2章 もじゃもじゃ頭のGeek Boy

「それで? もじゃもじゃ頭のサボテンパーカーくん」

 呆れ顔のイースがデスクに腰かけ、パーカーの腕に付けた僕のバッジを見ながら口を開く。

同じバッジの光るブラウンのレザージャケットに、藍色のデニム。とにかく脚が長い。彼の方が、僕より10センチほど背が高いとはいえ、腰の位置はそれ以上に差がある。それだけではない。フランス人形のような、くっきりとした顔立ち。サラサラの金髪。色気のある目元。自分とは明らかに違うタイプの人間だ。委縮したハルキは、体中から変な汗が出るのを感じた。

初めて足を踏み入れたマウサー本部は、豪華な外観に負けず劣らず、煌びやかだった。大理石の床に敷かれた赤絨毯。行く先々の壁に、熊やら鹿やらの剥製がかけられている。その意思のない瞳は、無駄な抵抗はよした方がいい、と僕に訴えかけているみたいだ。

階段の手すりは虎が牙をむいた形に彫られ、金色に塗装されていた。知らずにその頭を掴んでしまった僕は、驚いて悲鳴を上げた。この不気味な内装はすべて、大富豪であるバルザミーネさんの趣味だという。彼は、ここの運営資金を出している人物であり、僕を雇ってくれた人でもある。

「君は、出勤初日に寝坊し、寝癖も直さず、パジャマのままで来たってのか?」

 イースは大きくため息をつき、やれやれといった顔をした。そのオーバーリアクションも、彼の美貌にかかれば不思議と様になる。自信が滲み出ている彼と、その前で肩を落としている僕が同じ生き物だなんて。

このパーカーは確かに僕の一張羅ではあるが、パジャマではない。一応。それに、この髪はものすごく癖毛なだけで、寝癖ではない。断じて。けれども、そう反論する意思さえ削がれるほどの威圧感だった。整った外見というのは、そうでない人間にとって、それほどのパワーがある。

「なんとか言ったらどうなんだ? サボテンくん」

「い、いえ、その、えっと……」

額に汗を滲ませ言い淀んでいる僕に、イース・オーディンは顔に手を当てて首を振った。

「君みたいな、どこからどう見ても典型的なオタク(Geek Boy)がどうして……」

 その後に続く言葉はわかっていた。それは、両親から繰り返し問われた台詞と同じだ。

なんでわざわざマウサーなんかに。無理をすることはない、考え直しなさい。人には向き不向きがあるのだから。

 彼らは優しい。いつだって正しい助言を与えてくれる。だからきっと彼らの言う通り、僕にこの仕事は向いていないのかもしれない。しかしそれ以上に、彼らは怯えているのだ。僕までも、兄のようになってしまうのではないかと。

「まぁまぁ、イースさん。今回は彼のおかげで始末書も免れたことですし」

 オペレーターのエリック・ブルーニが助け船をだした。ひょろりとした彼は、ワイシャツにブラックの細いネクタイを締め、その先を胸ポケットに突っこんでいる。

「上官の御機嫌次第ですけど、報奨金(ボーナス)が出るかも知れませんよ」

リッキーはヒヒッ、と引き笑いをする。その含みのある笑顔は、どこか信用ならない。オールバックにしている長い黒髪が時折垂れてくるのを、骨ばった指先で撫でつけニタリと笑う。左耳には小さな金色のピアス。毎晩クラブで踊り明かしていそうな風貌に、ハルキは再び怯えた。

「リッキー、今はそういう話をしているんじゃない」

「そうですか? でも、罰則金だけで5万ドルですよ。こんな金額を見たのは久しぶりなんで、ちょっと興奮しましたよ」

アタランテ・ストラーダの罰則金はバカ高い。そう聞いてはいたものの、いざ目の当たりにすると慄いてしまう。220キロの制限速度を越えてくる車なんて、そもそも高級車くらいしかないのだから好きなだけふんだくれ、という方針だそうだ。

「金額の問題じゃない。マウサーが鼠とクラッシュでもしてみろ。いい笑いもんだぞ」

 イースは負けじと言い返し、こちらをギロリと睨んだ。その後ろでリッキーが、表情だけで憐れみを示している。

 遅刻による焦りと初任務の緊張でパニックになった僕は、高速道路を逆走し、鼠の前に停車した。聞こえてくる無線の情報から、あれが最善の選択だとさえ思った。あのときは。

「いいか、もじゃもじゃ頭くん。君みたいな新人に、余計なことをされちゃ困るんだよ」

「す、……すみません」

 ハルキは、剥製にされて壁に吊るされた動物たちの無言のアドバイス通り、彼の説教を素直に聞くしかないと思った。よれよれの一張羅を着ているせいか、それとも酷い撫で肩なせいか、その姿は叱られたペットのように哀愁が漂う。

「君もそのバッジを付けていたいなら、無茶と寝坊は二度としないことだ」

「……はい」

イースはそれだけ言うと、革靴の踵を鳴らして部屋を出て行ってしまった。なんとか発することのできた僕の返事は、あまりに心許なく響いた。

「そうしょんぼりするなよ、アレンスくん」

猫背の肩をさらに落としている僕に、見兼ねたリッキーが声をかける。彼は落ち着きがないのか、目をキョロキョロさせていたかと思うと、深呼吸をしてゆっくりと話し出した。

「マウサーは鼠を逃がしてはならない。まぁ、それが君たちの仕事だからね。だがそれよりも、傷一つなく帰還することの方が重要なんだよ。少なくとも、イースさんにとっては」

 ハルキは「はぁ」と生返事をする。

「君も付けているそのバッジは、何をしても許される魔法の証じゃない。この国で信頼できる最高のドライバーとしての誇りなんだ。彼が言いたかったのは、そういうことなんじゃないかな」

 リッキーは眉を寄せたり離したり、器用に動かしながら、そう言った。

「とにかく、僕は君に期待してるよ。オタク(Geek Boy)くん」

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