第23話 パーティーパニック②

同時、皿が割れる音を聞いて下卑た笑い声をあげた者がいる。

 

「ははっ、始まった始まった」

 

 慌てふためく周囲をよそに、ニタニタと笑う男――ラッセルは満足そうに何度も頷く。

 悲鳴が起きたということは修か優斗、そしてフィオナの三人のうちの誰かはすでに死んでいるだろう。

 いい気味だ、とラッセルはほくそ笑む。修は自分に対して敬意を払いはしないし、優斗は大舞台で不正を働いた。フィオナもフィオナで将来の夫に対する態度ではない。

 特にラッセルが問題視しているのは優斗だ。彼が学生闘技大会の際、自分に『不正を使って勝った』のは明白だ。だから決勝でわざわざ罰を与えようとしてやったのに、運良く助かったらしい。

 ならばここで前回の分も兼ねて灸を据えなければならない。彼らがパーティーに参加するのを知ったのは偶然だったが、おそらく修達が平民という立場にも関わらずアリーにゴリ押しして頼んだ結果だろう。

 相も変わらず醜い奴らだとは思うが、三人ともいるならば話は早いと思い、ラッセルは“とある連中”に依頼を頼んだ。凄腕チームらしく金は嵩んだが問題は無い。

 しっかりと仕事をしてくれさえすれば、自分の思い通りに進むのだろうから。


 

     ◇      ◇


 

 優斗の右肩に痛みが走る。異物が肉を裂いて突き進んでいくが、その感触が唐突に無くなった。


 ──もう一回かッ!


 優斗は振り向きながら右腕も振り上げる。ナイフが自分を目掛けて突き進んできた。

 肩が痛むがどうでもいい。迫ってくる刃をタイミング合わせて握り締めた。

 ナイフなどの刃物は刃を引くことによって対象物を斬る。つまりナイフの刃を全力で握ったところでナイフ本来の切れ味を発揮することはない。

 

「……お前、やるなぁ」

 

 優斗と相対する人物。ひょろ長い男の視線が優斗を貫く。男がナイフを引き抜こうとするので、刃から手を離した。

 いくら斬れにくいとは言っても、当たり前だが斬れないわけじゃない。

 手の平と指の第二関節あたりは横一文字に傷ができて血が溢れていた。

 

「優斗さん!」

 

 フィオナが駆け寄って、治療魔法を使おうとする。

 

「す、すぐに治します!」

 

「いや、いい。そんな猶予を与えてくれるわけもないよ」

 

 けれど優斗は男から視線をずらさない。特に注意を怠らないのは彼が持っているナイフ。

 普通のどこにでもあるような物ではなく、何かしらの変な違和感がある。

 

「おい、お譲ちゃん。このナイフに斬られたら普通の治療魔法じゃ駄目なんだよ。“呪い”が掛かってるからな」

 

 意気揚々にひょろ長い男は笑う。周りの参加者が事態に気付き、誰も彼もが騒ぎながら大急ぎで出入り口に向かっていた。特に気にする様子なくひょろ長い男は会話を続ける。

 

「つっても、魔法では治せないってだけで自然治癒はしちまうんだけど」

 

「おしゃべりだね」

 

「失敗しちまったからな。予想外だったぜ、まさかあのタイミングに防がれるなんてな」

 

 完全に仕留められるタイミングだったはずなのに、感付かれるどころか助けてしまうとはひょろ長い男も思っていなかった。

 

「直前で殺気を出せば普通に気付ける。それで狙いは何人?」

 

「おいおい、言うと思ってるのか?」

 

「失敗した以上、殺害対象以外はいなくなったほうが都合いいでしょ?」

 

 挑発するように優斗が鼻で笑った。ひょろ長い男も彼の言いたいことが分かったので、肩をすくめる。

 

「そりゃそうだが、人質っていうのも必要でね」

 

「他人なら切り捨てるよ」

 

「なら友人でも人質にさせてもらおうか」

 

 そしてひょろ長い男は別のところ――修達へと視線を向ける。

 


       ◇      ◇


 

 振り降りてくる鉈を修は一歩横に踏み出して半身になり躱す。

 二撃目は……来なかった。

 

「狙いは俺か?」

 

 大男が一つ、頷いた。

 

「シュウ・ウチダ、ユウト・ミヤガワ、フィオナ=アイン=トラスティ。以上の三名だ」

 

「よく分かってねーけど、殺し屋ってやつか?」

 

 自分達がいた世界にもいたのだから、この世界にいても問題ない気がする。けれど大男は首を横に振った。

 

「暗殺者だ」

 

「いや、そんだけ大暴れしといて暗殺者ってなんだよ」

 

 周囲の貴族達が慌てて外へと逃げ始めている。

 暗殺っていうのはもっと緻密に密やかに行われるものではないのだろうか? と修は思う。

 

「では他の方々は出て行っても構わないでしょう?」

 

 気付けば修の隣まで来ていたアリーが大男に堂々たる態度で告げた。

 

「……そうだな」

 

 大男は首肯するが、ひょろ長い男が合流して首を横に振る。すぐ後ろには優斗達もいた。

 

「ちょっと待てって。それじゃ逃げられちまうかもしれねぇだろ」

 

 混乱に乗じて逃げられてしまっては元も子もない。

 

「対象以外も何人か残せって」

 

「……ということだ。ここにいる人間は残ってもらう」

 

 


 

 貴族達が出て行くのを確認したあと、暗殺者達は内側から鍵を閉める。

 いざとなれば壁を壊して逃げることは出来るかもしれないが、生憎と建物は易々と壊れないように特殊な魔法で守られている。

 しかし普通の魔法であれば壊すまで少々時間を喰ってしまう。だからこその施錠だ。

 逃げられないようにするために。完全に主導権を握ったはずの暗殺者達だったが、残った面々は緊張を滲ませるわけでもなく、むしろリラックスさえしているように思えた。

 

「今回の件、お前らに依頼したのはラッセルだよな?」

 

 そして修が呆れながら質問した。とりあえず暗殺対象となっている三人で依頼した人物が誰なのか分かる。

 闘技大会の時に現れたカルマの時もそうだったが、あまりに明確すぎて逆に疑いたくなるレベルだ。

 

「訊かれて頷くバカがいるかっての」

 

「つっても本人がそこにいるんじゃ、しょうがねーだろ」

 

 そして何よりもはっきりとした理由に修が指先を会場の隅にやる。そこには格好つけるように腕を組み、壁に寄りかかっているラッセルがいた。

 

「やあ、諸君」

 

 優斗達に向かって歩いていくるラッセル。

 

「この私が君達を断罪しに来てやったよ」

 

 聞いた瞬間、全員の頭にハテナマークが灯る。意味が分からないといった表情の彼らに対して、ラッセルは意気揚々と説明を始めた。

 

「平民の分際で貴族の私に対する横柄な態度。闘技大会という場で不正を働くという不埒な行為。そして私の妻になるのに理解していない行動。全てが万死に値する」

 

 だが、説明すらも説明の体を成していない。というか何を喋っているのか全員が理解できなかった。

 

「……修は意味、分かる?」

 

「いや、分かんね」

 

 優斗と修は頭に特大の疑問符を灯す。

 

「私がいつ彼の妻になるんですか? 可能性がありません」

 

「ユウト君の関係を知らずとも、このようなことをしでかす輩に対して娘を嫁がせるなど絶対にありえない」

 

 フィオナとマルスを憤り、

 

「バカも休み休み言ってほしいですわね」

 

 アリーが呆れ返り、

 

「あいつ、子爵だったろう?」

 

「……ラッセルがあれほど馬鹿だとは私も知らなかった」

 

 和泉とレイナが頭を抱えた。何か薬でも使っているのではないかと思うぐらい、訳の分からない話に全員で溜め息を吐く。

 

「何をこそこそ話しているんだい?」

 

「いや、どうしたら貴様の考えた結論に辿り着くのか分からなくてな」

 

 誰もが関わりたくなかったので、しょうがなく代表としてレイナがラッセルに応対した。

 

「まず妻にすると言っているフィオナをどうして殺す?」

 

「別に本当に殺すわけじゃない。私はこういう物を持っているのでね」

 

 懐から水色の透明なガラスに入った小瓶を見せる。

 

「霊薬か?」

 

「そうだ。死んだ者すらも蘇らせる霊薬。将来の妻には教育が必要だと感じたのでね。死ぬほど痛い目に会わせようと思ったのだよ」

 

 ラッセルの説明にレイナだけではなく、全員が理解する気力を失う。もう、本当に可哀想な人なんだと割り切るしかなかった。

 

「……馬鹿なのだな、貴様は」

 

 心の底からレイナが諦めた表情を浮かべる。

 

「貴様は子爵だろう?」

 

「そうだ」

 

 誇るように胸を張るラッセル。だが、

 

「ここにいるのは子爵に伯爵、そして公爵に王族だぞ。少なくとも子爵のお前は同率で立場が一番悪い」

 

「なっ!?」

 

 レイナが言ったことに驚くラッセル。

 

「ど、どうしてだ!? 貴様らは田舎者だと言っていたじゃないか!!」

 

 そして修達を指差す。まあ、確かに田舎者だと自己紹介したが今は違う。

 残念ながら貴族になった。レイナはさらに追撃するように言葉を続ける。

 

「しかも、だ。貴様はこの場をどうやって終わらせようとしている? アリシア様を人質にした以上、どのような理由があろうとも罪は負う」

 

 あまりにも酷い状況になっているので、ラッセルが何を考えているのか本当に理解できない。

 そして優斗も面倒になったのか盛大に溜め息を吐いたあと、

 

「この際、幾つか勘違いしてるようだから教えてあげる」

 

 嘲るように笑った。もう面倒だからネタ晴らしをしてもいいだろう。

 ラッセルにしても暗殺者二人にしても、まともに外に出してやるつもりなど毛頭ないのだから。

 

「貴方達はこの国の『勇者』って知ってる?」

 

「何ヶ月か前に亡くなったじいさんだろ?」

 

 ひょろ長い男が答える。

 

「だったら新しい勇者はどうしたのかな?」

 

「条約もある。世界情勢としては安全だからこそ、勇者を未だに呼んでいないという話がある」

 

 今度は大男が答えた。けれど優斗は鼻で嗤って馬鹿にする。

 

「条約? 安全? 馬鹿だろう、お前ら。いつ、どんなことがあるかもしれないのに『異世界人』を召喚しないわけがない」

 

 そして優斗は一人の少年を促した。

 

「修」

 

 名前を呼ばれると、彼は当然のように右手の甲にある『勇者の刻印』を浮かび上がらせる。

 

「こいつが今回、異世界から呼ばれた『リライトの勇者』だ」

 

「な――っ!?」

 

 ほとんど驚愕と言っていいほどの表情を浮かべた三人に対して、優斗はさらに告げる。

 

「だから僕達が閉じ込められた、ではなくお前らが閉じ込められた。もっと言えば、ここにいるメンバーで異世界出身が修だけだと思うなよ」

 

 ラッセルと暗殺者たちを心理的にどんどん追い詰める。そして優斗が何よりも気に喰わないのはラッセルのふざけた妄想だ。

 

「あと、お前はフィオナを将来の妻だとか言ってるけど──」

 

 馬鹿も休み休み言え。

 

「現時点でフィオナは僕の妻だ。どうすればお前の妻になるんだ?」

 

 圧倒的な挑発を優斗はラッセルに叩き付ける。闘技大会の帰り道に二回目はないと誓ったからこそ、肩から血が出ていようが手の平から血が滲もうが関係ない。

 完膚なきまでに潰すと決めた。

 

「そ、そんなもの全て嘘だ!!」

 

 大声で否定するラッセル。しかし、

 

「いいえ、事実です。機会があるのであれば、王家で保管している書類でも見せてあげますわ」

 

 涼しい顔でアリーが突き刺すように事実を述べた。

 

「ユウト君とすでに夫婦だということを知らなかったとはいえ、フィオナの親である私の前で醜態を晒して、どうして妻にできると思ったのかが知りたいものだね」

 

 人質を取ったのは暗殺者達の判断だろう。けれど捕まっている面々を考えれば、どうしたって失敗したことに気付くはずだ。フィオナの父である自分とアリーがこの場に残ってしまっているのだから。

 すると優斗が想像だということを前置きしながら、ラッセルの考えを予想する。

 

「彼の考えを手に取るにように分かるのは無理ですけど、彼の妄想していた通りに話が進んでいたら、死の淵にいたフィオナを助けた……とか、暗殺者に狙われていた彼女を救った……とか、くだらないストーリーでフィオナを虜にして救い出せると思ったんじゃないでしょうか。まあ、今の状況で僕達の前に出てきたのは、あまり信じたくはないんですけど優位に立っていると勘違いしているからでは?」

 

 穴だらけの考えというか、穴しかない考えというか。切れているロープで綱渡りをしているようにしか思えない。

 

「ふん、本当にくだらない」

 

 マルスが吐き捨てるように言う。そこでラッセルは初めて自分の行動がフィオナの父であるマルスの不評を買ったことに気付いたのか、堪らずに顔を背けて暗殺者二人を縋るように見た。

 大男が唸るように、

 

「……勇者がいたとしても、だ。二人がかりで勝負を挑めば勝てる可能性も──」

 

「――わりーけど、ここにいる奴ら全員が上級魔法使えるし、簡単には人質にならない。優斗に至っては俺と同じレベルだ。勇者の俺に一人で勝てないとしたら、どうしたって優斗にも勝てねーよ。勇者が二人いると考えとけ」

 

 話の途中で割り込む修。と、ひょろ長い男が少しだけ希望を見出したようで、

 

「でも、その少年にはさっき怪我させたぜ?」

 

「そりゃあんたが結構な手練れだってだけだ。それにこいつはエンジン掛かるの遅いからな。尻上がりで調子上げる奴なんだよ。ちなみに俺も優斗も魔物は事実換算でAランクぐらいだったら余裕で倒せる。前にあいつが仕掛けたカルマって魔物を瞬殺したのも優斗だぞ」

 

 つまり、だ。宮川優斗を殺したいと思うなら、

 

「こいつ殺したいんだったら最初の一撃で仕留めとけ。それが出来なかったテメーらの負けだ」

 

 修が彼らの勝てない理由を数々列挙してはみた。しかし、

 

「けど、どんだけ言ってもテメーらは逃げないんだろ?」

 

「仕事だ」

 

 大男が憮然と答えると同時、修が笑う。

 

「いいぜ。どっちにしたって許さねえし逃がさない。俺らに手を出したんだ。素直に帰れると思うなよ」

 

 一歩前へと出る。次いで優斗も修と並ぶように前へ出た。

 

「フィオナと僕達が対象らしいから、他の人達はフィオナを守って。僕と修はこいつらを片付ける」

 

「で、でも優斗さんは怪我が……」

 

 フィオナが心配そうに駆け寄った。彼の肩からは未だに血が滴っている。手の平からもだ。

 

「大丈夫だよ。すぐに終わらせるから」

 

 優斗はフィオナを安心させるように笑むと踵を返す。そして上着を脱ぎ、蝶ネクタイを左手で外しながら修と共に暗殺者達へ相対した。

 

「貴様らが武器を持っていないというのは僥倖なのだろうな」

 

 大男が微かに安堵するような意を含ませた。彼らが武器を持っているのならば、彼らから感じられる気配や自信から鑑みても勝てる可能性は薄い。

 けれど修と優斗は大男が言った意味とは別に捉えた。

 

「確かに神話魔法をぶっ放して会場を大げさに壊すのは気が引けるな」

 

「そうだね」

 

 神話魔法とか物騒な単語が出てきて、ひょろ長い男から冷や汗が出る。

 

「こ、この差は大きいんじゃね?」

 

 実力を温存して戦ってくれるのであれば、まだ勝ち目も──

 

「とりあえず武器でも出すか。優斗もいるか?」

 

「いや、大丈夫だよ。武器はいらない」

 

「はっ!?」

 

 あまりにも軽いやり取り。しかし暗殺者達の疑問を他所に、修の前に魔法陣が現れた。慌てて大男とひょろ長い男が構えるが、遅い。

 

「出てこいよ、グングニル」

 

 詠唱は無い。けれども告げた名称に反応して修の眼前に魔法陣が生まれると、幾重にも折りたたまれていき、形状が浮かび上がってくる。

 そして、ほんの数秒で槍が姿を成していた。

 

「……マジかよ」

 

 逆にひょろ長い男は彼らが武器を手に取ると、一歩後ずさる。長年の暗殺経験から分かったことだが、彼が手にしている武器は別格だ。

 自分が持っている得物とは存在からして違う。

 

「おいおい、勇者ってここまで非常識な存在なのかよ」

 

「…………」

 

 ひょろ長い男も大男も戦慄を覚えた。魔法陣が武器と成して物質化するという聞いたことがない代物を、いとも簡単にやってのけたリライトの勇者に対して。

 

「宣告すんぞ」

 

 修は言ったと同時、今まであった軽い雰囲気がガラリと変化させる。そして神槍を携えた腕を引いた。

 

「長々と時間をかけるつもりはねぇ。一瞬で終わらせてやるよ」

 

 さらに優斗が相手を絶望させるように言い放つ。

 

「殺しはしない。けれど、死ぬほど痛い目にあわせてやる」

 

 それは合図だ。戦うための宣戦布告。対して、暗殺者二人は圧倒されるほどのプレッシャーに襲われて反射的に後方へと下がった。

 

「「甘い」」

 

 けれど修と優斗にとって、決して安全圏に飛びのかせてはいない。同時に動きを見せた。

 


       ◇      ◇


 

 修は引いた腕に力を込め、前方にいる大男に向けて神槍を投擲する。

 

「いけよ、グングニル」

 

 大男が下がった場所へ違わず飛んでくる神槍。コンマ数秒で飛んでくる神槍を避ける時間はなく、大男は鉈を握っている右腕を無理矢理にでも動かし、迫ってくる投擲物を弾く。

 しかし、

 

「……っ!」

 

 次の瞬間、グングニルが大男の肩に突き刺さっていた。そのまま勢いで壁に叩きつけられ、無様には床に転がる。

 

「……げほっ!」

 

 衝撃で咳き込んだ。何度か繰り返し咳き込み、ようやく落ち着いたと思っても立ち上がれない。

 肩に槍が刺さり、壁に叩き付けられただけなのにダメージが一向に抜けなかった。

 

「まあ、あんただったら肩に槍が刺さろうと死なないだろ」

 

 軽い足取りで修が大男に近付いていく。そして神槍に軽く触れると、大男に突き刺さっていたものが光の粒子となって消え去った。

 しかし大男には今起こった不可思議よりも、先ほど起こった不可思議のほうが理解できない。

 

「……どういうことだ?」

 

「何がだよ?」

 

「槍は弾いたはずだ」

 

「確かにな。よく弾いたもんだって感心させてもらったぜ」

 

 修は素直に頷いた。あの攻撃をよく防いだものだと思う。

 

「二本あったのか?」

 

「いいや、ちげーよ」

 

 修が投擲したものは常識の範疇で考えてはいけない代物だ。

 

「あの槍は“必ず当たる”んだ。絶対に避けられねぇよ」

 

 神槍グングニル。

 武器としては最上級であり、その能力を十全に発揮できる人間が手にしているのだから、当たらないわけがない。

 

「……そうか。つまりは事象が確定している武器というわけか」

 

「ああ。なんつったって勇者が使う武器だからな。スゲーだろ?」

 

 そう言って修は笑った。思わず大男からの闘う意思も抗う意思も消え失せる。

 

「ならば仕方ない」

 

 これほど圧倒的に負けたことはない大男だったが、ここまで実力差があると悔しいでもなく、いっそ清清しくなった。

 

「しかし、向こうは容易に事が片付かないはずだ。応援に行かなくていいのか?」

 

 大男はもう一つ、戦闘が行われるであろう二人に視線を向ける。優斗の相手は手練れと素直に賞賛できる人物。実力としては決して侮れる相手ではない。

 

「あいつを誰だと思ってんだ」

 

 けれど修は何も問題ないとばかりに一笑した。

 

「誰であろうと勝つ。だから優斗は凄いんだよ」

 

 

       ◇      ◇


 

 ひょろ長い男は下がりながら『不味い』と考えた。異世界人は魔法に長けている、というのは聞いたことがある。

 けれど魔法に長けていることが戦闘において、実力があるとか隙がないということに直結することはない。

 どれほど強い魔法を使えようとも、肉弾戦において弱ければ勝つ術はいくらでもある。

 しかし、目の前の少年はどうだろうか。話を聞く限りでは神話魔法を放ち、しかも相対している自分の感覚では隙が見えない。

 右腕の負傷があったとしても、自分と少年の間ではハンデにすらなっていない。


「さて、どうすりゃいいんだか」


 紛う事なき実力者が目の前にいる。

 それはひょろ長い男が生き残るために、己が持つ手段を全て模索してしまうほどに。

 すると優斗が様子を窺うように足を止めた。ひょろ長い男も一定の距離を取って足を止める。

 

「僕が足を止めた瞬間に逃げ出せばよかっただろうに」

 

「冗談。お前みたいな奴を相手に、一定以上の距離を置くのは勘弁だ」

 

 あのまま距離を空ければ、それこそ彼が魔法を使う距離になるだろう。詠唱を阻止できる距離を保たなければ、ひょろ長い男に勝機は無い。

 

「だったら、このまま攻撃されないように逃げ回るのか?」

 

 挑発するような優斗の言葉だが、ひょろ長い男とて簡単に乗るわけもない。

 

「逃げ切れるんだったら、それにこしたことはないんだけどな」

 

「無理だということぐらい、理解しているんだろう?」

 

 雰囲気が変わると同時に優斗の口調も変化が訪れていた。

 いや、変化というよりはむしろ『元に戻った』と表現することこそ正しいのかもしれない。

 修達が知っていて、フィオナ達が知らない優斗の姿がそこにあった。

 

「いくら大金を積まれたのかは知らないが、暗殺というものはもっと綿密に計画するものじゃないのか?」

 

「そりゃそうだ。とはいえ今回は急ぎの依頼だから破格の金額だったんだよ。だから訳の分からないシナリオに従って行動したってわけだ。本音を言っちまえば逃げ切れる自信はあったからな」


 どのような状況に陥ろうとも、問題ないと先ほどまでは思っていた。

 相手が誰であろうとも、だ。

 

「とはいえ相手が悪かったな。先ほども言ったことだが――」

 

 優斗は鋭い視線をひょろ長い男に突き刺す。

 

「――逃がすつもりはない」

 

 雇われた身とはいえ、目の前にいる男はフィオナを殺そうとした。

 だから絶対に逃すことなく倒す。

 

「つまりお前の選択肢は一つしかない」

 

「対象であるユウト・ミヤガワを殺すしかないってことだな」

 

 ひょろ長い男はナイフを構える。この閉じ込められた状況では、外に出る行動を手間取った瞬間に魔法の的だ。だとしたら、少なくとも遠距離よりは自信のある近距離戦闘こそ暗殺者である自分が持つ唯一の勝機。

 

「さすがは手練れ、といったところか。素晴らしい判断力だ」

 

「そいつはどーも。褒められてると取っていいのかい?」

 

「ああ。賞賛に値する」

 

 優斗は端的に事実を述べると、次の瞬間には前へと飛び出すように駆けた。ひょろ長い男が応対するように右手に持ったナイフを突き出す。

 

「――っ」

 

 迫り来る刃を前に優斗は恐れることもなく飛び込み、当たる寸前で僅かに右足を大きく踏み込んで身体を半身にした。次いで左の拳が脇腹を狙ってくるが、優斗は右肘で防ぐ。そして左の拳をひょろ長い男の顔面に見舞おうとする。が、僅かに頭を後ろに反らしてひょろ長い男が躱す。

 けれど優斗は左の拳を振った勢いそのままに、相手がナイフを煌めかせるよりも速く身体を回転させて今度は右手を裏拳のように振るおうとする。

 

「はっ、怪我っつったって使えないわけじゃないよな!」

 

 ひょろ長い男にとって、それはまだ想定内の行動だ。あくまで右肩と手の平の傷は怪我であって、痛みはあるだろうが使えないわけではない。

 だから頻度は低いとはいえ、右手による攻撃がないとは思っていなかった。

 

「その通り。確かに使えないわけじゃないからな」

 

 しかし優斗の狙いは違う。右腕を振るったのは攻撃の為ではなく、目潰し。

 手の平の傷と肩から右手に滴り落ちるほどの血を、ひょろ長い男の目に目掛けて飛ばした。

 違うことなく眼球へと向かう赤い飛沫は完全に想定外の代物だ。ひょろ長い男は反射的に目を瞑ってしまう。

 

「――っ!?」

 

 ほんの一瞬だとしても決定的な瞬間を優斗が見逃すわけもない。ひょろ長い男が握っているナイフを左手で払い落とすと同時に掴み、捻りあげる。相手の左手が反射的に優斗を攻撃するが、頭を下げて躱す。

 その隙にひょろ長い男は目を開けるが、優斗は彼の視界範囲外にある両足を刈るように右足を思い切り振り抜いた。

 さらに相手の右腕を捻りあげていた左手を離し、下から突き上げるように拳を振るう。

 

「うぐっ!」

 

 そして僅かな悲鳴と共に空中へ浮いたひょろ長い男が落ちる前に、優斗は左手を翳す。

 

「終わりだ」

 

 ちょうどいい高さに落ちてきた敵に対して、風の魔法をゼロ距離で叩き込む。ひょろ長い男は凄まじい勢いで地面を転がりながら吹き飛ばされ、今は大男が寄りかかっている壁に叩き付けられた。

 

「……次だな」

 

 優斗は息を吐くと振り返る。本来ならば倒したのか最後までしっかり見届けるのだが、例えひょろ長い男が気を失っていなくても修が向こうにいる以上、どうせ何も出来やしない。

 それよりもラッセルをどう処分するかが優斗にとっては最優先事項だ。

 幸いにも彼は自分達の蹂躙が如き一方的な戦いに腰が抜けたのか、へたり座っている。

 優斗はラッセルのところまで歩くと、風の魔法を纏わせた左手を突きつける。

 

「ま、待て! お前は怪我をしてるんだろう。だったら霊薬を使えば──ッ!」

 

「いるわけがないだろう」

 

 確かに血は流れているし、かなり痛むのも確かだ。だが霊薬を差し出して終了させようとする根性がいけ好かない。

 譲るかのように優斗の前に出している小瓶を蹴落とすと、そのまま踏み割った。

 

「さて、どうするつもりだ?」

 

「き、貴様! なんて事をするんだ!」

 

 今、この状況になっても上から目線を変えないラッセル。フィオナを取り囲んで守っていた一人であるレイナも、呆れて優斗に提案をしてきた。

 

「ユウト、私がこいつを叩き斬ってもいいだろうか?」

 

 見ていて本当に不愉快になった。ラッセルを殺したとしても罪に問われたりはしないだろう。

 

「僕も同意見だが、良識ある義父さんがいるからそれはやらないでおこう」

 

 マルスがいるので、さすがにこれ以上の無理無茶無謀はできない。逆に言えば、いなかったらやっている。

 優斗は大きく深呼吸をすると、マルスに視線を向ける。

 

「義父さん。こいつの罪ってどうなります?」

 

「普通ならば犯罪者として捕らえられる。なにしろ公爵令嬢や異世界の客人を殺そうとした大罪人だからね。だが彼のやったことを認めてしまえば、家として没落は間違いない。成金のパリーニュ家のことだから、金を湯水のように使って無罪を勝ち取りに行くだろう。もちろんアリシア様を人質として残している以上、可能性はほとんど無いだろうがね」

 

「そうですか」

 

 つまりは詰んでいる状態。けれど穿った言い方をすれば、ほんの僅かだとしても“助かる可能性”は存在するということ。

 

「……は、ははっ! そうだ、私は罪に問われない!」

 

 笑い声を響かせながら、ラッセルが再び上の立場でいようとする。こんな状況なのに気を持ち直したのは凄いといえば凄いのだが、今はどうしてもうざい。

 

「少し黙ってろ」

 

 優斗はへたり込んでいるラッセルの足元に風の魔法を叩き込む。あと数ミリで太ももに当たるのが分かるように服が切れた。

 

「……っ! ……っ!」

 

 半分、涙目になりながらラッセルは頷く。

 

「いきなり調子に乗ったりして、死にたいのか?」

 

 優斗の脅しにラッセルが今度は首を横に振った。

 

「まあ、ブタ箱からすぐに出てきたとしたら、だ。これだけは覚えておけよ」

 

 優斗は先ほど暗殺者と相対したときでも出さなかったものを前面に押し出して告げる。

 

 

「次にフィオナに対して何かをしたら、問答無用でお前を殺す。もし手を出したなら……消し炭すらも残らないと思え」

 

 

 ラッセルの耳朶に響くは慈悲も何も無く、ただ単純に事実を述べた台詞。その圧倒的な恐怖にラッセルは……意識を手放した。

 



 

 今回の騒動に荷担していた人物達を縛り上げて外に出た優斗達。無事に会場から逃げ出せた卓也、ココ、クリスには修が状況を説明している。マルスも後始末で忙しそうに動き回っていた。

 けれど優斗は怪我人だったため、フィオナが連れ添って一緒に帰っていた。

 暗殺者達に話を聞けば別のメンバーが襲ってくることはない、とのことなので治療を終えた優斗とフィオナは二人で帰ることができている。

 まあ、来たところで何とでもなると優斗は思っているが。

 

「右腕、痛いですよね」

 

「どうだろ? 痛み止め飲んでるしね」

 

 魔法での治療が効かないのは聞いていたが、霊薬もまさかの駄目だった。なので縫うことになってしまったが、今のところは痛み止めのおかげで痛むことはない。

 どうやら『呪い』とは魔法や魔力を用いた治療が通用しないものらしい。

 

「それならいいのですが……」

 

 フィオナは彼の肩と手の平に巻かれている包帯を痛ましそうに見ながら、先ほどの一件でどうしても気になってしまったことを尋ねようとする。

 

「その、一つ質問があるんですけどいいでしょうか?」

 

「いいよ。どうしたの?」

 

 普段のように優しい声音の優斗。しかしラッセルや暗殺者と相対している時は違った。特に最後、ラッセルを脅す際にフィオナでも感じられた殺気はいつもの彼とは似ても似つかない雰囲気で、まるで別人のようにしか感じられなかった。

 

「…………」

 

 だからフィオナは思い出してしまう。

 優斗が自分の性格の変わりようを肯定してくれた時に、『優斗は昔と今で性格が違うのではないか』と思ったことを。

 そして同時に抱いた感情のこともフィオナは忘れていない。


 ――私は知りたいと思ったんです。


 彼の過去を。ずっと曖昧にして濁している、宮川優斗が背負っている過去の一端でもいいから知りたかった。

 だからフィオナは意を決して問い掛ける。

 

「“あの時”の優斗さんは……『昔の優斗さん』だったんですか?」

 

 瞬間、優斗は目を見開いた。彼女が一体何のことを訊いているのか、聞き返さずとも分かった。

 動揺しそうになる自分を叱咤するように、優斗は左手で胸元を握りしめる。

 

「……ごめん。怖かったよね」

 

 あの時――暗殺者に相対していた時とラッセルに最後の通告をした時の自分は、間違いなく過去に存在していた『宮川優斗』だった。そう『在る』必要があったから、そのように生きてきた昔の自分だ。

 

「本当にごめん。フィオナを怖がらせるつもりはなかったんだ」

 

 あのようになった自分が、どのような人間なのかは優斗自身がよく分かっている。

 人を傷つけることを躊躇わず、ただ単純に相手を貶し、脅し、見下す。

 間違いなく人として最悪の部類だ。優斗は下を向いて、そんな自分を彼女に見せてしまったことに後悔する。だがフィオナは首を振って断固として彼の言い分を否定した。

 どうして優斗を怖がる必要があるのか自分には分からない。

 

「怖くなんてありません。優斗さんは『私を助けるため』に、そうしてくれたんですから」

 

 嬉しいだけでしかない。だって怖がるはずがないじゃないか。


『次にフィオナに対して何かをしたら、問答無用でお前を殺す。もし手を出したなら……消し炭すらも残らないと思え』


 徹頭徹尾、フィオナのことだけを想って告げられた台詞。嬉しいとは思っても、怖いだなんて思えない。思わず優斗の顔が上がって、隣にいるフィオナの顔を捉える。

 彼女は本当に嬉しそうな表情をしていた。

 

「あと遅くなってしまいましたが、ナイフで襲われた時に助けてくださってありがとうございます」

 

 優斗はフィオナの言葉を聞くと、胸元を握りしめていた左手の力も抜けて少し呆けてしまう。そして彼女の様子を受けて、ほっとしたように笑んだ。

 

「当然のことをしたまでだよ」

 

「だとしても言いたいんです。助けてもらわなかったら、私は死んでいましたから」

 

 二撃目こそ優斗を狙っていたが、初撃の狙いはフィオナだった。優斗が防がなければ彼女は大怪我を負っていたはずだ。

 

「それなら君の感謝、受け取っておこうかな」

 

 お互い、顔を見合わせて微笑む。優斗はフィオナが怖がっていない、という安心を得たからか左腕を使って大きく伸びをする。

 

「あ~、でもこれでしばらくマリカを抱き上げられない」

 

 優斗が怪我をして、一番悔やむことがあるならばこれだ。

 

「二週間ほどで抜糸だってお医者様が言ってましたね」

 

「右の肩に手の平。しばらくはフィオナにも迷惑を掛けちゃうな」

 

「大丈夫です。存分に迷惑を掛けてください」

 

「いや、さすがに気は引けるよ。できるかぎりは自分で頑張ろうと思うけどね」

 

「駄目ですよ。不用意に頑張ったら怪我が開いて悪化してしまいます」

 

 彼ならば多少でも無理をすれば何でも出来てしまうだろうが、下手をしたら完治が伸びてしまうので、フィオナはさせないように気を付けようと思う。

 

「でもね、フィオ――」

 

「――でも、なんて駄目です」

 

 優斗の遠慮をとことん拒否すると、フィオナは少し前に出て振り返った。

 

「頼ってください。家族なんですから」

 

 ふわりとドレスが翻る。優しい笑みがそこにあった。

 

「あの……その、あとですね」

 

 今度は少し顔を赤くすると、フィオナは懸命に言葉を紡ぐ。

 

「わ、私は優斗さんの、つ、妻ですから。お、夫を支えるのは当然です」

 

 言い終わった頃には真っ赤になっていた。初めて見た彼女の完全な赤面は、まるで完熟したトマトのように本当に真っ赤で、普段は優斗も一緒に顔が赤くなりそうなのに今回だけは可笑しくなった。

 

「ゆ、優斗さん!」

 

「いや、ごめん。すごく嬉しくて、すごく可愛くて、そしたら笑っちゃった」

 

 さっきまでシリアスなことをしていた反動だからだろうか。いつもは使えない『可愛い』という言葉も、するりと出てきた。

 

「ありがとう、フィオナ」

 

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