第41話 二人の分岐点
義息子が出て行って、娘が出て行って、マリカと家に残っているエリスはすでに一時間ほど考え込んでいた。
「どうしてこうなっちゃったのかしら、ね」
フィオナが原因だというのは分かりきっている。
けれど普通なら、いぶかしんで終わりのはずだ。
優斗のように考えることはないように思える。
「けれど、そう思っちゃうのがユウトなのよね」
エリスは大きく息を吐く。
――分岐点なのかしら。
二人が上手くいくのか、それとも駄目になるのか。
「こんなことで、ねぇ」
切っ掛けはフィオナが避け始めたこと。
理由がくだらないことなのか、本当に大きなことなのか。
エリスには判断できないけれども。
ただ、一つ分かっていることは。
――フィオナの態度は最悪ってことかしら。
くだらないことであるのならば対応はもっと上手くやれと言いたいし、他に好きな人が出来たのならば直接言ってやれ、と思う。
フィオナは人付き合いが下手だから仕方ないとも思うが、最低限のラインというものはある。
――特に相手がユウトなんだから。
さらに大きなため息が出てくる。
と、その時だった。
バタバタと騒がしい足音を鳴らしてフィオナが帰ってきた。
顔は蒼白だった。
「お母様! 優斗さんは!? 優斗さんはどこへ行きました!?」
「何よ突然」
フィオナのおかしな様子に眉根をひそめる。
「優斗さんは……!?」
「いないわよ。ギルドの依頼受けて明日まで帰ってこないわ」
「な、なんでですか!?」
フィオナが訊いてくるが、エリスとしては問う理由がわからない。
「貴女のせいじゃないの」
他の誰でもなく、フィオナのせい。
「貴女が避けるからユウトだって避けたのよ」
「……ち、違うんです」
フィオナはうろたえ、否定するがエリスは言葉をやめない。
「だってそうじゃない。フィオナの態度が明らかにおかしかったのは私もマルスも気付いてたわ。もちろんユウトなんて避けられた張本人なんだから当然の話よね」
だからこそ優斗は、ああいう結論に出たのだ。
「ユウト以外に好きな人でも出来たの?」
「そんなのありえません!!」
フィオナが全力で否定する。
「じゃあ、どうして避けたのよ?」
「……優斗さんを驚かせたくて内緒でマフラーと手袋を編んでたんです。けれど優斗さんはすぐに気付くだろうから、頑張って顔を合わせないようにして、話さないようにしてたんです」
「…………驚かせたいって……」
エリスは開いた口が塞がらない。
言いたいことは分かる。
やりたいことも分かる。
けれど、告げるべきことは一言。
「馬鹿ね」
ただ、これだけだ。
「……やっぱり……ですよね」
「当たり前じゃない。ユウトの性格を分かってないわ」
他の誰にやってもいいが、優斗にだけは駄目だ。
「確かにあの子は聡いわ。それに強い。身体も心もね。けれど大切な人に対しては恐がり、臆病、小心者」
とにかく変化を恐れる。
「知ってるわよね。あの子の“大切”にフィオナも入っていることを」
エリスの問いかけにフィオナは恐る恐る頷く。
「特に貴女なんて“大切”の中でも特別。一番輝く宝石みたいなものよ」
一番大事にされている。
「でも、あの子の“大切の仕方”を知ってる?」
エリスが告げた瞬間にフィオナの表情がハッ、とした。
「相手を縛らないし、相手のことを考えて自分のことは考えない」
大切。故に縛るのではなく。
大切。故に縛らない。
「だから今回、貴女が避けたからユウトも避けたし、少しでも貴女の迷惑にならないような動きをしようとした」
問い詰めることもせず。
怒ることもしない。
ただ、フィオナが望んでいるであろう動きを考え、実行した。
「人としては歪で欠けてるとは思うけどね。けれどそれが、あの子の大切の仕方」
どこまでも他人優先で、自分を一切顧みない。
完全なる自己放棄による、可笑しな愛情表現。
「ビックリさせたかったのも分かるわ。フィオナの気持ちだって私にはよく分かる」
好きな人相手ならば当然だ。
「けれどね、あの子にだけはやったら駄目なのよ」
特にフィオナだからこそ。
優斗の心に一番入り込んでいるフィオナにやられてしまえば、容易に傷になってしまう。
「気付いてる? そんな子が五日も頑張って待ってたのよ。待って、待って、待って……それでも避けるから結論を出した」
時間が経てば経つほど不安も結論を出した時の傷も大きくなるのに。
「今までのユウトだったら、二日が限界だったでしょうに」
心に受ける傷を少なくするために。
「私はね、それほど頑張ったあの子を責めることなんてできない」
できるわけがない。
「フィオナ。これだけは言っておくわよ」
だから優斗の義母として。
伝えなければならない。
「貴女が好きになった男の子は歪んでるわ」
今一度、真実をフィオナに。
「今なら分かるわ。ユウトの過去を全部聞いた今なら」
優斗が自身に抱いている不安が理解できる。
「自分の感情を殺して相手のために動く。ある程度なら分かるけれどユウトほど自己を放棄して、となると……異常よ」
おそらくは反動なのだろうと思う。
“大切にされず縛られてきた”からこそ“大切にしたからには縛らない”。
好きな人に対してある程度、束縛したいという欲求が生まれるのは当然の理であるだろうが、優斗には全くない。
もしかしたらできないのかもしれない。
「まあ、私はだからこそユウトが愛しい。大切な義息子が間違っているなら、正しい方向へ導いてあげたいと思ってる」
時間が掛かってもいい。
それでも義母として。
教えてあげたいと思っている。
「けれどフィオナはどうするの?」
だから問いかけよう。
エリスは“義母”として答えを出したから。
フィオナはどうするのか、を。
「癒やしてあげられる? 守ってあげられる? あの子がフィオナにだけは知られてほしくなかった過去から得てしまった歪んでいる心を」
ただ一人。
唯一過去を伝えられなかったほど大切にされているフィオナは。
「ユウトの傷を癒やして守れるの?」
彼を幸せにできるのだろうか。
「これからだって似たようなことがあるかもしれない。端から見れば些細なことでもユウトにとっては傷つくことが」
彼女が原因で。
「他の誰でもない、フィオナのせいで」
「…………」
あまりにも真剣なエリスの問いかけ。
フィオナが息を飲んだ。
「今回だって貴女がユウトを避けたから、現状が出来た」
避けられたからネガティブに考えて。
馬鹿な結論を出して。
そして傷ついた。
「フィオナ。ここが分岐点よ」
きっと優斗とフィオナの。
二人がどうなるかの分かれ道。
「本当にあの夜の願いを貫き通せるの?」
優斗の過去を知った日。
フィオナは言った。
『辛い過去があるなら癒やす』
『弱虫な貴方がいるなら守る』
『優斗を支えるのは自分の特権』
自分は仮初めでも偽物でも今は優斗の妻なのだから。
そう言ったはずだ。
「けれどね。もし、願ったことが出来ないなら――」
今からでも遅くはない。
「――ただの家族になりなさい」
◇ ◇
真剣に。
大切な義息子を守るために問いかけられた言葉に。
フィオナは。
「…………嫌です」
ただ、胸の内を伝えることしか出来ない。
「……嫌です」
だから否定する。
「嫌なんですっ!」
母親の言葉に真っ向から拒否する。
「ただの家族になんて、なりたくありません!」
この気持ちを捨てろというのか?
冗談じゃない。
「私が欲しいのは“親愛”じゃないっ!」
求めているのはそんなものじゃない。
フィオナが優斗に求めているのはたった一つ。
「“恋愛”です!」
これだけだ。
「だって……」
この世界の誰よりも。
「だって…………」
この世の中の誰よりも。
「フィオナ=アイン=トラスティは宮川優斗を愛しているから」
誰よりも彼のことを愛している。
親愛なる彼を愛しているのではない。
恋愛なる彼を愛している。
「だからこそ――」
続けて浮かぶ言葉に、自分は本当に強欲になったのだと感じる。
前は『私が彼を愛しているだけなのですから』と言っていたくせに。
今はもう、そんなこと思えない。
――愛されたい。
この世界で誰よりも優斗に愛されたい。
「私は――」
偽物じゃなくて。
仮初めじゃなくて。
「優斗さんと本当の夫婦になりたい」
彼を支えてあげたいから。
「本当の婚約者になりたい」
彼を癒やしてあげたいから。
「本当の恋人になりたい」
彼を守ってあげたいから。
「もう、願いを違えることはしません」
己に誓う。
「私は一生を優斗さんと添い遂げます」
今回のような真似は二度としない。
「これが私の――答えです」
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