第67話 守るから

 一月の二週目。

 リステルで行われる週末のパーティーで、卓也はリルの婚約相手として堂々と名乗ることになる。

 パーティーに追随していくメンバーは優斗、フィオナ、クリス、クレア、ココ、そしてミラージュ聖国よりやってくるラグ。

 

「ユウト、少し質問があるのですが」

 

 学院からの帰り際、クリスが優斗に尋ねる。

 

「なに?」

 

「週末のパーティーのことです。自分はクレアが社交の場において公爵家長子の妻であるという立場を慣らすため行きますし、ココとラグは数少ない逢瀬の場です。けれどユウトが行くというのは少し驚いたのですが……」

 

 あまり向かう理由がないように思える。

 

「王様からの頼まれ事でね。護衛だよ」

 

「護衛?」

 

「前回行ったときにあったんだけど、卓也を殺そうとする奴がいないとも限らない。前回は偶々、卓也を殺そうとした奴の矛先が僕――というかマリカに移った。向こうも警戒しているだろうけど念のため、リステルに行ったことのある僕が護衛として行くことになったんだ」

 

 卓也とリルの婚姻は両国にとって重要なことであることは間違いない。

 かといって信用を置いているリステルに大人数の護衛を連れて行くことも憚られる。

 というわけで、最小で最大戦力の優斗が出番というわけだ。

 

「一応、パーティーには招待されてるしね」

 

 王様とリステル王が何かしら、したのだろう。

 ちゃんとした招待状を王様から持たされた。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 高速馬車二台がリステルに向かう。

 片方には卓也、リル、ココ、ラグが乗っている。

 けれどリルとラグの表情がやや、険しい。

 

「なんていうか、あれだな。半年ぐらい前までは一番一緒にいたのに、そいつが婚姻相手を連れてパーティーに向かってる姿って妙な感じだ」

 

「そっくりそのままタクに言葉を返します」

 

「普通は優斗とフィオナみたいにくっ付くのが相場だよな」

 

「タクは無理です」

 

「オレもココは無理だ」

 

「タクとユウはお兄ちゃんですし」

 

「オレだってココはただの妹だし」

 

「お姉ちゃんでもいいですよ?」

 

「身長が伸びたら考えてやるよ」

 

「むっ。今の発言、ムカって来ました」

 

「そこらへんが妹なんだって」

 

 卓也とココがじゃれ合う。

 と、リルとラグの視線に卓也が気付いた。

 

「どうしたんだ?」

 

「ま、前から思ってたけど仲良いわよね」

 

 リルが口の端をひくつかせながら言う。

 けれど何ともないように卓也が返した。

 

「家庭教師と生徒のコンビだしな」

 

 いつも一緒にいたことだし、相応に仲良くはなる。

 

「妹に教えて貰う兄ってなかなかシュールな光景です」

 

「そこは異世界から来たこと考慮してくれよ」

 

 ペシっとココにデコピンをする卓也。

 

「た、確かにユウト様以上にタクヤとココは仲が良いな」

 

 ラグが優斗に抱いた不安が、卓也にも浮かぶ。

 しかし、

 

「安心していい。お兄ちゃんとしては妹の相手が素晴らしくて嬉しいよ」

 

「タクは一歩間違えたらお母さんになるから気をつけたほうがいいです」

 

「馬鹿二人とかに言ってくれ。あとは世話をやかせるお前達もだ」

 

 世話焼きな性格なのは自分でも自覚しているが、仲間の連中は大抵が何かしら抜けているメンバーなので、殊更に卓也が世話を焼くことになる。

 

「でも、あとちょっとでパーティーか」

 

 窓から見える景色が変わる。

 馬鹿話をしている間にリステルの敷地内に入った。

 否応なく卓也の胸に緊張がせり上がってくる。

 

「タクヤ、緊張してるの?」

 

「当たり前だろ。オレの精神は優斗みたいな合金製じゃないし、修みたいに緊張を感じない構造もしてないし、和泉のようなぶっ飛んだ形もしていない」

 

 仲間の中で一番一般的で庶民的な精神だ。

 

「前回みたいにタクヤを狙うことはないと思うわよ。警備だって反省を踏まえて増やしてるだろうし」

 

 会場の中には優斗もいるのだから心配はない。

 

「問題なのはあたしの元婚約者候補たちが、うざったい言葉を投げかけてくるかもしれない懸念だけよ」

 

「……それが凄い嫌なんだよな。逃げたくなる」

 

 冗談めいたように言うけれども思いの外、表情が真剣な卓也。

 

「……タク?」

 

 彼の違和感に気付いたのは付き合いの長いココ。

 卓也はココに気付かれ、パッと顔色を変える。

 

「いや、何でもないよ」

 

 ココに笑いかける卓也。

 なんとなく、思い出してしまっただけだ。

 暴力を振るわれ、暴言を吐かれていた日々。

 逃げたくなる思い出を。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 会場に着き、それぞれ別れた。

 卓也とリルは代わる代わるやってくる人達を相手にしている。

 クリスとクレアは、クリスが緊張するクレアの手を優しく引いて色々なことを教えており、ココとラグは時折どちらかの知人と話しながらパーティーを楽しんでいた。

 優斗は壁際でゆっくりしている。

 

「久しぶりだな、ユウト」

 

 すると話しかけてきた人物がいた。

 フィオナが今、離れているのでパーティー会場の隅にまで寄っていた優斗は、見知った顔がやってきたことに驚く。

 

「……えっと……イアン様?」

 

 黒竜の時やマリカをリステルに来させた時、数度しか顔を合わせていないので少し薄れがちだが、リルの兄であり『リステルの勇者』であるイアンだ。

 

「覚えていてくれたか」

 

 笑みを浮かべるイアン。

 

「色々と話は聞いている。ミラージュ聖国から『マティスの再来』として国賓待遇を受けたらしいな」

 

 周りに配慮しながらイアンが話す。

 

「僕みたいな奴を相手に大げさなんですよ」

 

「パラケルススを召喚するほうが大げさだろう?」

 

「そうですか?」

 

「そうだとも」

 

 少しだけの世間話。

 イアンはそれで久方ぶりの挨拶は終わったとばかりに真面目な表情を作った。

 

「今のところ、タクヤの命を狙うといった輩は見られない」

 

「……よかったです」

 

「けれどリルの婚約を納得していない者はいる」

 

「数は多いですか?」

 

「少しはいる、といったところだ。どうしようもない連中は、まだ婚約なのだからと諦めていないだろう。そういった手合いがタクヤとリルに下劣な言葉を投げかけるのは大いにある」

 

 二人して卓也とリルの姿を見る。

 今のところは問題なく、緊張している卓也をリルがフォローしている姿が微笑ましく映った。

 

「卓也がキレたりして暴言を吐いたら不味いですか?」

 

「タクヤに手を出す免罪符……のようなものは生まれる。彼らはリステルでも上位に位置する貴族だからな」

 

「……厄介ですね」

 

 今更ながらに思うが、どうして暴言を吐かれただけで貴族は『殺そう』などと思うのだろうか。

 また貴族に暴言を吐いたら殺しても免罪符が付く、というのがやはり感覚のズレとしてある。

 相手はリライトの子爵であり、王族であるリルの相手だというのに。

 ただ、今更だ。

 やはり権力というのは何でもやっていいものなのだろう、と無理矢理に自分を納得させる。

 

「他国からも幾人か来ていると窺いましたが」

 

「大抵はリルを祝福してくれているのだが……」

 

 イアンが少し言葉に詰まる。

 

「問題児がいる、と」

 

「ああ」

 

 イアンは嘆息する。

 

「ライカール国の第2王女、ナディア。ユウトは知っているな?」

 

 イアンが口にした名前に優斗の表情が変わった。

 

「ほんの数週間前に相手取りましたから。よく覚えています」

 

「彼女が来る予定だ」

 

「……また面倒なのが来ますね」

 

「彼女の傍若無人な具合は有名だ」

 

「そうでしょうとも」

 

 どうして彼女を呼んでしまったのか。

 何かしらの政治的なものがあったのだろうか。

 よくは分からないが、どっちにしろ心配の種が増えた。

 

 

       ◇      ◇

 

 

「なあなあ、一人?」

 

 フィオナが化粧室から出てきて、優斗のところへ戻ろうとした時だった。

 なんとなく見たことのある人物に話しかけられた。

 

 ――この方は確か……。

 

 闘技大会でライカールのメンバーだったジェガン……だったはずだ。

 優斗にボコボコにされて精霊術まで使えなくさせられた人物だが、なぜかフィオナに意気揚々と話しかけてきた。

 

「君みたいな美人が一人だと可哀想だろ? オレが一緒にいてやるよ」

 

「申し訳ありませんが夫と一緒に来ていますので」

 

 フィオナは指輪を見せる。

 そして通り過ぎようとしたのだが、

 

「……これって龍神の指輪?」

 

 間近で指輪を見たジェガンはフィオナの嵌めている指輪が何の指輪なのか気付いた。

 

「ってことはあれか。リライトにいる龍神の親って君なんだ! うわっ、マジで!? すごいじゃん!」

 

 糸口を見つけたとばかりにまくし立てる。

 

「知ってる? 龍神の指輪って精霊を扱えるんだってこと」

 

「……夫が待っていますので」

 

「いーじゃん。もうちょっとくらい話そうぜ」

 

 無理矢理にジェガンがフィオナを引き留める。

 

「オレ、これでも『学生最強の精霊術士』って呼ばれててさ。精霊の扱い方、教えてやるからちょっとパーティー抜けようぜ」

 

 どうやらフィオナを手込めにしようとしているらしい。

 下卑た感情が見て取れる。

 けれどフィオナは意に介さない。

 

「私も少しは精霊術を扱えるので結構です」

 

「じゃあ、もっと上手く使えるようにしてやるから」

 

「貴方に教えて貰うことはありません」

 

「そんなこと言わずにさ」

 

 ジェガンがフィオナの手を取ろうとするが、フィオナは後ろに下がって回避した。

 彼女の行動にジェガンがイラっとする。

 

「んだよ。せっかくこのオレが教えてやるって言ってんだから、素直に来ればいいんだよ」

 

「ついて行くわけがありません。私はもっと素晴らしい方に精霊術を教えてもらっていますし、貴方の精霊を殺すような精霊術を認めていませんから」

 

 フィオナの行動にイラついていたジェガンが眉をひそめる。

 

「オレのことを知ってんのか?」

 

「先日のリスタルで行われた闘技大会、私も予備メンバーとしていました。ですから、貴方が精霊術を使えなくさせられたことも知っています」

 

「ハッ、だからなんだっつーんだよ。オレが契約するはずだったパラケルススをあいつが先取りしただけじゃねーか。それにオレより凄え精霊術士なんてリライトごときにいるわけねーだろ!」

 

 傲慢不遜な言い草だが、彼は自分の考えに愚かな点があることに気付いていない。

 

「……分からないのですか?」

 

「何がだよ」

 

「少なくとも一人、いるではないですか。パラケルススと契約した精霊術の使い手が」

 

「……っ! だから何だってんだ!」

 

「私はその方から精霊術を教えてもらっています。そして、その方は私の夫でもあります」

 

 淡々と事実を述べるフィオナ。

 ジェガンは彼女の話を聞いて、一つの事実にたどり着く。

 

「お前の夫って、まさか……!」

 

 思い出したくもない存在。

 恐怖の代名詞とも呼べる人物。

 フィオナは“それ”を口にした。

 

「私の夫の名前はユウト=フィーア=ミヤガワ。パラケルススを召喚し、貴方に精霊術を使えなくさせた方です」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 同時刻。

 卓也とリルのところに、ついに懸念していた連中がやって来た。

 人数は三人。

 どれも良いところの貴族らしいが、故に碌でもない。

 先ほどから延々と辛辣な言葉ばかり述べてくる。

 

「そんな男と結婚したところで何のメリットもないでしょう?」

 

「逆にあたしがあんた達と結婚したほうがメリットないわよ」

 

 卓也との結婚は何の利点もないと言われ、リルが反論する。

 

「少なくともあんた達よりタクヤと結婚したほうが余程、メリットがあるわ。リライトとの関係強化に繋がるもの」

 

「だったら相応の男を選ぶ必要があると思いませんか? たかが子爵の家柄である男など釣り合わない。私と結婚したほうがよろしいでしょう」

 

「ふざけんじゃないわよ。絶対に嫌」

 

 リルが卓也を庇うように言い放つ。

 先ほどから卓也は黙ったままだ。

 けれど時々、卓也の表情が辛くなる。

 

 ――キツいな。

 

 思い出しそうになってしまった。

 昔の日々のことを。

 言葉で、力で、無碍にされ続けた日々。

 刃向かうこともせず、逃げることしか出来なかった。

 その時の思い出が胸の内からせり上がってくる。

 

 ――あいつらは凄いよな。

 

 優斗はどれだけ自分のことを言われても平然としている。

 あいつが苛立ち、辛そうになるのは仲間のことだけだ。

 修は苛立ちはするだろうけど、自分のことでは絶対に耐える。

 和泉の場合はある意味、そういうことに関して不感症だ。

 だから自分が一番、弱い。

 

「あら? リル王女じゃない」

 

 さらに面倒なのが加わる。

 騎士を側に控えさせながらナディアがやって来た。

 

「雑魚と婚約するなんて、本当に落ちぶれているわね」

 

 いたぶる対象を見つけた喜びからか、ナディアが不遜に笑む。

 

「タクヤは雑魚じゃないわ」

 

「だって、たかが子爵程度の男と婚姻するなんて……」

 

 ゴミでも見るような目つきでナディアが卓也を見る。

 

「顔も悪いし家柄も悪い。何があるというの? そんな男に」

 

 何一つとして利点がない。

 

「家畜でも愛でる趣味があるのかしら?」

 

「貴女にタクヤの良さは分からないわ」

 

「雑魚に良さなんてあるわけないでしょう?」

 

 嘲笑する。

 下卑た笑みで、ゲスだと呼べる表情で、心底愉快そうに。

 

「それにさっきから黙っているじゃない、貴女の婚約者は。本当に雑魚で屑で家畜なのね。死ねばリル王女も結婚しなくて済むんだから死ねばいいのに」

 

 苛烈さを増した暴言。

 

「――ッ!」

 

 卓也の足を無意識に一歩……下がらせた。

 そうしたらもう、最後。

 一気に振り返って卓也はその場から離れた。

 

「タ、タクヤ!」

 

 リルの声が卓也に掛けられたとしても、彼の耳には……届かなかった。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 卓也とリルに問題児達が集まり、卓也が逃げた瞬間にイアンが向かおうとした。

 けれど優斗が止める。

 

「どうして止めるんだ?」

 

「今は行く必要がありません。あの程度の問題、卓也がどうにかできないわけがないですから」

 

「私とてタクヤのことは信じているが、それでも一人になってしまったリルのためにも行ったほうがいいと思うが……」

 

「すぐに戻ってくるから大丈夫です」

 

 今は一旦、逃げてしまっただけ。

 けれどそれは卓也が誰よりも弱いというわけじゃない。

 卓也の本当の格好良さが分かるのは、この後。

 

「少しだけ待ってください。すぐに誰よりも格好良い卓也になって帰ってきますから」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 驚愕しているジェガンの後ろから、声を掛けた存在がいた。

 

「契約者の妻に手を出そうとするなど正気ですか?」

 

 丁寧だが険を含ませた声がジェガンとフィオナの耳に届く。

 思わずジェガンが振り返った。

 

「てめえは……っ!」

 

「前はお世話になりましたね」

 

 クリスとクレア、ココとラグがそこにいた。

 四人はフィオナの前に立つ。

 

「手を出すというのなら、相応の覚悟をしたほうがよろしいのではないでしょうか? ユウトは彼女のことになると過激です」

 

 闘技大会の比ではない。

 

「まあ、それ以前に大精霊を召喚できなかった貴方が召喚できる彼女をどうこうできるとは思いませんが」

 

 つまりは精霊術を使えていた時でさえフィオナのほうが格上だ。

 なのに上から目線で見るというのは愚か以外にない。

 

「それに自分もあの時とは違いますよ? 仲間や妻に手を出される前に貴方を倒します」

 

 クリスの細めた目が相手を貫く。

 

「……チッ!」

 

 舌打ちしてジェガンが遠ざかっていく。

 四人もいては、事を荒立てるにしても問題が多すぎる。

 何よりも自分は『力』の部分を根こそぎ持って行かれたのだから。

 

「大丈夫でしたか?」

 

 ジェガンが見えなくなってから、クリスがフィオナの安否を気遣う。

 

「はい。皆さん、ありがとうございます」

 

 フィオナが微笑む。

 クリス、クレア、ココは笑みを返したのだが、一人ラグだけが目を丸くしていた。

 

「フィ、フィオナ様も精霊術をお使いになられるのか?」

 

「ええ、そうですけど」

 

「大精霊様まで召喚されると言われていたが……」

 

「優斗さんのおかげで召喚できるようになりました」

 

「わ、私もウンディーネ様を召喚できるのだが、フィオナ様はどの大精霊様を召喚できるのですか?」

 

「四大精霊とファーレンハイトとアグリアです」

 

 事も無げに言ったフィオナ。

 けれど、ラグは聞こえた数に耳を疑った。

 

「……六体?」

 

「はい」

 

「……なんと」

 

 さらに驚くラグ。

 

「ラグの顎が外れそうです」

 

「し、仕方なかろう!? ミラージュにいる最高位の精霊術士とて召喚できる数は三体が限度なのだぞ!」

 

「ユウの奥さんなんですよ。普通なわけないです」

 

「当然ですね」

 

 ココとクリスがラグの反応に笑う。

 と、その時だった。

 

「……タク?」

 

 足早に会場を離れて行く卓也の姿をココが捉えた。

 表情は固く、険しい。

 何かあったのだと分かる。

 ココが卓也の後を追おうとした。

 

「待ってください。自分が行きます」

 

 するとココを止めて、代わりにクリスが向かうと名乗り出た。

 

「こういうのは男同士のほうがいいものですよ」

 

 言いながらクリスは歩み出し、

 

「ラグは皆さんのことをよろしくお願いします」

 

 女性陣のことをラグに任せる。

 そしてクリスは卓也を追いかけた。

 

 

 

 

 少し歩いた先にある長い椅子に座って項垂れている卓也の姿をクリスは見つける。

 クリスは卓也に近付いていき、隣に座った。

 

「どうしました?」

 

 いつものように話しかけるクリス。

 声でクリスだと分かったのか、卓也は俯いたまま答える。

 

「分かっていたことではあったけどさ。相応しくないとか、釣り合わないとか言われたんだよ」

 

 両手で顔を覆う。

 

「案外、キツいもんだな」

 

 予想はしていたけれど。

 予想以上に辛かった。

 

「嫌なことを思いだしたよ」

 

 卓也の言う『嫌なこと』。

 何のことかと思ったが、すぐにクリスは理解する。

 

「……まさか、昔の?」

 

「軽いトラウマなんだ」

 

 幼い頃から刻まれ、どうしようもないほどに消えてくれない過去の記憶。

 あの日々は本当に辛かったとしか言えない。

 

「今回は暴力とか振るわれてないけど、暴言ばっかり言われてさ。逃げ出したんだよ、オレ」

 

 本当に弱々しい。

 本当に心が弱い。

 けれどクリスは打ちひしがれた卓也を見て、それでも告げる。

 

「タクヤが辛いのは分かります」

 

 酷い言葉を平気で口にできる人達なのだろう。

 

「けれど自分は辛いであろうタクヤにこう言います」

 

 それでも、と。

 クリスは言わなければいけない。

 なぜなら卓也は“一人”じゃないのだから。

 パン、と卓也の背中を叩く。

 

「頑張ってください」

 

 自分の想いが言葉から、彼の背に置いた手から届くように願う。

 

「タクヤが頑張らなければ辛いのはリルさんだけです」

 

 だって彼が頑張らなければ、彼女は一人で馬鹿な貴族の言葉を身に受けなければならない。

 

「彼女は良くも悪くも真っ直ぐです。けれどこういう場において、真っ直ぐな彼女は傷つきやすいんですよ」

 

 誰に対しても真っ直ぐであるということは、親しい間柄の人とも嫌いな相手とも同じ態度になるということ。

 つまり、

 

「心に壁を作っていないからリルさんは傷つきやすいんです」

 

 真っ直ぐな彼女は人一倍、傷つきやすい。

 

「だから……タクヤが守ってあげてください」

 

 リルを。

 大切な仲間を。

 

「自分達はリルさんを助けてあげられます。フォローしてあげられます。庇ってあげられます」

 

 やってあげられることなら、何だってやってあげられる。

 

「けれど守れるのはタクヤだけなんです」

 

 卓也以外、いない。

 

「相応しくないから何だと言うんです。他人が決めることじゃありません。釣り合わないから何だと言うんです。その人達だってリルさんが決めた相手に口を出せるほど、彼女と釣り合いが取れているわけでもありません」

 

 どうでもいい連中に何を言われようが気にするな。

 

「だけど……事実だろ?」

 

 まだ弱い言葉を吐く卓也にクリスが一喝する。

 

「勝手に己を下に見るのをやめてください! 自分の親友は間違いなくリルさんに相応しい!」

 

 あまりにも肯定しきった言葉。

 何が何でも信じ切っている言葉。

 思わず、卓也が顔を上げた。

 

「これはレグル公爵家の長子であるクリスト=ファー=レグルの言葉ではなく、タクヤの親友である『クリス』としての言葉です」

 

 余計な肩書きなどいらない。

『親友』という事実だけあればいい。

 

「前にタクヤは言っていましたね。リルさんと愛ある生活を望むから『頑張る』と」

 

 予想以上に何もしていなかったけれど、それでも彼女のことを目で追って知ろうとしている姿をクリスは見てきている。

 根気強く、ゆっくりとリルを知ろうとしてきた卓也をクリスは分かっている。

 なればこそ、前に訊いたことは言わない。

『好きなのですか?』とは問わない。

 

「今はもう、リルさんが好きなんでしょう?」

 

 だから辛い。

 だから逃げたくなる。

 好きな相手に相応しくないと言われたからこそ。

 

「だったら今こそ、頑張ってください!」

 

 男を見せる時だ。

 

「誰よりも今、タクヤの頑張りを待っているのはリルさんです!」

 

 彼と一緒にいないリルはきっと、会場で未だに傷つきながらも立ち向かっていることだろう。

 どうして? なんて問う必要性もない。

 

「だってそうじゃないですか」

 

 戻ってきてくれると思っているから。

 守ってくれると信じているから。

 

「リルさんが今、隣にいてほしいと願っているのは自分でもユウトでもありません」

 

 求めているのは、たった一人の婚約者。

 唯一、彼女を守れる男の子。

 

「タクヤですよ」

 

 クリスは優しく笑う。

 

「ユウト達が言ってました。タクヤが一番、格好良い瞬間は……一生懸命のときだって」

 

 頑張っている姿が格好良いのだと。

 

「自分にも見せてください。タクヤが一番格好良い瞬間を」

 

 できると何の疑いもなく信じている。

 再度、クリスは卓也の背中を強く押した。

 

「…………」

 

 卓也はクリスの言葉を聞いて、背中から伝わってくる熱を感じて、

 

「……ホント、お前達は要求がきついよな」

 

 小さく笑った。

 

「過剰な信頼はしていないつもりです」

 

「わかったよ」

 

 クリスと顔を見合わせて、もう一度だけ笑う。

 

「そこまでバカみたいに信じてくれるなら、頑張るしかないだろ」

 

 立ち上がる。

 先ほどまでの陰鬱な気分はなくなっていた。

 

「格好良いところを見せてくれたら、あとは任せてください。そのために自分達はいるのですから」

 

 会場へと向かっている卓也にクリスが安心させるよう言葉を投げかけた。

 卓也は右手を上げて応える。

 

「サンキュ、クリス」

 

 だんだんと卓也の姿が小さくなっていく。

 彼の後ろ姿に安堵の笑みを浮かべながら、クリスもフィオナ達のところへと戻った。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 本音を言えば、まだ少し疑っていることがある。

 先ほどの反論の際にあった言葉。

 リルが自分と婚約したのはメリットがあるから、だと。

 

 ――けどな。

 

 卓也は今までのことを思い出す。

 彼女はいつも側にいてくれた。

 帰り際の二人の距離が前より、少しずつ狭くなっている。

 気付けば隣にいる。

 よく自分と目が合う。

 少しは意識してくれているのだと思う。

 

 ――良い印象はあると思うんだ。

 

 恋愛感情なのかどうかは知らないけれど、それだけは確かなこと。

 そして、それだけがあればいい。

 頑張れる。

 

「……いた」

 

 会場の中でリルの姿が見えた。

 彼女の前には先ほどの四人が未だに存在する。

 

「本当に最低の雑魚ね。婚約解消しちゃったら?」

 

「あたしはタクヤを信じてる!」

 

 やっぱり彼女は闘っていた。

 ドレスの裾を握りしめながら、必至に反論していた。

 だからこそ、心から思ってしまう。


 ――オレはやっぱり、あいつを守りたい。


 一度は逃げてしまったけれど。

 そんな自分を今でも信じてくれるリルのことを――守りたい。

 

「リルっ!」

 

 思い切り名前を呼ぶ。

 振り向いた彼女は必至で悔しそうな表情から……卓也の姿を見て安堵した表情に変わった。

 

「タクヤっ!」

 

「待たせて悪かったな」

 

 卓也はリルに近付き、庇うように前に立った。

 

「なに? 今さらやってきてどうするの?」

 

「王女の婚約者が貴様というのは最低だな」

 

「ああ、相応しくない」

 

「釣り合わないですね」

 

 多々、罵詈雑言が卓也に向かう。

 けれど卓也は臆することなく言い返した。

 

「オレは弱っちくて臆病者だよ。だけど、それがどうした?」

 

 リルだって知っている。

 

「お前らがどれほど言ったところで、リルの婚約者に相応しくないなんてことはない。決めるのはこいつだ」

 

 リル以外に決めてほしくもない。

 

「前に誓ったんだ」

 

 背にある存在を強く感じながら、卓也は言い放つ。

 

「リルを守るって」

 

 あの言葉は今でも卓也の中で有効だ。

 

「こいつを守るのはオレの役目なんだよ」

 

 睨み付けるように四人を見る。

 けれどナディアは嘲るように、

 

「身の程を弁えなさい」

 

 彼女に次いで他の三人も再び口撃する。

 

「逃げた奴が何を言っている」

 

「そうだ」

 

「リル王女の相手に貴方如きが務まるわけがありません」

 

 さらに蔑む視線を卓也に向ける。

 ナディアは鼻で笑いながら、

 

「雑魚が吠えないでほしいわね。下賤な存在である貴方が高貴な私と会話していること自体、感謝しなさい」

 

「するかボケ!」

 

 けれど卓也も引かない。

 

「雑魚が吠えちゃいけないってことはない! 大切なものを守るためなら、相手がどれほど強大でも噛み付かないといけないんだよ!」

 

 絶対に言い返す。

 もう逃げることもしない。

 一歩たりとも後ずさったりしない。

 

 ――ふざけんなよ。

 

 先ほどから連なる言葉の数々。

 全てに通じるのは『リルと婚約を解消しろ』ということ。

 未だに文句を言ってくる彼らはつまり、彼女に手を出すと暗に示している。

 

「つーか、さ」

 

 外野は黙ってろ。

 リルはお前ら如きに見合う女じゃない。

 だから己の気持ちを偽るな。

 真っ直ぐに届けろ。

 全身全霊、全てを込めた怒りを叩き付けてしまえ!

 

 

 

 

「テメーらさっきから、うだうだと五月蠅えんだよっ! オレが惚れた女に手を出そうとしてるんじゃねぇ!! 」

 

 

 

 

 響き渡る怒声が会場を貫く。

 一瞬にして会場が静かになった。

 四人を睨み付ける卓也と、卓也を睨み付ける四人。

 静寂を破ったのはナディアだった。

 

「下賤な雑魚の分際でよくもほざいたわね」

 

 ナディアが側にいる騎士――ラファエロを促す。

 

「貴様のような奴が侯爵である俺を侮辱するだとっ!」

 

「殺されても文句は言えない」

 

「死にたいようですね」

 

 険呑な雰囲気が生まれる――その時だった。

 拍手が会場に響いた。

 

「さすが卓也」

 

「見せて貰いましたよ、格好良いところを」

 

「タク、格好良かったです」

 

 優斗とクリス、ココが卓也に拍手をしながら彼らの前に立った。

 三人とも、卓也に笑顔を見せる。

 

「……お前ら」

 

 自分がこうするのを分かっていて、今まで出てくるのを待っていたのだろう。

 途端に照れ臭くなった。

 

「あとは僕達に任せて」

 

「パーティー、楽しんでください」

 

「わたし達からの婚約祝いです」

 

 しっしっ、と追い払うように卓也とリルを遠ざける仕草をした。

 二人は苦笑しながらも感謝して、場所を移動する。

 移動先でフィオナ、クレアと合流することになった。

 

「さて、と」

 

 一方で二人を追い払った優斗はナディアを睨み付ける。

 

「……っ!」

 

 それだけで彼女は脅えた。

 庇うようにラファエロが前に出る。

 けれど表情は優れない。

 ナディアたちの豹変に困惑の様子を隠せない貴族三人組。

 

「僕のことを覚えているか?」

 

 優斗の問いかけにナディアはすぐ首肯した。

 

「話は全て聞いた。身の程を弁えろ……か」

 

 よくもまあ、そんなことを言えるものだ。

 

「お前こそが身の程を弁えろよ」

 

 一体、どこの誰に対して罵詈雑言を向けたと思っているんだ。

 

「なあ、王女様?」

 

 あまりにも冷ややかな声音に、ナディアは闘技大会の時の恐怖が蘇る。

 

「イアン様」

 

「どうした?」

 

 優斗の呼び掛けに、ラグと共に後ろで行く末を見守っていたイアンが出てくる。

 

「ここでは迷惑が掛かりますから、別室に行かせていただいてもよろしいですか?」

 

 

       ◇       ◇

 

 

 イアンに連れられて、会場より離れた一室にナディア一行は連れてこられた。

 ナディアは優斗に逆らえるわけもなく、他はイアンに逆らえるわけもない。

 全員が素直に部屋の中にいる。

 仲間の連中は男性陣が部屋に入り、女性陣は卓也とリルのフォローに回った。

 優斗はまず、貴族三人組に視線を向ける。

 

「そこのお前ら、リルに歯牙も掛けられない連中が今更になってぐだぐだとほざくなよ。見苦しいにも程がある」

 

「リライトでは貴族より上である『異世界の客人』に対して数々の暴言。ふざけてるのですか?」

 

 クリスも腹が立っているのだろう。

 優斗に続いた。

 

「なっ!?」

 

 驚く三人組だが甘い。

 さらにイアンが追撃とばかりに、

 

「貴様らは頭が悪い。タクヤは父とリル本人が政治的な観点を抜きにして認めた男だ。暴言ばかりを放つ貴様らとは男としての格が違う」

 

 黒竜から守り、救い出した。

 先程もリルを守り、助けた。

 格好良さが目の前の男達とは違う。

 

「しかも、だ。政治的な利点すら貴様らは足元にも及ばないくせに婚約を破棄しろなど何を言っている」

 

 イアンは本当にそう思う。

 ただでさえ異世界人、という絶対的アドバンテージがある。

 今は加えて大魔法士と呼ばれ始めた男の親友というオプションまで付いた。

 何よりも妹が彼を好ましく思っている。

 十分すぎるほどの相手だ。

 

「どうした? 卓也にしたように暴言を吐かないのか?」

 

 最後、優斗が尋ねる。

 けれど何も言えない。

 隣で尋常じゃなく脅えているナディアの姿が、反論することを躊躇わせる。

 

「何もないのなら今後一切、余計なことは言うな」

 

 蔑むように見捨てると、優斗はナディアに矛先を向ける。

 彼女の身体が震え始めた。

 

「言い残すことはあるか?」

 

 まるで遺言を尋ねているように感じる。

 全員が緊張で息苦しさを覚えた。

 

「前に言ったよな? 二度目はない、と」

 

「し、知りませんでした! あの方が貴方様の御友人だなんて――ッ!」

 

「知らなかったで済ますのか?」

 

「申し訳ありません!!」

 

 ナディアは膝を着き、土下座した。

 ラファエロも彼女に倣って同様の行動を示した。

 クリス以外は彼女たちの行動が信じられない。

 仮にも王族であるナディアが、目の前の男に土下座しているという現状に。

 

「一体、どこの誰が身の程を弁えてなかったんだ?」

 

「……わ……たし……です」

 

「雑魚に下賤な存在に屑に家畜……だったか。僕の親友に罵詈雑言を言ったのは誰だ?」

 

 “親友”というキーワードにナディアが恐怖する。

 思わず声が出なかった。

 

「…………っ」

 

「誰だと訊いている。言わずに済むと思っているのなら、その首を今すぐにでも落とすぞ」

 

 けれど優斗は許さない。

 答えを要求する。

 

「……わたし……です」

 

「つまりお前は誰に喧嘩を売ったんだ?」

 

「……それは……その……御友人に……」

 

「違うだろう? 卓也には嫌みったらしく罵詈雑言を言っただけだ。けれど結果、お前のやったことは誰に喧嘩を売ったのか訊いている」

 

「……あ、貴方様……です」

 

 声を震わせながら答えるナディア。

 優斗はさらに駄目押しをするため、

 

「ミラージュ聖国第2王子ラグフォード。僕は誰だ?」

 

 普段と違う呼び名に少し驚くラグ。

 けれども優斗の真意に気付くと彼は傅いた。

 

「精霊の主、パラケルスス様の契約者であり神話魔法の使い手。そして伝説の大魔法士マティス様が建国したミラージュからは、マティス様の再来――大魔法士様と呼ばれる御方です」

 

 ラグの発言にナディアとラファエロが顔を強ばらせた。

 

「僕が大魔法士と呼ばれることになったのはお前達が原因だ。忘れているわけはないよな?」

 

「……はい」

 

「つまりお前は、またしても大魔法士に喧嘩を売ったということだ」

 

「ち、ちが……っ!」

 

 ナディアは否定しようとする。

 

「何が違うというんだ。お前はまた大魔法士の仲間に手を出した。それだけが今回の事実だ」

 

 喧嘩を売っている以外、何がある。

 

「……どう……したら……許してもらえますか?」

 

 懇願するナディア。

 目にはすでに大粒の涙が溢れている。

 それを見て、優斗はようやく逃げ道を用意することにした。

 

「本当なら、この場を設けずに殺されていたことは理解しているな?」

 

「……はい」

 

「けれど僕は今、気分が良い。お前のせいとはいえ親友の格好良い姿を見れたからな」

 

 僅かばかりは評価してやる。

 

「だからチャンスを与えよう。今からお前が考え得るかぎり、最大の謝罪をお前が一番迷惑かけた人物にやってこい。正解なら命は見逃してやる」

 

 優斗が告げたことにナディアは安堵したような表情を浮かべ、ラファエロを連れて部屋を出て行った。

 様子を見に行かなくても問題はないだろう。

 向こうにはフィオナもいるし、手を出したところで末路は彼女が一番理解している。

 ということで優斗はもう一度、三人組を見る。

 

「今の話、どうしてお前達にも聞かせたか分かるか?」

 

 矛先が自分達に戻されて彼らはビクリと身体を震わせた。

 

「次に卓也とリルに何かしたら、お前らがああなることを教えてやろうと思ったからだ」

 

 優斗は無表情で三人組を見つめる。

 

「ガリア侯爵のようになりたくないだろう?」

 

 瞬間、彼らの頭にはハテナマークが灯る。

 けれどガリア侯爵が何をして、結果……どうなったか。

 思い出して一斉に青ざめた。

 

「ここで起こったことは胸の内に秘めておけ。喋ったら最後、死ぬことは覚悟しろ」

 

 優斗の脅しに三人組が必死に首を縦に振った。

 

「分かったら行け」

 

 許可と同時、彼らは脱兎の如く部屋から出て行った。

 完全に姿も足音も無くなって、優斗は大きく深呼吸。

 クリスが声を掛ける。

 

「相も変わらず、素晴らしい演技力ですね」

 

「三分の一くらいは本気だよ?」

 

 クリスと共に優斗が笑う。

 

「闘技大会の時じゃないんだから、殺すとか言っても問題大有りなのにね」

 

「いや、ユウトは関係なくやりそうだから向こうも怖がっているんですよ」

 

 というかたぶん、フィオナやマリカの場合だったらやる。

 

「いきなりラグフォードと呼ばれた時は焦った」

 

「けれど、ちゃんと理解してやってくれたから助かったよ。説明するのに一番説得力があるのはラグだから」

 

「大魔法士と呼ばれたくなかったのでは?」

 

「脅すだけの価値があるんだから使うよ」

 

 確実に効果があった。

 和気藹々と話す。

 優斗達の姿を見て、イアンは呆れたように笑う。

 

「……何だかんだでユウトは世話を焼いているな」

 

 この程度の問題、などと言っていた優斗なのに。

 卓也が頑張ったところを見せたら、あとの面倒事は全部引き受けていった。

 これで三人組も二度とリルに手を出すことはないだろう。

 

「妹は良い仲間を持ったな」

 

 多々、問題のある面々ではあるけれど。

 リルのことを想ってくれているのは確かだ。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 優斗達がいなくなって10分ほど経ったくらいだろうか。

 ようやくざわめきが収まっていた会場で、ナディアがやって来たと同時に土下座して再び会場がざわつくものの、すぐに静まる。

 そしてようやくパーティーが再開した。

 フィオナ達は頃合いを見計らって優斗達と合流し、卓也とリルを二人にする。

 すると卓也とリルに寄ってきた人達がしきりに心配した。

 演技なのも本気で心配してくれた人達もいたが、卓也とリルはその全てに感謝しながら応対をしていた。

 そして、

 

「……疲れたな」

 

「そうね」

 

 パーティーも終盤、本日の主役みたいなものだというにも関わらず、二人はバルコニーに出てきていた。

 暖かい室内にいたせいか、肌寒さが今は心地良い。

 

「ライカールの王女が土下座してきた時には焦ったな」

 

「絶対にユウトが何かしたのよね」

 

「だろうな」

 

 くすくすと笑い合う。

 

「世話焼きな奴らだよ、本当に」

 

「嬉しかったけどね」

 

「ああ」

 

「けど、あの登場の仕方って絶対にタイミング図ってたわよね?」

 

「そう思うと笑えてくるな」

 

 今度は声を大きくして笑う。

 一頻り笑うとリルは手すりまで歩いて行って、夜景を見ながら婚約者の名を呼んだ。

 

「ねえ、タクヤ」

 

「どうしたんだ?」

 

 卓也も隣に立って同じ夜景を見る。

 リルは何となく嬉しくなった。

 今なら、と。

 スキー旅行で提案してもらったことを言ってみる。

 

「あたし、タクヤと一緒に料理したい」

 

 リルの言葉に卓也は一瞬、目を丸くする。

 けれどすぐに苦笑した。

 

「無理はしなくていいって」

 

「無理じゃない」

 

 そんな風に思っていない。

 

「ただ、あたしはタクヤと一緒にいたいだけ」

 

 互いに夜景を見ていたはずだが、気付けば互いの瞳が相手を捉える。

 

「なあ、リル」

 

 無意識だった。

 卓也はリルの右手を取ると、引き寄せた。

 そのまま自分の腕の中に収める。

 

「タクヤ?」

 

 リルとしては嬉しいけれど、突然どうしたのだろうか。

 

「お前は、さ」

 

 卓也は不思議そうなリルに少し逡巡した様子を見せるが、意を決したように訊いた。

 

「お前はオレのこと、好きか?」

 

 緊張の様相を呈した声音。

 リルは小さく笑って答える。

 

「……好きよ」

 

 初めて守ってくれた時から、ずっと。

 

「だから一緒に料理をしたいと思ったの。タクヤと一緒にいれるなら、タクヤがあたしのことをもっと好きになってくれるなら……」

 

 卓也が喜んでくれるのなら。

 

「あたしは王女じゃないことだってやってみせるわ」

 

「……そっか」

 

 卓也の抱きしめる力が、無意識に強まった。

 嬉しさがこみ上げる。

 

「ありがとう、リル」

 

 本当に嬉しい。

 卓也は微笑んで……すぐに申し訳なさそうな顔をした。

 彼女が言ってくれるからこそ、余計に伝えなければならないことがある。

 

「……ごめんな」

 

「えっ?」

 

 突然謝られて、卓也の腕の中にいるリルがビクっとした。

 

「さっき、逃げたこと」

 

 謝って済む問題じゃないと思う。

 けれど言わないと進めない。

 

「…………」

 

 謝られたリルは先ほどのことを思い出す。

 その時の気持ちも、追随してきた。

 ぎゅうっと卓也の胸元にある自らの手を握る。

 

「…………バカ……」

 

 力強く、縋るように卓也の服を握りしめた。

 

「……バカ」

 

 思わず、声が震えた。

 

「バカバカ! 遅いのよ! 一人ですごく怖かったんだから!」

 

 顔も卓也の胸元に押しつける。

 涙が溢れそうになった。

 

「すごく辛くて、すごく嫌だった! けど、タクヤのことを言われるのだけはもっと嫌だったの! だからあたし、頑張ったの!」

 

「ごめん」

 

「言ってくれたじゃない! 守ってくれるって!!」

 

「ごめん」

 

 卓也も力一杯リルを抱きしめる。

 

「約束する。ずっとリルのこと、守るから」

 

 もう二度と逃げ出さない。

 この気持ちがリルに伝わればいいと。

 願うほどに抱きしめる。

 

「……ほんとう?」

 

「本当だ」

 

 卓也が断言する。

 すると、リルから嬉しそうな返事がやってきた。

 

「うん。じゃあ、やくそく」

 

 卓也には見えないが、リルは本当に幸せそうな笑みを浮かべている。

 

「あのさ、一つ訊いてもいいか?」

 

「なに?」

 

「このペンダントって大切なものだったりするのか?」

 

 卓也はリルの身体を離して、胸元にあるペンダントを見せる。

 “誓いの言葉”の際に貰ったものだ。

 

「お母様から最初に貰ったペンダントなの」

 

「そんな大切なものだったのか……」

 

「後悔はしてないわよ。だって渡したのがタクヤだもの。それにいつも着けてくれてるじゃない」

 

 卓也が大事にしてくれているのが分かるから、特に文句はない。

 

「けれど突然、どうしたの?」

 

「ん? いや、まあ、その……な」

 

 照れたような顔をすると、卓也はポケットからケースを取り出した。

 

「代わりってわけにはいかないけど……」

 

 開いて中身を見せる。

 ペンダントが輝いていた。

 卓也はそれを取り出すと、リルに着ける。

 

「……似合う?」

 

「当たり前だろ。似合うと思ったから買ったんだ」

 

 見立て通りだ。

 だから卓也は大きく深呼吸をすると、リルの肩を掴んだ。

 

「いいか、一回しか言わないからよく聞けよ?」

 

 真っ直ぐ卓也はリルの目を見る。

 そして告げた。

 

「これより、リルを生涯の隣人とすることを誓います。彼の者にいかなる困難があろうとも、側に寄り添い支えることを誓います。彼の者がいかなる災厄になろうとも、信じ続けることを誓います。彼の者にいかなる不幸が降りかかろうとも、助け続けることを誓います」

 

 卓也は言い終わるとリルの口唇に優しくキスをする。

 

「……っ!」

 

 リルの身体が軽く跳ねた。

 けれど嫌悪してる様子はない。

 卓也は気にせず、そのまま数秒ほど口付けをかわしてから顔を離す。

 

「…………」

 

 ビックリしたのか、キスが終わって顔を離してもリルは驚いた表情のまま。

 だが、かろうじて声を出す。

 

「……タク……ヤ……? 今のって……」

 

 “誓いの言葉”だった。

 リステルの王女である自分が聞き間違えるはずがない。

 卓也は照れた表情のまま、答える。

 

「オレはリライトの人間……っていうより、この世界の人間じゃないけどさ」

 

 それでも、

 

「女の子は憧れるだろ? 自分の国の言葉で告白されるの」

 

 これは万国共通だと思う。

 どこかしら誇ったような笑みを浮かべる卓也。

 

「……バカ」

 

 思わずリルは言ってしまうが、表情は緩んでいる。

 嬉しさのあまり、リルは卓也に抱きついた。

 

「あのね」

 

 どうやったらこの気持ちを全部、卓也に伝えられるか分からない。

 けれど伝わる分は全部、言葉に込めて伝えてしまおう。

 

「あたしも“卓也”のことが大好きよ」

 

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