17

「止まれ! その手を放せ! 彗君を返せ! もうお前なんか怖くない! 怖くない!!」


 自分に言い聞かせる様に叫ぶも、流れる涙と足の震えは止まらない。

弓絵は怖ず怖ずと足裏を擦る様に後ずさる。


「消えろ!! お前なんか消えろ!! この空間ごと消えて無くなれ!!」


〈なかみぃ……〉


「黙れぇえぇえぇ!!」


 弓絵は箒を振りかぶり、向かい来る黒い影を殴りつける。



 ズッ ――



(当たらない、すり抜けた!?)


 手応えはまるで無し。

黒い影を間近に見れば、身丈3メートルはあるだろう巨体を実感できるだろう。

その圧倒的な闇の濃さに、弓絵は力を失い、箒を落とす。


(そんな、触れる事も出来ない何て……)


 やはり不可能だったのだ。次元をも歪める空間の脅威を前に、人知が及ぶ筈も無し。

暗闇校舎の幾つかのトリックが解けただけ、弓絵や彗は優秀な生徒であったに違いない。


(殺される……)


 弓絵はギュッと目を瞑り、死を覚悟する。その寸暇、


「弓絵!!」

「!」


(この声は……)


 振り返るとそこに、彗の姿。


(どうゆう、事……?)


 黒い影が引き摺る彗と、背後から弓絵の名を叫ぶ彗。彗が2人いる。

黒い影は現れた彗を前に、体を反らせる。


〈なかみぃいぃいぃいぃいぃ……〉


 なかみ。弓絵は静かに息を飲む。


(なかみは、やっぱり『中身』だったんだ……)


 弓絵は彗に向き直り、変わりなく佇む姿を見つめ、悲しみに表情を歪める。


(コイツは、彗君の体の中身を探していた……魂を、探していた……)


「死んでいた、のね……?」


 彗はとっくに死んでいた。

そうして体だけは引き摺られ続け、中身は弓絵達の元に現れていた。

弓絵の この推理に彗が否定する事は無い。


「弓絵、ごめん……」

「彗君、どうして……」


 弓絵が問いかけると同時、黒い影の腕が上がる。


〈なかみぃいぃいいい……〉


「弓絵、逃げて!!」

「!!」


 黒い影は弓絵の直線上にいる彗を目がけて手を伸ばす。


「弓絵!!」



 ドッ、、



「ギリ、セーフ……」

「義、也……?」


 間一髪、弓絵の前に駆け込んだのは義也だ。

然し、人を助けるにはそれなりの代価が必要になるのだろう。

義也の腹には黒い影の手が貫通し、湧き上がる泉の如く、ドボドボと血が溢れ出す。


「義也ぁあぁあぁ!!」


 弓絵の悲鳴に義也は眉を顰めて苦笑し、腹部から逆流する大量の血を吐き出す。

ビシャリ! と血の塊が落ちれば、廊下は嚥下する様に吸収していく。

そして、黒い影の手が腹から抜き取られ、義也はそのまま廊下に倒れる。


「義也! 義也! いやぁあッ、義也ぁ!!」


 弓絵は義也の腹を両手で押さえ、必死に出血を止めようとする。

然し、空いた穴は塞がらない。


「早く、逃げ、ろ、よ……」

「駄目! 一緒に、一緒に帰るの!!」

「彗、弓絵を……」

「義也っ」


 彗は駆け寄り、弓絵と共に義也を担ぎ上げる。


〈なかみぃ……〉


 黒い影が欲しいのは、彗の中身。彗の体を引き摺りながら3人の後を追う。

然し、存外鈍足か、姿さえ隠してしまえれば追い着かれる事は無いだろう。

弓絵と彗は義也を支えながら、3階南校舎の1番端の空き教室に逃げ込む。

ドアを閉めると、ロッカーを背凭れに義也を座らせる。


「床に寝かせると血を吸われるっ、義也、堪えてくれっ」


 彗は上着を脱ぎ、義也の腹部に宛がうが、やはりこの程度では何の処置にもならない。

弓絵は冷たくなっていく義也の手を握って泣きじゃくる。


「早く、早く、元の世界にっ」

「ゅ、弓絵……」

「義也、ごめんね、ごめんね、私が、私がっ、」

「こんくらい、大丈夫、だっつ、の……」

「! ―― ぅ、うん、そうだね、大丈夫、大丈夫……うぅッッ、

 ありがとう、義也、助けてくれて……

 次は絶対に帰れるから、そしたら直ぐに病院に行って治して貰うから、うぅぅっ……

 何にも心配いらないよ? 私が、全部全部、片付けるからっ、絶対に、私がっ、」

「ごめんな、弓絵……」

「ぇ?」

「お前じゃ、無かったんだよ、な……お前が、まじない何て、なぁ……

 しねぇって、ハハハ、……ちと考えりゃ、解かるってのに……俺、バカだから……」


 こんな時でも義也は強がりだ。

苦しむのでは無く小さな笑みを浮かべ、弓絵をこれ以上動揺させない為の気遣いが男らしい。

彗も義也の傍らに膝をつき、力無い手を握る。


「義也、弓絵を守ってくれて、ありがとう……」

「ま、ぁな……お前との、約束、だし……つか、後、任せられても、困っけど……」

「義也っ、」

「お前、まだ、いけんだろ……?」

「! ……あぁ。まだ。勿論だよ」

「良かっ、た……弓絵の事 ――」


 続く言葉は無い。弓絵は義也の胸に突っ伏し、声を殺して泣く。


「義也……っ、」


(いつも一緒にいてくれた、いつも励ましてくれた……

 義也はね、私の太陽だったの……)


「一緒に、帰りたかった……」


 難しい事だとは解かっていても、不可能であったとしても、願わずにはいられない。

彗は俯き、何度も深呼吸を繰り返しながら、そっと義也の瞼を降ろす。


「大丈夫だよ、弓絵。キミが戻れるまで僕が必ず守ってみせる。

 この空間であっても僕は異質な存在のようだから、

 弓絵達が触れないものでも、僕なら触れる事が出来る」

「!」


 1度、彗は黒い手に襲われた弓絵を助け出している。

然し、弓絵が同じ様に理恵を助けようとしても全く歯が立たなかったのだ。

黒い影にしろ、弓絵が触れる事は出来ない。

生と死の狭間にいる彗だからこそ、暗闇に影響を与える事が出来たのだろう。


「彗君、彗君は戻れるの……? 体を取り戻せば、戻れるよね?」


 黒い影が引き摺っていた彗の体は蛻の殻。だからこそ、中身である彗を探している。

体さえ取り戻せば一体化できるのでは? と、都合の良い妄想するも、彗は頭を振る。

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