4-1

 村が見えるところまで来ると、やはり柵では稲妻の結界が輝いていた。耳を澄ませば、断末魔とも獣の咆哮ともつかない叫びが聞こえてくる。フィンとアンリはそれが響いてくる方へ急いだ。

 村外れの草原は、修羅場という言葉がぴったりくる状態だった。地には無数の〈命蝕〉エネルゲイアが倒れている。鳥や獣のような姿のものや肉塊としか思えない姿のものなど外見はさまざまだが、いずれも〈緋核〉カルディアの破壊により絶命している。

 爬虫類顔の〈命蝕〉が倒れ、そのすぐそばには肩で息をしているバルグがいた。普段なら雑魚の群れとどれだけ戦い続けてもケガなどしないが、今日は全身くまなく傷を負っている。軽々と担ぐことができるはずの大斧も、重そうに鉄の頭部を地へ預けた。

「雑魚は、これで終わりか」

 バルグは激しい疲労のためか落ちかけるまぶたを懸命にこじ開け、まだ立っているもう一人の人物へ言い放った。

 見た目は、長い金髪の美青年。しかし人間ではないとフィンは知っている。〈命蝕〉の手配書で見たことがあるからだ。

「ええ。これで私の部下はほとんどいなくなってしまいました」

〈命砕く魔手〉は、丁寧な言葉遣いに反してその内を魔性に染めている。〈命蝕〉と化す前は人間で高名な武術家だったらしいが、今は多くの人間を惨殺した話しか後についてこない。ここ数十年は大人しいようだが、瞳の奧にある闇を見れば改心したわけではないとはっきり分かる。

「ですが、今のあなたを倒すくらいなら私一人で十分です」

 ゆらりと身構え、通り名の由来たる両の手を軽く握る。部下の助けなど無用、という言葉は決して強がりではない。

「やめろ!」

 フィンが駆けつけると、バルグと〈命砕く魔手〉の視線が集まった。

 バルグはどこか安心したように見えた。戦いに苦しんでいたせいだろうか。一方、〈命砕く魔手〉のまなざしは冷えていた。フィンはただ視線を向けられただけなのに、人間が食料でしかないと考えている冷酷さを心の芯までねじ込まれたような気がして立ち止まった。アンリも、無残な姿となった〈闇色の残滓〉を見たときより息を詰まらせていた。

 フィンにおびえたままでいるつもりはない。腹に力を入れ直し、抜いた〈熊の爪〉の先端で〈命砕く魔手〉を示す。

「〈命砕く魔手〉! お前は寄ってたかってバルグを攻めるのか! ただでさえ今日はお前の手下が人質作戦なんて小物っぽい真似をしてくれたんだ! 強い〈命蝕〉なら正々堂々と戦え!」

 無茶なことを言っていると、フィン自身にも分かった。〈命蝕〉は人間を食料と考えているのだから、人間に対して正々堂々などという考え方はしない。フィンも、釣った魚から「水の上に揚げるなんて卑怯」と言われたとしても無視する。しかし、少しでも注意をバルグから自分へ動かしたかった。

「うるせえ」

 文句を言ったのは〈命砕く魔手〉ではなかった。バルグがいきなり懐から呪符を取り出し、フィンへ投げる。

 行動する間などない。フィンとアンリは半球状の結界に覆われた。

「こんなもの!」

 フィンは〈熊の爪〉で攻撃したが、〈淵源〉デュナミスの壁は薄いくせに全く傷がつかなかった。

「その程度で動けなくなるお前らなんぞ、お呼びじゃねえんだよ」

 バルグが吐き捨てる。だがそうやって自分たちを守ってくれたのだと、フィンはすぐに理解した。〈命砕く魔手〉はこの程度の結界なら簡単に壊せるが、手出しできないフィンたちをわざわざ標的に選ぶこともないだろう。

 しかしフィンには受け入れられない。バルグ自身もボロボロなのだ。二重の呪いによって命は風前の灯となり、雑魚〈命蝕〉から受けたいくつもの傷は血をこぼしている。

「さあ、〈命砕く魔手〉。とっとと片づけてやる!」

 それでもバルグは大斧を握って〈命砕く魔手〉へ突進する。恐れや迷いは見えない。〈命砕く魔手〉の寸前で大地を踏み締めて止まり、横向きに構えた大斧を振り払う。大岩すら割る一撃――だが。

「このようなものですか」

〈命砕く魔手〉は胴を斬られることも薙ぎ倒されることもなく、刃を右手の指だけでつまみ取っていた。筋力で自分の直立を保っているようではなく、ただ立っているだけにしか見えない。そのくせ攻撃の威力を全て散らしているのだから、並大抵の技量ではない。

 更に、刃をつまんでいる指へ力を込める。親指と人さし指で挟まれた部分にひびが入った。バルグの大斧は〈淵源〉で硬度を強化した特注品なのに。これだけの実力を持つ〈命蝕〉でありながら人間の姿を崩していないことも、格が非常に高い〈命蝕〉であるが故。

「野郎!」

 バルグは一度大斧を引き、今度は上段に構えてから振り下ろした。命中すれば相手を真っ二つにできる。しかし〈命砕く魔手〉は風になびく凧のごとくかわし、逆に拳を突き出した。こちらは正確にバルグの腹へ食い込む。

「ぐ!」

 バルグは内臓を圧迫された苦しみでたたらを踏む。〈命砕く魔手〉は隙を狙って拳や手刀を繰り出した。バルグは武器で受け流そうとするが、〈命砕く魔手〉の方が速い。攻撃を次々に当てられた。

「バルグ、俺をここから出せ! 加勢させろ!」

 フィンはたまらなくなって叫んだ。〈命砕く魔手〉が攻撃を一瞬止め、目もフィンへ動かす。バルグはそれを見て力強く告げる。

「俺一人で十分だ。信じられねえか」

「信用性はありませんね」

〈命砕く魔手〉は会話へ割り込むようにこぼし、拳をバルグの頬に叩きつけた。

(俺は、バルグを助けてやることすらできないのか?)

 無力感がフィンの心を満たす。隣ではアンリが硬直していた。このように壮絶な場面と無縁だった身には衝撃的すぎるせいか、声も発しない。

「あなたの部下はああ言っていますが、助けてもらった方がいいのではないですか?」

〈命砕く魔手〉は問いかけながら蹴りを放った。バルグは大斧の柄で辛うじて受け止めてから答える。

「要らねえって言ってるだろ」

「では、そろそろ死んでください」

 吐き捨てたバルグから〈命砕く魔手〉は一旦足を引き、再び蹴撃。鉄でできているはずの柄が真っ二つに折れた。

「私には、あなたを片づけてからやるべきことがあるのです」

 蹴りに体勢を崩されたバルグへ、拳を雨あられと向ける。バルグは石突き側の柄を捨て、刃を盾のように使って身を守った。しかしひびを入れられていた刃も粉々に砕け、〈命砕く魔手〉は短く笑う。

「私の相手をする武器にしては、脆すぎます」

 愛用の武器が失われた。普通の者なら衝撃を受けてたじろぐところだが、バルグは違った。即座に左手を〈命砕く魔手〉へ突き出す。いつの間にか握っていたものは、一枚の呪符。狙った場所は、〈命砕く魔手〉の胸もと――〈緋核〉。〈命蝕〉の急所だ。

 妨げられることなく命中し、爆発が生じた。もうもうとした煙が両者を包む。

「そう来ると思っていました」

 煙が散って〈命砕く魔手〉の姿が見えたが、その〈緋核〉には傷一つ入っていなかった。バルグが弱点を狙うと読み、〈淵源〉を集中させて守ったのだ。〈命砕く魔手〉はバルグの左手首を同じく左手でつかみ、動きを妨げたひじに右の拳を叩きつける。

 べきん、と骨の折れた音。バルグは歯を食いしばったようで声も発しなかったが、代わりにアンリが悲鳴を上げた。フィンは結界を内から殴りつつ叫ぶ。

「俺が相手になってやる! だからもう戦うな!」

〈命砕く魔手〉は振り返りもしない。

「あなたたちは後です」

 バルグから手を放し、腹に強烈な突き。バルグはもろに食らい、転がってから倒れた。

「終わらせましょう」

〈命砕く魔手〉が浮かべた表情は、〈命蝕〉らしい嗜虐的なものだった。バルグにゆっくりと近づいていく。

 いや、近づけない。

〈命砕く魔手〉は、縫い止められたように地面から足を離せなくなっていた。映していた喜びを消し、いらだった瞳でバルグをにらむ。

「最初からこうするつもりだったのですか……!」

〈命砕く魔手〉の周囲では、鉄の欠片がいくつも輝いていた。砕かれた大斧だ。

 欠片の輝きは地へ移り、文字を形づくっている。〈闇色の残滓〉を足止めした呪符と同じものだ。文字は〈命砕く魔手〉の足から胴や腕へ上がっていき、動けない範囲を徐々に広げる。その間にバルグは自由が利く右腕を使って起き上がった。

 これでバルグは攻勢に転じる糸口をつかんだが、フィンは安心できない。〈命蝕狩り〉の術は大きな効果を出したければ多量の〈淵源〉が必要となるため、〈命砕く魔手〉ほどの相手を抑える術は疲労したバルグにとって負担が大きすぎる。

「足止めだけでは勝てません。武器もなく、どうやって戦うのです」

 余裕を崩さない〈命砕く魔手〉に、バルグはにやりと笑ってみせた。

「こうするんだよ!」

 バルグの右手で空間が揺らいだ。

 細長いものが出現し、先端に三日月状の刃が生まれる。〈淵源〉を具現化させて作った大斧だ。実力ある〈命蝕狩り〉にしかできない行為。

 フィンはこの術を以前に見たことがあった。武器を敵に奪われたバルグが使ってみせたからだ。そのときはフィンも賞賛したが、今はそうもいかない。バルグは〈命砕く魔手〉を抑えることに〈淵源〉を費やしており、まして今は呪いと負傷のせいで消耗している。その状態から〈淵源〉を更に使うとなれば。

「危険だ! お前の命そのものが削れていくぞ!」

 バルグはフィンの言葉に反応しない。〈命砕く魔手〉へ詰め寄り、右腕だけで大斧を高く振りかぶる。

「この私が、二度も〈命蝕狩り〉に追い込まれるなど……!」

〈命砕く魔手〉は〈命蝕狩り〉に苦戦した苦い記憶があるのか、目を血走らせていた。

 首から下の自由はもう失われたが、頭は違った。顔をバルグへ向け、唾を吐く。

「ああっ!」

 アンリが悲痛に甲走った。たかが唾でありながらバルグの左胸を撃ち抜き、背中から血を噴き出させたからだ。即死してもおかしくない。

 バルグは止まらない。熱線を受けたせいでいくらか狙いがずれたものの、大斧を〈命砕く魔手〉へ振り下ろす。

「次はあいつらだなんて、言わなきゃよかったのにな!」

〈命砕く魔手〉の左肩から右わきにかけて、完全に切断した。

 そこで〈命砕く魔手〉にも好機が訪れた。地面と離れた部分ができたからだ。首と陸続きになっている右手の指をそろえ、手刀として突き出す。

 バルグは手刀をかわした。頬を切られることとテンガロンハットを飛ばされることだけに留め、〈淵源〉の大斧を消して〈命砕く魔手〉へ指を伸ばす。

 胸もとで輝く〈緋核〉へ。

 バルグは〈緋核〉を鷲づかみにし、力任せにもぎり取った。急所を狙いたいのに壊せないなら、千切って奪うしかない。最後の攻撃を仕掛けた〈命砕く魔手〉には、そこを腕でかばう余裕がなかった。

「かは……!」

 心臓部を奪われては、どれほど強い〈命蝕〉であろうと終わり。〈命砕く魔手〉は、最期の言葉を告げることもなく骸と化して崩れ落ちた。

 バルグもまた、〈緋核〉を握ったままあおむけに倒れた。フィンとアンリを覆う結界もようやく消えたが、もう何もかも遅かった。

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