第38話 伝え聞く過去

 久しぶりに五人で夕飯の食事をしていた。

 普段はマルスの帰りの時間が不定期のために四人が多いのだが、本日は仕事が早く終わったとのことなのでマルスが早々に帰ってきたのだ。

 優斗はマルスが早く帰ってきたことで、一つの決心を固める。

 

 ――今日、話そう。

 

 このあいだ、決めた。

 自分の過去をちゃんと話すと。

 他人に知られたら嫌な過去だけど。

 この人達には、知ってもらいたいと思ったから。

 優斗は夕飯が終わりフィオナがマリカを寝かしつけに部屋に行くのを見て、マルスとエリスに時間をもらった。

 

「時間と取ってくださってありがとうございます」

 

「それはかまわないんだが」

 

「何の話をするの?」

 

「僕の昔話をしようと思いまして」

 

 優斗の言葉に二人とも一様に驚いた表情を浮かべた。

 

「いいのかい?」

 

「別に話さなくてもいいのよ」

 

 多少なりとも優斗の過去を知っている二人は、気を遣ってきた。

 

「いいんです。これ以上、黙っておくことはできないって思いましたから」

 

 大切にしてくれるからこそ。

 自分を義息子だと言ってくれるからこそ。

 

「しっかりと話したいんです」

 

 

 

 

 優斗は大きく息を吸って……吐いた。

 

「どう説明したらいいか分からないので、最初から順に話していきたいと思います」

 

 身の上話をするのはこれで2度目だ。

 さすがに修達の時とは別の緊張感がある。

 

「まずは僕の両親のことから話したいと思います。僕の両親はこの世界で言えば、商工の代表でした。そして商工を一代で大きくさせた手腕の持ち主でもありました」

 

 晩年に至っては数百億という利益を得ていた。

 

「真っ当じゃない方法も使って」

 

 不正ギリギリ。

 もしかしたら平然と不正をしていたのかもしれない。

 

「悪党のごとく乗っ取り、幾数もの商工を潰し、たくさんの人々の生活を破滅させていました」

 

 だから両親は当然。

 

「もちろんですが結婚も愛あるものではありません。政略結婚みたいなものです」

 

 会社の利益になるため、一家の利益になるため。

 これだけの理由で自分の両親は結婚した。

 

「そして僕は両親から帝王学……とでも言えばいいでしょうか。勉学、運動、芸術の分野などのありとあらゆるものにおいてトップであることを強要されて生きてきました」

 

 物心ついたころには、勉強していた。

 

「幼少のころからずっと学ぶことだけを強要された当時の僕は、今から見れば感情のない人間……いえ、感情を動かすことのない人形だったでしょう」

 

 初めて会ったときのフィオナよりもずっと。

 無感動に、無表情に。

 誰よりも心を凍らせて、止めていた。

 ただ生きていただけの人形。

 

「失敗をすれば食事も抜かれますし、殴る蹴るは日常茶飯事。命の危機だって何度あったかもう覚えていません。誰かに負ければ当然、存在すら否定されてきました。『結果が出なければおまえはこの家にいる価値がない』と」

 

 ずっとずっと、そうされてきた。

 強制を指定されてきた檻。

 

「僕は当たり前だと思っていましたが、小等学校に通い始めればさすがに自分の境遇があまりにも違いすぎることに気付きました」

 

 友達と遊んでいる同世代を見るたびに。

 自分が彼らと違うものだと見せつけられた。

 

「そして思ったんです。なぜ自分だけがこうなのだろう、と。どうしてここまでされなければならないのだろう、と」

 

 憧れた。

 彼らの生き方に。

 

「もちろん、友達が作れるわけもなかった。両親ともに僕に友人など不要と思っていましたから」

 

 友人などお前には要らない存在なのだと。

 価値のない屑が滓になるつもりか、と。

 何度も何度も言われ続けた。

 

「けれど9歳になったころ、僕は思いました」

 

 子供の浅知恵みたいなものだけど。

 

「元凶が両親ならば、この二人が死んでしまえばいい。いっそ殺してしまおう。感情の赴くままに決めました」

 

 今から鑑みれば、あまりにも子供らしい短絡的な考えだった。

 

「自ら手を汚したことばバレれば犯罪になる。やるならば完全犯罪を行わなければならない。決意してからの日々は、常に両親を殺す計画を算段していたような気がします」

 

 自分が殺したことを警察に悟られずに。

 いかに両親を殺すか。

 ただ、一心に考え続けていた。

 

「けれどある日、転機が訪れたんです」

 

 あっけないほどに。

 それは来た。

 

「10歳の年末の頃です。両親に潰された商工の人間が家に上がり込み、包丁を持って暴れたんです。自室にいた僕は、乗り込んできて暴れる彼を取り押さえることもせずに捕らえられました。当時の僕でも取り押さえることは簡単でしたが、僕を殺すつもりがないことに気付き抵抗せずにいました。そして手錠をかけられました」

 

 けれども殺さないだけで。

 死ぬ以上の絶望を知れ、と視線が雄弁に語っていた。

 

「リビングに連れていかれて、始まったのは殺戮です。両親はすでにお腹を刺されて蹲っていましたが、気にせず何度も何度も全身をくまなくメッタ刺しです。命が失われたあとも、何度も。何片にも切り刻まれ、肉片がそこら中に転がりました」

 

 血なまぐさい臭いが。

 リビングに充満していた。

 幾片もの欠片が散り、悪夢と言える状況が生まれた。

 

「この光景を僕に見せたかったのでしょうね。お前の両親はこんなことをされる人間なんだと。教えたかったのだと思います」

 

 数えられないくらいに繰り返す。

 両親が刺される瞬間を。

 肉塊が転がっていく光景を。

 ありとあらゆるものを引きずり出し、また切り刻んでいく状況を。

 優斗の目に焼き付けようとしていた。

 

「そのあと、彼は満足したように自首しました。己が殺意の満足と、僕に一生分の傷を心に負わせたものだと信じて」

 

 あくまで普通の両親で。

 自分が普通の子供なら。

 彼がやったことは大いに意味があっただろう。

 

「だけど僕は……何も悲しくありませんでした。殺そうと思っていた両親が死んだ。しかも自分が手を掛けることもなく。本当に良かったと、最高の結果だとさえ思いました」

 

 自分の手を汚す必要がなくなったのだから。

 けれど、両親が死んだからといっても決して終わりではない。

 

「両親は莫大な保険に入っていたので、僕は受け取ることになりました。ですがその大金をかすめ取ろうとした汚い大人が大勢、押し寄せてきました」

 

 養親に、後見人に、親族だから、と。

 莫大な遺産に目がくらんだ人々がやってきた。

 

「僕は彼らを全力で拒否しながら、自ら後見人を立て、全て振り払いました」

 

 ずっと立ち向かってきた。

 嘘と欺瞞に満ちた言葉と暴力。

 粗暴で野蛮な感情。

 その全てが向けられてきた。

 本当に、自分以外に信じられる者などいなかった。

 自分以外を信じてはいけなかった。

 どれだけ辛くても。

 どれほど苦しくても。

 他の誰かを信じて逃げることは許されなかった。

 

「無慈悲という言葉が生温いほど凄惨で、相手が許しを請うても尚……容赦はしない。一厘の甘えも優しさも与えず、残酷なまでに叩き潰しました」

 

 そうでないと駄目だった。

 

「やらなければやられる。これほど的確な言葉はありません」

 

 そして同時に大人とはなんて汚い存在なんだろうと。

 子供ながらに悟った瞬間でもあった。

 

「何もかもが終わったころには学校も一つ上に上がり、中等学校に通い始めました」

 

 事件があったから引っ越しをして。

 何も知らない土地で一人、生きていく決心をした。

 

「初めて僕は自分で何かするということを試みました。性格を変えるために口調を変え、自分で選んだ部活に入り、自分の意思で遊び、見てみたいと思ったアニメを見て、ようやく生きている実感を得ました」

 

 のめり込みすぎて、軽いオタクになってしまったのは愛嬌というものだろう。

 

「でも、自由を得たということは同時に敷かれたレールがなくなり、将来のことが白紙なった瞬間でもあります。自分で考えて未来を描かなかった僕は……将来を想像することができない人間になっていました。明確に願っていたのは両親の殺害だけなのですから」

 

 子供らしい夢を持つこともなく。

 ただ、殺すことだけを考えていた小学校時代。

 

「けれどいずれ見つかるだろうと考え、僕は一日一日を生きていき、そして修達と出会いました」

 

 親友達と出会った。

 

「それからの日々は……本当に楽しかったんです。高等学校に上がるときも僕はどこに行こうか考えていませんでした。実力的にも財力的にも様々な学校を狙えました。けれど、選んでいる時にあいつらが言ってくれたんです。『どうせだったら同じ学校に入ろうぜ』って」

 

 簡単に。

 まるで世間話をするかのように言ってくれた。

 

「嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて、僕は……自分がどういう人間なのかを教えました。彼らなら受け入れてくれると思ったから」

 

 性格も。

 過去に起こった事件も。

 余すことなく伝えた。

 

「互いに何となくではありますが、気付いていた事実――彼らも同じような境遇だと全員が知って、納得と同時にもっと大きな仲間意識が芽生えました」

 

 唯一無二だと。

 一生涯の友人だと。

 心から思えた。

 

「そして同じ高校へと進学した僕らは楽しく過ごして……あの召喚の日を迎えました」

 

 あのスキー旅行での。

 召喚に繋がる。

 

 

 

 

「……これが僕の全てです」

 

 全てを言い切ると、優斗は大きく息を吐いた。

 

「実の両親に殺意を抱き、殺そうとしていたこと。助けられた両親を見殺しにしたこと。そして襲いかかる悪意に対して容赦なく、遠慮なく、向こうが『殺してくれ』と思うほどに叩き潰したこと。これは……紛れもない事実です」

 

 否定できない自分の過去だ。

 

「切り離すことなどできない、間違いなく存在した昔の僕です」

 

 あまりにも醜い、隠したい過去。

 

「僕の今の性格は、僕が理想としていた性格なんです」

 

 強く、優しく在る。

 ある意味で仮面をかぶっているようなものだ。

 

「本当の僕は臆病ですぐに人を恨み、憎み、殺そうとする……弱虫な性格なんです」

 

 弱すぎるほどに弱い自分。

 マルスとエリスはどう思うだろうか。

 

「……それだけかな?」

 

 マルスは全てを聞き終えると、一言だけ訊いてきた。

 

「はい」

 

 優斗は頷く。

 マルスは優斗の頷きに、少しも動揺することはなかった。

 

「私は過去を知ったところで、君を義息子じゃない……などと言うつもりはない」

 

 言えるわけがない。

 

「理想の性格? 結構じゃないか。最初は仮面だったとしても、今は立派に君の性格だよ。そう在りたいと望み続けて得られた君自身だ」

 

 もう立派に優斗の性格なのだ。

 否定してはいけない。

 

「私は君の過去を知れて……よかった」

 

 きっとマルスが考えている以上に辛い過去だろう。

 推し量ることなんてできない。

 けれど、

 

「私は君が息子であることを誇りに思うよ」

 

 マルスはただ、微笑んで優斗に真意を伝えた。

 続いてエリスは、

 

「――っ!」

 

 右手を一閃、優斗の頬にたたき込む。

 

「馬鹿じゃないの!? どうして早く言わないの!!」

 

 思いっきり怒鳴った。

 張られた左頬を触りながら、優斗は少しだけ唖然とした。

 まさかビンタをされるとは思っていなかった。

 

「す、すみません。結構スプラッタな内容もあるので迂闊に話せるものでもないかな、と。二人に嫌われるのが怖かった、というのもありますし」

 

「さっさと言いなさいよ! 私がユウトのことを嫌うわけないんだから!」

 

 そして初めて優斗がエリスのことを『義母さん』と呼んだ日と同じように、彼女は優斗を抱きしめた。

 思わず、涙まで出てくる。

 優斗は苦笑した。

 

「相変わらず、義母さんは僕のために泣いてくれるんですね」

 

「母親なんだから……当たり前よ」

 

「……はい」

 

 今はもう、断言できる。

 誰にも否定なんてさせない。

 優斗にさえ、させない。

 

「ユウトは絶対、何があってもうちの子だから。忘れたら怒るわよ」

 

「……はい」

 

「貴方が昔の貴方自身を否定したくても、私は肯定するわよ。過去の事実があったからこそ、私の大好きなユウトに会えたんだから」

 

「……はい」

 

 まさか。

 肯定されるとは思ってなくて。

 ……ちょっと力が抜けた。

 あんな過去でもあってよかったのだと。

 ほんの少しだけ、思えた。

 

「ユウト君。とりあえず気になったことがあるのだが」

 

「なんでしょうか?」

 

 エリスに抱きしめられながら、優斗はマルスに聞き返した。

 

「最初に黙っておくことができなくなった、と言っていたが何か切っ掛けがあったのかい?」

 

「その通りです」

 

 話そうと思った理由は、たった一つ。

 

「フィオナと真正面から向き合いたいんです」

 

 ただ、それだけ。

 

「正面を向いて彼女を見ていきたいから」

 

「だというのに、フィオナには言わないのかい?」

 

 矛盾している。

 フィオナに伝えなければ、優斗が綴った思いの丈も成就しない。

 

「直接言おうとも思ったんですが、上手く話せる自信がなくて。義父さんと義母さんから言っていただけると助かります。大切なのはフィオナが知ってくれる、ということですから」

 

 そう。

 ただ、自分の過去を知ってくれるだけでいい。

 この件だけは上手く話せる自信がなかった。

 

「内容が内容なだけに、怖がらせたくないんです」

 

 彼女は純粋で。

 優しいからこそ。

 怖がらせたくない。

 

「大切な女性だからこそ……絶対に」

 

 けれどそれは。

『大切な女性だから』というのを言い訳にして。

 フィオナだけには自らの口で伝えられないのは。

 彼女に嫌われたくないということ。

『二人──エリスとマルスに嫌われるのが怖いから』というのも本当だろうけれど。

 やっぱり一番は。

 『フィオナにだけは嫌われたくない』から。

 だから彼女にだけ伝えられない。

 つまりは、これこそが彼が自分で言っていた。

 弱虫だという証だ。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 そして今、エリスがフィオナに話している。

 優斗はその間、テラスでマルスと飲んでいた。

 あくまでいつものように過ごしている。

 

「本当に良かったのかい?」

 

「……分かりません。ただ、僕が説明するよりは良かった、と。思うしかないです」

 

 手に持ったグラスからカラン、と氷が甲高い音を響かせる。

 

「どの判断が正しいかなんて分からないですよ」

 

「……そうか」

 

 だから『正しいと思う』選択をしただけだ。

 その時、

 

「――ッ!」

 

 テラスへと繋がる窓が勢いよく開かれた。

 振り向く優斗とマルスの視界にいたのはフィオナ。

 手が震え、険しい様相をしている。

 彼女の様子から、話を聞き終えたのは判断できた。

 遠目にエリスの姿が見えるのも証拠だろう。

 

「フィオ――」

 

「私はっ!」

 

 話しかける優斗を。

 フィオナは遮った。

 唇を噛みしめ、ぐっと目を伏せる。

 

「…………私は……」

 

 泣きそうになる。

 声が震えた。

 

「……私は……っ!」

 

 嫌だった。

 大切な優斗の話を本人から聞けないなんて。

 

「……どんなに怖い内容だったとしても……優斗さんから直接聞きたかったです」

 

 父も母も優斗から直接聞いているというのに。

 自分だけは伝え聞いた。

 

「……私は……直接話すほどの価値もないんですか?」

 

 泣きそうになりながら問うフィオナ。

 彼女の様子に優斗は考えるよりも何よりも先に、否定の言葉を放った。

 

「違う!」

 

 そうじゃない。

 

「……違うんだ」

 

 言わなかったんじゃない。

 

 ――できないんだ。

 

 君に上手く話すことができなくて。

 どうやっても、ありのままの自分しか伝えることができなくて。

 少しでも和らげる話し方ができなくて。

 でも、それが言い訳だということも否定できなくて。

 

「……僕は…………」

 

 怖いだけ。

 

「凄惨なことを話して君を怖がらせたくないんだ」

 

 否定されたくない。

 

「上手く話せなくて君に嫌われたくないんだ」

 

 大好きで。

 大切で。

 かけがえのない女性だから。

 

「幻滅されたり、否定されたりしたら……」

 

 どうしていいか分からなかったから。

 せっかく一歩を踏み出そうと思っていたのに。

 その一歩の結果を少しでも良い方向に持っていく自信がなくて。

 本当に弱々しい一歩を踏み出すことにした。

 

「…………優斗さん」

 

 情けないと断言できるほどに情けない、彼の表情。

 フィオナが初めて見る優斗の姿。

 

 ――こんなに不安そうな優斗さんを見るのは初めてですね。

 

 いつもの強さは見る影もない。

 人によっては普段と違うからこそ幻滅してしまうかもしれない。

 けれど自分は違う。

 

「しませんよ」

 

 フィオナはゆっくりと優斗に近付き、彼の頬を両手で優しく触れると額同士を合わせた。

 ほんの数センチのところで視線が合う。

 

「否定も幻滅もしません。どんな優斗さんでも私は受け入れます」

 

 親を憎んでいたとしても、殺そうとしたとしても、弱虫だったとしても。

 

「例え過去に何があったとしても、です」

 

 自分は受け入れてみせる。

 優斗が自分にしてくれたように。

 

「貴方は私と出会った時、私を受け入れてくれました。無口で話すことが苦手な私を」

 

 けれどもお喋りをしてみたい自分を。

 

「貴方だって緊張してたというのに、頑張って話しかけてくれました。優しく笑って私を受け入れてくれました」

 

 ただ、ただ。

 嬉しかった。


 ――そして思ったんです。


 宮川優斗のことが知りたい、と。

 例えどのような過去があったとしても、だ。

 

「だから今度は私の番です」

 

 貴方がしてくれたように。

 

「辛い過去があるなら私が癒やしてあげます。弱虫な貴方がいるなら私が守ってあげます」

 

 だって、そうでしょう?

 

「だって私達は――」

 

 誓いも何もしていないけれど。

 

 

 

 

「――夫婦じゃないですか」

 

 

 

 

 例えそれが。

 

「仮初めでも偽物でも今は……私は優斗さんの妻です」

 

 ならば自分が彼を信じないことも認めないことも許さないわけもない。

 

「だから貴方を支えます」

 

 ここまで言って、やっとフィオナは微笑んだ。

 

「貴方を支えるのは私だけの特権です」

 

 優しいフィオナの言葉が優斗に染み渡る。

 彼女の温かさが両の手から、言葉から届いてくる。

 

「……ありがとう」

 

 感謝の言葉。

 他には何も言えなかった。

 今思えば、なんで怖がっていたのだろうと思う。

 フィオナはこんなにも優しくて純粋で……何よりも強い女性なのに。

 頬と額から伝わる彼女からの温もりに優斗の表情が綻ぶ。

 が、ここにいるのは優斗とフィオナだけではなく、

 

「あー、お前達。こういうことは親がいないところでやってくれると助かるんだが……」

 

 非常に居づらそうなマルスが声をかけた。

 

「「す、すみません!」」

 

 ぱっと二人が飛び退く。

 ついさっきまでのシリアスな状況とは違い、一瞬で二人が茹で蛸になる。

 何とも対照的な光景にマルスから笑いが漏れる。

 

「いや、なに。場所を考えてくれと言っただけだ。私は今のようなことを咎めるつもりは全くないよ」

 

「お父様っ!?」

 

「いや、ちょっ、それは!!」

 

 大慌てで否定なのか何なのか分からない声をあげる二人。

 

「はっはっはっ。私はそろそろ部屋に戻るとしよう。二人はこのまま残るのかい?」

 

 からかうようなマルスの問いかけに、

 

「戻ります!」

 

「私もです!」

 

 真っ赤にしながら優斗とフィオナはそそくさと家の中へと入っていった。

 マルスはそんな二人の様子を見ながら、再び座ってグラスを煽る。

 

「なんというか、見ていてもどかしいというのはこういうことなのだろうな」

 

 気分が良かった。

 優斗が自分の過去を話してくれたことも、義息子と娘の仲むつまじい様子を見れたことも。

 

「願わくば、あの二人が本当の夫婦になってくれると私もエリスも安心するんだが」

 

 マルスにとって優斗以上にフィオナを預けるに足る人物など存在しない。

 

「なんて言っても、時間の問題か」

 

 あの様子を見せられたら。

 思ってしまうのも当然だろう。

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