1-2
結局
家政婦のボンヌに「おやつができている」と言われたので、もらうことにした。親がいないと知られてから、いろいろ親切にされている。都会にある洒落た焼き菓子ではなくふかした芋だが、フィンには嬉しい。旅の間はフィンが料理係なので、作ってもらえること自体がありがたい。
居間のテーブルに積まれたふかし芋をへたも皮も残さず食べてから、庭に目をやった。今日もジャールがビワの木を眺めている。フィンが腹ごなしをしようと庭に出ると、ジャールはこちらに気づいて振り返った。
「〈命蝕〉はいたかね?」
「今のところは大丈夫です」
フィンの答えを聞いたジャールは、ビワの木に顔を戻した。首と瞳を動かして、根もとからてっぺんまでゆっくりと見渡す。
「いつもこの木を見てますけど、何か変わったところがあるんですか?」
やっていることの意味が分からないでいたフィンは、ついに問いかけた。ジャールは木を眺めながらほほ笑む。
「この木は、多くのものを見てきた。大人となった者たちが子どもだったころも、わしとお前がこうしている今も。だからわしはこの木を前にしていると、いろいろなものを感じ取れるのだよ」
「村の歴史を知ってる木ってことですか」
老いた村長は過ぎ去った時を木と共に振り返っているのだとフィンは納得し、バルグがドロルへ親身になる理由も分かるかもしれないと思い立った。ただしジャールとドロルは親子なので、ストレートには訊きにくい。
「バルグは、この村でどういうふうに暮らしてたんですか? 旅立つ前の話を全然してくれないから、呪いの主を追って村を出たことくらいしか俺は知らなかったんです」
「ふむ……」
フィンの問いにジャールはしばらく黙り込み、そのうち呆れているのか懐かしんでいるのか分かりにくい顔となった。
「子どものころはガキ大将で、いつも子分を連れていたな」
内心、フィンは「やっぱり」と思っていた。ジャールは視線を家の窓へ――息子の部屋へ漂わせる。
「人づきあいが下手で孤立していたドロルも、バルグだけは無理やり引っ張り出していた。大人になってからのバルグは、他の者が木を切りに行かなかった場所を新しく見つけたりしていたので評判がよかった。両親を早いうちに亡くしたが、しっかり暮らしていた」
バルグが自分と同じく親を亡くしたと、フィンは知らなかった。近い境遇の者が人に尊敬されていたというのは誇りに思える。
「バルグへ懐いている者に、ミレーヌという女がいた。クロードの妹での。クロードより一つ下だから、バルグより二つ下か。バルグについて回ることは子どものころも美しく成長してからも変わらず、村の若い者全員がやっかんでいたものだ」
ジャールの言葉を聞いたフィンは、〈命蝕〉の群れが初めて村に来た日のことを思い出した。助けられたアンリが『この子は父親が兄妹で育てていた犬の血を引いている』と言っていたが、その『妹』がジャールの言うミレーヌなのだろう。
「あのころのクロードとミレーヌは、まだ生きていた親と一緒に町まで仕入れに通っていた。クロードは寂れた村に置いておくのが惜しいほど取り引きの腕を持っているが、ミレーヌも筋がよさそうだったとか」
「今、店にいるのはアンリたち姉弟とその両親だけですよね。アンリの叔母さんには会ったことがないような」
フィンはアンリたちの雑貨屋へ行ったときの記憶を振り返っていた。村人の名を一つ一つ頭に浮かべてもみたが、ミレーヌという人物は出てこない。
ジャールはビワの木の頂点を見上げていた。向こうの空を眺めるように。
「バルグが村を出て一年ほどたったころ、ミレーヌは病で死んでしまった」
(アンリの従兄弟にも会ったことないから、子どももいなかったのかもしれないな。それとも、欲しかったけど欲しがるわけにはいかなかったのか)
バルグに懐いていたのではなく好きだったのでは――そんなことをフィンは考えた。バルグは現在三十六歳で、旅立ったのは十六年前。その当時、バルグの二歳下の者は十八歳。夫や子どもがいてもおかしくない。しかしバルグにかけられた呪いが二人の間に厚い壁として出現したのかもしれない。
(自ら
フィンの脳裏には悲劇的なシナリオが浮かんだ。バルグを待ちながら生涯の幕を降ろしたのかもしれない、と。
「お前は、そういう話をバルグから聞いていなかったのか?」
いつの間にか、フィンはジャールに顔をのぞき込まれていた。現実に意識を戻し、首を振る。
「いえ、何も」
「そうか……」
ジャールは、目をじわりと木に戻す。残念そうにしているのだとフィンは気づいた。
(そんなに評判がいい人なら、村長も保護者として好いてたはず。バルグがその人のことを話してないって言われたら、がっかりするのは当然だよな)
『そういえば言ってたかも』くらいにしておけばよかった――フィンが後悔していると、重々しい足音が聞こえてきた。
「フィン、気を引き締めろ」
バルグが庭に現れて告げた。酒を飲んでいたはずだが酔いが残っている様子はなく、空を見上げる。
「〈命蝕〉が近くにいるぞ」
「
フィンはのんびりした気分を捨て、バルグに倣って視線を空へ向けた。
鳥のようなものが、かなりの速度で飛んでくる。鳥ではなく〈命蝕〉だとフィンは気づいた。鳥にしては大きいし、足が翼とは別に前後二本ずつ生えている。
前足でつかんでいたものをぽろりと落としてバルグに受け止めさせ、それ以上何もせずに飛び去ってしまった。残されたものは、バルグの手の上にある小さな球体。
バルグはどういうものなのか即座に判断し、近くの木に投げつけた。ガラスのようなものでできているために割れ、明らかに容積より多い煙が中からもうもうとあふれる。
煙は徐々に人型を取り始めた。ただし、人に似ているのは形のみ。完成したものは、人と異なる存在。その写し身。
『私を追う者、バルグ。お前に伝えることがある』
髑髏によく似た顔、色の黒い痩躯――〈闇色の残滓〉だった。部下を使って通信の道具を送りつけてきたようだ。
『現在、私はアグロ村の者数名を預かっている。このようにな』
〈闇色の残滓〉の背後で煙が別の人物を形作る。間違いなく、この村の者たちだった。しかもその中の一人は――
「ドロルを……! てめえ、さっさと放しやがれ!」
バルグが焼けつくような怒りを露にした。ドロルの他にいる者は、取り巻きの青年たち。
「なぜ、〈命蝕〉に捕らえられたり……!」
ジャールが悲痛な声を上げた。居間から恐る恐るのぞき込んでいた家政婦も、か細い悲鳴を発した。
「そういえば、坊ちゃんが友達と一緒にきのこ狩りへ行くと言ってたんだよ! 止めたのに……」
柵の外へ行くなとバルグが言っていたはず。しかしドロルは従わず、取り巻きを連れて出かけていたようだ。
『返してほしければ、村の西側にある湖まで来い。お前一人でな』
〈闇色の残滓〉が煙に戻り、風に散っていった。割れた球体の欠片だけが残る。バルグはぎりぎりと歯噛みしていた。
「俺のダチに手を出すとは、いい度胸だ!」
絶句したジャールと家政婦を置いて客間へ駆けていく。フィンは慌ててその後を追った。
「どうしてそうドロルの心配をするんだ! 嫌なやつなのに!」
バルグは答えない。ノブが壊れているせいできれいに閉じないドアを乱暴に開けて客間へ入り、武器を身に付けていく。フィンも武装していくが、口は止めない。
「何とか言えよ! お前も知ってるんだろ? ドロルが村の女に手を出して、住んでいられなくすることを! そんなやつ、友達なんて言うほどの人間か?」
「まあ、そう言うな」
振り返ったバルグは、友人をけなされて怒ったりしていなかった。フィンはフィンの正しさで語っていて、それ自体は間違っていないと理解してくれている。
「あいつは昔から人との接し方を知らなくてな。だから嫌みばっかり言って人の目を集めようとしたり、うまくいかなくて引きこもったりしてた。こんなに小さい村で孤立したらどうなると思う。都会みてえに他の仲間を探したりできねえんだ」
寂しさという感情は、親のいないお前にも分かるはず。そう問いかけてくる顔だったが、フィンには受け入れられない。
「それは大変だろうけど、人に嫌われることをする方が悪いんだろ」
「そのとおりだ。しかし俺まで見捨てたら、あいつは頼る友達が誰一人としていねえことになる」
擦れ違う者はいつも同じで、その全てが自分に冷たい――堪えがたい寒さだとはフィンにも理解できる。バルグは噛んで含めるように語り続ける。
「見て見ぬ振りをするのは本当の優しさじゃねえ。甘やかしてるか見放してるかのどっちかだ。だからこの村に住んでたころの俺は、ドロルに女癖のことを随分注意してたんだ。十六年ぶりに戻ってからも、ドロルが親と子ほど年の離れた娘にまでちょっかいかけようとしてるって聞いてがっかりした。それでも俺はドロルを見限らねえ。〈命蝕〉の一件が終わったら、たっぷりと仕置きしてやる。友達ってのはそういうもんだろうが」
「甘すぎるとは思えないか?」
「そうかもな!」
バルグは緊張を一旦解き、大声で笑った。
「じゃあ、こういう言い方ならどうだ。雇われた以上、どんなやつでも村人であるからには助けねえといけねえ。〈命蝕狩り〉なら弱えやつを守らねえといけねえ」
「それを言われたら、俺は何も言い返せないじゃないか」
「悪いな」
フィンの反論を封じたバルグは大斧を背負い、客間の出入り口へ足を進める。フィンもため息をつきながら後に続く――が。
「おっと、お前はここにいろ」
「はぁ?」
振り返ったバルグにいきなり言われ、フィンは気の抜けた声を返した。
「真面目に一人で行くつもりなのか?」
「俺を引きつけておいてがら空きの村を狙う作戦だったら、〈命蝕〉に詳しい者が残って指揮を取らねえといけねえだろうが。〈命砕く魔手〉が〈闇色の残滓〉に合わせて部下を動かすことはねえと、俺は思うけどな。これは〈闇色の残滓〉の単独行動で、〈命砕く魔手〉が考えた策じゃねえ」
バルグがどういう理屈で推理しているのか、フィンには全く分からなかった。
「〈闇色の残滓〉が〈命砕く魔手〉に刃向かってるって言うのか? 〈命蝕〉の上下関係は呪いをかけたときの精神的拘束力を含んでるから、逆らえないはずだろ」
「刃向かうって言うより、勝手に気を利かせてるって言うか……とりあえず、結界は出しておく。これなら万が一〈命蝕〉の群れが来ても平気だ。〈命砕く魔手〉まで来たら壊されるけどな。お前も歯が立たねえ」
ドロルたちを放置して村の守りを固めるのが一番だとフィンは考えていたが、それを言えば堂々巡りだということも分かっている。頭の中で別の提案をまとめた。
「それなら、俺がここにいてもいなくても同じだろ。協力して〈闇色の残滓〉を片づけて、さっさと村に帰ってきた方がいいじゃないか」
「正論だが、聞いてやれねえ」
バルグはいつの間にか呪符を手にしていた。フィンへ突き出す。
「それは……!」
大きく平たい石が出現し、フィンの首から下を呑み込んだ。動けなくなったフィンは、床へうつぶせに倒れ込む。捕らえた者が逃げられないようにする呪符だ。
「馬鹿正直な話だが、不安要素は少しでも減らしてえんだ。人質はドロル以外にもいるから、俺がお前を連れていけば〈闇色の残滓〉は見せしめとして誰かを殺すかもしれねえ」
フィンに背を向けたバルグは、廊下に出て別の呪符を落とした。
「その石を消すには、この解除キーが必要だ。万が一〈命砕く魔手〉が来てその状態じゃ間抜けすぎるから、早く脱出しといてくれ。ただし、俺が〈闇色の残滓〉を片づけたころにな。おっと、誰かに拾ってもらうのはナシだ。隠蔽の術をかけたから、一般人なら被術者のお前以外は解除キーを見ることもできねえ」
「〈闇色の残滓〉が手下を連れてきたらどうするんだ! 手下じゃなくて〈命砕く魔手〉かもしれない! それでもお前は一人で行くのか?」
フィンは、分かりきったことだと言わんばかりに告げた。しかしバルグは不敵な笑みをこぼす。
「村の近くにいるのは〈闇色の残滓〉だけだ」
本当に一対一なら大丈夫のはず――フィンはそう考えてから気づいた。
「バルグの感知能力は『〈命蝕〉がいるかどうか』と『どのくらい離れてるか』までじゃないのか? 『〈闇色の残滓〉がいる』なんて個体識別はできないはず」
バルグは小さく舌打ちしていた。いつもならつつかれるとごまかすか開き直るかだが、そういった言葉は出さない。
「……嘘をついてたのは謝る。その話は、帰ってからゆっくり聞かせる。俺にも事情があってな」
バルグは廊下を進み、フィンの視界から消えてしまった。
やけに大人しい姿を見たフィンは、動けなくされた不満や自分の意見が切り捨てられたいらだちより強い不安が先に立った。戦いに出る師の後ろ姿を見るのはこれが最後になってしまうのでは、と。
「バルグ、待て!」
叫びもむなしくバルグの足音は遠ざかっていき、やがて稲妻の走る音が聞こえた。バルグが村を結界で覆い、決闘の場へ出発したのだ。
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