6章 二人のMouser

「こちら4号車。アタランテ・ストラーダの料金所付近で交通事故が発生。穀物を積んでいたトラックが横転し、積み荷が散乱。撤収作業が完了するまで、復路は通行禁止にして頂戴」

 いつもの待機場所であるC区間(Charlie)に停車したポルシェの助手席で、ハルキはミッシェルの無線の声を聞いた。

「また事故か。最近多いな」

 運転席のリクライニングを倒し、そこに寝そべっていたイースが独り言を言った。何か気の利いた相槌をせねば、とハルキが頭を悩ませていると、再び無線の声が飛び込んできた。

「えー、こちらエリック。イースさん、残念なお知らせです。この間の5千ドル切符が、駄目になりました」

 オペレーターのリッキーが、申し訳なさそうに告げる。突然のことに、イースが起き上がり無線に呼び掛ける。駄目になったとは、どういうことだろうか。

「どういう意味だ? 踏み倒しか?」

「いやぁ、彼、死にましたよ」

 リッキーの一言に、ハルキの心臓が高鳴った。

「ミッシェルからの無線は聞いてました? トラックと正面衝突です。トラックのドライバーは無事だったらしいですけど、彼の車はペッチャンコ。保険に入っているかもしませんが過失はほとんど彼側だから、賠償金が優先になるでしょう。積み荷は全部、道路にばら撒いちゃいましたし、保険金で足りるかどうかさえ怪しいです」

 ――あのときの鼠が、死んだ。

ハルキの頭の中は、そのことだけで埋め尽くされた。驚きと混乱で脈が早くなる。僕と同じくらいの年齢の、不貞腐れた態度でしぶしぶ免許証を差し出した、あの青年が、死んだ。

「そうか。わかった」

 イースは短く答えると、再び運転座席に寝そべった。無表情の彼は、いつもと少しも変わらない綺麗で涼しげな顔のまま、車の窓から外を眺めていた。

 ハルキは、腹の奥が熱を帯びてくるのを感じた。なぜ僕は、マウサーになったのだ。何のために僕は、ここにいるのだ。ぐるぐると頭の中を巡っていた問いの答えが、ぐつぐつと腹の底から沸騰してくるようだと思った。

「人は、変わらない、でしょうか?」

 僕の声に、イースは一瞥した。また下らないことを言うんじゃない、という眼付きだった。

「遅かれ早かれ、そうなる運命だったのさ。ルールを守らないとは、そういうことだ」

 再び窓の外を向き、イースはそう言った。その言葉は、彼自身に言い聞かせているみたいだ。

 速度を誇示する奴は、速度で負かすしかない。ならば、誇りで生きる彼には、誇りで挑むしかない。ハルキはそう思った。

「次の鼠は、僕に捕まえさせてください」

「……ああ、構わんよ。サボテンくんにできるならな」

 イースはハルキの挑発など全く意に介していないように、落ち着いた手つきでリクライニングを戻した。彼の大きな瞳が、バックミラー越しに僕を見ている。

「五千三百二十八。この数字が何かわかりますか?」

「さあな」

「この国で去年、交通事故で亡くなった人間の数です」

 イースの綺麗な顔がわずかに歪んだのを、ハルキは見逃さなかった。

「ほぼ同じ数の人間が、今年も死にます。まさか交通事故に遭うなんて露とも知らずに生きている、この国の五千人が一年後までに死にます」

 珍しくよくしゃべる僕に驚いているのか、イースは黙って聞いていた。

「制限速度を守ったからと言って、安全とは限らないけれど」

 ハルキは静かに助手席のシートベルトを外す。カチャリと乾いた音がする。

「でも僕は、彼らをその運命から救いたい。今ならまだ、彼らは生きているんです。間に合うかも知れないんです。僕は僕にできる方法で、世界を変えたい」

車のドアを開けると、冷たい風が車内へと吹き込んだ。ここから避難用通路を歩けば、すぐに本部に辿りつく。操縦者の帰りをおとなしく待っている白い猛獣を、迎えに行ってやらなくては。ハルキは愛車の精悍な顔を、早く見たいと思った。

「鼠が聞く耳を持たなくったって、僕は何度だって言ってやります。だって、死んだらもう二度と、車に乗れないんですよ!」

ハルキは車から降り、愛車の元へと急いだ。

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