第136話 only brave:跳ね返る言葉

 

 昔々、お互いを好いていた男女がいた。

 どちらも良い出自を持っているわけではなかったが、女のほうは栗色の髪を靡かせ見目麗しい姿をしていた。

 そんな二人は幼い頃からずっと一緒で。

 兄弟のように育ち、友達のように遊び、恋人のように寄り添って。

 二人とも口にはしなかったが、いずれは結婚すると朧気ながら考えていた。

 それが嫌だなんて思っていなかった。

 

 

 けれど、ある日。

 二人の関係は唐突に終わりを告げる。

 

 “大魔法士の許嫁”に女が選ばれた。

 

 前々から彼らの住んでいる場所にある、特別な制度。

 未婚の女性が選ばれる“大魔法士の許嫁”。

 その期間は5年間であり、その間に大魔法士が現れずとも貴族が娶る。

 貴族である者が選ばれた場合は、さらなる上位の爵位を持つ者と婚姻を結べる。

 人によっては成り上がり、人によっては玉の輿に乗れる。

 そういった制度。

 選ばれるのは光栄であり、決して悪い噂など存在しない。

 何よりも“大魔法士の許嫁”という、お伽噺に触れられる光栄な機会。

 領地にいる女性にとっては憧れの立場。

 だが、今回選ばれた女にとっては決して嬉しいものではなかった。

 確かに男とはまだ、付き合っていない。

 周りは囃し立てた。

 

 素晴らしい、と。

 

 光栄なことだ、と。

 

 押されるがままに女は“大魔法士の許嫁”となった。

 過去、断った者がいないというのも理由の一つだろう。

 

「…………」

 

 馬車に乗り、これから5年間過ごす場所へと向かう。

 女は俯きながら、本当にこれで良かったのかと自問自答した。

 

「…………」

 

 カタン、と車輪が回って馬車が動き始める。

 その時だ。

 

「オレが大魔法士になってみせる!」

 

 男が走ってやって来ては、去って行く馬車に叫んだ。

 声にハっとして女は振り向く。

 男は剣を持ち、誓うように天に掲げた。

 

「絶対に迎えに行くから!」

 

 こくん、と女が遠目でもはっきり分かるように頷いた。

 それは男が女に送った、最初で最後の告白。

 

 

 

 

 

 

 男はがむしゃらに戦った。

 実力を上げ、立場を確立し『大魔法士』の名を得る為に。

 何年も戦いに明け暮れる日々を過ごし、他の誰もが認めるほどの剛の者へと育った。

 世界の中でも最高峰の領域に至った。

 誰もが彼のことを呼ぶ。

 

 男は『天下無双』だと。

 

 違う! と叫びたかった。

 自分が欲した名はそうじゃない。

『大魔法士』なのだと。

 けれど誰も認めはしない。

 どれほどの実力があろうとも、どれほど強かろうとも、男は『大魔法士』になり得ない。

 なぜなら、ただ『強い』だけの存在だから。

 求めた『名』に必要なものを兼ね備えていなかった。

 

 

 

 

 そして5年が経ち、新たな“大魔法士の許嫁”が選ばれる。

 数ヶ月して、男の耳に女がとある貴族の妻になったと入ってきた。

 男はぐっと唇を噛みしめる。

 

「…………っ!」

 

 届かなかった。

 自分が伸ばした手は、求めた名は、どうしようもなく遠かった。

 そんな男に残ったのは、女の幸せを願うだけの日々。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 ただ、一人の為に求めた『名』があった。

 誰よりも『大魔法士』になろうとした男――マルク・フォレスター。

 だからこそ自分は物言える、と。

 そう告げた。

 

「じいさん。訊いていいか?」

 

 修が口を開く。

 言いたいことは分かった。

 目の前にいる老人が『天下無双』たりえる理由も分かった。

 それでも、だ。

 納得いかない。

 

「あんたがパラケルススと契約してれば、それで終わる話だったはずだ。どうして自分が出来なかったことをあいつに押しつけようとすんだよ。物言える立場なんて、あんた主観での話だろ」

 

 自分がなれなかった。

 ただそれだけの話。

 優斗に押しつけようなど、押しつけがましいにも程がある。

 

「精霊術を使えない儂がパラケルススと契約出来るとでも思っているのか!?」

 

 でも、マルクとて容易に肯定できるわけもない。

 自分が精霊術を使えないことなど分かりきっているが故に、別の方法を考えた。

 

「儂は……精霊術を使えずとも最強になろうとしたっ!」

 

 パラケルススと契約せずとも『最強』と呼ばれるように。

 大魔法士の二つ名を得られるように頑張っていた。

 

「……けれど誰も認めはしない。神話魔法だけでは駄目だ。パラケルススとの契約がなければ…………大魔法士とは呼ばれない」

 

 天下無双と呼ばれても、大魔法士とはなれない。

 

「なればこそ儂には言う権利があるはずだ! 目指した者だからこそ! 大魔法士になれず、好いた相手を奪われたからこそ!」

 

 口出しして何が悪いというのだろうか。

 

「だから言っているのだ! リーリアは“大魔法士の許嫁”であり、それは世界の定め! 故に結婚しろ、と!」

 

 自分は『大魔法士』という存在によって相手と引き裂かれた。

 そして今の世に本物がいるのならば、一緒になることこそが道理。

 彼はそう言っているように見える。

 しかし、だ。

 アリーにはそれが酷く惨めに映った。

 

「わたくしには、自分が歩んだ人生は苦しいものだから彼にも苦しんでもらう、と。そう聞こえます」

 

 子供の論法だ。

 自分が駄目だったからこそ、相手にも駄目になってもらう。

 そうとしか聞こえない。

 しかし天下無双はさらに言葉を返す。

 

「リーリアとの結婚が苦しみだと!? ずいぶんと甘えた存在のようだな、貴様らの言う大魔法士というものは!! 苦しみも何も味わったことがない……まるでガキのようだ!!」

 

 同じく挑発するかのような言い草。

 けれど言った後、マルクは僅かに『しまった』と言った表情をさせた。

 彼の態度は好ましいものではないが、それでも酷すぎると思われるほどの一線は未だ越えていない。

 だが今、マルクはあまりにも傍若無人な言葉を使った。

 今代の大魔法士の人間性を貶す発言をした。

 

「貴様、言葉が過ぎるぞ!」

 

 しかし失言だったとしてもマルクは“言ってはなならないこと”を言った。

 レイナと副長は剣に手を伸ばしかけ、

 

「二人とも抑えろ」

 

 フェイルが制した。

 

「しかし!!」

 

 半ば抜きかけの剣を抜こうとするレイナ。

 だがフェイルは首を振る。

 

「レイナ、仲間ならば分かるだろう。今、一番誰が怒っているのかを」

 

「…………誰が……?」

 

 そう言われてハっとしたレイナは前にいる二人を見る。

 

「…………」

 

 圧倒するような威圧ではなく、身体の芯を震わせる殺気ではない。

 優斗のように分かりやすいようなものではない。

 

「…………」

 

 けれど理解することは出来る。

 アリーの隣に座っている彼から、今まで感じたこともない怒気が溢れていることを。

 

「おい、ジジイ」

 

 修は振り絞るかのように声を出す。

 

「今のはうっかり言っただけなんだろうけどな、それでも同じことを言ってやる」

 

 普段の脳天気な姿はどこにもない。

 怒りを隠そうともしない声音が部屋を支配する。

 

「テメーがあいつの何を知ってやがる」

 

 宮川優斗の何を知っていて、今の言葉を言い放ったというのか。

 

「何も知らないジジイがほざくんじゃねぇ」

 

 誰が甘えているだと。

 誰が苦しみも何も味わったことがないだと。

 

「ふざけてんじゃねーよ」

 

 あいつがどれだけ普通の幸せを希ったと思っている。

 どれだけ悪意を浴びた生き方をしていると思っている。

 どれだけ憎悪に満ちた過去を持っていると思っている。

 それでも『優しく在りたい』と願った優斗が、甘えているなんて勘違い甚だしい。

『強く在りたい』と思った優斗が、苦しんでいないなんて馬鹿にしている。

 

「……小僧。どういう意味だ」

 

「どうして俺らが赤の他人にあいつのことを言う必要があんだよ」

 

 口にすることなんて出来るわけもない。

 

「他人のあんたにペラペラ喋っていいほど、あいつは楽な人生歩んでない」

 

 怒りの発散場所が分からずに、強く強く握りしめた右手。

 それを上から優しく包む手があった。

 

「落ち着いてください、シュウ様」

 

 彼の憤りを静めるかのような凛とした声が響く。

 

「……アリー」

 

「わたくしに任せてください」

 

 彼女は修に一度、笑みを浮かべるとマルクに向き直る。

 

「彼は天下無双が届かなかった頂に辿り着いた者。それで答えは出ていると思いますわ」

 

 浮かべるは冷酷にして挑発的な笑み。

 まるで大魔法士を彷彿させるかのような態度。

 

「そして問いかけましょう。天下無双――マルク・フォレスター」

 

 性格的に一番近しいものを持っているのは優斗とアリー。

 特に冷徹という点では何も劣るところはない。

 

「貴方も覚悟していたのですね?」

 

 故に、この問いを投げかけよう。

 

「……何をだ」

 

 苦虫を潰したかのような表情で聞き返すマルクに、アリーは容赦なく突きつける。

 

「好いていた女性を奪われた……。そう言っても過言でもないでしょうが、つまるところ貴方は自身が大魔法士になった場合、好いていた女性以外を宛がわれても受け入れる。そう仰っているのですね? その者が“大魔法士の許嫁”であった場合は」

 

 本人を考えず『大魔法士』という記号だけで寄ってきたとしても、相手を受け入れる。

 そう彼は言っているに等しい。

 

「大した純愛譚ですこと」

 

 アリーは吐き捨てるように告げる。

 

「は、反論になっていない! 王女が今し方、言ったことだろう! 儂が求めた女性は――」

 

「貴方達ですでに6人目です。大魔法士の許嫁と言って、この国に来た方々は」

 

 マルクの言葉を遮り、アリーは告げた。

 もう何人もの“大魔法士の許嫁”がリライトにはやって来ている。

 

「大抵は位の高い令嬢を連れてきて、言いましたわ。大魔法士の許嫁だと」

 

 だからこそ自分が大魔法士に相応しい、と。

 

「もちろん今までの国は論ずるに値しない存在でした」

 

 僅かでも突けばすぐにボロが出る。

 まともに席へ着く必要もなかった。

 

「けれど彼女は少々、毛並みが違います。それは天下無双、貴方の態度からも分かることですわ」

 

 相手としてはあまりにも低い爵位。

 それはアリーが違和感さえ覚えるほどに。

 

「知らせなくやって来たことに加えて、天下無双の傍若無人とさえ思える行動。ただの横柄な人間かとも思いましたが……違いますわね」

 

 先程の表情で分かることがある。

 目の前の老人は少なくとも、一般常識は持っている。

 ならば、だ。

 

「いくら“大魔法士の許嫁”とはいえ、初対面の時から悪印象を与えるとしか思えない行動を『どうして取っているのか』と考えるべきでしたわ」

 

 アリーの中では幾つかの候補が挙げられる。

 そのうち一番大きな理由として考えたのは、

 

「大魔法士がいると知ったのは、ごく最近のことですわね?」

 

 偶然にしろ、何にしろ。

 どこからか漏れた話が天下無双の耳に届いた。

 だからこそ慌ててやって来たのだろう。

 

「とはいえ残念ながらどの国、どの相手であろうと偽物ですわ。大魔法士マティスは女性であるのですから」

 

 “女性の許嫁”など存在するわけがない。

 

「……なっ!? 女……だと……?」

 

 驚愕の事実にうろたえるマルクだが、アリーはさらに続ける。

 

「これはパラケルススから実際に聞いたこと。間違いありませんわ」

 

 ということは、だ。

 

「結論として女性であるならば『どの国であろうとも偽物』である大魔法士の許嫁。それを一人許すということは、他の偽りさえも認めるということ。要するに……」

 

 今、彼が優斗に強要しようとしていることは、そのまま自身に返ってくる。

 

「貴方が仮に大魔法士になった場合、他にも現れるであろう“大魔法士の許嫁”も許容したということ」

 

 それが“世界の定め”なのだから。

 

「ち、違う! 儂は……」

 

「何を必死に否定する必要があるのですか、天下無双。貴方が強要していることはつまり、そういうこと。貴方自身が発した言葉に対し、鏡となって返ってきたところで狼狽える必要も否定することもありませんわよね?」

 

 あれほど言うのならば元々、覚悟していたのだろうから。

 でなければ言う権利も何も有りはしない。

 

「そして世界の定めと仰いましたが、こちらも同様に言わせていただければ大魔法士と彼の妻が共にいることこそ『運命』ですわ」

 

 互いの唯一。

 ただ一人、愛して愛される。

 

「定めというのならば、大魔法士が彼女と出会う前に出会えばよかった」

 

 フィオナと出会う前に出会っていたはずだ。

 優斗の性格からすれば、そうであるべきことこそ“世界の定め”というものだろう。

 

「さらに仮定の話でもしましょう」

 

 もしも、という話をするならば。

 アリーはちらりとリーリアを見る。

 

「無理を通して彼女と結婚したとして、引き替えに貴方達の故郷は確実に滅びます。少なくとも世界の半分も滅亡になるかと。その覚悟を持っているのですか?」

 

 淡々と事実を述べるアリー。

 

「……な、なぜそうなる!?」

 

 しかしマルクには理解できない。

 それも当然といえば当然。

 宮川優斗のことを知らないのだから。

 

「不可思議なことを言いますわね。でしたら訊きますが、なぜそうならないと思ったのかを教えていただけませんか?」

 

 知っている者達にとっては分かりやすいくらいに分かりやすい結論。

 なれば『大魔法士を知っている』と言って、ここに来た彼らは理解して然るべき出来事。

 

「貴方は自身と同じことをするのでしょう? 最愛の者と引き裂く、ということを。ただ大魔法士は引き裂いた者を、国を、世界を壊す」

 

 狂気のままに。

 

「結婚をした、という結果は残るでしょう。ですが彼女は確実に殺されますわ」

 

 存在からして許されない。

 自分と最愛を引き裂く者など。

 

「大魔法士は仲間を――最愛を傷つける者を許しはしない。それが定めだと言うのならばねじ伏せる。そういう方ですわ」

 

 運命だろうと定めだろうとねじ伏せてみせる。

 けれどマルクにはどうしても信じられない。

 

「馬鹿なっ! 女一人に狂う男が――」

 

「そんな奴が大魔法士なんだよ。たった一人、最愛の為に狂う馬鹿な男がな」

 

 けれど修が全肯定する。

 生みの親が親だからこそ求めた潔癖なまでの純愛。

 誰よりも幸せが欲しいと願ったからこそ、出会った運命の女性がいる。

 

「何よりも、だ」

 

 そんな彼を仲間だと、親友だと、兄弟だと思っているからこそ言ってやる。

 

「あいつがやっと手に入れた幸せを、あいつのことを大好きな俺らが崩させるとでも思ってんのか、あんたは」

 

 

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