第19話 旅行といえば
旅行二日目、最終日。快晴。
ということになったので卓也と優斗は海を見詰めながら、何も始まっていないのに盛大に溜め息を吐く。
「海だな」
「そうだね」
「最終日、か」
「うん」
もう予想するのもバカらしいが、予想してみようと思う。
「優斗は何があると思う?」
「誰かが溺れてるのは前にやったから、僕はオーソドックスに海からの巨大生物登場に一票」
「アリー達がナンパされるに一票」
「やっぱり二つともあるに一票」
二人は目を合わせるとげんなりした。
「気をつけないとな」
「そうだね」
兎にも角にも内田修が関わっている以上、何もなく終わることだけはあり得ない。
それは長年の付き合いだろうと、こっちの世界に来てからの付き合いだろうと分かることだ。
二人は荷物置き場をいそいそと作りながら、ぶつぶつと呟く。するとクリスが四人に対して、海辺での心得を説いてきた。
「皆さんも貴族の家柄となっているのですから、息をするように賞賛ができなければいけませんよ」
水着に着替えている女性陣を待っている間にレクチャーをするクリスだが、
「めんどい」
「かったるい」
「恥ずい」
「照れる」
修、和泉、卓也、優斗の順に勘弁の願いを申し出た。
「子供みたいなことを言わないでください」
「だってな~」
あ~だこ~だと男性陣が騒いでいるうちに女性陣が到着する。
「お待たせいたしました」
アリー、ココ、レイナがやって来る。赤いビキニのアリーに白いワンピースのココ。さらにスポーティな青い水着の着ているレイナ達は周囲の目をかなり惹く。けれど残り二人の姿が見受けられなかった。
「フィオナとマリカは?」
優斗が当然のように気にすると、アリーが脱衣所の方向を指差す。
「マリカちゃんの着替えもありましたから、先に行ってくださいとフィオナさんが仰って」
瞬間、優斗は嫌な予感がした。
「……迎えに行ってくる」
「どうしたのですか? 待っていてもすぐに来ますわ」
「そうしたいんだけど、こういう場合の予想って大体当たるから」
フィオナは美人だから余計に外れる気がしない。逆に違ったら驚きだろう。
「ちょっと行ってくるよ」
「いってら」
「頑張れ旦那」
「行ってこい夫」
お決まりのように修、卓也、和泉に茶化されながら優斗は歩き出して女子更衣室を目指す。
「さて、フィオナとマリカは……」
やって来そうな方向を見れば、小さくではあるが二人の姿が見える。
そして案の定というかなんというか……彼女に変なのが纏わりついていた。
「いいじゃん、俺らと一緒に遊ぼうよ」
「……友達とも一緒に来てますので」
男の二人組がフィオナとマリカの周りで、あれこれと話し掛けている。フィオナは無表情のまま相手にしていないのだが、二人組はめげずにどうにか気を引こうとしていて、
「そんなのといるより俺らといるようが楽しいよ~」
「ほら、妹さんも一緒に遊んであげるから」
「この子は妹ではありません」
フィオナは取り付く島もないほどに相手にしない。頭の中で考えているのは、どうすればこの二人はいなくなってくれるのだろうか、ということだけ。
――走って逃げても追われそうな気もしますし……。
対応方法が分からなくて、どうしようかフィオナが悩んでいるときだった。
「ぱ~ぱっ!」
繋いでいた手を離してマリカが走り出す。
「えっ?」
フィオナが驚いて娘が駈けていく方向を見れば、そこにいたのは旦那様。
「やっぱりね」
ひらひら、と手を振って優斗がやって来た。彼は走ってきたマリカを抱き上げた。
「優斗さん!」
これ幸いとばかりにフィオナも優斗の後ろに隠れる。当然、ナンパ男二人にしてみれば気分はよくない。
「あんた、この子の友達?」
「だったら俺たち、この子と遊びたいんだ。邪魔だから消えてくんない?」
なんてことを言ってくるので優斗は一刀両断する。
「夫ですよ」
「……は?」
「……おっ……と?」
予想だにしなかった単語に呆けるナンパ男二人。
「娘と一緒に歩いていた貴族の妻をナンパするなんて良い度胸ですね」
優斗に言われて彼らは思わず赤ん坊と二人を見比べる。確かに親子としか思えないほどに似ている。
「す、すんません!」
「あまりに美人だったんでつい!」
ヘコヘコと頭を下げ始めるので、どうやらある程度の常識は弁えているようだった。
「僕の妻はこういうことに慣れていないので、うまく断れないんですよ。確かに若いので娘を妹と勘違いするのも分かりますが、今後は気をつけてください。あと一緒にいる友人達も貴族ですので、うっかり声をかけないように」
「「しょ、承知しました!」」
回れ右をしてナンパ男二人が走り去っていくと、フィオナが安堵の息を吐いた。
「助かりました」
「フィオナは美人なんだから、気を付けないと駄目だよ」
少しばかり顔を赤らめながら優斗が言う。息をするように相手を褒めることができてこそ貴族らしいが、やってみてわかった。
──ぜったい無理。
他人モードなら何とでも言えるが、フィオナに対しては不可能にしか思えない。どうしたって顔が赤くなった。
「……ゆ、優斗さん? えっと、今のは……?」
褒めてもらった、と取ってもいいだろうかとフィオナが確認するように訊いてきた。
なので優斗も照れるのは覚悟して肯定する。
「だ、だからフィオナは美人だし水着も似合ってるから、その……よく声を掛けられると思うし、また同じことがあったらはっきりと断るか、指輪でも見せれば相手も引くと思うし」
白のビキニにパレオを着けたフィオナは、気をしっかりと持っていなければ惹き込まれそうになってしまう。
それほど魅力的だった。
「あの、えっと……ありがとうございます」
基本的に他の貴族と違って優斗は滅多に容姿について言及しない。だからこそ、彼の言葉が真実だと思えてフィオナは嬉しい。彼から『美人』だと思われていることが本当に良かったと思える。
水着も褒めてもらえてよかった。頑張った甲斐があった。
──それに『僕の妻』って言ってもらえました。
昨日はアリー達にからかわれたりしたが、彼から直接言われると……どうしてか恥ずかしい以上に心から喜んでしまっている自分がいた。
フィオナを助けて優斗が集合場所に戻ってくると、卓也とココしかいなかった。
「他の人達は?」
「アリーは泳げないから修が教えてる。レイナは和泉を引きずって遠泳」
卓也が海の方を指差す。優斗が目を凝らすと、だんだんと遠ざかっていく二人の姿が見えた。おそらくあれが和泉とレイナだろう。
「和泉を引きずっていくなんて……凄いね」
自分達ですら出会ってすぐの時は出来なかった。優斗はある意味で感心しながら、抱っこしているマリカを構い始める。
「三人も遊んできなよ」
「優斗は?」
「僕は子育て」
いつも以上にマリカの面倒を見る。今日はそうすると始めから決めていた。けれどフィオナが困惑した様子になる。
「わ、私も一緒にまーちゃんを――」
「海とかほとんど来たことないだろうし、行ってきなよ。マリカは僕が見てるから」
「……でも」
フィオナが逡巡する。優斗を差し置いて、というのは気が引ける。
「友達と初めて一緒に来たんだから、遊ぶのも大事なことだよ」
彼女の心情を察した優斗が嗜める。
「子育てだけじゃ疲れるからさ」
専業主婦じゃないのだから、優斗だって相応の負担は持つつもりだ。
「だから遊んでくること。いいね?」
最後はウインクして、茶目っ気を出しながら伝えた。するとフィオナの戸惑っていた様相が消えていく。
「あ、ありがとうございます」
どうやら納得できたみたいなので、優斗は笑って送り出す。
「うん。遊んでおいで」
友人達が遊んでいる姿を見ながら、優斗は教えてもらったことを声にする。
「遊ばせる場合は二○分ぐらいで休憩は長めに入れる、だったっけ」
エリスと家政婦長に、マリカを遊ばせる際に忘れてはいけないことを再確認する。
「マリカ、ちょっと海に行ってみようか」
「あい」
理解しているのかどうかは分からないが、返事をしたマリカと一緒に波打ち際まで行ってみる。
「ほら、ざぶーんざぶーんってすごいね~」
「あうっ!」
マリカは引いていく波が面白いのか、つたない足取りで波を追いかける。
優斗は強い波が来れば抱き上げたりして、絶対に手は離さないように気を付けながら押しては返す波と遊ばせた。
──うん、大丈夫だ。
優斗は楽しそうに遊ぶマリカに表情を崩しながら一つ、頷く。
──僕はちゃんと、マリカのことを喜ばせてあげたいと思ってる。
自らの脳裏に焼き付いている最悪で最低な日々。優斗の頭の片隅にどうしても残って消えない両親の影。
――僕はあいつらとは違う。
自分の子供を道具として扱ったりしないし、ましてや教育とは名ばかりの強制など絶対にしない。そして人間ではなく龍神だとしても関係ない。
──大切な娘として……。
しっかりとマリカを育てると決めた。くだらないぐらいに冷淡で、情というものが何一つなかった扱いを受けてきたからこそ、
──目指すんだ。
理想の両親としての形を。だから優斗は最初の一歩として、
――マリカと、もっと仲良くなろう。
大切な娘だと胸を張って言えるぐらいに、仲良くなると自分自身に誓っていた。
「はい、顔つけて」
修の合図で足をばたつかせながらアリーは顔を海につける。彼女の手は修が握っている。
「顔上げる。バタ足も終了」
バシャ、と音を立ててアリーが顔を上げた。そのまま立ち上がる。
「ちょいと一人で泳いでみるか」
「はいっ!」
手を離すと修は五、六メートルほど距離を取った。
「バタ足だけで来てみな」
合図と共にアリーはバタ足で真っ直ぐに修を目指す。息継ぎはまだ習っていないので、足だけをばたつかせて修に迫っていく。
そして彼女の指先が修にヒットした。
「ど、どうですか?」
「OKだ。次は息継ぎとクロールの練習でもしてみっか」
「分かりましたわ」
二人きりだというのに相変わらずの修だが、それはそれでいいか……と思ってしまうのは、アリーの惚れた弱みなのかどうなのか。
砂浜から五百メートルは離れているであろう場所に、ぽっかりと浮かぶように海面から顔を出した岩に、レイナは腰を掛ける。
「なんだ、だらしがないなイズミ」
「……殺す気か、お前は」
大きく肩で息をしながら和泉は岩に縋り付き、ついでにレイナを睨みつける。なんだかんだで競争しろと言われて無理やりやらされたが、遠泳とは聞いていない。
けれどレイナはあっけらかん、としたままだ。
「ユウトと同じ世界から来たのだろう? シュウもユウトと同等だと聞いているし、お前だって凄いと思うではないか」
「あの二人と一緒にするな。チートの権化と努力型化け物だぞ。人外スペックの奴らに対して立ち向かえるわけがないだろう」
あんなのと同列に思われては適わない。あの二人の力は本当に別次元なのだから。
「とはいっても俺は平均より運動能力が劣っているし、卓也は平凡だが」
けれど卓也とて運動神経が鈍い、というわけではない。あくまで区分けとしては平凡に入るだっけのこと。
「だとすると、イズミやタクヤはAランクの魔物は倒せないのか?」
「無理だ。勝てるわけがない」
「異世界から来ているのにか?」
「だから基準をあいつらで考えるな。いくら魔法適正が高いからといって、神話魔法を平然とぶっ放すのはあの二人だけだ」
「……そ、それもそうだな」
今まで異世界から来ている人物達の中で勇者と呼ばれない者達は、基本的に卓也ぐらいで落ち着く。上級魔法は使える、ぐらいで。
優斗が例外中の例外だ。
「ならばイズミは上級魔法を使えるのか?」
「使えるわけがない」
なぜか自慢げに和泉が言うので、レイナは溜め息を吐いた。
「自慢するように言うことではないだろうに」
「そろそろ戻るか」
ビーチボールでバレーをしていると、卓也が周囲の状況を見ながらフィオナとココに提案する。
「レイナは死に掛けの和泉を連れて戻ってきたし、アリーと修も戻ってきてる。ここらで一旦休憩したほうがいいと思う」
「そうですね」
「りょーかいです」
フィオナとココが頷いた。優斗とマリカが海の家でカキ氷を食べながら皆の様子を見ているので、三人は優斗の元へと集まった。
「優斗さん、何を食べてるんですか?」
「いちご味のかき氷だよ。フィオナも食べてみる?」
「はい」
フィオナが頷くとマリカが優斗の手にあるスプーンを取ろうとした。
「マリカ、どうしたの?」
「あう、あう!」
娘が何かアクションを示しているので、優斗はどうしたいのか把握しようとする。
「食べたいの?」
訊いてみるがマリカは首を横に振った。
「ん~、と。じゃあ、ママに食べさせてあげたいの?」
「あいっ!」
今度は勢いよく頷いた。優斗がマリカにしていることを真似したいらしい。
「でも一人でやるのは無理だから、パパと一緒にやろうね」
「あうっ!」
スプーンをマリカに握らせて、上から包み込むように優斗が手を握る。そしてカキ氷をすくった。
「はい、あ~ん」
マリカに教えるため、優斗が普段では絶対に言えないことを口にする。
「あ~」
娘が父親の真似をするように声を発した。くすっと笑って優斗が前を見ると、
「…………」
顔を赤くさせたフィオナがそこにいる。なんで、と思うが優斗はすぐに気付く。彼女と同様に顔が赤くなってきた。
「まんま?」
食べないのでどうしたのか、とマリカが小首を傾げる。
「あっ、まーちゃんごめんね」
フィオナは顔を前に出してスプーンを捕らえる。そしてぱくっ、と食べた。
冷たくて甘い。口の中に広がる冷たさと一緒に顔の火照りも取れたらいいと思うが、そうもいかなかった。
すると卓也がニヤニヤしながらも残念そうに、
「こいつらの可哀想なところは鈍感を貫けないところだろうな。別の視点から見れば恥ずかしい行動だ、というのが鈍感な奴らと違って分かるから」
状況分析をわざわざ伝えてくる卓也に対して、優斗はかろうじて文句を言うのが精一杯。
「……うるさいよ」
図星だったから顔が余計に赤くなる。これは確かに恥ずかしかった。
マリカと同じ要領でフィオナにやることじゃない。
と、他の面々も一斉に戻ってきた。そして優斗とフィオナが顔を赤くしているのを察して、さらにからかわれたのは一興というものだろう。
全員は揃って海の家で割高の昼ごはんを食べる。
「まだ食べれるけど、どうすっかな?」
かき込むようにラーメンを食べていた修ではあるが、少し物足りなかったのか追加注文しようかどうか悩む。けれど卓也が止めた。
「やめとけ。どうせこのあとも動くんだから」
運動なのか、それ以外なのかは別として確実に“何か”ある。
「どういうことですか?」
アリーが卓也の発言の意図が気になって尋ねた。
「たぶん動かないといけないからな」
「えっと……? よく分からないのですが?」
要領を得ない返しにアリーは疑問のまま。
「まあ、そうだな。例えば──」
卓也が何か言おうとした瞬間だった。海の遠方、遊泳禁止ラインよりも遠くに巨大な物体が波音を立てながら現れる。
丸みを帯びた赤い姿と、海面から生えるように見える吸盤の足。卓也が呆れるように先ほどの続きを口にした。
「例えばでかいタコが登場するとか、だな」
途端、海水浴場がざわめいた。海の中にいるものは一斉に陸を目指し、腕に覚えがあるものは逆に海に近づいていく。
「でかいね」
優斗が目を懲らして実寸を把握しようとする。遠距離だから正確な大きさは分からないが、下手したら二○メートルを超えているのではないだろうか。
「食えるか試してみようぜ」
面白そうな笑みを修が浮かべたが、優斗は肩をすくめる。
「身が引き締まってなくて不味そう」
「食ってみないと分かんねーだろ」
「修だけ食べればいいよ。僕はパス」
「いや、いけるって。刺身にしたら美味いって」
危機感皆無な優斗と修の会話に、レイナが思わずツッコミを入れる。
「ど、どうしてそんなに落ち着いているんだ?」
レイナには二人の振る舞いが信じられない。遊泳場に魔物が現れたというのに。けれど修と優斗は何が問題なのかと首を傾げ、
「慌てる必要あるか?」
「ないよ」
「だよな」
二人の感覚としては、何一つとして脅威を感じない。
「レイナはどれくらい強いんだっけ?」
「学院で一番だよ」
「だったら俺ら出張んなくていいんじゃね?」
強さのランク的にも、おそらくBランクかCランク。優斗や修がいなくてもいいはずだ。
「いや、さすがに私だけだと勝てるか分からないし、よしんば勝てるとしても骨が折れるから一緒にやってくれると助かるんだが……」
「あれなら俺らじゃなくていいだろ。和泉も卓也もいるし、他もなかなかの実力者ばっかりだぞ」
上級魔法を使える人材が多数いるメンバーを“なかなか”と言えるあたり、修もさすがはリライトの勇者なだけある。
「それによ、周りにいる冒険者みたいなのも応戦に向かってるみたいじゃん」
特に役に立ちそうではないが、いないよりはマシ……かもしれない。
「まっ、設定したラインを突破したら手を出してやんよ」
そう言って修が海上を浮遊している物体を指差す。
「ブイがあるだろ。あそこに掛かったら俺と優斗も参加する。ただ、ブイまで来なきゃ手出ししない」
自分達が簡単に片付けてもいいのだろうが、それでは今後の考えるとベストの選択だとは思えない。
「アリー達には世話かけるけどな、いつだって俺らがいるとは限らない。今後も似たようなことあると思うし、今のうちに慣れといたほうがいいだろ」
そして全員で波打ち際に向かった。修とマリカを抱っこしている優斗は少し下がった場所で様子見しながら会話する。
「そんで超えたらどうする?」
「試そうと思ってるやつがあるから、使ってみようかな」
「なんだ? 森で使った魔法と同じ作品だと、破滅の一撃?」
「危なすぎる。威力がシャレになってないし失敗したら世界云々の話になる」
「じゃあ竜殺し」
修が言った途端、優斗が睨みつけてきた。
「龍神と竜で違いはあるし、使うべき時があったら使うけど……次にマリカの前で言ったらぶっ飛ばす」
「冗談だって」
と修は言うものの、なんとなく縁起が悪いような気がするのも確かだ。
「で、どうすんだ?」
「精霊を呼び出そうかと思ってるんだ」
「……大丈夫なんか、それ?」
まだ精霊に関しては優斗も詳しくは知らないのではないだろうか、と修は思う。
けれど優斗は左手の薬指に嵌まっている指輪を見ながら答えた。
「龍神の指輪をしてるからかもしれないけど、感覚的には喚べるって感じてる。それに精霊って、たぶんだけど意思を汲み取ってくれるでしょ? だから威力設定もしやすいはずだし四大属性ならギリッギリで上級魔法の威力まで抑えられる……はず」
断定はできないが、どうにかその程度で収まると思う。というか、そう思いたい。
「精霊って属性につき一体だけの存在か? それとも属性の中でも上下で分かれてんのか?」
「おそらくは後者かな。各属性に数多の精霊がいて、彼らを統括する上位の精霊――大精霊がいると思う」
「ふ~ん」
「でも、とりあえずは和泉がどうにかするでしょ」
先ほどタコが現れたとき、荷物置き場まで戻って何か手にしているのを優斗は見た。
「あいつ、何か造ったのか?」
「魔法科学にのめり込んでたから、造ってるに決まってるよ。ただ、趣味の範疇だし威力は分からないけどね」
砂浜に足を踏み入れた人達は各々が魔法を使う。
「撃てっ!」
冒険者の男の声に応じて、幾人かが炎玉を飛ばした。しかし、いくつ当たれども下級魔法だからかタコにダメージを与えるほどの威力はない。
アリー達も遅ればせながら彼らと同じ位置まで辿り着く。
「レイナさん、どうするのですか?」
「この中で私以外に火の上級魔法を使えるのは?」
「わたくしとクリスさんですわ」
「他の面々は中級まで使えるな?」
全員が大丈夫だと頷く。
「では一斉に攻撃だ」
各々が詠唱を始めた。特に集中を要したのはアリーとクリスとレイナ。
「「「 求めるは火帝、豪炎の破壊 」」」
いくつもの火球が生まれ、その中でもとりわけ大きい炎弾を筆頭にして、
「放て!」
レイナの合図と共に一斉に飛んでいく。問題なく当たれば大ダメージ、もしくは倒せるのだろうが放った魔法を視界に入れた巨大タコは、足の一本を大きく持ち上げると海面に叩きつけた。
大きな水の壁が火球を飲み込んでいく。皆の後ろにいる修が口笛を吹いた。
「やるな、あのタコ」
「けれど威力弱めただけだよ、あれ」
中級以上である炎群だったからか、水の壁を突破し威力は弱まりながらも巨大タコに着弾する。
「──ッ!」
少しよろめいた。僅かに効いた、と誰もが思う一方で大幅に威力を削られたのも確かだ。
レイナは巨大タコに攻撃を防がれたように感じて、内心で僅かに焦りが生まれる。
──あれで防がれるのであれば、次は風か? 地か? 水か?
地ならば攻撃が届かず不可能。風だと威力が弱い。水では破壊力が乏しい。
優斗のように基本属性から派生させた魔法を使えるのはクリスとフィオナだが、クリスは雷系統でフィオナは氷系統。
前者は雷による被害がどこまで出るか判断できないし、後者も威力的に乏しい。
どうする、とレイナは頭を回転させる。
「おい、生徒会長」
すると唐突な呼び掛けがあった。レイナは声の主――和泉に振り向く。
「生徒会長。今のをもう一度だ」
珍しく和泉が進言した。
「しかし……」
「水の壁なら俺が突破してやる」
まさかの和泉が言い切った。だがレイナは判断しきれない。
チラリと後方にいる修と優斗を見た。優斗がこれぐらいなら、とアドバイスする。
「あれで防がなきゃいけないってことは、脅威に感じたってことだから。それでもダメージがあることだし和泉の提案も間違ってないよ。そして僕は和泉が言うなら水の壁を突破できると思ってる」
和泉が断言したのなら突破できるのだろう。どうやってかは分からないが出来るのは分かる。
「けれど決定権はレイナさんにある」
決めるのは彼女だ。和泉を信じるのか、信じずに別の方法を試すのかはレイナ次第。
「……本当に突破できるんだな?」
確認するようにレイナが訊くと、和泉は軽い口調で答えた。
「できなかったらクリスが女装すると言っている」
「えっ!? なんで自分が!?」
唐突に名前を呼ばれるわ、変なことを言っているわで大いに慌てるクリス。
「決まってるだろう! 婚約者なんているリア充は女装でもして嫌われるがいい!」
いつものようなバカな光景に皆の表情が少し和らいだ。心に余裕が生まれたレイナも判断を決める。
「分かった。もう一度やるとしよう」
レイナが宣言すると、和泉はポケットから銀色に輝く――拳銃を取り出した。
タコが現れたときに念のために持ち出したものだ。
「拳銃か?」
修が珍しげに目を細める。
けれど銃という存在を知らないこの世界の友人達は、頭にハテナマークが浮かんでいる。クリスだけは和泉が持っている拳銃がどういうものか知っているのか、笑みを浮かべる。
「いつでもいい」
和泉はセーフティーを外し、銃口を巨大タコにロックする。レイナにはよく分からない代物だが、とにかく準備は大丈夫らしい。
「全員、さっきと同じだ」
レイナの合図でもう一度、同じ魔法を唱える。
「放て!」
火球が続々とタコに飛び込んでいく。和泉はまだ何もしない。けれど先ほどと同じようにタコが足を振り上げる瞬間だった。
和泉が引き金を引いた。撃鉄とシリンダーから小さな魔法陣が浮かび上がり、
──ドン──と。
連続して銃声が六発響く。僅かにしか視認出来ない弾丸は瞬く間に魔法を追い抜く。
そして先ほどと同じように炎群の前に水柱があがった。
「開け」
小さな台詞を和泉が紡ぐ。すると弾丸から魔法陣が現れ、岩石が六つ海上に現れた。圧倒的な質量を持った岩石が水の壁を破砕していく。
岩石が通り抜けて開いた空間を火球が抜けていった。
「いった……」
レイナが呟く。水の壁を抜ければそこにあるのは巨大タコの身体。火球は全てが違わずに当たった。
「これで倒したはずだ」
威力が軽減されてない上級魔法を含む炎群が当たったのだ。さすがに倒れてもおかしくない。
レイナは少しだけ気を抜いたが、最初に巨大タコの異変にフィオナが気付いた。
「……膨らんでいませんか?」
彼女の発言に全員がよくよく観察してみる。確かに身体が大きくなってきていた。嫌な予感が全員の脳裏によぎる。
「爆発するんじゃ……」
ココが全員の思っていることを代弁した。どこまでの威力なのかは分からないが、少なくとも津波が発生して襲いかかってくるのは間違いないだろう。
全員が慌てている中、卓也がレイナに次の行動の確認を取る。
「どうするレイナ!?」
「……っ!」
彼女は最善策を考えようとする。けれど今は迷う場面でも考え抜く場面でもない。
「ったく」
「行こうか」
逆に優斗と修の判断は早かった。レイナが考え込んだと見るや、すぐに前へと躍り出る。
優斗は前に出ながら抱えているマリカをフィオナに預けた。
「この場面で迷ったら負けだぞ」
修が一言伝える。時間がなさそうなのだから一つのベストを模索するより、幾つかのベターを瞬時に考えて実行したほうがいい。
「最悪、ミスったらフォロー頼むよ」
「しゃーないな」
二人はたったそれだけの言葉を交わして構える。そして優斗の左手にある指輪が反応を見せた。
──できる。
優斗は感覚で理解していた。自分は精霊を使役できる、と。
口にするべき詠唱は、やっぱりゲームから引っ張り出す。優斗的に少し気になっているのは、自分の詠唱はこの世界に比べてかなり厨二病っぽいのではないかと思うぐらいだ。
――仕方ないか。
苦笑を浮かべる。こっちの世界で精霊を召喚する詠唱なんて知らないのだから、厨二っぽくなっても仕方ない。
優斗は左手を前に突き出しながら紡ぐ。
『現世に顕現せよ』
魔法とは少し違う、精霊の使役。魔法というものが魔法陣によって出力、形、属性を与えられたものなら、精霊術というのは魔力を魔法陣に通すことによって精霊という“モノタチ”に魔力を与え、パスを繋いで協力してもらうこと。
『全てを分かつ疾風の神使い』
龍神の指輪が煌めいた。巨大タコの眼前に魔法陣が生まれ、薄く緑色に輝く半透明な女性がそこから現れる。
『我らの敵を切り刻むが為に姿を成せ』
優斗はさらに詠唱を進める。指輪が大きく輝いたと同時、竜巻が突然海上に現れて巨大タコを切り刻む。細切れになったが、それでも爆発する気配は衰えない。
「修」
「はいよ」
リライトの勇者が右手を振り上げると、竜巻の中心に水柱が上がった。細切れになった巨大タコの破片が水に包まれる。水の中で膨らみが限界になったのか小規模な爆発がいくつも起こるが、全て水が爆発の威力を吸収し、さらに風が壁となっているので傍目には特に大げさなことになっていない。
全ての爆発が終えると優斗と修は精霊の使役と魔法を解除。
水柱はゆっくりと海に戻っていき、竜巻も大精霊の姿が消えるとすぐに霧散した。
「うしっ。これで終了っと」
修がパンパン、と手を叩いて終わりを告げる。唖然としているのはレイナ。他のメンバーも卓也と和泉を除いて、未だに多少の驚きは隠せない。
マリカだけはただ一人、目の前の光景を喜ぶように目を輝かせていた。
「……またユウトから聞いたことのない詠唱が出てきましたね。あれは大精霊を召喚するためのものでしょうか?」
「シュウ様も詠唱せずにあれほどの魔法を使うのやめてほしいですわ」
クリスが呆れ返り、アリーも嘆息する。威力的にはかろうじて上級で収まっているようではあるが、やっていることは本当にとんでもない。
「ユウトもシュウも本当にすごいのだな」
レイナが再確認するように呟いた。けれど修は納得できないように首を捻る。
「正直に言うけどよ。レイナがしっかりしてれば俺らは出張る必要なかった」
そして彼女ならば、問題なく解決できるだけの能力があると踏んでいた。
「す、すまない」
修の物言いに素直に頭を下げるレイナだが、優斗がフォローする。
「いやいや、さすがに最後の爆発は予想外だし」
「まあ、確かにそうだけどよ。レイナほどの実力者だったら問題ないはずだろ?」
確かに修もタコが爆発って何だよ、とは思ったけれど。
「しかしシュウ、ユウト。お前達は対応してみせた」
「いつでもフォローする準備はあったからな」
「……そうか」
レイナは自らの心に新しく知った心構えを刻む。これが違いなのだろう。自分は魔法が当たった時点で倒したと少し安心してしまった。これがもっと凶暴な魔物だとしたら、誰かを窮地に追いやってしまったかもしれない。勉強になった、と一つ頷く。
「いや、しかしこうでなくてはな。追いかけ甲斐があるというものだ」
そしてビシッと指を突き出して優斗と修を指し示す。
「絶対に追いついてやるから覚悟しておけ!」
一方で指を指された二人は、頼もしい姿のレイナに肩をすくませると、くすくすと笑った。
帰りの馬車。今度は修と卓也が御者をやっていた。他のメンバーは色々とあって疲れたのか、大抵は馬車の中で眠っている。
その中で起きていた優斗とレイナは小声で会話する。
「イズミの拳銃? というのもすごかった。弾丸というものに魔法陣が込められているのは魔法具と同等の技術で作られたものなのだろうな」
本当に素晴らしいものだ、とレイナが感嘆する。異世界の知識とセリアールの技術を用いたのだろう。誰にでも創り出せる作品ではないことぐらい、彼女にも簡単に理解できた。
「だが、ユウトの詠唱は何なのだ? 精霊を扱う精霊術士のことは知っているが、お前のような詠唱、聞いたことがない。むしろ精霊術士が詠唱している姿を見たことがない」
「大精霊召喚だからね。たぶんだけど魔法と同じように詠唱が必要なんだよ。とはいっても精霊について今は詳しく知らないし、あれはオリジナルの詠唱」
「……本当に何でもありだなユウトは」
闘技大会といい、今回といい、ぶっ飛んだことをやっている。独自詠唱の神話魔法に加えて大精霊召喚とか、どれだけの離れ業をなっているのか優斗は理解しているのだろうか。
けれど優斗は否定するように軽く首を横に振る。
「あのね、レイナさん。僕だって何でもありなわけじゃないよ。精霊についてはマリカの親になった副産物。さすがに最初から使えるわけないって」
優斗は膝の上で眠っているマリカの髪の毛を優しく梳く。その時、カタンと馬車が僅かに跳ねた。
小さな揺れではあったが、右隣に座っていたフィオナの頭がポスン、と優斗の肩に乗る。
彼の視界にフィオナの可愛らしい顔が直近で映った。
「──ッ!」
ピシっと石のように固まる。レイナはそんな初々しい優斗に笑った。
「何を緊張している。奥様だろう?」
「……奥様だろうとなんだろうと、美人の顔が近くにあったら緊張するんだよ」
周囲に視線を彷徨かせて落ち着かない彼に、レイナはころころと笑う。巨大タコが現れても「食べられるか?」なんて会話をしていた男の子が、女の子の頭が肩に乗っただけで狼狽しているというのは、本当に可笑しかった。
「意外な弱点の発見だ」
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