第三章

1

 フィンは、香を嗅ぐと暗い気分になる。

〈命蝕〉エネルゲイア退治の依頼人が亡くしたばかりの家族、一時的に行動を共にした旅の仲間、遺体を街道の近くに埋めて寺院で祈祷だけしてもらった父親――今までに直面した死を思い出してしまう。そして、バルグも思い出される側に回ってしまった。

〈命砕く魔手〉との決戦から二日後が、バルグの顔を見る最後の日となった。太陽だけがさんさんと輝いているなか、フィンは村外れの墓地に開けられた穴へ土を落とし続けていた。

 少しずつ隠れていく、四角い木の箱。その中にバルグが横たえられている。どれだけ強い〈命蝕狩り〉エネルディカであろうと、死んでしまえば蘇ることはない。

(俺が、もっとしっかりしてたら……〈命蝕狩り〉になってたら……!)

 フィンは悔しさを噛み締めていた。そうやって自分へ怒りをぶつけていなければ、またしても親を失った虚脱感と悲しみにつぶされてしまいそうだ。

 共に土をかけているジャールたちも、他の村人たちも、皆悲しそうだった。最初こそバルグをよそ者同然に扱っていたが、もう一度打ち解けたので小さな村なりの連帯感が戻っている。すすり泣きがいくつも聞こえた。

 そうやって泣くのなら、傍目から見る分にはまだ安心できるのかもしれない。両親に付き添われたアンリは、真っ白な顔で呆然と穴を眺めている。

 彼女はバルグの死を目にしてからずっとこう。初めて会ったときのけたたましい声が嘘だったかのようだ。あれから大した時間は過ぎていないのにどうしてこう気にかけてくれるのかともフィンは考えてしまうが、自分と同じくバルグを好いていたのだと思うと嬉しい。この場の辛さを埋めるには足りないが。

 家族はバルグの死で落胆するだけでなく、娘のアンリのことを心配してもいるのだろう。精神的な負担は大きいはず。彼らにとって――フィンや他の村人にとっても――いいことと言える数少ない一点は、バルグが命を落とした決戦以来〈命蝕〉が姿を見せなくなったこと。

 理由は首領の〈命砕く魔手〉が死んだからだと想像する程度で、明らかになっていない。そもそも、どうして〈命蝕〉がアグロ村を襲ったのかも分からない。単にアグロ村の人間を食うことが狙いだったのか、それとも他に理由があったのか。

 答えのないまま棺桶が土の下に消え、木の墓標が立てられた。都会で用いられる墓石よりずっと簡素だが、これが村の習慣らしい。辺りには似たようなものがいくつもある。

 バルグは故郷で死に、その土へ還る――正式な司祭ではないがいつも代表で祈るという長老格の老人がそういった内容の言葉を捧げ、しばし黙祷。それで葬儀は終わった。村人たちは言葉を交わさずに村へ帰っていく。

 アンリもまた、無言で歩いていた。フィンは声をかけようと思ったが、自分以上の悲しみが彼女の胸にあると思えて言葉が喉から出てこなかった。



 夕が近づくころ、村の集会所前に酒や料理がたくさん持ち寄られた。できるだけ明るく見送るという趣旨で行なわれる宴会だが、そうしてみせることにも限界がある。

 フィンも笑い合うような気分ではなく、できれば参加したくなかったが、主賓である以上いないわけにはいかない。上座に位置する席で、ジャールと並んで座っていた。

 多くの村人が話しかけてきたが、内容は半分くらいしか頭に入らない。いろいろな料理を食べさせられたが、味はよく分からない。バルグは暗くすることより馬鹿騒ぎすることの方が好きだったが、今のフィンはこの場を盛り上げるような行動ができない。日が落ち始めて暗くなるとかがり火がたかれたが、フィンは早く燃えつきて宴会が終わればいいと思った。

 ただ、離れた場所にいるアンリの様子が気になった。母親が料理を小皿に盛って手渡すが、うまそうに食べているとは思えない。流し込んでいるだけだ。

「まあ、よかったんじゃないか?」

 気分のよさそうな声が聞こえた。少しだけ目をやると、ワインのビンを片手に持ったドロルが取り巻きたちを前に笑っていた。葬儀のときは姿を消していたが、宴会になったら出てきたようだ。

「バルグは居場所が定まらなかったからな。それがのたれ死にもせず墓まで作ってもらえたなんて、涙ものだ。十六年もその辺をぶらついてた根なし草にはよすぎる待遇だろ。俺たちに感謝しろってところだな」

 フィンが聞いていることには気づいていないのか。聞こえてもいいと考えているのか。それともわざと聞かせているのか。ドロルは調子を上げていく。

「しかも、庭のビワをまた俺と食いたいとか言ってたって? くだらねえ!」

 ドロルの声はかなり大きく、他の村人たちは割りと静かに飲食していたので、発言の内容はほぼ全員の耳に入っていた。場の気温が下がる。取り巻きたちはさすがに空気を感じて慌てたが、ドロルは気にしない。

「大体、俺はあいつと一緒にあのビワを食ったことなんかないっての! 昔の親父は、ビワを取るとあいつには一個か二個持ってかえらせるだけで残りは全部俺にくれてたからな! 死にかけとはいえ錯乱しすぎだ!」

 フィンもまた、その言葉に刺激されていた。持たされていたコップをテーブルに勢いよく置き、ジャールから止められる前に立ち上がった。ドロルへ速い歩調で進む。その様子を見た村人は、更に静まっていく。

「あんたは、どうしてそこまでバルグのことを馬鹿にできるんだ!」

 ドロルに近づいたフィンが怒鳴ると、村人たちはついに全員が声を止めた。ドロルはそうなってからやっとフィンに振り返った。

「ガキ、何か用か?」

「バルグを馬鹿にするようなことを言うな! 取り消せ!」

「何を怒ってるんだか。どうせお前らなんて使い捨ての駒だ。こういうことには慣れてるだろ?」

 確かに〈命蝕〉との戦いで死ぬ者は多い。フィンもそれを理解しているが、使い捨てなどと言われる筋合いはない。

「それが、同じ村で育ったバルグに対して言うことか!」

「馬鹿なことを言うな。出だしが同じだったとしても、ちゃんと村で暮らしてた俺と根なし草のバルグじゃ全然違うだろ。明らかに俺の方がまともな生き方をしてる」

「ああ、違う。あんたは次の村長って立場に依存しながら人を馬鹿にしてるだけだ! 〈命

 蝕狩り〉として頑張ってたバルグが、どうしてあんたより下の根なし草なんだ!」

 ドロルの生きざまに関する話は、アグロ村において言ってはならないことだった。フィンは周りを見渡すことなく皆の表情が凍ったと気づいた。

 もっとも、ドロル本人は怒ったりしていなかった。

「お前もバルグと同じで、定まるところのない人間だからな。どうしても自分たちを認めてほしいんだろ。言っとくが、次期村長ってのは重要なもんだ。そうだろ、みんな?」

 ドロルに問いかけられた村人たちは、いずれも何一つ返さずに目をそらす。ジャールが口を開かないのは、発言を認めているからではないだろう。我が子ながら呆れて声も出せない、といったところか。ドロルはそれを無言の肯定と取ったのか、余裕の表情を強める。

「いい人生だったとか、バルグが言ってたらしいな。だが十六年も追ってたやつは間違いで、結局呪いは解けなかった。あほ臭い」

 嘲りの笑いをあふれさせる。

「どうせ呪いが解けないなら大人しく木こりを続けてればよかったって、あいつは心の中で泣いてたはずだ。だから最後に強がってみたんだろ。負け犬の遠吠えってやつだな!」

 酔いのせいも少しはあるのだろう。しかしフィンには、責任を酒に押しつけて許してやれるような話題ではなかった。

(バルグが呪いを解けなかったのは事実だ。十六年も無駄にしたんだ。でも、強がったなんて……ないはずだ!)

 怒りと戸惑いのあまりに声を詰まらせると、ドロルはニヤニヤしながらフィンの顔をのぞき込んできた。

「ぐうの音も出なくなったか? 反論なんかできるわけないに決まってるよなぁ。バルグは最後に〈命蝕〉の親玉を倒して俺たちの役に立ったが、根なし草生活の馬鹿さ加減が大きすぎる。そのせいで感謝する気も起きないのが自然ってもんだ!」

「何だと!」

 フィンは拳を握った。我慢の限界は、とうの昔に通り越している。この男には張り合ったり議論したりする価値がないと分かっているが、怒りを抑えきれない。思いきり腕を引く。

 頬を打たれたドロルがテーブルを巻き込んで倒れ、料理や酒が散らばった。しかしフィンはまだ拳を振るっていない。

「うるさいわよ!」

 殴ったのはアンリだった。頭へ血を上らせたフィンが周囲を見ていないうちに近づいていたようで、鬼神のごとき目でドロルをにらんでいる。村人たちもフィンとドロルばかりを見ていて、呆けていたアンリに注意していなかった。

「てめえ、次期村長に何てことを! げ、口の中が切れて血が出たじゃねえか!」

「黙れ!」

 ドロルは抗議したが、アンリは足の裏で踏みつぶすようにその顔面を蹴った。

「あんたにあの人の何が分かるって言うの!」

「お、落ち着け!」

 何度か蹴ったところで、近くにいた村人たちがようやく止めに入った。彼らもドロルに腹が立っているようだったが、さすがにこれは放っておけない。

 アンリが取り押さえられると、宴会はお開きとなった。そうしなければ収拾がつかない。フィンは拳のやり場を失ったが、いらだちはなかった。アンリが自分の感情を代弁してくれたように感じたからだ。

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