第108話 咲き誇る華

 カイアスは従妹の表情や仕草を見て、昔のことを思い出す。

 

 

「ほらフィオナ。どうだい? 私の顔を彩る道化師の化粧は面白くないかい?」

 

「…………」

 

 

 これは駄目だった。

 

 

「はっはっはっ。この大道芸人は面白いね」

 

「…………」

 

 

 これも駄目だった。

 

 

「さあ、フィオナ! このボケに対して、突っ込んだりしないのかい?」

 

「…………」

 

 

 全て、駄目だった。

 笑わず、喋らず。

 何をしても無駄だった。

 人を寄せ付けない『華』は、まだ蕾のまま。

 

 きっと己では無理なのだろうと……察した。

 

 だから待っていた。

 いつ現れるのか、と。

 心待ちにしていた。

 あの『華』を開かせるのは誰なのか、と。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 夜になり、今夜の宿に向かう優斗達。

 さすがにあんなことがあれば、叔父夫妻の家に泊まることもない。

 そして部屋でまったりとしていると、カイアスがやって来た。

 優斗に話があると言って連れ出し、少し離れた公園のベンチで二人は座る。

 

「どういったご用件ですか?」

 

「それよりまず、敬語をやめてくれないかい? 来年には君と親戚になる。そういった相手に敬語を使われるのは苦手なんだ。私も君には親愛の情を持ってユウト君と呼ばせてもらうから」

 

 最初から既視感を感じるようなことを言われた。

 やっぱり親戚なんだな、と優斗は小さく笑う。

 

「分かったよ、カイアス」

 

 口調を普段に戻す。

 

「すまないね。弟は女性が皆、自分を好いてくれるものだと勘違いしているようだ」

 

「いいんじゃないかな。ここはリライトじゃない、コーラルだ。それにあれほど格好良いなら勘違いしても仕方ないよ。特に今の時期は色恋が楽しい時期だろうし、そういった意味ではこの国における青春を満喫してると思うよ」

 

 常識は場所によって違う。

 コーラルの恋愛事情がリライトと同じなわけがない。

 

「普段は良い子なんでしょ? 別にあれだって、別段下卑た感じはしなかったし」

 

 下心は満載だったけれど。

 

「ああ。ただちょっと、恋愛観と女性に対する認識が我々とずれているだけなんだよ」

 

 ある意味では優斗と同じかもしれない。

 恋愛観のズレがあるというのは。

 

「しかし、君は凄いと思うよ。あのフィオナと婚約者になったのだから」

 

 従兄としては本当に驚きだ。

 

「今のフィオナには、どれくらいでなったんだい?」

 

「出会ってから3ヶ月くらい……かな、たぶん」

 

「そうかい」

 

 優斗の返答に、カイアスは大きく頷く。

 

「フィオナのどこが切っ掛けで好きになったんだい?」

 

「……どこ?」

 

「男同士だ。別にスタイルや顔に惚れたと言っても私は非難しないから」

 

 とはいえ、本当にそうだとすると、彼女がそんなところから惚れる男を相手にするのか疑問はある。

 

「どこ……か」

 

 優斗は苦笑して、カイアスに話し始める。

 

「彼女はね、僕の“壁”を簡単に突破するんだよ」

 

「……壁、かい?」

 

「そう。今までどんな女性も防いできた壁を、易々と乗り越えてくる」

 

 ほぼ全ての女性を防いできた壁。

 ふざけた恋愛観を以て築いた壁を、まるで存在しないかのように乗り越える。

 

「ずるいんだよね。あんな真っ直ぐに僕を心配して、あれほど直向きに僕と向き合ってくれた」

 

 今でこそ安心してもらえるが、圧倒的な力を持っている優斗を「だからどうした」とばかりに心配し、本来の彼の姿を知った上でも支え、護り、癒そうとしてくれる。

 

「一途に宮川優斗を見てくれる彼女に惚れないわけがなかった」

 

 うん、と優斗は頷き、

 

「もちろん顔も性格もスタイルも、全て好みだよ。彼女は僕の100点だから」

 

 照れくさそうに笑った。

 カイアスもそんな彼を見て、優斗が心全てでフィオナに惚れていることを理解した。

 

「……そうかい」

 

 カイアスはまた、胸をなで下ろす。

 

「そんな君だから、なんだね」

 

 小さな笑みを零した。

 嬉しさを携え、喜びを交えた感情。

 どうしようもなく、ほっとした表情。

 優斗には見覚えがあった。

 

「カイアス」

 

「なんだい?」

 

「今の言葉もだけど……さっきのはどういう意味? 君は僕をフィオナの“何”だと思った?」

 

 優斗が問うたこと。

 それは先ほど、カイアスが口にした言葉。

『君が“そう”だったんだね』という、安堵に満ちた声音。

 まるで優斗が現れることを“待ち望んでいた”かのような台詞だ。

 

「ユウト君。意味というよりは、僕の考えにピッタリと当てはまってくれたが故の言葉だよ」

 

「当てはまった?」

 

「その通り」

 

 そう、彼は自分が考えていたような登場人物。

 自分の考えが間違えではなかったと証明できる男。

 

「これは昔からフィオナを見ているが故の感想だけどね……」

 

 そんな相手だからこそカイアスは、

 

「フィオナは不思議な子だった」

 

 自分が思っていたことを素直に口にした。

 

「……不思議、というのは?」

 

「誰とも口を利かず、ただ己の裡に籠もっている。あの二人が両親なのに、だ。不思議だとは思わなかったかい?」

 

「……確かに」

 

 言われて、優斗は妙に納得した。

 マルスとエリスが両親であるフィオナ。

 思えば、どうしてあんな性格だったのか分からない。

 

「17年、フィオナはあの性格だった。無口に無表情、あれほどの美貌を持ちながら誰もが近寄ることを諦める」

 

 マルスとエリスは自身の子供といえど、人それぞれということでフィオナの性格を尊重していた。

 しかし、

 

「私はね、かなり頑張ったほうだと思う」

 

 歳の近かったカイアスは諦められなかった。

 ずっとずっと、笑った顔はどれほど綺麗なものだろう、と。

 そう思っていた。

 

「道化のようなやり取りもね、フィオナの笑顔を見たかったからなんだ」

 

 会う度に笑顔を見れるよう馬鹿なことを行い、それで駄目だったら次はどうしよう、次はこうしてみよう。

 ただこれだけを従妹には思っていた。

 

「私の妻――当時の婚約者にも疑われるぐらい、会った時は必死だった」

 

 恋愛感情はない。

 けれど親愛の情はあった。

 そしてフィオナは美しかったからこそ、最愛の女性にも疑われた。

 疑われても尚、頑張った。

 

「しかし私はフィオナの心を開けなかった」

 

 無表情が溶けることはなく、無口なのが変わることもない。

 

「彼女は誰にも触れることを許さない棘がある一輪の華……いや、蕾だったんだろうね」

 

 そして、一つの結論に至った。

 

「同時に思ったものだよ。まるで華開かせる誰かを待っているのではないか、と」

 

 自分じゃない。

 他の誰か――待っている人がいる。

 だからこそフィオナはその美しさを潜めている。

 その身に無口と無表情という棘を纏い。

 運命の相手と出会うまで、無残に摘み取られないように。

 

「あの子が変わった姿を見て、私は確信したよ」

 

 カイアスは優斗を優しい表情で見る。

 

「フィオナは君を待っていたのだと」

 

 だからこそ言った。

『君が“そう”だったんだね』と。

 フィオナの運命の相手は君だったんだね、と。

 

「17年、蕾だった華が――咲いた。この目で見ることが出来た」

 

 出会ってわずか3ヶ月で彼が咲き誇らせた。

 

「仲間がいたおかげでもあるけどね」

 

「だとしても違わない。君がいるからこそ、だよ」

 

 仲間がいたとしても、仲間だけじゃ無理だ。

 フィオナ=アイン=トラスティの隣に宮川優斗がいたからこそ、フィオナはあれほどの美しさを魅せられる。

 魅せて尚、他の誰からも傷つけられないことを知っている。

 彼が隣にいるから大丈夫なのだと示している。

 

「“運命の相手”が現れたことに感謝しかない」

 

 フィオナが美しさを隠す必要がないほどの彼だからこそ、カイアスは“運命の相手”だと確信した。

 

「安心したよ」

 

 フィオナが苦笑している姿を見た。

 笑顔を見れた。

 それだけで嬉しかった。

 

「フィオナは本当に幸せだろうね。君が隣にいてくれて」

 

「そうだといいけどね」

 

 優斗は満天に輝く星空を眺めながら、呟く。

 

「なんだい? 自信がないのかい?」

 

「自信……というか、ふとした拍子に思ってしまうことがあるんだ」

 

 本当に時々、だけれど。

 一人でいる時に沸き上がる。

 

「……何をだい?」

 

「僕が貰った幸せをちゃんとフィオナに返せてるのかな、と」

 

 十全に返せているのか、不安になる時がある。

 

「僕の立場が彼女を不安に追いやったことが、一度だけある。それは僕がちゃんと幸せにしていないんじゃないか、と思ったんだ」

 

 ミラージュに国賓待遇された時、「遠くにいる」――そうフィオナが感じた。

 

「公爵の長女が伴侶であるということは不安かい?」

 

「……ん? ああ、いや、そうじゃないよ。対外的には僕の方が上だから」

 

 勘違いしているカイアスに軽く手を振る。

 

「ふむ。父と母もそう言っていたが……何故か、と訊いてもいいかい?」

 

 問いかけるカイアスに対し、優斗は首肯する。

 

「大魔法士。それが僕の二つ名だよ」

 

「……そうかい」

 

 届いた名に対し、カイアスは一つ頷いただけだった。

 

「驚かないとは凄いね。大抵は嘘だと思うか驚くものなんだけど」

 

 事の次第を知らない人に最初から信じられたことなどない。

 

「私は従妹を軽んじてはいなくてね、大魔法士なら納得させられる」

 

 あくまでカイアス的には、だ。

 世間一般では違う。

 確かに立場的には優斗が上であり不安になるというのは、仕方の無いことだとカイアスは思う。

 お伽噺で大魔法士の相手は姫だと決まっている。

 それが基本なのは、姫であることが対等条件だからだ。

 けれどフィオナは公爵の娘。

 遠くに感じる時があるのだろう。

 

「とはいえ」

 

 それがフィオナにとって『幸せじゃない』というわけではない。

 優斗が十全に伝えられていない、などと思うことでもない。

 誰にでもあることだ。

『今の幸せを手放したくない』という願い故の恐怖。

 だからこそ、フィオナは相手と自分が一番釣り合わない部分を大きく取り上げてしまう。

 彼の不安も裏返して言えば「もっと幸せにしてあげられるんじゃないか」という願い。

 自身が幸せをしっかりと与えられる存在だと思っていないからこそ、出てくる不安。

 

「ユウト君、安心していいんだよ」

 

 なればこそ届けたい。

 

「私が――いや、幼い頃からフィオナを見知っている人物は誰もが断言する」

 

 心からカイアスは思う。

 この一言で彼の不安がなくなってほしい、と。

 

「フィオナは今、幸せなのだよ」

 

 どうしようもないくらいに。

 彼女は幸せなんだ。

 

「幼い頃からフィオナを知っている私の言葉では、信用できないかい?」

 

 軽くウインクをして、おどけたカイアスに……優斗は笑った。

 

「信用はするよ。嫉妬もするけどね」

 

「ど、どうしてだい?」

 

 思わぬ言葉が出てきて、少しだけ焦るカイアス。

 しかし優斗も茶目っ気を出しながら、

 

「僕が過ごせなかった彼女の時間を僅かでも過ごした男性がいるということは、それだけで嫉妬対象」

 

「……なんだ、そういうことかい。焦らせないでくれよ、私は妻にもフィオナのことで嫉妬されているんだから、これで君にまで嫉妬されたら死んでしまうよ」

 

「ごめんごめん」

 

 優斗がからからと笑い、カイアスも釣られて笑う。

 

「しかし君が夫なら諸外国の王族に見初められても、問題はなさそうだ」

 

「まあ、確かに大丈夫だろうね。各国に書簡が回ってるから。フィオナに手を出したら国が消えると思え、という書簡が」

 

「……冗談かい?」

 

「いや、要約で言ったけど本当に通達は回ってるし、僕は本気でやる。フィオナに手を出したら国ごと消す」

 

 問答無用で。

 カイアスは本気で言っている優斗に呆れながらも、

 

「愛されすぎだな、私の従妹は」

 

 これほどまでにフィオナを想ってくれる優斗に感謝した。

 そして姿勢を正す。

 

「なあ、ユウト君」

 

「なに?」

 

 聞き返す優斗に、頭を下げる。

 

「フィオナを頼む」

 

 突然のお願いに優斗の目が軽く見開いた。

 けれどカイアスは頭を下げたまま、告げる。

 

「君がいてくれたからこそ咲き誇った華を、どうかずっと――咲かせてくれ」

 

 誓ってほしい。

 散らせることなく。

 枯れさせることなく。

 ずっと、フィオナを君の隣にいさせてほしい。

 

「お願い……できるかい?」

 

 きっと返ってくるのは、カイアスにとって分かりきった言葉。

 “運命の相手”は間違いなく、ちゃんと答えてくれると信じ切った問いかけ。

 

「……ありがとう、カイアス」

 

 だからこそ優斗は優しく微笑んで答える。

 

「僕の最愛を心配してくれて」

 

 本当に嬉しい。

 

「僕の最愛のために頑張ってくれて」

 

 感謝している。

 

「大丈夫だよ。彼女が僕の手を離さない限り、僕は彼女と共に歩むことを誓ってる」

 

 この手にあるものを手放すつもりはない。

 今はもう――手を離させるつもりもない。

 

「そして僕が誓いを違えることはない」

 

 自身に賭けて。

 

「……そうかい」

 

 また、彼がほっとした表情をさせた。

 

「というかカイアスは言い回しがいちいち詩的だね」

 

 フィオナを『華』だとか、何とか。

 

「貴族っぽいだろう?」

 

 ニヤリとしたカイアスの笑みに、優斗も苦笑した。

 

「違いない」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 二人で宿に戻ってくると、少しふくれていたフィオナがいる。

 

「……カイアス従兄様。優斗さんと何を喋ってらしたんですか?」

 

「ユウト君はフィオナのどこに惚れているのかな、と気になってね。いろいろと話を聞いていたんだ」

 

 カイアスが答える。

 けれどフィオナが思案するような仕草を見せた。

 特に問題のある言い方ではなかったはずだが、どうしたのだろうか。

 

「…………」

 

 するとフィオナは内容を吟味した後、

 

「……カイアス従兄様。優斗さんを盗ったら大精霊を使って襲撃しますからね」

 

 トンチンカンなことを言った。

 どうやらフィオナの中で“どこに”惚れた、ということを知ろうとしたのは、その部分を磨いて優斗をフィオナから奪う、といった考えにたどり着いたらしい。

 男同士なのに。

 

「これはフィオナのボケなのかい?」

 

「ある意味、天然なんだよね」

 

 優斗とマリカのことについては、だが。

 カイアスは新たな一面を見せる従妹の姿を微笑ましく見ると、

 

「まあ、いいか。先ほどの話を証明してあげよう」

 

 あることを彼女に問いかけた。

 

「フィオナ」

 

「……なんですか?」

 

 む~、としているフィオナに一つ、訊く。

 

「フィオナは今、幸せかい?」

 

 突然の質問に思わず目をぱちくりさせるフィオナ。

 けれどすぐに笑みを零すと、

 

「当たり前です」

 

 大きく頷いた。

 幸せじゃないはずがない。

 

「だって私の隣には――優斗さんがいるんですから」

 

 そして自然と浮かび上がる、華のような美しい笑顔。

 思わず眩しそうにカイアスが目を細めた。

 

「それなら、よかった」

 

 カイアスがずっと望んでいた表情。

 自分じゃ駄目で、他の誰かでも駄目。

 宮川優斗がいたからこそ、咲いた笑顔。

 

「私の考えは間違えじゃなかった」

 

 思わず、笑ってしまう。

 

「だから初めて、言わせてもらうよ」

 

 今日、初めて見たからこそ。

 フィオナを変えた優斗に感謝をして、変わったフィオナに感謝をして。

 思いの丈を声にさせてもらおう。

 

「やっぱりフィオナは笑顔が一番、似合うね」

 

 

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