第79話 急転直下
たくさん、嫌なことがあった。
ずっとずっと、生きている意味が分からなかった。
母親から首を絞められ意識が薄らとしていくなかで、真っ白な光が見えたと思ったら別の場所にいた。
誰もいない、囲われた場所にいて助かったんじゃないかと……少しだけ思ったけれど。
やっぱり召喚される前も召喚された後も扱いは変わらない。
だから心を凍らせて、考えることをやめて、何も感じないようにしてきた。
でも。
でも、だ。
初めて頑張ろうと思った。
約束した。
指切りした。
「おら、早く来い」
「………………」
いつものように、鎖をジャルが引っ張る。
今まではされるがまま、引きずられていた。
けれど今は違う。
足を踏ん張って拒否した。
「おい、クソガキ。何のつもりだテメー」
脅すような声音。
でも、頑張る。
頑張るって約束した。
ぐっ、と怖いのを堪えて前を見る。
「……あいな……いたいのもう……いやなの」
だから。
刃向かおう。
立ち向かおう。
反論しよう。
願いを込めて言おう。
「……あいなとばいばい……してください……」
◇ ◇
食堂で朝食を取り終え、この後どうするのかを皆で考えようとしている時だった。
ジャルが食堂に入ってくる。
「……あの子がいない?」
けれど愛奈の姿が見えなかった。
副長が怪訝な顔をする。
ずっと連れ回していたのに、なぜか今日だけは姿がない。
「あの子はどうしました?」
嫌な予感がして副長が問う。
ジャルは嫌な笑みを浮かべた。
「知りたいか? だったら勝負しようぜ。受けるってなら教えてやるよ」
彼の提案に副長は顔をしかめる。
――こちらが乗ると分かっている誘い……ですね。
苦虫を潰したような表情をさせる副長とは別に、正樹は烈火のごとく猛る。
愛奈に“何か”をやったことは誰だって想像つく。
「勝負でも何でも受け入れてやる! あの子はどこだ!?」
正樹の宣言に、ジャルの笑みがさらに歪む。
「ついて来い」
ジャルに引きつられて建物に併設されている訓練場。
広大なスペースがあり、幾十人もの団体戦すらも可能な場所に……およそ200人。
待ち構えていた。
副長が先頭に立って会話する。
「五分後から勝負だ。うっかり死なねえように気を付けな」
「後ろにいるのは?」
返ってくる言葉は分かっている。
それでも一応、尋ねた。
「こいつらはオレの手下でな。国家交流は見聞を広げるのに丁度いい。教育に凝ってるオレとしては他国のお前らと勝負させてやろうと思ったんだよ。ってわけでオレらとお前らで勝負っつーことだ。まあ、受けたんだから今更文句ってのはなしだぜ?」
ニタニタと下卑た笑みを零すジャル。
副長は無視する。
「では話していただきましょうか。あの子はどこにいます?」
視線を鋭くしながら問いかける。
ジャルは嘲るように告げた。
「クソガキが生意気でな。魔物がいる北東の洞窟に放り込んだんだよ」
まさかの通告に優斗と副長以外、驚きの表情を呈する。
その中でも正樹は一番の驚愕。
「リスタルから北東の洞窟って……Aランクもいるところじゃないのか!?」
「ほう、よく知ってんじゃねぇか。まっ、これもオレなりの教育なんだが……さすがにAランクもいるからな。死ぬかもしれねぇし、助けに行ったほうがいいんじゃねぇか? 一昨日からさんざん、助けたいって言ってたんだしよ」
下卑た笑い声。
彼の手下であろう奴らも同様に笑った。
「……腐ったことを」
副長は吐き捨てる。
けれどすぐに振り向いた。
「ユウト様、マイティー様。行ってください。お二人なら助けられます」
副長の言葉に優斗とダンディは一つ、頷く。
そして駈けだした。
さらに正樹も、
「ニア、君も一緒に行ってくれ!」
「なっ!? マサキ!?」
自分の名前が呼ばれたことに驚くニア。
「ボクと君は洞窟に行ったことがあるだろ!」
前に旅をしていた時、正樹とニアは洞窟に入ったことがある。
「迷わず場所の説明が出来る!」
いち早く助けたい。
けれど自分が行ってしまったら、この場に残る戦力が衰える。
副長が優斗とダンディを行かせたことから、あの二人だけで魔物は大丈夫なのだろう。
だからこそニアを指名する。
なのに彼女は正樹の考えを理解してくれない。
「でも、こっちの人数が……。それにミヤガワと一緒に行くなんて嫌だ! マサキと一緒がいい!」
この一大事でふざけた台詞。
「だったらあの子に『死ね』って言うのか!?」
思わず正樹から怒鳴り声が出た。
「優斗くんが嫌いなら嫌いでいい。でも……だからといって子供の命を見捨てるような真似はしないでくれ!」
そんなのはもう、フィンドの勇者の仲間じゃない。
ニアは慌てて反論する。
「ち、違う! 私は『勇者を否定する存在』をマサキが欲しいって言うから……っ!」
「ボクが望んだ『勇者を否定する存在』って、そういうことじゃない!」
正樹が望んでいるのは『フィンドの勇者』を正しくいさせてくれるために『否定してくれる』こと。
何が何でも否定すればいいってことじゃない。
そして正樹が望んだ存在は“今のような仲間”には無理なこと。
だからこそ優斗を欲した。
「君には君で別の役割があるんだよ!」
本当にバカなことをしていると正樹は思う。
他人から見れば、なんてくだらないだろうと思われているはず。
でも、自分が間違えて伝えてしまった。
優斗にも迷惑を掛けてしまった。
本当に今更だけど、これ以上周りに迷惑を掛けたくない。
「だから頼むよ、ニア! 優斗くんと一緒に行って!」
本気の懇願。
ニアは彼の表情を見て……優斗達を追った。
正樹は一安心する。
これで少なくとも、考え得る限り最速で愛奈にたどり着ける。
「テメーらのうち、片方が行くと踏んだんだがな。ガキ三人で行かせるなんて正気か?」
ジャルが嘲笑する。
けれど副長は意に介さない。
「何も問題ありません」
道案内はニアがいる。
もし愛奈が深い傷を負っていても、高位の治療魔法を使えるダンディ。
魔物には優斗。
愛奈を助けるにあたって、最強の人選だ。
「しかし……200対6ですか。それほど我々が怖いなんて6将魔法士ともあろう者が笑えますね」
だんだんと副長達を囲むように彼らは動いてくる。
逃がすつもりはない、という意思表示だろう。
「リライト副長にフィンドの勇者。この二人をオレはそこまで過小評価してるわけじゃねぇぜ」
どっちかは消えると思っていたが、それでも残った場合のことを考慮して用意した200人だ。
「昨日、マイティーの王子様に『化け物の尾を踏みかけてる』なんて言われてな。そんでクソガキの件でどうせ、テメーらは動くだろ? なら踏むどころか踏み潰してやろうって思ったんだよ。ただ、踏みつぶすべき化け物はシルドラゴンを死闘の末、たった一人で倒したフィンドの勇者と弱冠22歳にして大国リライト、女性初の近衛騎士団副長。テメーらみたいな人外を相手にすんだ。やり過ぎて駄目ってこたぁねーだろ」
圧倒的に蹂躙するために必要な人数だ。
けれど副長は首を横に振る。
「6将魔法士、貴方は一つ勘違いをしていますね」
誰の尾を踏んでいるのか。
副長か?
違う。
正樹か?
違う。
「貴方が恐れるべきは私でもフィンドの勇者でもないのですよ」
ただ、それだけを告げて副長は振り返った。
副長が皆のところへ戻ってくると、ビスが声を掛ける。
「ずいぶんと急な展開ですね」
「この状況、ユウト様の言葉が届いたから起こった……と思っています」
愛奈が“生意気”なことをした。
あの子の様子を考えれば、本来ありえなかったはず。
なればこそ、届いていたと思いたい。
「私はあの子を最優先に助けるため、三人を向かわせました。結果、皆さんには苦労を強いてしまいますね」
「この状況で助けようと思わなかったらボクは『フィンドの勇者』失格だよ」
正樹の言葉に後ろの女性二人が頷く。
「我々がすべきことは分かりますか?」
副長の問いかけ。
答えたのはキリア。
「耐えること。ですよね?」
「その通りです、キリア・フィオーレ」
副長は頷く。
逆に正樹達は首を捻った。
「さすがに私とフィンドの勇者、二人がいたところで厳しいことは変わりません」
30倍以上もの人数を覆すことは難しい。
“普通”ならば。
「ですがユウト様達が戻れば、このふざけた勝負もあの子のことも全てが好転します」
常識で考えれば三人が戻ってきたところで好転するわけがない。
でも声音は副長が言っていることが真実であると疑わせない。
「信じていいんだね?」
「嘘は付きません」
断言する。
正樹は大きく頷いた。
「分かった。信じるよ」
そして彼が頷いたことで、後ろの女性達も従う。
副長は次いでキリア達を見た。
「キリア・フィオーレ。貴女は今、フィオナ様を除けばユウト様より一番の指導を受けている、いわば弟子のようなもの。だからこそ倒れることは許されません。成果を見せなさい」
「はいっ!」
「ビス、分かっていますね?」
「当然です」
部下として理解している。
「ならば誰一人欠けることなく、耐えきりましょう」
副長の言葉に全員で頷く。
「そして教えてあげましょう。6将魔法士如きでは未来永劫到達できない、本当の不条理というものを」
◇ ◇
走って市街を抜け草原に出る。
看板が見えて一旦、足を止めた。
洞窟の場所を記してある地図があるのだが、正確性はない。
優斗が苛立ちを覚える。
「マイティーさん、正確な場所は分かりますか?」
「悪いが知らん」
「看板もおおざっぱですね。とりあえず北東へ急ぎます。有名な洞窟だと思いますし、近付くにつれて場所の詳細は分かっていくでしょう」
多少ずれたとしても少々のタイムロスで済むはずだ。
「そうだのう」
頷きあい、すぐにでも走ろうとして……背後からの存在に気付く。
二人を追いかけていたニアだ。
彼女は優斗達を一瞥すると、
「……こっちだ」
先導するように走り出す。
「場所を知ってるのか?」
追いかけながら優斗が問う。
「…………」
けれどニアは答えない。
無視するように走る。
彼女の様子に優斗がさらに苛ついた。
「悪いけどな、お前の馬鹿なことに付き合ってる暇はないんだよ」
今、優斗に彼女を慮る余裕はない。
「もう一度だけ訊く。場所を知ってるんだな?」
答えない、という馬鹿なことは許さないとばかりの威圧。
「……っ!」
気圧されて……ニアが答えた。
「……知っている」
「この方向は洞窟まで直線か?」
「……そうだ」
「距離は?」
「……おおおそ4kmだ」
「分かった」
優斗は頷くと、
「二人とも、合図したらジャンプしろ」
ただ告げる。
命令口調にニアが何かを言おうとするが、優斗は無視して、
「3秒前からカウント。3……2……1……飛べっ!」
優斗の合図にダンディもニアも反射的にジャンプする。
瞬間、風が三人を包む。
思わずダンディとニアは走る動作をやめるが、身体は少しだけ浮いて加速していく。
おおよそ人間が出せる速度ではないほどに。
「ユウト殿、これはなんだ?」
「風の精霊に運ばせてます。急激に止まったり曲がれたりはしないので使うかどうか迷ったのですが、場所を知っている者がいるので使います」
優斗の説明に関心するダンディ。
魔法じゃこんなことは出来ない。
精霊だからこその利便性をこれでもか、というぐらいに使っていた。
「今のうちに最低限の情報は知っておいたほうがいいのう」
そして洞窟にたどり着くまでに生まれた僅かな時間を有効に活用する。
「洞窟の中はどうなっているのだ?」
「明かりはある。大きさも相当広いし上級魔法を使っても問題ないくらいに頑強だ。魔物はAランクからDランクまでいるのは知ってる。曲がりくねってはいるし、多少の分かれ道はあるが行き止まりで迷うことはない」
基本的には魔物の巣のようになっている。
「魔物の数は?」
「多くはないが、どこかで確実に出会うと思う」
「そうか……」
タメ口のニアを気にすることなくダンディが頷く。
「ユウト殿。突き進むにあたって気になるところはあるかの?」
「ありません」
洞窟が広くて明るく頑丈。
分かれ道はほぼ行き止まり。
それだけ知れれば十分。
「そろそろ着きます」
速度を緩めて両足が地に着く。
200メートルほど走ったところに洞窟はあった。
◇ ◇
連れてこられた時、ジャルは言った。
『1時間、そこにいろ。それで戻って来れたらバイバイすること考えてやるよ』
嫌な笑い声を発しながらジャルは去って行く姿。
凄く嫌な感じがした。
考えてやる、と言っておきながら嘘じゃないかという疑念が生まれる。
けれど愛奈は頭を振ってジャルの残滓をかき消す。
そして渡された時計を確認した。
「…………あと…………ちょっと」
愛奈は隅っこで魔物に見つからないようにしながら時間が経つのを待つ。
「……がんばるの」
そうすれば。
頑張れば自分は。
「――ッ!?」
カツン、と近くで物音がした。
振り返る。
「……っ!」
魔物がいた。
すごく大きい。
狙いを定められたのが分かる。
「……んっ!」
走った。
追ってきているのは振動で分かる。
「…………がん……ばる……」
時間まであとちょっと。
逃げて、時間を稼いで、洞窟を出て。
「……おにーちゃんに……いうの」
お風呂に入れてくれたお兄ちゃんに。
一緒のベッドで寝てくれたお兄ちゃんに。
『 』って。
言いたいから。
「……っ!」
必死に走る。
けれど、少しずつ魔物は近付いてくる。
さらにスピードを上げようとして、足に力を込めて、
「……あっ」
つま先に固い感触。
躓いた。
「……いっ……!」
倒れる。
固い岩肌に膝をすりむき、肘もすりむいた。
「……いた……くないの」
本当は痛みがある。
でも、こんなのは『痛い』うちに入らない。
すぐに起き上がろうとして、
『――――ッッ!!』
吠えられ、身体が一瞬だけ硬直する。
「…………あ……」
もう駄目だと思った。
殺されるのだと。
食べられるのだと。
そう思ってしまって。
思わず目を瞑りそうになった。
けれど。
「………………?」
ふわり、と。
洞窟の中で一陣の風が愛奈の頬を撫でる。
同時に聞こえてくるのは駆け寄る足音と、
「愛奈っ!!」
自分の名を呼ぶ声。
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