第59話 過去の伝説に
フィオナの話を聞いて、羨ましくないと言える人がどれほどいるだろう?
たった一人の男性があれほど想ってくれている。
たった一人の男性をあれほど想っている。
普通の貴族なら無理なはずで、ましてや公爵ともあろう家柄なのに。
皆が身悶えしそうな恋愛絵巻。
誰もが羨む純愛物語。
わたしは話を聞く度、面白くて、おかしくて、楽しくて、そして……酷く羨ましい。
相談をされる度、必至に、真面目に、親身になって、そして……酷く希う。
わたしでも出来るのではないかと思ってしまって。
アリーやフィオナと一緒に悩んで、リルにばっさりと断言してもらって、レイナに助言をしてもらう。
そんな、本当に甘美な夢を。
けれど実際は知りもしない男が婿養子としてやってくる。
割り切ってはいる。
所詮、貴族の結婚なんてそんなものだ。
夢も希望もありはしない。
――けど。
目の前にある物語が眩しすぎて。
近すぎて。
小さな頃に夢見たちっぽけな“願い”が、未だ消えずに胸に残ってしまっている。
◇ ◇
王女様は優斗のことを恐れたのか何なのか、気分が優れないと言って帰っていった。
なので、とりあえず三人で王城の中を歩いていた。
優斗は残ったラグフォードを観察する。
「………………」
おそらくは、彼は今の件について関係ない。
彼女が戻っていった瞬間、困惑した表情を少し浮かべたことからも窺い知れる。
弟がやったことを当人ではなく兄である彼が謝りに来ることからも、責任感があり誠実な性格なのだろう。
打算と計算でここに来た感じはせず、少なくとも感覚的に腹黒さなどは見当たらない。
これは今までの優斗の“経験”からして、間違いない。
なればこそ、訊いてみる。
「ラグフォード様。一つ質問なのですが、先ほどのミルファ様の行動は誰かに言われてやったことだと思われますか?」
「……おそらくは」
ラグフォードが頭を下げる。
「私の指導不足の至る所です。不快な思いをさせてしまって申し訳ありません」
「いえ、怒っているわけではありません。元々、リライト王より知らされていましたし、彼女の行動が悪いとも思いません。ただ、貴方たちは私のことを知りません。私がこういう人物であることを、やってしまった後で悔やんでも申し訳ないと思いますので、今のうちにラグフォード様から皆様にお伝えしていただけると助かります」
「ユウト様のご厚意、痛み入ります」
本当に誠実なのだろう。
嘘偽りなく答えてくれた。
「大変情けない話ですが、私は妻や仲間が傷ついたり嫌な目に遭ってしまうと、国とか全てどうでもよくなってしまうのです。相手が他国の王族だろうと何だろうと、全力で叩き潰そうとしてしまって……」
「王族だろうと何だろうと……?」
「ええ。私がパラケルススを使った闘技大会も、ライカールの王女が私の仲間を侮辱し、殺そうとしたのが原因で私がキレてしまったんです」
今思えば、やり過ぎている感はある。
優斗は少し苦笑を浮かべ、
「内緒になりますが、試合が終わったあとも二度とやらないようにライカールの控え室へ話し合いに行ったぐらいで」
話し合いという名の“脅し”ではあったけれど。
「ユウ。わたし、それ初耳です」
ココも聞いたことのない話だったので、思わず聞き返してしまう。
けれど、だ。
「……ユウ?」
普通に素に戻っていた。
愛称で優斗を呼んでしまう。
「……ユウ、とは?」
そこをラグフォードに突っ込まれた。
ココは慌てて口調を戻す。
「ユ、ユウト様は過激なのですね」
……いや、今の取り繕い方もどうなのだろう。
優斗は小さな溜め息を吐く。
どうやらココは表面上平然としていたが、かなり緊張しているらしい。
「ラグフォード様。これからのこと、見ないフリをしていただくのは可能でしょうか?」
「それは……どういった?」
「先ほども言った通り、ココの緊張を解したいのです。ですが今のままでは緊張を解くことはできませんから」
そして優斗は悪戯気にココを見る。
「特にこの子は緊張しすぎると失敗することも多いので」
本当に世話が掛かる、と暗に言った様子にココが反射的に反論した。
「ユウッ! ……ト様。これでもわたしは公爵家令嬢。このようなことで緊張はしません!」
「さっきから失敗してるくせに」
さらにからかう。
するとココは地団駄を踏むのをどうにか堪えながら唸った。
「……む~!」
優斗とココの何とも愛らしいやり取りにラグフォードの頬も緩む。
「ユウト様、フィグナ様。どうぞいつも通りにお過ごしください。私も緊張をして失敗してしまう経験はありますから、それが取り除けるのなら普段のようにしていただくのが一番でしょう」
なんとも話の分かる王子様だ。
優斗の中で彼の株がグングン上がっていく。
「ただ、やはり何というか……お二方は仲がよろしすぎると申しますか……」
少し言い辛そうにしているラグフォード。
優斗はそれを察して、
「まあ、確かにココは可愛いので疑いたくなるのも分からなくはありませんが……正直に伝えましょう」
バシッと言ってみせる。
「ココは論外です」
おそらくココあたりから文句が出ると思った優斗だが、否定は別のところから来た。
「そ、そんなことはない! これほど可憐な方を見たのは初めてだ!」
ラグフォードが声を大きくして反論する。
「…………えっ……?」
「…………えっ……?」
優斗とココが同じ反応を見せた。
まさか否定の声がラグフォードから出てくると思わなかったからだ。
「えっ!? あっ、いや! 私は一般的なことを言っただけで!」
自分の言ったことに気付いたのか、ラグフォードも慌てて取り繕う。
優斗はそんな彼に小さく笑って、
「世の中の男性や貴方が見たらそうかもしれませんが、僕にとって恋愛対象とは妻のみが対象です」
ということで。
「つまり、妻以外の女性全てが論外です」
優斗はココに訊く。
「がっかりした?」
「するわけないです。ユウがフィオのこと以外を見始めたら、とりあえずユウの頭を叩いて直します」
治すではなく直す。
「だよね。僕も自分の頭がおかしくなったとしか思えない」
二人して頷く。
と、ラグフォードが訊いてきた。
「あの、フィオ……というのはユウト様の奥方で?」
「はい。僕の妻です」
優斗が頷く。
「スタイル良くて、おしとやかで、もの凄く美人なんです。どうやったらああなれるのか……」
「ココも同い年なのにね」
「ユウ、言っておくけどフィオとかアリーが美人過ぎるだけで、わたしだって可愛いほうです」
「自分で言う?」
優斗がからかうような声音で訊く。
「だってしょうがないです。ユウはフィオ一筋ですし、シュウは女の子に興味があるか分からないし、タクは婚約者の尻に敷かれてるし、クリスはおべっかが上手いですし、ズミさんはもう何なのか……」
告白をされることもあるにはあったのだが、仲間内に評価されていないというのは良いのか悪いのか。
「みんなの妹分だからね。小さいから」
「そうです。妹扱いはされてますけど、女性扱いされてませんから」
なので自分から言わないと、優斗たちは理解してくれないだろう。
「フィ、フィグナ様! フィグナ様はお美しい方だ! 私とて美しい方は幾人とて見て参ったが、貴女ほど可憐な方を見たことはなかった!」
先ほどと同じようなことをラグフォードが口にした。
「………………」
何だろうか、この展開。
――なんていうか……なに?
一目惚れとかそういうオチ?
これから親戚になるからフォロー?
それとも貴族が相手にする賞賛の一つ?
いや、優斗としても普通に考えれば後者二つなのだが、どうにも熱が入っている気がしなくもなく。
判断に困る。
「…………あ、ありがとうございます」
ココが少し顔を赤くしながら頭を下げた。
「い、いえ、女性を褒めることも王族たる自分の責務です」
対してラグフォードも少し、顔が赤みがかっているのは優斗の気のせいだろうか。
「そ、それよりお二方。この中庭にある彫像、これが誰だか分かりますか?」
ラグフォードが急に話題を振ってきた。
気付けば前には大きな彫像がある。
「……大魔法士マティス?」
ココが首を捻りながらも答えると、ラグフォードが頷いた。
「ええ。ミラージュ聖国建国の祖であり、歴史上で数々の名を残している大魔法士マティス様。我々の誉れです」
誇り高いように告げるラグフォード。
だが、優斗は彫像を見て、
「……男性……か」
一言、呟く。
それは小さく、誰の耳にも届かないと思えるほどの小ささ。
けれど耳敏くラグフォードが捕らえた。
「……ユウト様」
だからこそ問う。
先ほどの質問から合わせれば、優斗の知っている“マティス”が何者なのか、疑問が沸く。
「今の言葉と先ほどの“何人”という質問。ユウト様は何を知っておられるのですか?」
問われた優斗は少し驚いたが、しばし考えると……口を開く。
「これは冗談だということを前提とした話として、了承して聞いていただけますか?」
「……? はい」
「何が始まるんです?」
ココが尋ねる。
「大魔法士マティスの話だよ」
優斗はくすっと笑って話をする。
「ココは大魔法士マティスって、男性だと思ってる?」
「当然です。昔から絵本やお伽噺にはずっとマティスは男性だって書かれてます」
「でも違ったら?」
「女性ってことです?」
「まあ、そういうことになるのかな」
ラグフォードとココが首を傾げる。
優斗は言い方が悪かったな、と思いながら続ける。
「これから言うことは吃驚仰天が満載だから気をつけて」
あらかじめ前置きをして、優斗はラグフォードに問う。
「ラグフォード様。おそらく貴方はマティスの血筋であると思いますが……どうでしょうか?」
「その通りです。我々、王族はマティス様の血を引いております」
「では、貴方達の言う建国したマティスは最終的に妻がいた、と。そういうことですよね?」
質問の意図を理解しようとラグフォードは少し考える様子を見せ、
「……まさかマティス様の奥方が?」
「いえ、僕が言いたいのは娘のほうです」
ミラージュ聖国を造った人間も大魔法士も間違いなくラグフォードの先祖だ。
しかし同一人物というわけではない。
「実際に『大魔法士』と呼ばれていたのは建国した父ではなく娘なんです。マティス同様、父のほうも相当な精霊術士であったと聞いていますから、時が経つにつれ二人を混同したのだと思います」
加えて伝説と呼ばれた彼女の逸話は凄まじく、一つや二つ違う逸話があったところで今の時代では気付ける者もいない。
「ふぇ~、凄いです」
ココが感心する。
一方でラグフォードは、
「……大ニュースだ」
驚愕の話を聞いた瞬間であるというのに、すぐに信じてしまった。
「い、今すぐ皆を集め、ユウト様の話を教えなければ――ッ!」
あたふたとした様子を見せながら、慌てて話を広めようとする。
「待ってください、ラグフォード様。最初に言ったでしょう? 冗談として話を聞いてください、と」
「……そ、そうでした」
契約者が話すものだから、ラグフォードは真実偽りない話として受け取っていた。
というよりも今の話が嘘だとなぜか思えない。
けれども契約者が冗談だと言うのだから、今は自分の内に秘めておこうと思う。
「それにしても、本物は女性だったなんて驚きです」
「シャレにならないくらい勇ましかったらしいからね。お伽噺にあるやつ、大抵は本当らしいよ」
「そうなんです?」
「王女様と結婚した、とか本人が王女様だけに嘘だけど、冒険譚は大抵がマジ話」
「じゃあ、伝説の四竜を相手にして倒したっていうのも本当なんです?」
「好々爺から聞いた話だと、お伽噺以上に酷い。あの話、苦難の末に倒したってあるけど、実際は高笑いを浮かべながら瞬殺だったみたい」
一瞬だけパラケルススも契約したのを後悔したらしい。
「ユウとかシュウみたいです」
「ごめん。そこまでぶっ飛んだ存在にはなれないから」
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