2-1
フィンたちは、こっそりと結界を抜けて決闘の場へ急いだ。
村は稲妻の結界に覆われているが、実際に通行を妨げられるのは外から内へ入る場合だけ。内から外へ出る分には何の抵抗もない。明らかにすると誰かが戦闘中に面白半分で結界の外へ出るかもしれないので、バルグは秘密にしているのだ。
術者のバルグには、結界を抜けた者がいると分かる。フィンたちは勝手に出たことをバルグから叱られるかもしれない。それでもフィンは、バルグに怒る余裕があるのならいいと考えた。もし、結界に意識を回していられないほど苦戦しているとしたら。
(いた)
草むらに隠れたフィンは、湖のほとりに視線をやった。声を上げそうになったが、辛うじて呑み込む。隣ではアンリも自分の口を押さえていた。
驚きの原因は、バルグの他にいた人物。フィンが予想していた〈命砕く魔手〉ではない。
数メートル先に、大斧の柄を握っているバルグ。その正面には、捕らえられているはずのドロル。猫背の奇妙な姿勢で、右手に小さなナイフを握っている。
バルグはドロルのナイフで突かれたのか、体にいくつもの傷をつけられていた。呪いによって生命力も強まったバルグには大したものではないが、傷口が増えて時間の経過と共に出血量が多くなれば、体力は消耗していく。アンリもその有り様から目を離せなくなっていた。
「どうしてドロルがバルグさんを襲ってるの?」
「やってるのはドロルじゃない」
フィンが指さしたドロルの腹には、髑髏のようなものが生えていた。ドロル自身の顔は、半ばまぶたを閉じて白目だけをのぞかせていた。
「〈闇色の残滓〉がドロルに化けてるのかとも思ったけど、違う。〈闇色の残滓〉がドロルを操ってるんだ。自分を半分霊体に変えて、ドロルに溶け込ませてる」
周囲で縛られたまま気絶しているのは、取り巻きたちだけ。そのことからも、〈闇色の残滓〉が眠っているドロル本人を操り人形にしていると想像できる。
バルグには効果覿面のようだった。〈闇色の残滓〉はドロルの体でナイフを突き出し、バルグはかわそうとするだけで反撃しない。ドロルからの素人攻撃ならかすりもしないはずだが、操っている〈闇色の残滓〉の運動能力は人並み外れているので何度もバルグの体を傷つける。〈闇色の残滓〉は
ドロルが目を覚まして「俺ごと殺れ!」と言い始めたら格好いいがそのようなことはないと、フィンは確信した。散々馬鹿にしたことを忘れて「た、助けて!」だ。
「ドロルと切り離しさえすれば、バルグはいくらでも戦えるんだ!」
フィンは背負っていたクロスボウを手に取った。弦を引き、特別な印の付いた矢をザックから取り出して装着する。音で敵に見つからないよう、ゆっくりと。
「どうするの?」
「〈闇色の残滓〉の頭を横からぶち抜く」
アンリに小声で答え、片ひざを地につけた姿勢で身構える。
「〈闇色の残滓〉は今、操りの術をコントロールするために集中してる。別の〈淵源〉をねじ込めば、術を中断させられる」
ドロルに負担が少ない程度の〈淵源〉を送ることなら、バルグがドロル越しにしているだろう。〈闇色の残滓〉はバルグに対する防御を固め、解除を防いでいる。
そこで思いもよらない方向からフィンが不意打ちすれば、術に楔を打ち込むこととなる。後ろからそっと近づいて肩を叩き、驚かせて手に持ったものを落とさせるような行為だ。
「この矢には攻撃的な〈淵源〉がたっぷりと封じられてる。かすっただけでも効果が出るはずだ」
フィンはクロスボウを構え、意識を鋭くとがらせていく。射撃の訓練もしているので、このくらいの距離なら弓の名手たるアンリでなくとも命中させられる。
しかし、撃てない。にじみ出た脂汗が気持ち悪い。
「あいつ、ずっとバルグさんの方ばっかり……」
アンリがうめいた。位置関係が悪いからだ。先程〈闇色の残滓〉がドロルの体で切りつけたときから、ドロルが手前でバルグが奥となっている。両者は向かい合っているため、フィンたちにはドロルの背中しか見えない。
「あの野郎……向きを変えろ!」
フィンがじれている間も、〈闇色の残滓〉は攻撃を繰り出していく。バルグにとっての救いは、ナイフの威力が〈闇色の残滓〉自身の爪ほどないことだけだ。辺りに血の滴が散り、バルグは時折ふらつくように足取りを乱れさせる。
「つまり、ドロルの体がここから見て横向きになればいいのね?」
アンリが決意したような強い声で問いかけてきた。フィンは無言でうなずいたが、彼女の考えを察して心臓を跳ねさせた。
「行くな!」
フィンの制止は無視され、アンリは草むらを飛び出した。〈闇色の残滓〉へ近づいてから立ち止まる。
「いい加減にしなさいよ!」
「……来ちまったか」
それを見たバルグは舌打ちし、〈闇色の残滓〉も振り返る。
「何か用か。弱き人間」
アンリは恐ろしげな声にたじろいだが、すぐさま自らに活を入れ直したようだ。
「用ならあるわよ! その人にひどいことをしないで!」
「ただの人間風情が
〈闇色の残滓〉の言葉は整然としているが、髑髏のような顔は〈命蝕〉特有の殺しを楽しむ感情で満ちている。
「そいつに手を出すな!」
バルグは〈闇色の残滓〉の顔面に柄の先端を向けた。しかし〈闇色の残滓〉はドロルの手で受け止めた。かけられた力を利用して、バルグをそばにあった木へ投げ飛ばす。
アンリは〈闇色の残滓〉にゆっくりとした歩みで迫られ、震えつつ後ずさる。しかし注意してその足を見ると、まっすぐ後ろ――フィンが隠れている方へ動いているのではない。斜め後ろへ進み、フィンから〈闇色の残滓〉の側頭部へ矢の射線が通るようにしている。大した度胸だ。
(やるしかない!)
フィンは再び〈闇色の残滓〉にクロスボウを向けた。
チャンスは一度きり。外すことは許されない。
延々と狙いを付けていることもできない。いつ、〈闇色の残滓〉がアンリに飛びかかるか分からない。
「食らえ!」
引き金に力を込めた。〈淵源〉を帯びた矢が飛ぶ。
照準は完璧。ドロルの腹に付いた〈闇色の残滓〉のこめかみへ一直線。
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