第80話 届いた約束

 洞窟の中を駈ける。

 曲がりくねる道を走り抜け、奥を目指す。

 本来ならば何体かは魔物が襲ってくるのだが……来ない。

 おかげで静かな洞窟内、駆け抜ける音しか聞こえなかった。

 明らかにおかしい。

 ニアは先頭を走りながら思う。

 前回は入ってからすぐに襲われた。

 なのに今回は、と。

 

「…………」

 

 もちろん、来ない理由は分かる。

 後ろにいる優斗に気圧されているからだろう。

 人間の自分ですらそうならば、魔物はもっと敏感に感じているはず。

 ダンディも同じ感想を抱いた。

 

「ユウト殿、焦るな」

 

「分かってる」

 

 気が立っている優斗に魔物が恐れているのだろう。

 証拠に敬語以外も混じり始めた。

 彼が焦っているのがよく分かる。

 その時、地が揺れ振動が洞窟内を響かせながら音を成して耳に届いた。

 違和感と同時、気付く。

 

「――ッ! いたぞ!」

 

 曲がりくねった道がちょうど直線に開けた所。

 およそ50メートル先に愛奈の姿を3人が捉えた。

 愛奈は左側にある分かれ道の一つに向かって走っているが……転んだ。

 彼女の後ろには全長10メートルはあろう巨大な亀。

 

『――――ッッ!!』

 

 亀が吠えた。

 右前足を上げ、愛奈へと襲いかかる。

 

「…………駄目だっ!」

 

 ニアはもう、間に合わないと思った。

 

「――ユウト殿っ!」

 

 ダンディは一縷の望みを託した。

 そして優斗は、

 

「――シルフッ!」

 

 左手を振りかざし、風の大精霊に護るよう指示して……叫ぶ!

 

 

「愛奈っ!!」

 

 

 名を呼ぶと、あの子の視線が優斗達を向いた。

 

「…………おにー……ちゃん……」

 

 優斗の姿を認める。

 距離はもう、あと少し。

 全力で走る。

 亀は踏み降ろそうとしている右前足を上げたまま止まっている。

 シルフが風の障壁を張り、さらに拘束していた。

 優斗は愛奈の無事を確認すると続けて詠唱する。

 

「求めるは風切、神の息吹」

 

 シルフに動きを止められている亀に、零距離からぶち当てる。

 

「邪魔だっ!」

 

 吹き飛ばしながらひっくり返し、巣であろう横道に叩き込む。

 頑丈というだけあって、轟音を響かせながらも洞窟が崩れることはなかった。

 優斗は亀が出てこれなくなるのを確認してから、愛奈の前でしゃがみ込む。

 

「だいじょうぶ?」

 

 始めて会ったときと同じ言葉と上着をかける。

 その時は何も反応しなかった愛奈だが、今回はこくりと頷いた。

 遅れてダンディとニアも駆け寄る。

 

「さすがだのう、ユウト殿」

 

「…………」

 

 ダンディは賞賛し、ニアは何と言っていいか分からずに黙する。

 

「ほれ、娘っ子。怪我を治してやるぞ」

 

 右手を愛奈に掲げ、ダンディが治療し始める。

 大きな怪我は膝小僧の擦り剥けだけだったので、僅か10秒ほどで傷が塞がっていく。

 ついでとばかりに全身の青痣までも消し去り、ダンディは満足げに頷いた。

 優斗は完治した愛奈の頭に手を乗せる。

 

「よく頑張ったね」

 

 魔物から逃げて、必死に生きようとしていた。

 何もかもを諦めていた愛奈の変化が嬉しい。

 良い子良い子と撫でる。

 笑みを零す優斗に愛奈は、

 

「…………やくそく」

 

 ぽつり、と言った。

 

「…………やくそく……したの……」

 

 頭を撫でている手を取って、優斗の小指に自分の小指を絡ませる。

 

「……がんばるって……やくそくしたの」

 

 助けてくれるって言ってくれたから。

 頑張ったら助けてくれるって。

 痛いって言ったら助けてくれるって。

 

「……そうなんだ」

 

 右手の小指に絡んでいる小さな小指。

 

「約束……してくれたんだ」

 

 小指が感じる、確かな感触。

 肩をポン、とダンディが叩く。

 

「届いてたのう、ユウト殿」

 

「はい」

 

 届いてた。

 優斗の願いはちゃんと、愛奈に届いていた。

 

「1じかん、がんばったら……あのひと、ばいばいをかんがえてくれるって……いったの」

 

「うん」

 

「…………だから……」

 

「頑張ってくれたんだね」

 

 こくん、と愛奈が頷く。

 

「……あいな……がんばったの……。すっごく…………がんばったの」

 

 もう嫌だったから。

 あんな辛い日々は嫌だったから。

 

「……だから……」

 

 優斗にぎゅっと抱きつく。

 

「だから……」

 

 震える声で、震える身体で。

 

「だから……っ」

 

 願っていることを優斗に届ける。

 

「……たすけて……っ!」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 勝負が始まって15分。

 優斗達がいなくなってから20分。

 今のところ、副長達は揃って耐えていた。

 200人いるとはいえ、相手は長期戦を狙ってきたのも幸いする。

 少人数での襲撃を繰り返し行い、じわじわと削っていたぶるつもりだろう。

 数で圧倒しているのだから焦る必要はない。

 

「まだまだっ!」

 

 正樹は聖剣を構え、襲ってくる魔法を防ぐ。

 時間差で飛び込んでくる相手を迎撃しようとするが、斬りかかったところを防いだ瞬間に引かれた。

 全員が同じ行動をするのだから、倒せた人数も両手で数えられるほどしか倒せていない。

 けれど、それでいい。

 無闇に飛び込む必要性はない。

 倒れてしまっては元も子もないのだから。

 

「ジュリア、ミル! いける!?」

 

 正樹の問いかけに女性陣は頷く。

 息は荒くなっているし防ぎきれなかった魔法を喰らって怪我だって負っている。

 だが、まだ耐えられる。

 

「あと少し、頑張るんだ! 絶対にニア達が戻ってくるから!」

 

 

 

 

 

 

 

 副長達も同じような状況ではあったが、その中でもキリアの消耗が激しい。

 いくら副長やビスがフォローしようとも限度はある。

 さらには6人の中で圧倒的に劣る実力。

 故に怪我をしているところは誰よりも多い。

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 けれど眼光は鋭く、心は折れていない。

 元来の負けず嫌いと副長に『倒れることは許されない』と言われたこと。

 それが支えだった。

 

「求めるは風撃、割断の鼬!」

 

 剣で斬りかかってくる2人を吹き飛ばし、さらなる詠唱。

 

「求めるは水連――」

 

 けれど、隙を突かれる。

 視界の範囲外から唐突に敵が現れた。

 キリアは詠唱を……止めない。

 

「――ッ!」

 

 身体に鞭を打ちショートソードを抜く。

 敵の初撃を捌いた。

 

「――型無き烈波」

 

 目の前の敵に魔法を当て、さらに後方にいる敵にも数撃加える。

 

「負けるわけには……いかないのよ」

 

 いつかは自分も、と思っている『壁を越えている者』達の高みへ行くまで。

 さらには『化け物』と呼ばれている超越者の優斗を倒したいから。

 “今”の自分を一歩でも前へ進める。

 こんなところで負けていられない。

 

 ――それに。

 

 自分はこれから戻ってくる人物の弟子もどき。

 負けたら示しがつかない。

 だから負けない。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁっ!」

 

 副長は剣を振り抜き、また一人倒す。

 遅れて飛んでくる炎弾を切り裂き、幾数もの水球をただの飛沫に変える。

 

 ――持って、あと5分……といったところでしょうか。

 

 ちらりと横目で現状を確認する。

 ジャルは最後方でニヤついているだけ。

 副長と正樹が特攻したところでたどり着くのも難しい。

 さらには味方から離れた瞬間、味方は倒されて殺される可能性が大きい。

 今の状況が維持できているのは副長と正樹が味方から離れずにフォローしているからに他ならない。

 

 ――我慢です。

 

 副長と正樹はそこそこの怪我で済んでいるが他の消耗が激しい。

 特にキリアは気合いで立っているようなものだ。

 それでも耐える。

 待つ以外に勝つことはない。

 

 ――ユウト様……。

 

 待ち望む名を胸に刻む。

 初めて崇拝しようと思えた相手。

 恋慕でも嫉妬でもなく、ただただ尊敬できる存在。

 我が王以外に初めて剣を奉じられると思えた人物。

 

 ――ユウト様が何も言わずに向かわれたということは、私を信じてくださったということ。

 

 故に彼が戻るまで全員を守ることが自分の使命。

 

「どうしました!? その程度では永遠に私を倒せませんよ!!」

 

 さらに声を張った。

 彼女の挑発とも言えない挑発に乗った3人が副長に挑んでくる。

 これでいい。

 少しでも自分の下へと相手を引きつける。

 3人に襲われようと4人に魔法を撃たれようと5人に斬りかかられようと、全て対処してみせる。

 ぐっと握る剣に力を込めて、絶対に守りきろうと誓う。

 構え、振るい、薙ぎ、突き、防ぐ。

 倒した数はどうだろうか。

 5人? 10人? それとも20人はいっただろうか。

 分からない。

 斬った後のことまでは見ていない。

 でも、確認する意味はないのだから別にいい。

 

「……ふっ!」

 

 バカみたいに挑んできた3人を斬った。

 敵が倒れて後方にいる人垣が目に映る。

 珍しく……副長が笑みを浮かべた。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 先ほど通った市街を走る。

 愛奈はダンディの肩に乗っていて、頭に手を置いてしがみついている。

 

「ユウト殿、このまま行くのか?」

 

「はい。さっきの訓練場まで戻ります。副長は僕達が戻るのを待ってますから」

 

「娘っ子も連れてか?」

 

「愛奈が頑張った結果をジャルに叩き付けないといけませんし、現状で僕の側以上に安全な場所なんてありませんよ」

 

 優斗の断言にダンディは小さく笑みを零す。

 

「当然だのう」

 

 万が一でも危険なことにはならない。

 彼の『力』を持ってすれば。

 

「そろそろですね」

 

 遠目に訓練場が見えてくる。

 魔法が飛び交い、剣戟の音が聞こえてきた。

 まだ戦っている。

 優斗もダンディもニアも少しだけ安堵する。

 

「どうするのだ?」

 

「いったん止めます」

 

「止める、とは?」

 

「闘いそのものを、です」

 

 少しだけ優斗が前に出た。

 そして紡ぐ。

 

『求めるは風雷、轟乱の嵐』

 

 

       ◇      ◇

 

 

 余裕を表わした笑みじゃない。

 見えたからだ。

 人垣の僅かな隙間から見えた姿。

 

「これほどの早さとは、さすがです」

 

 副長は一人、呟く。

 誰よりも早く気付いた。

 勝負が始まってから18分。

 優斗達がいなくなってから23分。

 誰も倒れず、誰も死んでいない。

 自分は彼の信頼に応えられたのだと思う。

 

「よくお戻りになられました」

 

 待ち人は来た。

 

 

『求めるは風雷、轟乱の嵐』

 

 

 まるで人垣を切り開くかのように突如現れた雷と嵐。

 十数人をまとめて吹き飛ばし、副長達へと続く道を作る。

 正樹もキリアも気付いた。

 

「来たっ!」

 

「戻ってきた!?」

 

 思わず笑みが浮かび、士気が上がる。

 

「………………」

 

 同時、戦場が凪いだ。

 雷の轟きと豪風が終わった瞬間、さらに圧迫が敵を襲う。

 総じて動きが止まった。

 雷嵐によって開けた空間から四人の影が見える。

 誰しもが注目する最中、副長は問いかけた。

 

「貴方様は?」

 

 うやうやしく言葉を告げる副長。

 先頭を歩く影が答えた。

 

「ユウト=フィーア=ミヤガワ」

 

 優しげな笑みを携えて圧倒的な『力』を振るう。

 最強の不条理が戻ってきた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る