6
登美に弓絵の手を掴んでやれる程の勇敢さは無い。
否、そんな事をしては、自分も一緒に連れて行かれてしまうと言う冷静さが勝る。
弓絵の体はアッと言う間に登美と教室から引き離される。
耳には、初めに聞いたけたたましい足音と笑い声。
「!!」
バタバタバタバタバタバタバタ!!
キャハハハハハハハハハ!!
(いる……私の周りに……)
バタバタバタバタバタバタバタ!!
ギャハハハハハハハハハ!!
(見えないけど、沢山の人の気配を感じる!!)
引き摺られる弓絵を追い駆け、悶える姿を楽しんで嗤う幾人もの気配。
そして、放送室・視聴覚室・第二会議室と、使われなくなった教室を通り過ぎ、南校舎に差しかかれば、行き止まりの壁が近づいて来ている事に気づかされる。
この速度で壁にぶち当たれば、体がグチャグチャに潰れてしまうだろう。
丁度、トラックに跳ね飛ばされる様な具合で。
(死 ――)
自分の死を連想すると同時、通り過ぎようとする中央階段から手が伸ばされる。
「弓絵!!」
ひんやりとした低い体温には覚えがある。
(彗君!)
彗の腕が弓絵の体を抱き止めると、無数の黒い手と笑い声は名残惜しそうに闇の中へと消えて行く。
「弓絵っ、大丈夫!?」
弓絵はそのまま彗にしがみつき、ガタガタと恐怖に体を震わせながら咽び泣く。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、あぁ、う、うぅうぅッ、うぁあッ、ぅぅぅ!!」
「間に合って良かった、本当に良かった……、、」
弓絵の背を摩る彗も、間一髪に生きた心地がしなかった事だろう。
遅ればせながら駆けつける登美はバツが悪そうながらも、弓絵が無事であった事には解顔して肩を撫で下ろす。
「ゅ、弓絵チャン、大丈夫っ?
良かった、高野クンが来てくれて……私じゃホント、何も出来ないからさ……
って、アレ、何だったんだろ? 手に見えたけど……笑い声もスゴくなかった?」
困惑あらわな登美の言葉を耳に、弓絵は彗の手を借りて立ち上がる。
廊下を引き摺られた摩擦でジャージの所々が溶けて穴が開いている。
掌や肘・膝小僧も痛むから、随分な擦過傷になっている事だろう。
「多分、沢山いたんだと思う……私達の目には見えないような人達が……」
「えぇ? そ、それって……幽霊?」
「分からないけど……」
(幽霊……そう呼んで正しいのかも分からない。
私が知っているのは、写真に映り込んだりして人を脅かすようなもので、
これ程悪意のある危険なものだとは想像して無かった……
この学校に そんなものがいる何て噂も聞いた事が無い……)
怪奇現象の類いなら決まって それなりの噂が聞ける筈だが、この学校には冷やかす程の七不思議すら囁かれない。作り話もしにくい長閑さだ。
学校は友達と会う場所。そうゆう認識だ。
「弓絵、考えるのは後にして、保健室へ行こう。このままにして置くのは良くない」
「そ、そうだよ! 手当てしなくちゃ! ホラ、弓絵チャン、肩貸すから!」
彗と登美の半分ずつで弓絵を支え、中央階段を下りて1階の保健室を目指す。
道すがら、誰かしらと合流できれば都合が良いのだが、それらしい姿は見られない。
叫び疲れた事もあってか、弓絵は黙り込む。
否、手当てが先だと言われても、考えずにはいられない。
(引き摺られた時に聞こえた足音と笑い声……あの時、確かに何かがいた。
もしかしたら、1番最初に聞いた時も、誰かが引き摺られて……)
失明したと錯覚する程に何も見えなかった あの暗闇の中、弓絵が泣きながら蹲っていた その横で、何者かが引き摺られていたのではなかろうか、と言う予測。
(俊典君、だったんじゃ……)
教室で見た俊典の姿は激しく損傷していた。
廊下だけで無く、階段ですら引き摺り回されていたなら、首がヘシ折れてしまうのも納得できる。その想像に、弓絵は吐き気を催す。
「ううッ、、」
「弓絵、しっかりっ、もう少しだから頑張ってっ」
「……ぅ、うん、」
(目の前で友達が襲われていた……
見えなくても、彗君のように冷静でいられたら、助けられたかも知れないのに……)
「彗君、助けてくれて、ありがと……」
(彗君が助けてくれなかったら、私も俊典君と同じように……)
間違いなく無残に死んでいただろう。
そう理解すると、弓絵は静かに涙を落とす。
保健室に到着するも、ここも電気が点かない。
良い加減、目は暗闇に慣れたが、携帯電話のライトは必需品だ。
彗は弓絵をベッドに座らせると、登美と手分けをしては棚から消毒液や包帯を取り出す。
「久松サン、ライト向けていてくれるかな?」
「ぅ、うん、分かったっ」
彗を前にすると登美は協力的だ。
弓絵を手当てしやすい様に丁寧に気を配って彗の手元にライトを傾ける。
彗は勉強だけで無く、手先も器用だ。
傷口を手際良く消毒し、カーゼを貼って包帯を巻く。
少し多めに固く巻く事で、動きがサポートされるだろう。
「弓絵、痛むだろうけど我慢して」
「ありがとう……それより、あの、俊典君の事だけど……」
「ごめん、確認する前に移動させられて、」
「うん……俊典君、教室にいたの……」
「本当に?」
「―― やっぱり、駄目だった……」
言葉を選ぶ弓絵の言わんとする意味に、彗は痛惜に項垂れる。
「ごめん、弓絵。怖い思いをさせて。僕がついていれば……」
「彗君が悪いんじゃないよっ、全部この空間が悪いんだよっ、
早く皆と合流しなくちゃ、またバラバラにさせられるっ」
「バラバラになんだったら、集まっても無駄じゃんよぉ……」
登美は身も蓋も無い事を言う。
確かにその通りなのだが、皆で力を合わせなくては危険を回避できないのは弓絵が身をもって知っている。
無駄だから努力しないのでは、遅かれ早かれ、この暗闇に飲み込まれてしまうだろう。
弓絵は立ち上がり、2人に手を差し出す。
「揺れると飛ばされる」
「何それ?」
「そうだね。2回とも揺れを感じた瞬間に移動させられてる。
手を繋いでいれば、はぐれなくて済むかも知れない」
弓絵の言葉に登美は怪訝するも、彗は素早く理解し、差し出された手を握る。
「彗君、手、冷たい……大丈夫なの? 具合悪いんじゃ、」
「平気だよ。これでも今日は体調が良い方なんだ」
触れる度に彗の体温が下がっているのが分かる。
こうして平静を装ってはいても、本当は動くのも辛いに違いない。弓絵が悲し気に俯く。
「ごめんなさい、彗君。私が無理をさせたから……」
「大丈夫。そんな事は無いよ。さ、皆を探しに行こう」
保健室を後に、3人は注意深く周囲を見やって歩く。
こんな状況であっても、見知った校内だ。
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