第14話 その出会いをどのように呼ぶのか

 夏休みまであと少し、と迫った頃。

 優斗はフィオナに誘われてトラスティ家へとお邪魔していた。

 兼ねてからマルス──フィオナの父が優斗と飲みたいと言っていたのが発端で、今は優斗とマルスが二人でテラスにいた。

 

「ユウト君は飲めるかな?」

 

 フィオナの父、マルスがビール瓶を掲げて尋ねた。

 

「いえ、あちらの世界では飲酒は二十歳以上でしたので、あまり飲んだことはありません」

 

「そうか。なら果実酒にでもしておこう」

 

 手元にあるビール瓶を置き、代わりに葡萄酒を持ってくるよう家政婦に伝える。

 

「本当は息子も欲しかったんだ。こうやって歳離れた子供と男同士で飲み交わすのが夢の一つなんだよ」

 

 家政婦が戻ってくるまでの間に、マルスはビールを自前のコップに注ぎ始める。

 

「ただ二人目は恵まれなくて。フィオナが婿を連れてくるまでは出来ないと思っていたのだが、ちょうど家内からも娘からも君という人物を聞いていたし評判がいい。実際に会うついでに夢の一つを叶えたく思ったんだ。面倒だとは思うが、おじさんのくだらない夢に付き合ってはもらえないかい?」

 

 言われた通りに家政婦が葡萄酒を持ってくる。

 優斗は受け取って感謝の意を述べた。

 そしてマルスに向き直ると、あらためて答える。

 

「もちろん、喜んで叶えさせていただきます」

 

 キン、と甲高い音を響かせてコップ同士を打ち合わせた。

 まずは一口、含んでみる。

 

 ──あっ、おいしい。

 

 ビールのような苦味がなく、軽い。

 これなら好きになれそうだ。

 

「君を初めてしっかりと見たのは闘技大会の日でね。本当に驚かされたものだよ」

 

 それまで、幾度か遠くから見たことはある。

 書類上でも読んだことはある。

 しかし、あれほど長い時間、彼の存在を意識することができたのは初めてだった。

 

「君の魔法は初めて見たよ」

 

「だと思います。向こうの世界にある物語の魔法ですから」

 

「物語の中でもあれぐらいの威力なのかい?」

 

「いえ。もう少し威力は上がります。少なくとも魔王と呼ばれるものを倒せる威力は持っていますから」

 

「ふむ。本当に独自詠唱の神話魔法と大差がない」

 

 おそらくは詠唱が間違いなく『言霊』となっているだろう。

 むしろリライトの新しい神話魔法と認定してもいいのではないだろうか。

 彼が成長した暁には宮廷魔法士にでもなってもらい……と、ここまで考えてマルスは頭を振った。

 

「いや、今はこんなつまらないことを話しても仕方ない」

 

 マルスは話題を変える。

 明るい口調でフィオナのことを話し始めた。

 

「娘は明るくなった。よく話すようになったし、喜怒哀楽も前よりずっと顕著に現れる」

 

 無口で無愛想だった娘が、だ。

 

「三ヶ月前と比べて、ずっと素晴らしい女性になった」

 

 とても魅力的になった。

 

「君のおかげだと聞いているよ」

 

 マルスが言ったことに優斗は笑って否定する。

 

「僕だけじゃないです。周りに皆がいたから、フィオナはあれほど変わったんだと思います」

 

 そうだ。

 決して自分だけじゃ無理だった。

 

「僕だけだったらきっと、緊張ばっかりしてるだけで何の影響も与えられなかった」

 

「そんなことはない。君だけのおかげじゃないかもしれないが、君が一番フィオナに影響を与えてくれたんだよ」

 

 親として心から嬉しい。

 素直に彼を賞賛できる。

 

「ありがとう」

 

 ぐしゃ、と優斗の頭を撫で回した。

 

「おっと、少し馴れ馴れしかったか」

 

 エリスからは良い子だということをいつも聞いており、フィオナからは素晴らしい人だということを耳にしているせいか、どうにも初対面という感じがなくて距離感が掴めない。

 

「いえ、大丈夫ですよ」

 

 いきなり頭を撫で回されて虚を突かれた優斗だが、嬉しそうに笑う。

 

「あと、話は変わるが裏工作も一段落してね。君たちも貴族の爵位を持つ家柄となった」

 

 そういえば、といった感じでマルスが告げた。

 先ほどと同様に楽しい話でもないのだから、最初に言っておけば良かったとマルスは少し後悔する。

 

「シュウ君は伯爵の家系、他は全て子爵の家系ということだ」

 

「なぜですか?」

 

「メリットがあるから、だよ。いずれ異世界の客人ということが発覚すれば、パーティーなどにも呼ばれることが多々ある。その時のために今のうちに慣れておいてほしい、ということ。そしてもう一つは──」

 

 マルスは話そうとして、少し言いよどんだ。

 優斗はそれだけで何となくではあるが、理解できた。

 代わりに続きを口にする。

 

「絶対防御としての役割、ですか?」

 

「……そうだね。不特定多数が集まるパーティーで君たちがいてくれれば、何かあっても対処ができる」

 

「修がリライトの勇者としての役目がある以上、仕方ないことではありますね」

 

「とはいえ、私たちが考えている状況はほとんどない。つまりはパーティーマナー向上のための爵位と考えてもらうのが一番だよ」

 

 これが伝えることの一つ目。

 もう一つは、

 

「あと、私とエリスが正式にユウト君の後見人になったからよろしく頼む」

 

「……はっ?」

 

 優斗が目を丸くさせた。

 マルスは笑って答える。

 

「爵位を得たことによってね、今まで仮だったのが正式になったんだ」

 

 それぞれ、家庭教師を請け負っているアリー達の両親が彼らの後見人となっている。

 

「……迷惑じゃありませんか?」

 

「まさか。こうやって酒を一緒に酌み交わせるのに、何が迷惑なものか」

 

 グイっとビールを煽る。

 優斗も一口飲んでから、この言葉を“当然のように”した。

 

「できる限り迷惑はかけないようにしようと思いますので、よろしくお願いします」

 

 優斗が口にした『迷惑をかけない』という台詞。

 マルスは一蹴した。

 

「駄目だ」

 

「えっ?」

 

「できる限り迷惑をかけなさい」

 

 最大限、そんなものはかけていい。

 

「君はまだ子供なのだから」

 

 遠慮することはない。

 

 

 

 

 

 嘘でも何でもなく真っ直ぐと伝えられたこと。

 優斗はじわり、と胸の中が暖かくなるのを感じていた。

 

 ──なんで、こうやって。

 

 この人は。

 

 ──ほとんど初対面なのに。

 

 簡単に胸の中へ入ってくるのだろう。

 たくさん大人の相手をしてきたから。

 何が嘘で何が本当かどうかは分かる。

 

 ──この人は信用するに足る人だ。

 

 驚くぐらいに実直で分かりやすい。

 けれど素直に頷けるのか、といえば違う。

 性格的に無理だ。

 

「……頑張ってみます」

 

「どういうことだい?」

 

 頼っていい、と伝えて『頑張る』とは不可思議な返答だ。

 

「僕はまだ大人に頼ったことはありません。全力で迷惑をかけない生き方をしてきましたし、頼れるような大人もいませんでした」

 

「本当かい?」

 

「……ええ。僕は『大人』という人種を信じてませんから」

 

 そう言うと少し語弊があった。

 

「いや、というよりも信じられる人生を過ごしていませんでした」

 

 これが正しい。

 

「僕の周りにいたのは、僕を道具として扱う両親。ハイエナのごとく集る親戚。そんなのばかりでした」

 

 ろくでなしばかりだ。

 

「とはいっても、大人全員がそうじゃないってことも分かってます」

 

 だったら社会が正常に作用しているはずもない。

 

「むしろ僕の周りにいたのが特殊すぎるのも理解できています」

 

 優斗はマルスを正面から見つめた。

 

「だから──」

 

 思ってしまった。

 いい機会だから。

 やってみようと。

 

「教えてください。迷惑の掛け方を」

 

「……ユウト君」

 

「マルスさんが今まで会ってきた大人と違うのは分かりますから」

 

「そうか」

 

 迷うことなく言い切った優斗。

 だからこそマルスは疑問に思う。

 

 ──なぜだろうか?

 

 彼が『大人を信じていない』のは真実だろう。

 とてもじゃないが嘘とは思えない雰囲気があった。

 

 ――何があって信じるに値すると思った?

 

 大人というものを信じてこなかった彼が、どうして自分は信じてくれたのか。

 マルスは己の功績だと思えるほど傲慢にもなれない。

 どうしたって初対面の人間に彼が信用してくれるとは思えないからだ。

 そう考えると、

 

 ──やはりフィオナ、か。

 

 行き着いたのは娘の存在だった。

 あの子の父親だということが、大きな力になってくれているのだろう。

 

 ──“フィオナの父親”というだけで、彼は信用してくれている。

 

 我が娘ながら凄い、と感心する。

 

 ──いいコンビなのだろう。

 

 互いに影響を与えている。

 それも良い方向に。

 

 ──もしかしたら。

 

 ふと思い出す。

 闘技大会で見た光景。

 

 ──ユウト君がカルマを倒したあとに見た、一枚の絵のような光景は。

 

 御伽噺のように見えた、幻想的な光景は。

 あながち間違いではない、と。

 マルスは今更ながら思い返していた。

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