3-2
アンリが首を傾げた。初めて聞く言葉が含まれていたからだろう。レベッカはその様子を見て、意味を理解されていないことに気づいたようだ。
「〈生賦型〉は
「
息を詰めたアンリへ、レベッカは安心させるようにほほ笑みを向ける。
「〈命蝕〉と人間が両親って意味じゃないわよ。呪いが元の〈命蝕狩り〉は、子に能力を遺伝させることがある。そうやって生まれるのが〈半命蝕〉。力を暴走させて本物の〈命蝕〉になってしまうこともあるけど、うまく制御すれば最高の〈命蝕狩り〉になれる。高純度の
「バルグ父さんも呪いで……もしかして、あたしも?」
「あら、あなたバルグのお子さん? 女に関してはお堅いあの男に、こんなかわいいお嬢ちゃんがいるなんて。人は見かけによらないものね」
レベッカはまるで幼子を愛でるようにアンリの頬をなでる。
「アンリは、その、バルグが旅立つ前……つまり呪いをかけられる前の、子どもらしい」
フィンは言葉を選んだつもりだったが、アンリはそれでも赤くなった。レベッカは意味深に目を細める。
「残念ね。〈半命蝕〉とお近づきになれたら、あたしはいい取り引き相手が増えて大儲けなのに」
箱から水晶球を取り出し、フィンに手渡す。
「それは、言ってみれば水と油を混ぜてくれる石けんのようなものよ。この場合は水が人間で、油が〈命蝕〉の〈淵源〉」
箱がコップであるかのように指を入れ、かき混ぜる仕草をする。
「
レベッカが何を言おうとしているのか、フィンは気づいた。
「つまり、これがあれば取り込み失敗の確率を減らせるってことか」
「そういうことよ。バルグはどこで見つけたのかそれを借金してまで買って、あんたが取り込みに耐えられるくらい成長したら使わせる予定にしてたみたい。そのときの〈緋核〉も、弱すぎて話にならないなんてこともなく強すぎて〈命蝕〉化なんてこともないものを探してくれってあたしに依頼してた。費用は年中追加されてたから、あたしもいろいろ見せたのよ? でもバルグはあれも駄目これも駄目で」
バルグは〈緋核〉の取り込みに反対していなかったようだ。どこかで金を使うことは、借金返済と〈緋核〉探しのため。水晶球の代金は、バルグが途中まで払ってくれたお陰で〈命蝕狩り〉をやれば払える程度に収まった。フィンは胸の中がじんわりと温かくなった。
「次に、これがバルグから注文されてたものよ」
レベッカは、先程の箱と同じようなものを鞄から取り出した。
「『川下用』って注意書きが、注文票にあったわね」
「アンリのことだ! やっぱりバルグは気づいてたんだ!」
フィンは即座に思い当たったことがあり、叫んだ。バルグが『川下用』と書いたのは、自分がいなくなった場合を心配したから。渡すべき相手をフィンが推理できるようにするためだ。一方、アンリは訳が分からない様子だった。
「何それ。あたしがバルグ父さんの川下?」
「〈命蝕〉はオスメスで増えるんじゃなくて、呪いで新しい〈命蝕〉を作って増えるだろ。そうやって作られた方を『川下』と、作った方を『川上』と呼ぶんだ」
「作ったってのも嫌な言い方ね」
「別の言い方もある。『親側』と『子側』だ」
アンリが胸を押さえた。彼女が『川下用』という文字を目にしても、意味を教えられないかぎり『子どものもの』と理解できない。アンリが村で暮らすことには一切影響を与えない、うまいやり方だとフィンは思った。〈命蝕〉のそれに例えるのは趣味が悪いが。
「じゃあ、これはあなたのね」
レベッカが差し出した箱を、アンリはおずおずと受け取る。
「でも、何なんでしょう」
「プレゼントじゃない? 開けてみたら?」
そう言われたアンリは、ゆっくりと蓋を開けた。中に入っていた品を見て目を丸くする。
「こんなの、見たの始めて……」
そっと取り出したものは、青い石のペンダントだった。鎖で首から提げられるようになっている。
「もらっていいんですか?」
田舎の村にこのようなものがないせいか、アンリはうろたえていた。レベッカは逆に笑顔を強める。
「もちろんよ。女の子にあげる最初のプレゼントが肌に付けるものってのはセンスないけど、気にしないであげて」
異性に贈り物をしたことのないフィンはよく知らないが、アンリは気に留めていないようだった。感慨深い様子で首にかける。
「バルグ父さん、ありがとう……」
手に取ったペンダントを嬉しさにあふれた顔で見下ろしてから、大事そうに服の中へしまう。
「さあ、これで渡すものは渡したわ。問題は」
レベッカはフィンとアンリの喜ぶ姿に満足げだったが、ちらりと空に目を動かした。そこには、このまま忘れたかったものが浮かんでいる。
「貴様らぁ!」
先程の〈命蝕〉が、怒りに満ちた声をフィンたちへ放った。体がしぼむと同時に高度が下がりつつあり、フィンは追い立てられるような焦りを感じた。
「もう戻ってきたのか!」
「あいつは〈草枯れの瞳〉。〈闇色の残滓〉よりは弱いけど雑魚〈命蝕〉よりはよっぽど強いってところね。普通の人間じゃ歯が立たないわ」
レベッカは、そう言っている割りにキセルへ火を入れてのんきに吸い始める。
(俺は武器をなくした。レベッカは追い払う程度で、繰り返せばいずれぼろが出る。弓を持ってもいないアンリは論外だ)
フィンは、ごくりと唾を飲み込んだ。こちらに対抗できる戦力はない――
「いや」
受け取ったばかりの水晶球を見つめる。
「俺が今ここで〈緋核〉を使って、〈命蝕狩り〉になればいいじゃないか」
「それはいいけど、〈緋核〉を持ってるの? あたしは持ってないわよ」
レベッカは「目録なら、あんたが選べるように用意してあるけど」と続けた。〈緋核〉は誤って取り込む危険があるので、旅商人たちは持ち歩いたりせず秘密の場所に隠している。
ここには一つだけ〈緋核〉がある。フィンはそれを懐から取り出した。
「バルグが最後に倒した〈命蝕〉……〈命砕く魔手〉の〈緋核〉だ」
「〈命砕く魔手〉ですって?」
レベッカが急に声を大きくした。
「〈命砕く魔手〉は、かなり強い〈命蝕〉よ。普通なら取り込み不可能と判断される。その水晶球を使っても、並の〈緋核〉に比べれば危なすぎるわ」
「やるしかないんだ」
フィンが空を見ると、〈草枯れの瞳〉の姿はますます近くなっていた。「全員食ってやる!」という声が聞こえ、アンリがうろたえを強める。
「失敗したら、あれの同類になるんでしょ? やめなさいよ! ここはレベッカさんに何とかしてもらってさ」
「逃げることくらいはできるわね。〈緋核〉だって、バルグにもらった費用はまだ残ってるんだからそれを使って別のを探せばいいわ」
レベッカまで止めてくるのだから、危険なことは確実。しかしフィンは水晶球と〈緋核〉を見比べ、首を振る。
「力が必要なのは今なんだ。今、勇気を出して力を得ないといけない!」
「くだらないヒロイズムね」
レベッカは肩をすくめた。キセルをひっくり返し、まだ途中の煙草を捨てる。節約を心掛けているはずなのに。
「止めても無駄なのはよく分かったわ。〈緋核〉の取り込み方は知ってるわね? 水晶球は、そのとき一緒に握ればいい」
「レベッカさん!」
アンリは表情をこわばらせた。レベッカは構わずにアンリを自分のそばへ引き寄せる。
「敵が二匹になったら、あたしがこの子を逃がしてあげる。で、取り込みに失敗した負け犬は〈命蝕狩り〉を送って討伐させる」
「フィンを殺させるんですか? そんなひどいこと……」
「当然」
血の気を失ったアンリに、レベッカは真剣な表情を向ける。
「放っておけば誰かがフィンに食い殺されるじゃない。そうならないようにするのが、〈命蝕狩り〉になろうとする者へ課せられるけじめなのよ。もちろん、取り込みの機会を与えたあたしのけじめでもある」
この場に現れたときと違う、鋭い声。アンリを黙らせる。
「言うまでもなく、そうするのは取り込む人に覚悟があるのならの話。フィン、あなたには殺される覚悟があるのかしら? 人に迷惑をかけるくらいなら死ぬと断言できるのかしら?」
フィンもまた、普段と違うレベッカに威圧されていた。このような声を初めて聞いたわけではないが、いつもバルグに向けられていた。フィン自身へぶつけられたことはなかった。
(今まで俺はバルグに守られながら生きてきた。でも、バルグはもういないんだ)
これからは自ら痛みに耐え、苦しみを切り抜けねばならない。レベッカは、それができるのかと訊いているのだ。
〈命蝕〉になることや殺されることへの恐怖は、当然ながらある。人でない身と化した父親や冷たくなったバルグの姿が頭に浮かぶ。しかし、歯を食いしばって追い払う。
「もちろんだ!」
フィンがしばしの沈黙の後に答えると、レベッカは肩掛け鞄に手を入れた。
取り出したものの一つ目は、フィンが先日受けたものと同じ呪符。フィンに投げ、小さな結界の中に閉じ込める。暴れ始めても大丈夫なように、ということだ。
二つ目は、あらかじめ決めておいた場所へ転移する呪符。暴走するフィンを結界が止められなかった場合の非常手段だ。アンリを逃がす話は嘘ではない。討伐のことも。
「フィン、どうしてもやるの?」
アンリが心配そうに見つめてくる。彼女にとって自分は亡き父親を思い出させる存在で、軽んじることができないのだろう――フィンはそう感じながら強気にほほ笑んでみせた。
「やると決めたんだ。そして絶対に成功させてみせる」
「成功させなきゃ駄目に決まってるでしょ!」
アンリは自分を奮い立たせるように叫んだ。
「〈命蝕〉なんかになったら、ただじゃおかないんだから! バルグ父さんだって、そんなの望まない……!」
「分かってる」
フィンは言い切り、水晶球と〈緋核〉を右手の上で並べた。
取り込みの方法は、何度も人から聞いて心に刻んできた。それをもう一度思い浮かべ、水晶球と〈緋核〉を握りしめる。
「〈命砕く魔手〉に流れていた力よ、俺に宿れ!」
フィンがそう告げることを待っていたかのように、手のひらから得体の知れないものが流れ込んできた。
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