4-2

 稲妻の結界が薄れて消えた。発動させたときのバルグは消耗していたので、長く持続するようにできなかったのだろう。戦いを見ていた村人たちが駆けてくる。

 バルグは、広がった血の海の中心に横たわっていた。手足は力なく伸ばし、瞳は空へ向いたまま。血は、今も胸の傷からあふれ続けている。

「しっかりしろ!」

 フィンは、服に血が染み込むことにも構わずにバルグのそばでしゃがみ込んだ。バルグがゆっくりと視線を動かしてくる。

「何、しけた面してやがる」

 血のこぼれる口角を上げたが、生気というものが感じられない。フィンは込み上げてくる最悪の瞬間におびえ、心臓をばくばくと鳴らしていた。

 いかなる手を尽くしても止められない――そのような悔しさは、〈命蝕〉エネルゲイアと死闘を繰り返す日々のなかで何度か味わったことがある。今のバルグもまた、そうなった人物と同じ空気を放っている。もはや、深すぎる傷の痛みすら感じられないのだろう。

「俺の呪いを解こうと、〈闇色の残滓〉を殺しに行ったらしいな……気持ちはありがてえが、命懸けで助けようなんて、思うな。俺の命は……お前と引き換えにできるほど、重くねえ。お前の親父を、助けられなかったやつだ」

「昔のことだ! 関係ないだろ!」

 今はもう、バルグの方がフィンの父親と言える。そのような相手なのに何もしてやれなかった、という後悔がフィンの心を焼いている。

「それに、俺は〈闇色の残滓〉と戦ってないんだ。俺が見つけたとき、あいつはもう死んでた。でも、お前の呪いは……」

 フィンが辛うじて発した答えに、バルグはがっかりする様子を見せなかった。「だろうな」と告げているようでもある。まさか、しかしなぜ、と驚いたフィンは激しく繰り返されていた自分の鼓動が一瞬止まったような気さえした。

「知ってたのか!〈闇色の残滓〉が自分に呪いをかけたやつじゃないって!」

 バルグは何も言わない。フィンの後ろにふらふらと近寄ったアンリも、近くまで来ていた村人たちも、疑問の空気を漂わせる。

「どうして〈闇色の残滓〉を追ってたんだ! そんなことをしても助からないのに、十六年も!」

「五年付き合ってくれたお前には悪いが、ある種の、名目ってところだな……」

 叫んだフィンに対し、バルグは大声で笑おうとしたのだろう。しかし開けた口からあふれたものは赤い血。フィンはそれを見て、頭の中をかき回されたような気分になった。

「意味がわからないぞ! 呪いの主じゃないやつを狙っても無駄だ! 目的を果たせない! お前は呪いを解くためにこの村を出たのに!」

「む……それじゃあまるで、俺のやってたことがクソだったみてえだろうが」

 そう言ってるんだとフィンが怒鳴り返す前に、バルグは今度こそ高らかに笑った。血が飛び取ろうと気にせず、声を轟かせる。


「俺の十六年は、最高に楽しい年月だった! 実にすばらしいものだった!」


 迷いのない断言。もはやバルグの命は極限まで短くなった蝋燭のようなもの。それなのにどうしてここまで言い切れるのか、フィンには全く理解できない。

「何でだよ! お前は呪いを解くって目的を果たせなかったんだぞ!」

「うるせえな……俺がいいって言ったら、いいんだよ」

 やはり、バルグには戸惑いが見えない。しかし、少しだけ寂しそうな顔になる。

「悔いが一つもねえ、とは言わねえが……大したことじゃねえ。心配する必要は、ねえからな。俺には……ッ!」

 続けたい言葉があったようだが、苦しそうに何度も咳き込む。フィンはバルグにすがりついた。

「待て! 死ぬな!」

 頭の中にはバルグと過ごした日々が帰ってきている。

〈命蝕〉から救われ、その力に憧れたとき。バルグと共に旅立つと決めたとき。バルグの奔放さに呆れたとき。〈命蝕〉と戦う技術を教わり始めたとき。バルグの酒をこっそり飲んでひっくり返ったとき。初めて〈命蝕〉を倒して褒められたとき。そして、自分の力では不十分だと認識したとき。〈緋核〉カルディアを取り込んで本物の〈命蝕狩り〉エネルディカになりたいと言うと、答えは常に「百年早え」だった。

「俺には、お前から習いたいことがまだ山ほどあるんだ!」

「今回、お前は……十分に戦ってた。震えるだけのガキだったころとは、大違いだ……もう、俺から学ぶ必要は、ねえ……」

 バルグの顔は安堵したものだった。フィンと同じく過去を振り返っているのかもしれない。

「嫌だ! 俺は……!」

「馬鹿野郎……巣立ちのときだ」

 短く笑い、見えているかどうかも分からない瞳を周囲へ動かす。

「アンリ、そこにいるな?」

「バルグさん、あたし……!」

 アンリも涙をこぼし、うまく口が利けないほどだった。バルグは彼女の言葉を押し止めるように続ける。

「クロードたちは、いい親だろ……これからも、敬えよ」

 一旦治まっていた血の咳をしばし繰り返し、止める。傷が癒えたわけではなく、肺の中から血を追い出すこともできなくなっただけだ。血の泡をこぼしながらつぶやく。

「最後に、もう一度ドロルと会いたかったな……悔いが増えるとは、欲深いこった……」

「バルグ! もうしゃべるな!」

 フィンは叫んだが、バルグは名残を惜しむように口を動かす。

「あいつの親父さんのビワを、また一緒に食って、よ……」

 声が聞こえなくなった。握っていた右手がゆるみ、〈命砕く魔手〉の〈緋核〉がこぼれ出る。

「バルグ!」

 フィンの呼びかけに、バルグはもう答えない。閉じたまぶたも、もう開かない。バルグの大きな手は冷たくなっていくばかりで、もう大斧を握ることもフィンの頭をなでることもない。フィンの後ろでは、アンリが魂を抜かれたかのようにしゃがみ込んだ。

 バルグが愛用していたテンガロンハットは、主が旅立ったことを悲しむように草の上でたたずんでいた。

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