2-2

 アンリの足は速く、フィンはその姿を見失ってしまった。仕方がないので後は擦れ違う村人から話を聞き、足取りをたどった。

 そうしているうちに、フィンは村から出ていた。一週間以上柵の外に注意するよう言っていたせいで、今も足を踏み出すことに抵抗を持っている村人が多い。そのため、村の外ではアンリの目撃情報が少ないだろう。しかし山道まで来たフィンは、彼女の行き先に見当を付けることができた。


 フィンとバルグが初めてアンリに会った場所。丘の上にぽつんと立った大きな木。その根もとに、座り込んだ少女の後ろ姿があった。

「やっぱりここか」

「ドロルとあんなに喧嘩してたから近いうちに旅立っちゃうと思って、会いに行ったんだけど……先客とあんな話をしてるなんて」

 アンリは振り返らず、気重な様子の声で答えた。フィンはその背中へ話しかける。

「お前も気づいてたんじゃないのか? だからあんなにバルグのことを気にかけてくれたんだ」

「まあね」

 アンリは乾いた口調で告げ、小さなため息をつく。

「初めてここでバルグさんに会ったときから、懐かしい雰囲気の人だと感じてた。名前とアグロ村出身だって話を聞いて、やっぱりそうかって思った。ミレーヌ母さんと仲がよかった幼馴染みのことはそれとなく調べてたし、あたしがミレーヌ母さんとその人の子じゃないかって考えてる人もいたし」

 バルグと何度もミレーヌの墓で会ったと、アンリは付け加えた。フィンはそのようなことを想像してもいなかった。

「親が違うことは、九歳のころから知ってた。それまでは、村のみんなが何か隠してるってたまに感じる程度だった。父さんたちは自分たちが本当の親じゃないことをあたしが大人になるまで黙ってるつもりだったから、みんなも合わせてたのよ」

 アンリとミレーヌへの偏見はあったそうだが、それでも村人たちはクロードたちの方針に従っていたようだ。

「でもあの日、ドロルがあたしに言ったの。『お前はクロードたちから生まれたんじゃない。クロードの妹が男遊びで作ってきたんだ』って。今でもはっきり覚えてるわよ」

 またあいつかと、フィンは呆れてしまった。九歳の若さでそのようなことを突きつけられたアンリも困惑しただろうが、今は淡々と話す。

「バルグさんに、あなたがあたしのお父さんですかって訊きたかった。でも、言えなかった」

 バルグと同じくアンリもためらっていたのだ。バルグはどういう人なのかと彼女が尋ねてきたことを、フィンは思い出した。幼馴染みとの関係を弟子のフィンに話しているかもしれないと考えたのだ。バルグは故郷のことを全く話さなかったので、フィンはアンリの意図を酌んでいたとしても期待に応えられなかったが。

「ミレーヌ母さんは、幼馴染みのバルグって人が出ていった後であたしを授かった……ってことになってた。でも、調べてみるとおかしいところはいくらでもあった。あたしを取り上げたお婆ちゃんだって、あたしが早産にしてはしっかりしてたって言ってたし。そもそもミレーヌ母さんの行動自体が変なのよね。とりあえず、幼馴染みとの愛情の結果だってことにしておけばよかったじゃない。そうすれば、嘘だったとしても幼馴染みが帰ってきてばれるまでは後ろ指さされないようにできるもの。だからあたしは、幼馴染みが本当の相手だけど真相を隠してたんだって思うようになった」

 あまりにもさばさばした言い方だが、的を射ている。血筋をたどる能力の〈命蝕狩り〉もどこかにいるかもしれないが、少なくとも山奥の村にはいない。よって、嘘をついても分からない。

「あたしは、父親が誰か分からない子っていうところから始まった。だから、自分が悪い人間じゃないって村のみんなに理解してもらえれば十分だったのよ。でもミレーヌ母さんは評判のいい娘からがた落ちで、大変だったと思う。そうまでして言わない理由って何なんだろうと、あたしは随分考えてた」

 アンリが頑張りすぎていたのは、自分がまともな人間だと皆へアピールする習慣を持っているからだった。マイナスからプラスへはい上がることはプラスからマイナスへ落ちること以上に大変だろうと感心したフィンへ、アンリは見切ったような短い笑みをこぼす。

「相手は本当に行きずりの人だったのかもしれない、とも思ってたけど……さっき父さんが言ったことを聞いて安心できた。ミレーヌ母さんはバルグさんを守ろうとしただけだったのよ。父さんはミレーヌ母さんに付き合ってただけ」

「じゃあ、どうして逃げたんだ」

「勘違いしないでよ。父さんのことを全然怒ってないわけじゃない。父さんがもう少し早く話してくれてたら、あたしは……」

 アンリが口ごもり、フィンもやりきれない思いでいっぱいになった。握ったまま客間から持ってきてしまったもの――バルグのテンガロンハットに視線をやる。

「クロードさんたちは、お前にしわ寄せを回しただけじゃないのか?」

「父さんたちを悪く思わないであげて。あんたはバルグさんのことがあるから難しいかもしれないけど、お願い。父さんは妹の想いを大切にしただけ。ミレーヌ母さんは好きな人のために何かしたかっただけ」

「でも、それでお前は」

「二人ともあたしが憎かったわけじゃないはずよ。父さんは母さんと一緒にあたしを実の娘同然に育ててくれたし、ミレーヌ母さんはあたし以上の苦しみに耐えた」

「お前は強いな」

 フィンは考える。アンリの立場からすれば、実の父親は自分を放ってどこかへ行っている無責任な男のはず。娘の存在を知っているかどうかとは別問題だ。実の母親は自分を置いて死んでしまった。育ての親は本当のことを隠し続けてきた。親たちを恨まずまっすぐ育ってくることができたのは、アンリ自身が芯の強い人間だからなのかもしれない。

「あたしはミレーヌ母さんの娘だもの。好きになった男の足を引っ張らないために自ら痛い目に遭うなんて、すごく強い『女』だと思わない?」

 フィンは先にバルグやアンリと打ち解けたため、どうしてもそちら寄りに考えてしまう。しかし、既に亡いバルグの心情を議論してもどうしようもない部分がある。そしてアンリも納得したと言うのなら、フィンからは放置せざるを得ない。

 本当に納得したのなら、だ。

「で、お前はいつまでそうしてるんだ」

 最初からずっと、フィンはアンリの後ろ姿に話しかけている。アンリはいつまでたっても振り返らない。

「変わったことでもある?」

「当たり前だ」

 フィンはアンリの正面に回った。座ったままのアンリは身をよじり、木へすがりつくようにして顔を隠す。

 そうする理由に、フィンは察しが付いていた。自分がここにい続けることは無粋かとも思っていた。しかし、このまま放っておくことが正しいとは思えない。

(きっと、バルグなら)

 しばし考えてから、アンリの肩をつかんで強引に自分へ体を向かせた。

「な、何よ!」

 アンリは、涙をぼろぼろとこぼしていた。それを隠しながらフィンと会話していたのだ。

「泣いてたら悪いの? あたしの勝手じゃない!」

「……本当に強い女だな」

「う……うるさいうるさいうるさい!」

 フィンの手をはねのけたアンリは、再び木へ顔を向けた。しかし涙はもはや堤防を決壊させたようなものだった。堪えていたであろう嗚咽が始まる。

「あたしだって、ミレーヌ母さんを恨んだことがあるわよ! 本当の父親も、会ったら殴ってやろうと思ったりした! ミレーヌ母さんはあんたを待ちながら死んだ、村は居心地悪いけど入れ違いになったらいけないから町へ行くこともやめてたって! でも、すぐ許してあげて……ミレーヌ母さんの代わりに待ってたの、お帰りって、言ってあげるの……せめて一回くらい、父さんって呼べるときがあってもよかったじゃない……!」

 怒りと優しさと忍耐に彩られた彼女の夢は、崩れてしまった。それでも泣き顔はフィンに見せない。フィンにすがろうともしない。

「どうして、あたしが泣いてるのにあんたは泣かないのよ! こないだは、あんなに泣いてたのに! バルグさんがいなくなって、悲しくないの? そんなわけ、ないのに」

「バルグなら、きっとこうする……!」

 親同然の師を失った苦痛。アンリから移り込んできた悲嘆。バルグが父と呼ばれないまま死んでいったことへの同情。フィンは心をつついてくるさまざまな感情に耐えていた。

「自分以外に弱いやつがいるときのバルグは、絶対に自分の弱さを見せなかった……だから、年若い俺には追い出された故郷のことを話さなかったんだ。〈命砕く魔手〉に苦戦したって、俺たちに負担をかけないようにしただろ」

「あんた、あたしより年下の癖に、生意気……!」

 アンリは泣き続ける。このような姿も、今まで村の者に隠してきたのだろう。自分は強い人間だと主張することも、自分の居場所を作る手段の一つだった。

 むしろ強くなければ生きてこられなかったのかもしれない。親のことは皆が知っており、ドロルほどでないにせよ偏見は少なからずある――そんな村でアンリはバルグの帰りを待たねばならなかった。

 フィンは、晒された姿を見守っているうちにクロードと一緒にいたとき考えた困惑が晴れたように感じ始めた。

(俺は弱い。そのせいで、いろいろな人を救えなかった。でも、俺以外の方が弱いってときがある。せめてそういう人くらいは守らないといけない。守れるようにならないといけない。そうしていれば、きっと――)

「ねえ」

 アンリが、かすれた声で呼びかけてきた。

「今からでも、バルグさんのことをバルグ父さんって呼んでいいと思う? ミレーヌ母さんみたいに」

「呼んでやってくれ」

 フィンがそう言うと、アンリは小さくうなずいた。涙をしっかりとぬぐってから振り返る。

「じゃあ、バルグ父さんのことを話して。どんなに小さなことでもいいから」


 フィンはアンリのそばに座り、バルグについて一つ一つ語った。

 村を出てから十一年ほどは、バルグが酒を飲んで気分のいいときに話してくれたことやバルグの仕事仲間から聞いたことが頼りだ。しかしそこから五年はフィンの話でもあるため、誰よりも詳しく語ることができる。

〈闇色の残滓〉を追いながら暮らし、通りすがった町で〈命蝕〉エネルゲイアに苦しめられている人々を救う。バルグは名を知られているため、〈命蝕〉側から狙ってくることもある。さまざまな仲間と勝利の喜びを分かち合い、友の死に涙する。〈闇色の残滓〉に追いついたときは総力戦だ。全力で倒しにかかる。

 語り手はバルグに憧れて旅立ったフィンなので、話は何割か増しになる。どう考えても脚色が明らかな部分だろうと、アンリは茶々を入れず熱心に聞いた。深い泣き顔も、いつの間にか英雄譚を聞く子どものようになっていた。話の先を急ぐかのごとく「そこでバルグ父さんが大斧で〈命蝕〉を真っ二つにしたのね?」と言ってくることもあった。

 フィンは、こうやって人々に冒険の話をすることがある。暇つぶしとして珍しい話を聞きたがる金持ちや、歌の題材を欲しがる吟遊詩人などが相手だ。しかしアンリは今までに会ったどのような人間よりも食い入っていた。フィンもバルグの活躍について話すのが好きなのでちょうどいい。朝の位置にあった太陽が頂点まで昇っても終わることはなかった。

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