2-3
「……誰だ!」
痛みに顔をゆがめた〈踊る双鞭〉と疲弊したフィンたちの間では、巨大なものが地面に食い込んでいた。
フィンには馴染み深いもの――柄の長い大斧。
「バルグ!」
「
煙草をくわえたまま近づいてきたバルグは、投げた大斧を右手だけで持ち上げた。柄を肩にかける。
「俺の腕を斬りやがって……!」
〈踊る双鞭〉はごろつきのような目でバルグをねめつけた。のんびりと煙草をふかすので、余計に怒りを深める。
「俺が誰なのか分かってないな? 〈命砕く魔手〉様が部下――」
「手配書で知ってるさ。西の地方で大勢の人間から命を吸ったって話のある〈命蝕〉だろ。通り名は〈踊る双鞭〉だったか? だが、関係ねえ」
「何だと?」
「お前はうちのガキをかわいがってくれた。俺が興味を持つのはそれだけだ」
「ほざけ!」
〈踊る双鞭〉は、負傷したもののまだ手がある右腕をバルグへ伸ばした。撃ち出すと言うべき速度で先端の鋭い爪を突きつける。もう遊ぶつもりはない。一気に決めるつもりだ。
バルグはかわす様子も見せず、爪の先端が左胸に到達。〈踊る双鞭〉は狼に止めを刺したときと同じ笑みをあふれさせる。
〈踊る双鞭〉の爪は、バルグを貫けなかった。服を裂いた程度で皮膚には傷一つ付けられず、〈踊る双鞭〉は不敵な表情を浮かべたバルグに憎しみすらこもった視線を浴びせる。
「お前は
「ああ。お前らにかけられた呪いのお陰で、この通りだ」
〈命蝕〉が他者にかける呪いとは、同類を作る行為のこと。自らの〈淵源〉を送り込み、その身を変質させて新たな〈命蝕〉とする。
人間なら心まで呑み込まれない場合があり、結果として〈命蝕〉の能力が人間に宿った状態となる。「エネルディカ」という名も、「裁く側のエネルゲイア」という意味の言葉を語源とする。
肉体的な老化が二十代辺りで止まることもいいが、純度の高い〈淵源〉は人体に負担が大きいので寿命が縮んでしまう。術者を殺すことで呪いを解き、負担を軽減しなければならない。
「〈淵源〉を使うとは、生意気な人間だ!」
〈踊る双鞭〉はバルグをぎりぎりとにらんだまま。〈命蝕〉は〈命蝕狩り〉を嫌っているのだ。自分たちを退治するからではなく、人間が〈淵源〉で自らを強化したり〈淵源〉を封じて呪符を作ったりすることが生理的に腹立たしいから。人間に例えると、害虫がいきなり人語をしゃべり出して知能的な行動を取り始めたような感覚らしい。
バルグは左手で〈踊る双鞭〉の腕をつかんだ。〈踊る双鞭〉は振りほどこうとするが、思いどおりにできない様子。バルグからそれを許されないが故に。
「馬鹿力が……放せ!」
「人喰い野郎、ちと訊かせろ」
バルグが〈踊る双鞭〉に向けた声は、普段と同じ明るいものだった。
「〈命砕く魔手〉の命令でここに集まってるそうだが、何が目的だ」
「村を襲うと聞いたが、目的なんか知らん! 人間さえ食えればそれでいい!」
「そうか」
短く返事をしたバルグの左腕が膨れ上がった。〈淵源〉によって強化した筋力で、〈踊る双鞭〉の手首を握りつぶす。〈踊る双鞭〉は血をあふれさせながら腕を縮めた。
「ぐあああ!」
「次だ。集まったやつの中に〈闇色の残滓〉がいるな?」
「……いる! だが、やつは〈命砕く魔手〉様一の部下! いくら呪いに勝った人間でも敵いはせん!」
余計なことはいい、などとバルグは言わなかった。ただ、紫煙を吹き――
「最後だ。残しておきてえ言葉はあるか」
――軽く言い放った。
「貴様など、〈命砕く魔手〉様の相手にはならん!」
〈踊る双鞭〉は大口を開けてバルグへ駆けた。爪を使えないので牙を使うつもりだ。
「人間は、大人しく〈命蝕〉の食料になってろ!」
バルグがようやく大斧の柄を両手でつかみ、〈踊る双鞭〉がにやつく。
「今ごろ構えか! 遅い!」
「ああ、遅えな」
バルグもまた、余裕を崩さない。
「お前がな」
間近へ迫った〈踊る双鞭〉へ、バルグが大斧を一閃させた。持つだけでも相当な筋力が要るはずの大斧を、突風のように上から下へと。重さのある武器では精密な狙いをつけることが難しいが、バルグは〈踊る双鞭〉の正中をまっすぐ斬り裂いていた。
〈踊る双鞭〉は血煙を残して左右に倒れた。それっきり、声を発することも動くこともない。
「やれやれ。本当に集まってるみてえだな」
バルグは平然と煙草を吸う。終わらせた勝負は大したことでもなかったと言っているかのよう。フィンはようやく全身から力を抜き、〈熊の爪〉をホルスターに戻した。
「助かったよ、バルグ」
「もっとしっかりしてくれよ!」
馬鹿笑いが響くなか、フィンは〈踊る双鞭〉の骸に目を動かした。
「俺だって〈緋核〉を取り込めば……〈核使型〉は〈呪縛型〉ほど強くないけど」
〈踊る双鞭〉の〈緋核〉は、バルグの大斧を受けて真ん中から二分されている。
〈緋核〉は〈淵源〉を〈命蝕〉の体内に循環させる器官で、取り込んだ人間は呪いをかけられることなく〈淵源〉を得ることができる。そうやって〈命蝕狩り〉となった者が〈核使型〉。
ただし生きている状態の〈淵源〉ではないため純度が落ちており、人体への負担が少ない。そんな〈淵源〉を得た〈核使型〉はバルグのような〈呪縛型〉よりも弱く、普通に老化する。ただし寿命を差し引かれることもなく、取り込みに失敗して〈命蝕〉となる確率も低い。そのため、世にいる〈命蝕狩り〉の多くは死んだ〈命蝕〉から何らかの手段で〈緋核〉を得た者だ。
何にせよ、体質的にはただの人間でしかないフィンが今より強くなれることは間違いない。それなのに。
「お前が〈緋核〉を持つのは百年早え。誰かを守ろうとしたのはいいことだがな」
師たるバルグは笑いながら答えた。
(〈踊る双鞭〉を真っ二つにしたのも、〈緋核〉を壊すためだ。いつもこうやって俺を〈緋核〉から遠ざけようとするんだよな。俺が〈命蝕〉になるのを恐れてるのか?)
フィンが苦いものを感じているなか、いつの間にかしゃがみ込んでいたアンリがふらふらと立ち上がった。バルグへ向けた瞳には戸惑いのようなものが映っている。
「ありがとうございます……でも、さっき〈命蝕〉が言ってた話は」
「ん、ああ。村を襲うつもりみてえだな」
バルグの返答にはわずかな硬さがあった。〈命蝕狩り〉は異様な力を持っているので〈命蝕〉の同類と思われることがある。それを警戒しているのかもしれない。
「心配するな。俺が来たからには守る」
「本当ですか? じゃあ、あたしが村に案内します」
アンリの頭はそこまで固くないようで、フィンは安堵した。自分と似たようなものかもしれないと考える。
(実際に〈命蝕〉から助けられれば、心を開いて当然かもな)
一方、バルグは意味深な笑みを浮かべながらアンリを眺めていた。
「案内は要らねえ。お前の村はアグロ村か?」
「ええ。村のことを知ってるんですか?」
アンリが問いかけると、バルグに懐かしむような表情が映った。
「知ってるも何も、俺の故郷だ」
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