3-1
〈核使型〉か〈呪縛型〉かに関わらず、既に〈淵源〉を身に帯びている者が呪いをかけられたなら。
今度こそ〈命蝕〉となる、ということはない。更に強くなる、ということもない。しかし肉体の負担だけは増してしまう。
バルグを村長家の客間に運び込んだフィンは、この場にいるアンリとジャール、そしてドロルにそう話した。
「そんな……」
普段のアンリは強気だが、今は卒倒しそうなほど唇を震わせていた。ベッドに寝かされたバルグを落ち着かないまなざしで見下ろし、額に乗せられた布を取る。湿っていたはずだが、もう乾いてしまっていた。
「こんな熱、見たことない」
桶の水に布を浸して絞り、またバルグの額に乗せる。
アンリがバルグに抱いてくれている親しみは、この状況に至ることでより顕著に現れていた。額を冷やすことも誰かに頼まれたわけではなく、自発的に始めた。フィンの言葉にうろたえながら、効果が上がっているのかも分からないまま何度も繰り返す。
動揺しているのはアンリだけではない。結界が効果時間切れによって消えると村人たちは隠れていた集会所を出たが、見たものは負傷した姿で運ばれていくバルグ。全員が心配そうにしていた。もっともドロルだけは、〈闇色の残滓〉から操られていたときに擦ったかどうかしてできたかすり傷を指さして「いつの間にかこんなひどいケガを!」と一人で騒いでいた。
「縮まるって、どのくらい……」
アンリが壊れかけのガラス細工を扱うようなためらいのある声で問いかけてきた。彼女らしからぬ様子だとフィンは内心戸惑っていたが、表へ出さないように堪える。
「呪いをかけた〈命蝕〉の格によってマイナス十年だったり五十年だったりすると言われてる。〈闇色の残滓〉の場合がマイナス何年かは分からないけど、格の高いやつだから相当多いのは間違いない。この感じだと、バルグはかなり削られてる……いつ死んでもおかしくない」
混乱してくれる者がいるからこそ冷静になれと、フィンは自分に言い聞かせていた。心の揺らぎを紛らわせるために部屋をうろつきたいことも堪え、椅子に腰を落としている。
(俺がどうにかしないと、この村は〈命蝕〉に呑まれてしまうんだ)
他に正気を保っているのはジャールくらいだ。さすがに達観していると言うべきか。
「助かる方法は、ある」
フィンが言うと、全員の視線が集まった。ドロルは「何でもいいからさっさと戦えるようにしろ! 俺の村を守らせろ!」とわめいていたが、フィンは無視してバルグに教わった知識を思い返す。
「呪いは、かけたやつが死ねば〈命蝕〉になってないかぎり解ける。かけたやつとの間にある何らかのつながりが途切れて〈淵源〉の純度が落ちるからだって言われてる。ただし二回かけられたら、二回目の呪いの主が死んでも解けない。二回目は一回目の負担だけを増幅させる形になってるから、一回目の〈命蝕〉を殺さないといけない。一回目のやつがどこに行ったか分からないまま二回目を受けて死ぬ〈命蝕狩り〉もいるけど……」
「十六年前のバルグさんに呪いをかけたのは……!」
アンリが閃いた顔になり、フィンはバルグがするように口角を上げて笑った。次から次にあふれてくる焦りを散らすため、無理やりそうしただけだったが。
「呪いの主は二回とも〈闇色の残滓〉。しかもこの辺りにいると分かってる」
フィンは「バルグはついてる」と断言してから立ち上がった。部屋の隅に置いていたザックをつかみ、肩にかける。
「今から俺が〈闇色の残滓〉に止めを刺してくる。そうすればバルグの力は
〈闇色の残滓〉が五体満足なら、フィンに勝ち目はない。しかし今の〈闇色の残滓〉は瀕死の状態。それならフィンでも倒せるかもしれない。
(湖にいた時点でバルグをアンリに預けて、すぐ〈闇色の残滓〉を追えばよかったんだ。どれだけ動揺してるんだ、俺ってやつは!)
フィンは自分の行動を苦々しく思ったが、後悔しても遅い。考えている暇があるなら急いで行動するべきだ。
「アンリ、村長。バルグをよろしく」
フィンはそう言って部屋を飛び出す――そのつもりだったのだが。
「待てよ! 緩和ってことは、そいつを殺したらバルグは弱くなるんだろ!」
ドロルは非難の目でフィンとバルグを交互に見ていた。変なところに察しがいい。フィンはこの男と会話したくなかったが、我慢して振り返る。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
「今殺さなくてもいいだろ! お前たちは〈命蝕〉から俺の村を守るために雇われてるんだ! それが片づいてから勝手に弱くなれ!」
フィンは何を言われたのかしばらくたってから理解し、怒りのあまりに暴れ出したくなった。
「今のバルグは戦える状態じゃないって分かるだろ」
「ふざけるな! 無理をしてでも戦え!」
「少し弱くなっても動けない状態よりずっといいって言ってるんだ」
「うるさい! お前は雇ってくださってる俺の言うことを聞けばいいんだ!」
「俺たちは、あんたから雇われてるんじゃない」
「雇ってるのは俺の親父だから、俺が雇ってるのと同じだ!」
無茶な理屈に、フィンは腸を煮えさせた。今まではバルグの顔を立てて黙っていたが、もう限界だ。
「どうしてバルグがこうなったか、あんたは理解してないのか? あんたがきのこ狩りなんかへ行って人質になったからだろ! それでもバルグはあんたをかばったんだ!」
「は! 身を挺して守るのは当然だ!」
ドロルは吐き捨てるだけだった。
「そのために死ぬのがお前たちの役目だ。ガキはそんなことも分かってないのか?」
「確かにあんたたちをかばうのは当たり前だけど、バルグはあんたを友達って言ってすごく心配してたんだ!」
「俺はそんな根なし草をダチと思ったことなんてないぞ! そもそも、そいつが勝手に俺をダチとか言ってたせいで俺まで狙われたんじゃないのか?」
なぜバルグはこのような男をかばったのか、フィンには全く分からない。布を絞りながらフィン同様にいらだっていたアンリも声を上げようとしていたが、その前にジャールが止めるように手を差し出した。
「行ってバルグを救ってくれ。バルグが動けなければ、〈命蝕〉と争うことができないのだろう」
ドロルは「何でだよ!」と叫び、アンリは安堵した様子になった。フィンも、この村にジャールがいることを心から感謝した。
「ありがとうございます!」
フィンは一言残して客間から駆け出した。ドロルはまだ何か言っているようだったが、もうフィンに聞く気はなかった。
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