1-3

 時間がたった。しかしフィンは石にはさまれたまま客間でもがいていた。過ぎたのは数分かもしれないが、一時間にも二時間にも感じられた。

 避難前に通りすがった家政婦は、フィンと石に驚いていた。フィンは廊下に落ちている紙切れを拾ってくれと試しに頼んでみたが、何を言っているのか理解してもらえなかった。やはり、フィン以外の一般人には解除キーが見えない。この石は触った者まで呑み込んで捕らえることもあるので、自分を引っ張って廊下に出してくれとは頼めない。俺はいいから先に逃げてくれと告げるしかなかった。

 フィンは自力で廊下にある呪符のところへ行かねばならない。しかし首から下は石が完全に固定しているので、勢いをつけて転がることやうつぶせの体勢を変えることすらできない。

(俺が〈命蝕狩り〉エネルディカなら! 〈命蝕〉エネルゲイアと〈命蝕狩り〉の気配を深く感知できれば!)

 そうであれば、バルグと〈闇色の残滓〉の〈淵源〉デュナミスを感じてどちらが有利なのか判断できる。しかし体質的に言えばフィンは普通の人間でしかなく、〈命蝕狩り〉の〈淵源〉まで分かるのは感知能力に余程長けている者だけだ。

 焦りだけが広がっていく。いらだちのあまりフィンは四肢をばたつかせた――つもりだったのに、石はそれすらも許してくれない。

「何してるの」

 誰かに問いかけられたが、今のフィンには意識を他者へ回すほどの余裕がなかった。

「邪魔だ! 俺のことはほっとけ!」

「せっかく来てあげたのに!」

 きつい声。どうにか首を動かすと、アンリに見下ろされていた。フィンが思い浮かべたのは、アンリが興味本位で石に触れて新たな犠牲者となること。

「俺に触らない方がいいぞ。ひどい目に遭いたくなかったらな」

「何よ、そのなりたての不良みたいな台詞は。あんたがここで石に?み込まれてるってボンヌおばさんに聞いて、訳が分からないから見に来たのよ。どうしてこんなことになってるの」

 フィンは、アンリが心配してくれていることにようやく気づいた。頭を冷やすつもりで呼吸を整えてみる。

「……バルグが、俺を動けなくしてから〈闇色の残滓〉っていう〈命蝕〉の幹部と決闘しに行ったんだ。一人で来い、さもないと人質のドロルたちを殺す、なんて誘いに乗って」

「幹部ってことは強いの? 一人で平気?」

 アンリが不安そうに問いかけてくる。フィンは笑顔でそれを和らげたりできなかった。

「本当に一対一なら大丈夫だろうよ。〈闇色の残滓〉は強いけど、バルグだって強い。〈闇色の残滓〉より派手な噂のある〈命蝕〉を倒したことだってある。今まで〈闇色の残滓〉がバルグに追われて生きてこられたのは、戦おうとせず逃げ回ってたからだ。でも、ここなら〈闇色の残滓〉はいくらでも仲間を呼べる」

 バルグは〈闇色の残滓〉の独断だと言っていたが、〈命砕く魔手〉も邪魔な〈命蝕狩り〉を消すチャンスとなれば部下の行動に乗るかもしれない。

 群れを束ねる〈命砕く魔手〉は、かなりの強さを誇る。いかにバルグが強かろうと、格の高い〈命砕く魔手〉と〈闇色の残滓〉が組んでかかってきたら勝ち目はない。〈命蝕〉側は、そうやってバルグを倒してしまえば村を軽々と蹂躙できるようになる。

「畜生! さっさとこれを外して、バルグのところへ行かないといけないのに!」

 再びもがいてみたが、やはり何もできない。いらだちが戻ってきただけだ。アンリもおろおろとする。

「あたしにできることはないの?」

「ない! とっとと集会所に戻れ!」

 つい、フィンは荒い言葉を発してしまった。アンリが眉を斜めにする。

「あたしもバルグさんのことが心配なのよ! そんな言い方しなくていいじゃない!」

 アンリもまた怒り、持っていたものをフィンの顔面に投げつけた。重さがないものだったのでフィンは痛くなかったが、ささくれ立った心を刺激されるのには十分だった。

「俺は忙しいんだ! 一生懸命なんだよ! 早くこれを解く呪符で――」

 フィンは怒鳴り、すぐに目を見開いた。アンリに投げられて床に落ちたものは、どうしても手に取りたかった解除キーの呪符だった。

「やった!」

 精一杯に首を伸ばし、額を呪符に押し当てて念じる。即座に石が消え、フィンはしばらくぶりに自由を取り戻した。アンリはいきなりの変化に驚いて怒りを散らせる。

「もしかして、今のが石を消す道具だったの? 廊下に落ちてたんだけど」

「家政婦さんたちが拾って俺へ渡さないように、バルグは一般人から見えなくなる術をかけてたんだ。でも時間がたって解けたんだろうよ」

 フィンは、いつからそうなっていたのか気にしながら立ち上がった。

「効果が切れる瞬間を誰かに待ってもらっておけば、もっと早く解放されてたかもしれない……バルグのやつ、今すぐ行ってとっちめてやる!」

 駆け出そうとしたところで、アンリに肩をつかまれた。

「バルグさんのところへ行くんでしょ。あたしも連れてって」

「そんなことできるわけないだろ。危ない場所だぞ」

 フィンは即座に突っぱねたが、アンリは見つめ返してくる。

「あたしもバルグさんが心配だって言ったじゃない。命を救われたんだし……あんたが駄目だって言っても、勝手に後ろからついていくわよ! 大体、あんたは断れないはずよ。あたしが来なかったら、ずっとあのままだったんでしょ?」

 バルグのときと同じく、フィンはそれを言われると反論できない。

 それ以上に、アンリの懸命なまなざしがフィンの心をつかんだ。珍しいものや怖いものを見てみたい、という好奇心から言っているのではない。どれだけ厚い壁でも射抜く矢尻のような、強い信念のこもった瞳だった。

「……バルグの邪魔だけはするなよ」

「当たり前よ!」

 なぜ彼女がここまでの行動を取るのか、フィンには分からない。普段から柵のいばら付けでケガをしたり危険な場所へ弟を探しに行ったりと頑張りすぎている部分はあるが、今回は特に大胆すぎる。〈命蝕〉から助けられたことだけでは説明しきれないように感じる。

(少なくとも、バルグを慕ってることじゃ俺と同じかな)

 そう考えると、無下にはできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る