3-1
山と同じ名の付いたアグロ村はかなり寂れており、いくら見渡しても視界に入るものは畑やみすぼらしい民家くらい。都会にありがちな喧騒はどこにも存在しない。端から端まで一キロもなく、森を切り開いた場所で二百人ほどの住民が暮らしているとか。
フィンたちを迎えたものは奇異の視線だった。街道から外れていて旅人も滅多に来ないため、村人たちは閉鎖的な姿勢になっている。
それだけなら山奥の村にありがちなのでフィンは気にしないでいられるが、この村は今までに訪れた場所と違う部分があった。
「ねえ、あれは十六年くらい前に出ていった……木こりの……」
「絶対そうだ。でも、どうして若いままなんだよ……」
畑で農作業の手を止めてしゃべっているのは、いかにも毎日野外で働いている者らしく肌を焼けさせた男女。年齢は四十に差しかかる辺りか。
フィンはバルグが自らここを故郷と言っても半信半疑だったが、村に入ってからそれが本当だと否応なしに理解させられた。畑の二人はバルグと一緒に村で暮らしていた時期があるのだろう。
「十六年前とか言ってるけど、お前本当はいくつなんだよ」
「さあな。忘れちまった」
「お前らじゃねえか!」
遠慮のない大きな声で叫ぶ。バルグ本人は親しげに呼びかけたつもりなのだろう。表情は懐かしそうだし、腕を大きく振っている。ひそひそと話していた二人は目を見開いたが、バルグは構わずに畑へ踏み込んだ。
「お前はノースで、お前はマリアだろ? すっかりおっちゃんおばちゃんになっちまって。悪いなぁ、俺だけ若作りしてるみてえでよ!」
なれなれしく二人の首に腕を巻きつけ、馬鹿笑いする。相手が驚いたままだということは気にしない。
バルグはそのうち二人から離れて再びあぜ道を歩き始めたが、調子は変わらなかった。同年代以上の村人に会えば「○○だろ? 久しぶりだな!」、年若い村人に会えば「××に似てるな。あいつの子か?」、などと言いながら肩を叩いたりする。アグロ村に入ってから、人と会うたびにこうだ。悪意を持っているのではなくバルグなりに懐かしさを味わっているようなので、たちが悪い。
「いつもあんな感じなの?」
アンリがバルグを半眼で見据えていて、フィンはため息をつかずにいられなかった。荷物が重さを増したような気までしてくる。
「普段から軽いけど、今日は特にひどい。いくら懐かしくても、あれはやりすぎだ」
フィンはバルグの過去をほとんど知らない。バルグ自身が語ろうとしないからだ。しかし故郷を出るきっかけについては、バルグの同業者からいくらか教えてもらっていた。
どこかの村で木こりとして働いていたバルグは、〈闇色の残滓〉に出会って呪いをかけられたとか。今でこそ手練れのバルグも、そのときは〈命蝕〉を見たのが初めてだと驚いたらしい。
なぜそこに〈闇色の残滓〉がいたのかは分からないが、力を得て寿命が縮んだことは間違いなく、バルグは生き延びるために旅立った。フィンは、バルグがいつも騒がしいのでその故郷がこれほど静かな村とは考えていなかった。
あぜ道を抜けて民家が集まった場所に入り、バルグが足を止めたのは最も大きな家の前だった。都会の家に比べれば古びて小さいが、この村では間違いなく立派な家と言える。
「あれが村長の家だ。俺と同い年のダチもいるぞ」
そう聞いたフィンは、げんなりとなった。バルグが二人に増え、左右で大笑いするところを想像したからだ。
「変なやつが来たな」
乾いた声が聞こえた。すぐそばの木にもたれかかった男が発したもの。バルグとは対照的に細身で、顔色は青白い。年齢は三十代辺りかもしれないが、生彩に欠けているのでもっと年上にも見える。〈命蝕〉を相手に戦うどころか畑を耕すのも大変そうだ。
「連れてきたのはアンリか。類は友を呼ぶっつうが、本当みたいだな」
まなざしと口調はからかうような色を帯びていて、標的にされたアンリは眉をつり上げた。
「用があるのはあんたじゃないわ! 村長よ!」
「親父だと? どうせくだらないことを――」
「ドロル、懐かしいな! 元気だったか?」
嫌みっぽい言葉が止められた。バルグが男に駆け寄って抱きついたからだ。
「変わらねえなお前は!」
「やっぱりバルグか、放せ!」
「俺のことを覚えていてくれたか。さすがは心の友!」
「誰が心の友だ!」
ドロルと呼ばれた男はじたばたともがくが、バルグの力には勝てない。
「お前は〈命蝕〉から化け物にされて、俺の村を追い出されたんだろ! 早く消えろ!」
フィンは、ドロルの言葉を聞いてバルグの旅立ち風景を察した。
〈命蝕〉に呪いをかけられてその支配下に入らなかった者は、幸運を称えられることなく虐げられることが多い。普通の人間だった者が急に人外の力を得るため、不気味に思われるのだ。
フィンは、呪いのせいで故郷を追われた
「相変わらず口が悪いな! 仕方ねえやつだ!」
しかしバルグの表情からそういった過去は見て取れない。ドロルから離れはしたが、自分へ向けられた敵対心に気づいてもいないかのよう。一方的に親しげな態度でしゃべる。
「もっと話してえが、俺はお前の親父に話があるんだ。上がらせてもらうぞ」
ドロルが「俺はお前の顔も見たくないんだ!」と叫んでいることもバルグは気にしない。勝手に玄関のドアを開け、家の中に足を踏み入れる。フィンが呆れて身動きできずにいると、振り返って口角を上げた。
「村のやつらは俺にとってみんな家族みてえなもんだ。遠慮するなよ」
「そもそもお前は遠慮って言葉の意味を知らないだろ!」とドロルが叫んでも、バルグは聞き流した。前にドロルが立ちふさがっても、「いいからいいから」の言葉と共に押しのけた。
フィンが仕方なくアンリと共に家へ入ると、廊下で家政婦らしき中年女が立ちつくしていた。フィンは頭を下げたが、やはりバルグは「ボンヌ姉ちゃんか! 懐かしいな!」と楽しそうに肩を叩いた。
「騒々しいな」
廊下に面したドアから痩せた老人が姿を現わした。着ている服は、品が少ない土地ならよくあるもの。何十年も使っていそうな古びた服のあちこちに継ぎ接ぎをしている。年齢は七十になる前辺りのようで、辺鄙な村では高齢の者と言える。ドロルが「親父!」と叫び、バルグはにやりとする。
「よう、親父さん。あんたから息子みたいにしてもらったバルグが帰ってきたぞ」
「いつ、うちの親父がお前をそんなにかわいがった!」
ドロルは不満そうだった。バルグのことをかなり嫌っているようなので、親しいと言われることが面白くないのだろう。しかし老人は親密な様子でバルグに歩み寄った。
「バルグか、久しぶりだな。もう十六年ぶりになるか」
「ああ。そっちも元気そうで何よりだ」
バルグは懐かしそうに声をかけてからフィンを指さす。
「先に言っておこう。こいつは俺と一緒に旅をしてるフィンだ」
「そうかそうか。わしは村長のジャール。ゆっくりしていってくれ」
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