3-4

 柵のいばらを調べているうちに、指をやたらケガしている者が見えた。

 いばら付けをしている村人のほとんどは、棘が邪魔なら取っている。しかしその少女はできるだけ棘を残し、痛くて涙目になりながらも我慢して作業を続けている。

 歯を食いしばって続ける顔を見て、フィンは少女が誰なのか気づいた。昨日、木の実を取り合ったアンリだ。彼女もまた、フィンの足音を聞いて顔を動かす。

「あ、フィン。昨日はありがとうね」

「助けたのは俺じゃなくてバルグだ」

 そう言いながらアンリの手を見ると、新しくできた傷で血の玉が大きくなりつつあった。

「もう一回言うけど、棘は取っていいんだ」

「棘つきの方が痛そうよ。蔓だけよりも村を守れそうじゃない?」

「お前の方が痛そうだ。〈命蝕〉エネルゲイアにはバルグの大斧ですら跳ね返すやつがいるんだから、小さな棘があっても変わらないって。とりあえず、指に布切れでも巻いてみたらどうだ」

「平気よ」

 アンリは傷をなめ、首を力強く振った。

「〈命蝕〉がいつ来るか分からないわ。傷なんかに構ってる暇はないはずよ」

 ポケットから紐を取り出し、蔓を結わえる。たまに血が蔓へこびりつくので痛々しい。

 彼女はこうまでして村のためになろうとしている。見上げた心意気だとフィンは思った。平和な土地では、事件の危機を決して受け入れない者ばかりということもあるのだ。例えば、あの男のように。

「柵をいばらで飾るなんて、さすがにバルグは面白いことを知ってるな」

 茶化す声が聞こえて顔を動かすと、フィンの頭にあった当人がふらふらと歩いていた。朝集まったときにいなかったドロルが、人相の悪い青年二人を従えている。取り巻きなのだろう。

「村総出で訳の分からないことをするとは、ご苦労なこった」

 ドロルはアンリに近寄っていった。アンリの方は、目を合わせるのも嫌という様子だった。

「今は少しでも人手が必要なの。手伝ってよ」

 毅然とした言葉をかけても、ドロルから返ってきたのは下品な笑い声。

「そんな馬鹿馬鹿しいことができるか。お前もそんなことしてないで、俺の蔓でもいじったらどうだ?」

「馬鹿はそっちよ」

 アンリが冷たく吐き捨てようと、ドロルは顔色を変えない。取り巻きたちも追随するように笑った。

「まあ、勝手にしろ」

 ドロルはそう言い残し、取り巻きを連れてまたどこかへ行ってしまった。フィンに「手伝え」と言う気はなかった。見ているだけで鬱陶しいからだ。

「ドロルって、どういう人なんだ」

 家政婦の話によると、ドロルは父親のジャールと共にあの家で二人暮らしだという。母親は既に他界しているとか。

「嫌なやつよ」

 アンリは持っていたいばらを引き千切った。たまたま繊維が弱いところだったのか、そこまでの力が出るくらい怒っているのか。

「昔、この村にお医者さんが引っ越してきたらしいの。でもドロルが難癖を付けてばっかりだったせいで、すぐ元の町に帰っちゃって。あたしは早産だったらしいんだけど、その人がいてくれたらいろいろ聞けたかもしれないじゃない……育てるときに注意したことがあったとかさ。父親は昔からいい村長だって話なのに」

 話しながら作業を再開させたアンリは、どんどん手に力が入っていった。紐を強く結んで解けにくくすることはいいとしても、血が出ることに余計構わなくなったのは見ていられない。弱々しい生まれだと称したが、少なくとも今は元気にあふれすぎている。

「人の嫌がることばっかりしてるから、嫁の一人も来ないのよ。ドロルは村の仕事もさぼりっぱなしだけど、みんな煙たがって輪に入れようとしない。取り巻きだって、ただのおこぼれ狙いよ。そんなやつでも村長はたった一人の家族だから大事にするけど、それに応えて更生するつもりはなさそうね。いつまでたっても変な噂が絶えないもの」

「噂って?」

 フィンが訊くと、アンリは外敵に威嚇する猫のごとき視線を向けてきた。

「知らないわよ!」

 自分で噂があると言っておいて『知らない』もない。フィンはそう言いたかったが、実行すればもっと怒られそうなので「ろくな噂じゃなさそうだ」と考えるだけに済ませておいた。

 少なくとも、ドロルが見本にできない人間なのは確定的だ。バルグにも金をどこかで使ってくる点など尊敬できない部分は多少あるが、ドロルは尊敬できる部分の方が毛筋ほどもなさそうだと思える。

「よう、お二人さん。すっかり打ち解けたようだな」

 いばらの選別をしていたバルグが、のんびりと歩いてきた。フィンはこのままアンリと話していれば不穏な方向へ進むばかりだと考え、バルグに身を向ける。

「いばら集めはもういいのか?」

「ああ。いばらだけで足りなかったら代替え品が必要になったが、切れたときの換えの分までありそうだ」

 バルグは煙草を気持ちよさそうにふかしていたが、アンリの指の傷を見ると眉をひそめた。

「ケガをするまでやったのか。いい心掛けだ」

「い、いえ。あたしも村のために何かしたいですし」

 アンリが恥ずかしそうに言うと、バルグはまた眉を動かした。フィンがいつも見ていない表情――懐かしさのようなものを映す。

「そうそう、お前の親父さんは……体が悪いのか? 病気で食が細くなってるとか」

「父さんは町へ仕入れに行ったとき風邪をうつされただけですから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。一晩たったら随分楽になったみたいです。でもまだ治りきってませんから、今日はあたしが代わりに働きます」

「そうか……」

 バルグは、何か言いたいことがある様子で目をそらす。

「親父さんは、何ていうやつなんだ。俺が知ってるやつだろ」

「父さんはクロードといいます。クロード・タウンズです。父さんも、バルグさんのことを懐かしいと言ってました」

「ああ、分かる分かる。俺より一つ下のクロードか。お前と口もとが似てると思ってた。町で仕入れたものを雑貨屋で売る仕事だったっけな。おっと、アグロ村では物々交換の方が多かったか」

「ええ、そうです。やっぱりバルグさんはここの人ですね」

 これはいわゆる地元の者同士の会話だと、フィンは気づいた。

(バルグも帰郷を楽しみたいんだろうな。でも十六年ってのがあまりにも長かったから、神経が野太いバルグもさすがにぎくしゃくするところがあるのか。昨日はあんな調子だったけど)

 黙って仕事に戻ろうとしたが、バルグに肩をつかまれた。

「どこに行く」

「いや、俺は話に入れないし」

「混ざれねえからどっかに行くだと? 俺は、お前をそんな愛想のねえ男に育てた覚えはねえぞ!」

 少しだけバルグが元の調子に戻ったと、フィンには思えた。別に疎外感を嫌がったわけではない。故郷に戻ったのだから、その地の話をゆっくりさせてあげるのは当然。フィンも旅の途中で元々住んでいた町の友人に会ったときは、二人だけで話をさせてもらった。

「柵にいばらを付けるのは、もう終わるけど……」

 おずおずとバルグに声をかけた老婆は、柵にいばらを固定する役目だった女の一人。バルグは気持ちを切り替えるように手を叩き合わせた。

「よし! じゃあ次の段階に移るか。なあ、フィン」

 何だか気持ち悪いとフィンは感じた。だが今は、師の変化を観察することではなく村を守ることに専念しなくてはならない。そうする方がフィンの抱く〈命蝕狩り〉像に近かった。

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