。

 

「オッケー、乗った」

 

「ロスカさんには色々と料理で相談にも乗って貰ってるし。あと何だかんだで後見の家もだな」

 

「やってやろう」

 

「あいな、がんばるの!」

 

「あいっ!」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 話が出て二週間後の日曜日。

 トラスティ家の庭では、ある催しが行われようとしていた。

 

「何事でしょうね?」

 

「全員が手紙を貰うとなると……ユウトさんが何かを画策したのだとは思いますが」

 

 首を捻るラナとバルト、トラスティ家の使用人全員。

 一同、足を揃えて庭へと向かう。

 

「何なのか楽しみですね」

 

 ロスカが手紙を見ながら笑みを零す。

 書かれている内容は端的。

 

『10時に中庭に来て下さい』

 

 これだけ。

 全員揃って何事かと思いながらも中庭に出る。

 すると、だ。

 

「………………」

 

 そこにいるのは王様を始め、異世界人の後見をしている家の人々。

 主に家政婦であるラナとウィノアの顔が青ざめ、慌てて駆け寄る。

 すると優斗がウェイター姿で二人の前に現れて、

 

「これはこれは。本日は来て下さり、まことにありがとうございます」

 

 丁寧に頭を下げてくるが、正直それどころではない。

 

「すぐにお手伝いします」

 

 ラナがはっきりと申すが、優斗は丁寧に拒否した。

 

「本日の皆様は我々のお客様です。どうかごゆっくり」

 

 皆が呆気に取られるようなことを言う。

 ラナは思わず近くにいたエリスに確認を取った。

 

「エリス様。これは何事でしょうか?」

 

「ユウト達による、貴女達の慰労会なんだって」

 

 そしてトラスティ邸の二階部分に貼り付けられている『大慰労会』という横断幕を指差す。

 

「ユウトにとってはアイナを連れてきて三ヶ月。色々と迷惑を掛けただろうけど、文句一つ言わずに仕えてくれてありがとうってね」

 

「家臣なのですから当然のことです」

 

 文句など出るわけもない。

 それが当然だ。

 

「私達にとっては当然かもしれない。でも、この子達にとっては違うわ」

 

 エリスが優斗を見ると彼は素直に頷いた。

 

「そういうことです。皆さんは仕事だから感謝される必要はないと思われているかもしれませんね」

 

 無理難題だろうと、家臣なのだから当然のことだと。

 

「ですが関係ありません。僕は貴族である前に『異世界人』ですから」

 

 こっちの常識に縛られる必要性はない。

 

「だから言う事は一つです」

 

 笑って告げよう。

 

「四の五の言わずに黙って感謝されろ、ってね」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 酒やら食べ物やら、たくさんのものが出てくる。

 特に食事を一人で作っているのは卓也。

 リライトに来てから覚えたものや、異世界で作っていたもの。

 多種多様の料理が出てくる。

 その中で、コックの姿をした卓也はココの両親の前にやって来た。

 

「ダグラスさん、ナナさん」

 

 声を掛け、卓也は二人の前にお皿を――ブッシュ・ド・ノエルを置く。

 

「これ、二人だけの特別」

 

 ココの母親――ナナが綺麗なケーキを前にして、嬉しそうに喜んだ。

 

「ありがとうございます、タクヤ君」

 

「いや、お世話になってるからさ」

 

 卓也はそう言って、帽子を取った。

 後見の家だから時折は顔を出すし、一緒に買い物に行ったりもする。

 三者面談の時だって、嫌な顔一つせず来てくれた。

 

「オレは出来ること少ないから、こういう形でしか感謝できないけど」

 

 卓也は二人に頭を下げる。

 

「オレの後見人になってくれたこと、感謝してます」

 

 そして顔を上げ、笑う。

 

「オレとリルの結婚式を楽しみにしてくれてるみたいだしさ。その時、二人さえよければ一緒にタキシードとか選んでくれると助かるんだけど」

 

 卓也がそう言うとナナ達も笑った。

 

「わたしが選びます」

 

「私が選ばせてもらう」

 

「何を言うのです。わたしの方がタクヤ君と仲良いのです」

 

「そっちこそ何を言う。男同士でしか分からないこともある」

 

 二人の間に火花が散った。

 卓也が苦笑しながら、楽しそうに会話に加わる。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 和泉は和泉で、レグル公爵の前に立っていた。

 

「いつも爆発騒ぎ、申し訳ない」

 

 レグル邸で時折響く音。

 最初の頃は本当にビックリさせていたと思う。

 

「本来なら『やるな』と言われても、仕方ないことをしていると思ってる」

 

「気にしなくていい」

 

 レグル公爵は苦笑して、軽く手を振った。

 しかし普通は実験だの何だのと言って、あれだけ爆発音を響かせていたら嫌がると思う。

 

「貴方はそのように怒鳴らず、俺のやることを認めてくれた」

 

 仕方ないとクリスと笑い合って咎めることなどしなかった。

 

「だから俺はミエスタから来た技師の助手になることが出来た」

 

 レグル公爵に助手の話が届いた際、喜んでくれたのを和泉は覚えている。

 同時に豪華な夕食に招待されたのも忘れられない。

 

「貴方のおかげだ。本当に感謝してる」

 

 そして和泉は自分が作った魔法具――イヤリング型のものと懐中時計型のものをレグル公爵に渡し、頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

 

       ◇      ◇

 

 

「シュウ、酒が足らん」

 

「はいよ」

 

 優斗と同じくウェイター姿の修が王様の持っているコップにビールを注ぐ。

 

「それと、ついでにプレゼント。これ、受け取ってくれ」

 

 さらっと修が王様の前に包装された箱を置く。

 王様は箱を見て、修を見て、

 

「……熱があるのか?」

 

 彼の額に手を当てて熱を計る

 

「お~い、その反応は予想外なんだけど」

 

「いや、我はこんなことをやる時点で驚いている。だからプレゼントなど以ての外だ」

 

 こっちは召喚して申し訳ないと思っている。

 そう伝えているのに、慰労会をやるなど本当に予想外だった。

 

「まあ、邪魔にはなんないと思うぜ」

 

 開けてみろ、と修がジェスチャーする。

 言われた通り、開けてみた。

 

「ナイフに……宝玉があるな」

 

 小さな刃に透明な玉が嵌まっている。

 見ただけで分かる等級の高い宝玉だ。

 

「障壁を出せる神話魔法が使えるよう和泉に改造してもらった。神話魔法を込めるって結構むちゃくちゃらしくてよ、これ一つしか造れなかった。だけど五回分の魔法が入ってるんで、もし使い切って無くなったら言ってくれよ。すぐに神話魔法を込めっから」

 

「……なぜ、これを?」

 

「王様だろ? 万が一っていうのがあんじゃん」

 

 基本的に危ないことなど存在しないと思う。

 しかし“それでも”ということがあるから。

 修はこれをプレゼントしようと思った。

 

「これなら邪魔にならないだろ?」

 

 にっと笑う修。

 王様は呆れながらも嬉しそうに、ビールを呷った。

 

 

       ◇      ◇

 

 

「へぇ~。みんな、プレゼントあげてるのね」

 

 エリスは優斗からワインを注がれながら、周囲を見回す。

 

「ユウトは? 例えば私とか」

 

 からかうような声音のエリスに、優斗は苦笑した。

 

「うちはちょっと特殊ですからね。後見……っていうか義両親ですし。だから義父さんと義母さんに物をあげるって違うと思ったんです。誕生日プレゼントとかあげてますし、今更でしょう?」

 

「そうね」

 

 彼らとは違い、親子関係であるからこそ余計な気の回しは不要。

 エリスはそう思っているし、優斗もそう思っている。

 

「でもね、“エリスさん”。貴女には感謝しています」

 

「……えっ?」

 

 だから彼から続いた言葉がエリスには予想外だった。

 優斗は笑みを浮かべる。

 

「貴女が僕を受け止めてくれたこと。貴女が僕を義息子と呼んでくれたこと。そして――貴女を義母と呼ばせてくれること。その全てに感謝しています」

 

 いつの間にか彼の手には細長いケースがある。

 優斗はそれを開けて、中身をエリスに見せた。

 あるのは簡素ながら綺麗なデザインのネックレス。

 

「……これ、高いわよね」

 

 前に商人から見せてもらったことがある。

 確か七桁の額だったので、買う気すらしなかったのを覚えていた。

 

「エリスさんの目に留まったことは覚えていましたし、Aランクの魔物を10体くらい倒せば余裕で買えましたよ」

 

「……最近、ユウトが忙しそうにしてた理由が分かったわ」

 

 慰労会の話は聞いていた。

 だから、その為の準備で忙しいと思っていたのが……まさか魔物を盛大に狩っていたとは想像できなかった。

 さらに優斗は瓶を取り出し、

 

「マルスさんには高級な酒です。一緒に飲もうかと思って」

 

 用事があり、顔を出せなかったマルスの分もちゃっかり優斗は用意している。

 エリスが“さすが”とばかりに頷いた。

 

「マルスも喜ぶわ」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 一方、公爵王族と一緒のテーブルで……というのもさすがに辛いだろうから、トラスティ家の使用人達は別の席で若人達と話していた。

 

「お嬢様? なぜ、そのような格好を?」

 

「変ですか?」

 

 家政婦の格好……というよりはメイド服を着ているフィオナが自分の服装を見回した。

 ラナは額に手を当て、小さく息を吐く。

 

「……いえ、大変可愛らしいです」

 

 とても似合っている。

 美人というものは、何を着ても似合うというのは本当なのだろう。

 

「アリシア様はどうしてお嬢様と同じ格好を?」

 

「このような機会でなければ着ることもないと思って」

 

 今回の仕掛け人は異世界組。

 なので当地組は出番がない。

 というわけで、

 

「ん、しょ……」

 

 この場所に料理や飲み物を運んでいるのは愛奈。

 最初は手伝おうと思っていたのだが、

 

「あいなががんばるの!」

 

 なんて言うものだから、基本的には愛奈が頑張っている。

 フィオナはフォローするだけ。

 ただフォローはするのだからと、このような格好をした。

 アリーはノリで同じ格好。

 

「……っ」

 

 しかし使用人の集団は愛奈の姿を微笑ましく思いながらも、危なっかしい足取りにハラハラしっぱなし。

 代われるのなら即行で代わるだろう。

 

「残念ながら今日は優斗さん達の画策でやったことですから。素直に感謝を受け取ってあげてください」

 

「それは嬉しいばかりですが……」

 

 彼らを雇っている家のお嬢様が自分達の為に動いている、となると不安にもなる。

 フィオナも気持ちは分かるが、それでも……とラナ達に伝えたいことがあった。

 

「私達は当たり前でも、彼らにとっては当たり前ではない。それを忘れてはいけないのだと思います」

 

「そうしてくれると助かるかな」

 

 するとタイミングよくウェイター姿の優斗が顔を出した。

 

「向こうとこっちじゃ常識が違うからね。慣れるか慣れないかっていうのは、時間が掛かるよ」

 

 そして一生懸命飲み物を運んでいる愛奈の姿に表情を綻ばせる。

 

「でも愛奈は違う。あの子の今後の道を示すのは貴女達です」

 

 優斗がさらに言葉を続けようとする。

 だが不意に名前を呼ばれたので、仕方なさそうに笑ってフィオナに後を託した。

 

「……お嬢様。今のはどういう意味ですか?」

 

 優斗が去ったあと、ラナが先程の言葉の真意を訊く。

 フィオナは優斗と同じように柔らかい表情で愛奈を見詰めながら答える。

 

「あーちゃんは何も知らない子です。優斗さん達のように向こうの常識を持っているわけではなく、こっちの常識も持っていません」

 

 真っ白な女の子。

 それが愛奈だ。

 

「だからこそ苦労することになると思います」

 

 何も知らなければ、この世界に染まったとしても問題ない。

 けれど、だ。

 愛奈は自身を異世界人だと知っている。

 

「優斗さん達と常識の誤差があれば、彼らと同じ異世界人だからこそ不安になります。けれどこちらの常識を知らなければ、余計な軋轢を生むことになります」

 

 異世界人にしてトラスティ公爵家の次女。

 もしかしたら世界で一番特殊な事情を抱えた少女。

 

「私達はあーちゃんの成長を助けたいと思います。しかし――」

 

 立場が立場である以上、まだまだ必要としているものがある。

 

「あーちゃんを支えるのは皆さんです」

 

 不安がらないように、揺れないように。

 誰かが支えないといけない。

 

「だから私の妹を、どうかお願いします」

 

 フィオナが頭を下げる。

 と、その時だった。

 

「まだまだ慰労会は続きますが、ここで今回の慰労会の発起人である愛奈からの挨拶があります」

 

 優斗の声が響く。

 愛奈はちょこちょこと動いていたが、優斗の声に反応して皆の前に立つ。

 そしてポケットから手紙を取り出す。

 ぺこりと一礼した。

 

「えっと……あいな=あいん=とらすてぃです」

 

 皆の注目がある中、愛奈は頑張って紙に書いたことを読む。

 

「ここに来て、おかーさんができました。おとーさんができました。おにーちゃんもおねーちゃんもできました」

 

 大好きな家族が出来た。

 愛奈はニコニコしながら言葉を伝える。

 

「それでね、バルトさんたちもだいすきなの」

 

 この言葉に家臣達が嬉しそうな顔になった。

 笑顔を見せてくれるようになり、喋れるようになり、愛奈がどんな女の子なのか分かってきた。

 親身に接してきたからこそ、愛奈の言ってくれたことが嬉しい。

 

「……でもね」

 

 しかし、だ。

 続いた言葉に全員の表情が驚きに変わる。

 

「よくわからないの」

 

 愛奈も先程の嬉しそうな表情と違い、本当に分からなくて……不安がっているように思える。

 

「おにーちゃんが助けてくれるまで、ずっとくるしくて、いたくて、いやだったの。でも、ここにいると、だいすきなひとがたくさん……たくさんいて」

 

 大好きも何も知らなかった女の子。

 けれど優斗が救い、エリスが愛し、皆が愛奈を大切にした。

 だから愛奈に芽生えた大好きという感情。

 でも、だ。

 今まで一度たりとも、一つたりとも大好きがなかったからこそ、

 

「こんなにだいすきなひとがいていいのか、わからないの」

 

 不安になる。

 ゆっくりと数が増えたのではなく、いきなりたくさんの大好きが出来たから。

 こんなにも幸せでいいのかと。

 こんなにも大好きな人がいていいのかと。

 今までが今までだったからこそ芽生えた不安。

 

「…………」

 

「…………」

 

 時が止まったかと思えるほどの静寂が生まれた。

 似た境遇の優斗でさえも、どう対処すべきかを瞬時には決めかねた。

 けれど、

 

「アイナお嬢様」

 

 その中で動く姿が一つ。

 

「今、貴女が仰ったことは“無用な心配”と呼ぶものです」

 

 動いた人物――バルトは愛奈の前に立つと膝を折り、同じ高さの視線にする。

 

「“大好き”だと思えることが多いのは、良いことなのですよ」

 

「……そうなの?」

 

「ええ、もちろんですとも」

 

 バルトは朗らかな表情を愛奈に向ける。

 

「例えばアイナお嬢様は『お兄ちゃん』が大好きですが、お兄ちゃんもユウトさんやシュウさんがいるでしょう?」

 

「うん」

 

「私もトラスティ家に連なる人々はもちろんのこと、お花だって大好きです。お花はバラやチューリップ、たくさん種類がありますから私も大好きがたくさんです」

 

「……あっ、ほんとなの」

 

 バルトが育てている花の多種多様な数を愛奈は覚えている。

 だから大好きがたくさん、と言ったバルトの言葉の意味がよく分かった。

 

「それにですね。アイナお嬢様は私達のことが大好きだと言って下さった。我々がそれを駄目などと言うこともなければ、言えるはずもありません」

 

 バルトが家臣達に視線を送る。

 釣られて愛奈も見ると、皆が優しい表情を浮かべていた。

 

「なぜなら我々もアイナお嬢様のことが大好きなのです。だから不安になる必要もなければ、怖がる必要もありません」

 

 大好きな人がいて不安がる必要はない。

 愛奈が大好きな人の数だけ、愛奈のことが大好きな人々がいるのだから。

 

「アイナお嬢様が言ってくれた“大好き”は、我々を幸せにしてくれる『魔法の言葉』なのですよ」

 

 バルトはゆっくりと、そして優しく頭を撫でた。

 愛奈の表情が笑みに変わる。

 

「うんっ!」

 

 どうやらバルトの言いたいことが伝わったようだ。

 嬉しそうに頭を撫でられる愛奈。

 ほっと一安心した皆の中で、エリスは優斗に話しかける。

 

「ユウトはアイナが思っていたことを読めた?」

 

「いえ、さすがに無理ですね。まさか大好きな人が多すぎて不安になるとは思ってもみませんでした」

 

「私もよ。何て言えばいいか分からなかったわ」

 

 どうすればいいのか判断できなかった。

 

「けれど、さすがはうちの家臣ね」

 

 颯爽と愛奈の不安を解消してしまった。

 まるで誇るかのようなエリスに、優斗は確信を持って訊く。

 

「自慢ですか?」

 

「ええ、私の自慢よ。ずっと昔からね」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 優斗達の催しもついに最後。

 

「ではトラスティ家の屋台骨であるお二方にプレゼントです。ラナさん、バルトさん、一歩前にどうぞ」

 

 優斗の声と共に一歩前に出るラナとバルト。

 そして、その姿を見て飛び出すマリカ。

 

「らな~っ!」

 

 てててっ、と駆け寄って無事にラナの元へと到着。

 そして、

 

「あいっ」

 

 手に持っていた画用紙をマリカは渡す。

 

「これは……」

 

 ラナの眼が見開かれる。

 そこに描かれているもの。

 赤ん坊らしく、誰が誰とはっきり分かるようではないが、それでも理解できる。

 マリカを抱っこしているラナの姿と、家臣達が描かれていた。

 

「……どうも年寄りは涙腺が緩くなっていけませんね」

 

 思わぬプレゼントに目元を拭いながら、ラナはマリカを抱っこする。

 そしてもう一方では愛奈がバルトに花束を渡していた。

 

「えっとね、バルトさんお花すきだからプレゼントなの」

 

 数種類の花が綺麗に纏めてある。

 

「これをアイナお嬢様が?」

 

「おにいちゃんとおねえちゃんにおしえてもらったの」

 

 嬉しそうに答える愛奈。

 

「ありがとうございます。大事に活けさせていただきますね」

 

 だからバルトも同じように笑みを零した。

 

 

 

 

 

 

 

 そして全てが終わる。

 家臣達は最後の最後に渡されたプレゼントに未だ、動揺を隠せない。

 

「……我々、とんでもない代物をプレゼントされてしまいましたね」

 

「目の前で大精霊八体を召喚されると……さすがに壮大でした」

 

 優斗がさらっとやってのけたこと。

 大精霊の加護を与えた装飾品のプレゼント。

 しかも実演。

 こんなことをしていいのかと誰もが思ったが、

 

「精霊って案外、ノリが良いんですよ」

 

 と、斜め上の反応された。

 

「タクヤさんは今後も私のライバルになりそうですね」

 

 コックのロスカは未だ全貌が見えないタクヤの実力に感嘆し、さらに闘志を燃やす。

 あの異世界料理は美味しかった。

 特に天ぷらというものは、まさしく絶品。

 今度作り方を教えてもらおうと心に誓う。

 

「ラナさんとバルトさんも大喜びでしたね」

 

「家政婦長、おそらく額縁に飾りますよ」

 

「バルトさんは花瓶から選んでそうですね」

 

 意気揚々と部屋に戻っていった二人だ。

 家臣達の予想はおそらく、外れていないだろう。

 

 

       ◇      ◇

 

 

「というわけで、お疲れ」

 

 コップを合わせて打ち上げをする優斗達。

 

「まあ、楽しんでもらえたようでよかったよ」

 

 卓也が安心したように息を吐き、

 

「だわな。やってよかったんじゃね?」

 

「ああ」

 

 修と和泉がやったことに意義があったと感じて、飲み物を呷る。

 そして、ずっと気になっていたことを修は彼女に訊く。

 

「つーか、なんでアリーはメイドの格好してんの?」

 

「着てみたかったのですわ。似合っていませんか?」

 

 立って服を広げてみるアリー。

 修的には似合ってるか似合ってないかと問われれば、

 

「……いや、まあ……似合ってるからいいんじゃね?」

 

 似合ってるに一票だ。

 しかも普段と違った姿で、それもギャップがあって良い。

 けれど珍しく、修の声が小さかった。

 聞き取れる声ではあったが、アリーはもっとはっきり聞きたい。

 

「修様? 今、なんと仰いました? 声が小さいですわ」

 

「う、嘘付け! 聞こえてたろ!」

 

 ラブコメチックなやり取りをする修とアリー。

 優斗と卓也、和泉は顔を見合わせ、

 

「暖簾に腕押し状態から変わったね」

 

「アリーがイケイケになってるな」

 

「何かあったんだろう」

 

 とりあえず状況が段々と進んでいることに安堵した。

 それと同時に、とある所から寝息が聞こえ始める。

 全員で寝息の発生源を見てみると、愛奈がソファーでぽてっと横になって寝ていた。

 

「今日は頑張ったもんね、愛奈は」

 

 優斗が優しく笑って起こさないよう抱え上げる。

 

「フィオナ、ドア開けるのお願い」

 

「はい」

 

 頷いたフィオナと一緒に、愛奈を起こさないようゆっくりと部屋へ向かう。

 そして暗い部屋の中を器用に進み、静かにベッドに下ろした。

 眠っているのに満足そうな表情の妹に掛け布団を掛け、ドアを閉める間際に顔を見合わせて告げる。

 

「おやすみ、愛奈」

 

「おやすみなさい、あーちゃん」

 

 きっと今日は幸せな夢を見ていることだろう。



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