2-1

 翌朝、フィンは村長家の客間で荷物をまとめていた。

 連日の襲撃をかけてきていた〈命蝕〉エネルゲイアが何もしなくなったのだから、村の危機は去った――と判断している。よって、この村に留まっている必要はない。ジャールには、こうすることを昨晩のうちに話してある。「いつまでただ飯を食うつもりだ?」と言っていたドロルに伝えるつもりはない。

 多くの村人が「バルグはいないけど、ここに住んだらいい」と言ってくれている。フィン自身は〈命蝕狩り〉エネルディカではないが、〈命蝕〉に関する知識を持っているので村人たちにしてみれば頼れる存在と言えるのだろう。親しい関係もできあがっている。

 フィンに申し出を受けるつもりはない。行く当てがないのでここを帰る場所にできることは嬉しい話だし、たまにはバルグの墓を見に来たいが、来るたびにドロルと顔を合わせるのは嫌だ。

 ジャールが村長の今は歓迎されても、ドロルに代替わりしてからは違うかもしれない。フィンのことはくだらない根なし草の一人として『次期村長』の頭に記憶されているはず。よって、バルグの家を修理しようとしていた村人たちには悪いが二度と来ないつもりだ。

 旅の中で着る服や〈熊の爪〉を身に付けたフィンは、気を散らそうと背伸びしてみた。窓の外で広がる青空のように晴れ晴れとすることはできないが、準備は整った。バルグと過ごしたこの部屋ともお別れだ。

 ノックの音が聞こえた。ドロルならそういう上品なことをせずいきなり開けるからジャールだろうとフィンは考え、「どうぞ」と返事した。

「ちょっと、失礼します」

 ドアを開けたのはジャールでもドロルでもなく、アンリの父親のクロードだった。何やら深刻そうな表情。フィンは、クロードに用があったことを思い出した。

「ちょうどよかったです。ここに来たときはバルグと一緒でしたけど、もう俺一人で……バルグの荷物を持っていけないんです。だから、処分をお願いしようと思って。クロードさんは仕事で町まで出るから、旅の道具を使うでしょう。向こうで売ってお金に換えることもできますし」

 思い出の品となったものを失うのは嫌だが、放浪の身に大荷物は厳禁だ。涙を呑んで始末しなくてはならない。

 どうしても手放したくないものもある。バルグが愛用していたテンガロンハットだ。置いてある場所がすぐそばだったので何気なく手に取り、握りしめた。残念ながら、「手放さねばならないもの」に加えることとなる。「手放してはいけないもの」とは違う。

「〈命蝕狩り〉の道具は、扱いが難しいから渡せないですけど。特に〈命砕く魔手〉の〈緋核〉カルディアは村の誰かが知らずに使ったら大変なことになります」

〈命蝕狩り〉の力を得るのならともかく、取り込みに失敗すれば新たな〈命蝕〉と化してしまう。〈緋核〉本来の持ち主が強いほど失敗率が増し、取り込む者はより強靱な精神力を求められる。

〈命砕く魔手〉は非常に強力な〈命蝕〉だったので、その〈緋核〉には〈命蝕狩り〉の力を求めているフィンもさすがに手を出せない。「適度な強さだったらよかったのに」と未練がましく考えながら懐にしまっている。

「〈命砕く魔手〉の〈緋核〉は、手配書の賞金と換えて当分の生活費にしようと思ってます。元の持ち主が〈命砕く魔手〉だと証明されれば、かなり高い値が付きます」

 今まではバルグが受ける依頼で生計を立てていたが、見習いでしかないフィンに同じ依頼を片づけることは不可能。〈命蝕狩り〉向けの仕事を斡旋する情報屋に通い、見習い一人でもできる仕事を探しながら暮らさねばならない。ただし、そのような依頼なら報酬も安い。

 適度な〈緋核〉を買って〈命蝕狩り〉になることも視野に入れたい。しかし雑魚から奪った屑のような値の〈緋核〉ならすぐに買えるものの、実力の限界がすぐに訪れてしまう。高い〈緋核〉なら強い力を得られるが、費用を出しにくいし取り込み失敗の心配もある。

 二つ目の〈緋核〉を取り込むことはできない。取り込んだ〈緋核〉を捨てて新しいものと取り替えることもできない。すなわち一生に一度の機会と言え、慎重に選ぶ必要がある。

(呪符とかの道具は、『渡せない』より『渡したら後がない』の方が正しいかも。〈命蝕狩り〉じゃない俺には、レベッカも新しく売ってくれないかもしれない。そんな状況で、まともな〈緋核〉が買えるようになるまで生きていけるのか? バルグを失った俺は、ちゃんと〈命蝕狩り〉になれるのか?)

 何もかも不安で仕方ないが、フィンは頭の奥底に押し込んだ。

「……バルグが使ってた防寒具や食器なんかは、いくらでも使い道があるはずです。店に並べておけば村の誰かが欲しがるかもしれません」

「アンリのことで、お話ししたいことが」

 しかしクロードはフィンの話を聞いている様子ではなく、ドアを閉めて客間の奥へ進んだ。それもまた、おぼつかない手つきと足取り。フィンはクロードの様子を見て、昨日のアンリについて思い出した。

「アンリは随分バルグのことを悲しんでくれてるみたいで……昨日は怒ってたけど、今はどうしてます?」

 フィンは、村を出る前にアンリと一度会うつもりだった。バルグの墓の掃除を頼みたいからだ。まともにしゃべることができる状態ならの話だが。

「昨日のあれ以来、少しは元気になりました。でも、やっぱり落ち込んでいて……」

 クロードは呆れたように笑ったが、やはり辛そう。フィンがその姿から連想したのは、助からない傷の仲間に止めを刺して罪の意識にさいなまれていた者のことだった。ただアンリを案じているだけではないように見える。

「アンリに何かあったんですか?」

「あの子は……私と妻の子じゃないんです」

 あまりにも唐突だったので、フィンは言葉を出すこともできなかった。クロードは苦しそうに吐息する。

「本当の母親の名前は、ミレーヌといいます。十五年ほど前に死んだ私の妹です」

 その名はジャールから聞いたことがあると、フィンは思い出した。町での取り引きがうまく、バルグと親しかったとか。そこで彼女がアンリの母親となれば。

 クロードが続けた言葉は、フィンが想像したとおりのものだった。

「アンリの父親は、君の仲間のバルグです。ミレーヌは、バルグが旅立ってから八ヶ月後にアンリを生みました」

「ちょっと待ってください!」

 フィンは丁寧だが激しい口調で割り込んだ。頭の中に少しだけ残った冷静な部分は、アンリにも〈命蝕〉の力が宿っているのかと考えている。呪いの影響は子に遺伝することがあるのだ。

 しかしクロードの話から逆算すれば、ミレーヌが身ごもったのはバルグの旅立ちから二月ほど前。そして、バルグは呪われてすぐに村を出たらしい。つまりミレーヌと一夜を共にしたときのバルグはまだ呪われていなかったことになる。

「アンリは、そのことを知ってるんですか?」

「母親がミレーヌだということは知っていますが、バルグのことを知っているのはミレーヌから打ち明けられた私だけです。こうやって口にしたのも久しぶりのこと。ミレーヌはアンリの父親が誰なのか隠そうと、バルグが村を出てから町で行きずりの男に抱かれた話をでっち上げていました。たった八ヶ月で生まれたことになるのは、早産だったからだと言って……私の妻のように、バルグが父親だと気づいている者もいるようですが」

「どうしてそれを黙ってるんですか!」

 フィンは手にしていたテンガロンハットを見つめ、バルグは子ども好きだったと思い出した。仕事先の村で子どもが懐いてきたときは面倒を見ていたし、小さいころのフィンにも戦闘技術を詳しく教えた。押しかけるような弟子入りを認めたこと自体もそのため。

 かつて懇意にしていた者との間に子がいるとバルグが知ったなら、飛び上がって喜んだはず――フィンはそう確信した。バルグはどこかで金を使ってくるせいで貧乏暮らしだったが、アンリのことを知っていれば少しは貯めて愛娘の住む村をもっと暮らしやすくしようと考えただろう。

「いや、もしかするとバルグは気づいてたのかも……」

 記憶を振り返っていると、いばらを柵へ固定していたときにバルグがアンリと話したい様子だったことを思い出した。フィンが席を外そうとするとバルグは止めにかかったが、アンリにどう接していいか分からないので潤滑油が欲しかったのかもしれない。

 そうだとしても名乗るつもりはなかったと、フィンは察した。だからこそ息絶える直前にアンリへかけた言葉は『クロードたちはいい親だろ』だった。今の家族と楽しく暮らしていると考え、最期まで割り込まなかったのだ。もっともフィンは子の存在を知らないでいるより知らないふりをする方が辛いと感じ、歯がゆい思いを強めた。

「あなたがそれをバルグに教えていれば!」

「私は、ミレーヌに口止めされていました」

 クロードは、責めてくる者が自分よりずっと年若いフィンだというのに苦しそうな視線をそらす。

「腹の中に子がいると気づいたミレーヌはバルグが父親だと私だけに明かし、それを秘密にしてくれと頼んできました。万が一バルグが知れば妻子を守るために帰ってきてしまう、バルグの足かせになりたくない、と。だからミレーヌはどこの誰とも知れない人間が相手だという話を自ら流したんです」

 刺激の少ない村でそのようなことをすればどうなるのか、フィンにもたやすく想像できた。

「ミレーヌは評判のいい娘でしたがそのせいで後ろ指をさされるようになり、以前はアンリを遠ざける空気まで村にありました。特にドロルのからかい方はひどかった。あの人もミレーヌを女として好いていて、バルグのせいで手を出せないでいましたから。ミレーヌは『町での取り引きについていくのは男あさりをしに行く口実だった』と言われ始めましたが、それでも耐えたんです。バルグが呪いを解いて村に戻るまで、と。病に侵され死が間近に迫っても変わらなかった。そこまでの決意を、私は無駄にできなかった!」

「詭弁だ! あなたも、あなたの妹も!」

 フィンは強い口調を叩きつけた。

「バルグの足を止めたくないと言って、悲壮感に浸ってるだけです! それでバルグがどうなったんですか。アンリを我が子と確信できないまま死んでいった! アンリも、父親が村にいたバルグと分かっていれば虐げられることが少なかったかもしれない!」

 確かに、バルグはアンリのことを知らなかったからこそ立ち止まらずに済んだ。しかし我が子が苦しんでいたと後から知れば悲しんだはず。クロードは壁に手をつき、救いを求めるようにこうべを垂れる。

「私も、本当のことを言わなければならないと思っていました。バルグが村に戻り、襲ってくる〈命蝕〉の中に呪いをかけた者がいると聞き、ここでバルグの目標が果たされるのならミレーヌの遺志にも反しないと安心しました。アンリも本当の父親が誰なのか知ることができます。ですが……」

 クロードの期待に反し、バルグは命を落とした。

「私は、アンリにもバルグにも残酷なことをしてしまった……」

 フィンに話したのは、良心の呵責から少しでも逃れたいと思ったからだろう。しかし、フィンはバルグでもアンリでもない。そもそも〈命蝕狩り〉の真似事をしているので大人と誤解されているのかもしれないが、十四歳の少年に過ぎない。クロードがそれを理解しつつ話したとしたら、藁にもすがりたいほど深く後悔しているということなのだろう。

 きしむような音がした。フィンが聞こえた方向に目を動かすと、ドアが半開きになっていた。ノブが壊れているので完全に閉じるコツがあるのだが、クロードは知らなかったようだ。

 その先には、唖然としたアンリ。

「いつから、そこに」

「父さん……!」

 クロードが言葉をこぼすと、アンリは戸惑ったまなざしのままきびすを返した。廊下を駆けていく。

「待て!」

 フィンはアンリの後を追って客間から飛び出した。クロードは、力つきたかのように座り込んでしまっていた。

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