4-3
たいまつが地に落ち、炎が揺れている。それだけが光源となる洞穴の奥で、少年が震えていた。歳は十にも満たない。髪はさらりとし、顔立ちも女の子のようなもの。怯えていることもあって、無力なウサギを連想させる。
恐怖の元となっているものは、入り口をふさぐように立った者。
面構えは、まるで鬼。胴のわきには小さな腕がいくつも並んでいる。腰から下はぶよぶよした筒のごとき形。足は吸盤状で、やはり何対もある。大芋虫の
「諦めろ。そんな弓で俺たち〈命蝕〉様を殺すことなんかできないんだからよ」
少年と〈命蝕〉の間には、弓矢を構えた少女――アンリ。
「うるさいわよ! あんたこそケガしたくなかったら消えなさい!」
相手が怪物でも、見ただけで嫌悪感を刺激される姿でも、アンリは逃げようとしない。きついまなざしでにらみつける。〈命蝕〉の方はニヤニヤとするばかりだが。
「いい目をしてやがる。うまそうだ」
ドロルは〈命蝕〉の全てが見境なく人間を食らう存在だと思っているようだが、それはこのような知力レベルの低い〈命蝕〉にこそ言える。アンリも、目前の〈命蝕〉は上の目から離れればいくらでも飽食と破壊衝動の権化になると直感している様子。近づかれれば恐怖のあまりに上下の歯が鳴っていることを知られてしまうだろう。
自分の弓矢では〈命蝕〉に勝てないと、心の奥底では気づいているのだ。それでもアンリは威嚇をやめない。弓を下ろしてしまえば彼女自身も後ろの少年も餌食になると悟っており、何より自分が少年を守らねばならないという保護者的使命感を持っているに違いない。
「まあいい。この雰囲気もたまらんしな」
〈命蝕〉は、アンリの体をつま先から頭頂部までなめるように眺める。
「撃つなら撃て。受けてやる。だが、二発目は番えることもさせんからな。俺を少しでも傷つけた悪い両腕をすぐに千切り、まずは悲鳴を堪能する。命をしゃぶりつくすのはその後でいいさ。こうして見てるだけでも、お前の中に弾けるような命があると分かる。よだれが出てくるぜ」
「変態かお前は」
差し込まれた声に、恍惚としていた〈命蝕〉が振り返る。
タイミングをうかがっていたフィンは、〈命蝕〉が首を動かし終える前に両手の〈熊の爪〉を突き出した。左側をこちらへ向ける形となった首筋へ、×印を描くように。
合計八本の錐が〈命蝕〉の首へ食い込んだ。何本かの先端は、反対側から飛び出す。
「芋虫でよかった。カブト虫とかだったら外骨格が硬くて貫けなかった」
「や、やめろ」
喉に穴を開けられながらよくしゃべることができるものだとフィンは感心しつつ、交差させた錐の角度が広がるように両手をねじった。
「やめろと言ってるだろうが!」
糸でも吐けるのか、〈命蝕〉は傷が広がるのも構わずに顔をフィンへ向けようとする。フィンは、そうされる前に〈熊の爪〉を左右へ一気に動かした。肉が裂け、血が迸り、〈命蝕〉の首が飛ぶ。
〈命蝕〉が倒れた。フィンは、痙攣していた標的が動かなくなったことを確認してから〈熊の爪〉に付いた血を振り払った。ホルスターに戻してからしばらく手を放さなかったのは、指がゆるんでくれなかったせい。フィン自身も神経を張り詰めていた。
「……遅くなって悪い」
「フィン……」
アンリがふうっと息を吐き、弓の弦をゆるめて座り込む。彼女の後ろにいる少年も緊張が途切れたのか、今ごろになって泣き始める。この子がアンリの弟のエリックだろう。世の中にはどう考えても血のつながりがあると断言できるほど似ている兄弟もいるが、アンリとエリックはそれほどでもなかった。フィンは先に聞いていなければ姉弟と気づかなかったかもしれない。
「もう平気だぞ。泣かなくていい」
あまり騒いでいると新手に見つかるかもしれない。フィンは付近に他の敵がいないことを祈り、無残な骸をエリックから隠す位置に立った。〈命蝕〉の首筋で
(バルグに黙ってこっそり〈緋核〉を取り込めたかもしれないのに。でも、〈緋核〉に当てない余裕なんてなかったしな)
楽に勝てたようではあったが、単に相手が弱かったことと不意打ちがうまくいったことのお陰だ。見習いに過ぎないフィンは、平均的な実力の〈命蝕〉と真正面からぶつかれば間違いなく負ける。
「……何のために、こんなところまで来たんだ」
フィンが交錯する後悔と安堵をごまかしながら問うと、アンリはエリックが抱きしめているものに目をやった。
「この子のためみたい」
白地に黒いぶちの犬。顔立ちは子犬のように見えないが、鼻先から短い尾の先端までは一メートルの半分もない。あまり大きくならない種類なのだろう。〈命蝕〉がいるときはうなっていたが、今はしきりにエリックの涙をなめ取っている。
「こいつが、いなくなって……」
エリックは嗚咽しながら説明する。
「探してたら……この洞穴の方で見たって、ドロルおじさんから聞いて……」
犬がどうしてこのような村外れまで来たのか、フィンには分からなかった。教えてくれたのがドロルという点も引っかかる。ドロルがくだらない悪ふざけで犬を隠したのではないかという気がした。
「こういうときなんだ。犬がどこかへ行かないように縄とか付けておくべきだろ」
故意に逃がされたら同じかとフィンが思い立ったところで、アンリがようやく腰を上げた。
「あんまり叱らないであげて。その犬、子どものころの父さんが妹と一緒にかわいがってた子の血を引いてるの。今でも父さんはすごく大事にしてて」
「親の大事なもののためにしたのか?」
人によっては小さなことと言い切りそうだが、フィンには納得できた。
エリックがここまで来たのは、自分がかわいがっている犬だからでもあるのだろう。しかしフィンは、家族のために行動したと言われれば否定できない。自分のために死んだ父親のことを振り返る。
「そうか。お前はいいやつだな」
フィンがそう言ってやると、エリックは涙をこぼしながらもほほ笑んだ。アンリもホッと胸をなで下ろす。
「また助けられたわね」
「俺たちはこれが仕事なんだ」
フィンは感謝されたことに照れつつも言い切った。
「とにかく、今は落ち着いてられない。他の〈命蝕〉に見つかったらまずい。村に群れて来てるから、この辺りをうろついてるやつが他にもいるかもしれない」
「村のみんなは、まさか」
姉弟は表情を引きつらせたが、フィンは笑みをこぼした。
「バルグがいるんだ。大丈夫に決まってる」
「バルグさん……」
アンリは、フィンが断じた言葉を染み渡らせるようにつぶやいた。
フィンの予想どおり、村に戻ると戦いは終わっていた。結界の光が、倒れて動かなくなった〈命蝕〉たちを照らしている。
「もう終わりかよ。あっけなさすぎるぜ」
血のにおいが風に満ちているなか、ただ一人立ったままのバルグは煙草をうまそうに吸っていた。
「バルグ!」
フィンはバルグへ駆け出した。バルグもフィンとその後ろにいる者たちの姿を見定めて、口もとを三日月の形に曲げる。
「フィン、そっちもうまくいったみてえだな!」
「まあな!」
互いの手を叩き合わせる。村の近くに潜んだ〈命蝕〉の全てがいなくなったわけではなくとも、今回はこちらの勝ちだ。ざっと見渡してみて〈緋核〉がことごとく破壊されていると分かったが、今は勝利を味わう方が先だ。
「バルグさん……あたしたちがいなくなったから、一人でここを守って……」
エリックを伴ってフィンの後ろから来たアンリは、浮かない顔だった。
「いいってことよ!」
バルグはアンリとその弟を見比べながら大声で笑った。
「それよりも、俺の活躍を見せてやりたかったぜ」
調子よく言いながら村へ歩いていく。途中で指を鳴らすと、村を包んでいた結界が消えた。もうこの周辺に〈命蝕〉の気配はないのだろう。
柵の向こうからは、バルグの戦いを見守っていたであろう村の者たちが飛び出してきた。先頭にいるのはクロードだった。ずっと子どもたちを心配していたに違いない。アンリたちもクロードへ駆け寄っていく。
棒切れなどで武装していた村の若者たちは、戦いが始まる前と様子が違った。闘技場で興奮した観客のような顔になっており、バルグを囲む。
「すごかったぞ!」
「一人で戦うと分かったときは心配したけどな!」
賞賛の言葉を口々にあふれ出させる。バルグは相当派手に戦ったようだ。本来バルグは仕方なく彼らを置いておいたはずだが、せっかくいるなら自分の強さを見せて宣伝役にしようと考えを変えたのだろう。
結界が消えたので、集会所にいた村人たちも徐々に姿を現し始めた。バルグたちの様子を見て安心した表情になる。〈命砕く魔手〉たちのことに切りがつくまでフィンたちはここにいるのだから、できるだけ住人と仲よくしたい。
全員がバルグを称えてくれているわけではなかった。人だかりの中からただ一対、鋭い視線がバルグに向いているとフィンは気づいた。
ドロルだった。村のために戦ったことへの感謝はない。お前に助けられるくらいなら死んだ方がマシだったと語っているように見える。あるいは、急に帰ってきたお前がどうして俺より褒められているんだという嫉妬。いずれにせよ深い闇を帯びているように思えて、フィンは寒気を禁じえなかった。
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