2-2
「何をしてるんだ。人間のガキども」
がらがら声が聞こえた方へフィンたちはそろって顔を向け、目を見張った。ずんぐりむっくりとした体格の人間――に近い形をした物体が、ゆっくりとした歩みで二人のそばへ寄ろうとしている。
両腕は立っていながら地面へ付くほど長く、逆に両足は短い。身にまとっているものも普通の衣服ではなく、ぼろ布だった。瞳は小動物を見つけた猛獣のような喜びに満ちている。フィンはその姿を観察しながら〈熊の爪〉を左右のホルスターから引き抜いた。
「
「よく分かったな。俺は〈命砕く魔手〉様が部下、〈踊る双鞭〉だ」
自ら名乗った〈踊る双鞭〉は、胸もとにある赤い石を指さした。
フィンは固唾を飲んでいた。敵が〈命蝕〉なら勝算は低いが、アンリを自分の後ろに追いやりながら身構える。
「これが、〈命蝕〉……?」
アンリは実物を見たのが初めての様子。弓の達人でも、戦いに関して素人では〈命蝕〉と渡り合うことなどできない。自分一人でどうにかしなければならないとフィンは思案していたが、〈踊る双鞭〉の手にあるものを見ると胸を刺されたような衝撃に襲われた。
狼の頭を鷲づかみにし、首から下を引きずっている。フィンは切れた耳に見覚えがあった。先程殴り飛ばした狼だ。
「そいつは!」
「こないだ暇つぶしに狩りまくった犬っころの生き残りが、どうかしたか?」
〈踊る双鞭〉は、狼をフィンへ無造作に突き出した。狼はまだわずかに息があるようだが、四肢は骨を砕かれてしまったのかいびつにねじ曲がっている。頭には鋭い爪の先端を食い込まされ、血が毛皮を汚している。口からこぼれるものは、フィンを威嚇したときと違って子猫のようにか細い鳴き声だった。
「放してやれ!」
フィンは、二度と駆け回れないほどの傷が野生の獣にとって致命的だと分かっていながらも声を張り上げた。先程あの狼へ浴びせた言葉が気になる。
『群れに帰れ』
もう、あの狼に帰る群れなどない。フィンの親が二度と戻らないことと同じように、何をしようとあの狼の家族が帰ってくることはない。
狼に人の言葉が分かるとは思えないし、フィンも群れがひどい目に遭ったことを知らなかった。それでも自分がさまよう者へ無慈悲な言葉を叩きつけたと思えて仕方なかった。
「そいつらはお前の玩具じゃない! お前から殺されるためにいたんじゃない!」
「人間も動物も、全て〈命蝕〉の玩具に決まってるだろ!」
〈踊る双鞭〉が瞳に残酷な喜びを映し、狼をつかむ指に力を入れる。何をするつもりなのか気づいたフィンは〈踊る双鞭〉と狼に駆けた。
「やめろ!」
「やなこった」
〈踊る双鞭〉は太い胴回りと短い足の割りに身軽な跳躍を見せ、フィンが突き出した〈熊の爪〉をかわす。
「犬っころじゃ腹の足しにもならんがな!」
狼が苦痛の叫びを上げた。まだそれほどの力が残っていたのかと問いたくなるほど響く声。だがそれも消えていき、狼は干からびていく。〈踊る双鞭〉は、突き立てた爪を介して狼から生命力を吸っている。
「ひ……!」
アンリが息を呑んでいた。フィンは苦虫を噛みつぶした気分になりつつも、〈熊の爪〉を装着した右手で胸のポケットから呪符を取り出した。〈熊の爪〉をはめていても親指以外は自由に動かすことができ、二本を使えば呪符を挟むことができる。
「貴様!」
呪符を空へ投じる。厚さがなく丸めてもいない紙片を飛ばすことなど本来は不可能だが、呪符は「投げる」という意思を込めれば平たいままの姿で宙を舞うようになっている。呪縛の力を込められたこれも目標へ飛び、命中と同時に効果を発揮する――はずだった。
「くだらん!」
束縛の力が閃光となってあふれ始めている呪符を、〈踊る双鞭〉は空いている方の手で叩き落とした。もう一方の手では、狼を投げ捨てる。
全ての生命力を吸いつくされた狼は、地面へ到達すると同時に石膏模型のごとく砕け散った。無残な音を聞いたアンリがたじろぎ、しゃがみ込む。村娘として暮らしてきたのなら、〈命蝕〉の食事風景など見たことがなかったはず。一般人がそれを目にするとしたら、自分が食料にされるときくらいだ。
「無駄に足掻くな」
〈踊る双鞭〉がフィンから離れたところに着地し、からかうような声を突きつけてくる。
「
「悪かったな!」
フィンは再び〈踊る双鞭〉との間を詰め、連続で突きを繰り出した。〈熊の爪〉にも強化の力が込められている。しかし〈踊る双鞭〉は軽い身のこなしで全てを避ける。
「弱い〈命蝕〉を相手にうまく立ち回れば勝てそうだな。しかしこの俺には無駄だ!」
長い両腕を何度も振り回す。駄々っ子のように見えて滑稽でも、攻撃されているフィンは笑うどころではない。やたら太い鞭を二本同時に向けられているようなものだ。
(通り名の元はこの技か!)
かわしながら距離を空けようとしたが、〈踊る双鞭〉はフィンとの位置関係に応じて腕の長さを変化させる。
「人間は、俺たちの
〈命蝕〉は〈淵源〉という力を持っている。精神力に由来するエネルギーで、それを使って自らの身体能力を強化したり魔法のような力を操ったりできる。〈踊る双鞭〉が腕を伸縮させることも、〈闇色の残滓〉が自分と黒バラを入れ替えることも、〈淵源〉を消費して行っている。
フィンは〈踊る双鞭〉の腕を避けきれず、胸に一撃食らった。身に付けているものが特殊な製法による防護衣でなければ、そしてとっさに後ろへ跳んでいなければ、あばらを折られていただろう。フィンは咳き込みながらも一旦身をひるがえし、〈踊る双鞭〉に構え直す。
「そろそろくたばれ!」
〈踊る双鞭〉はフィンに右腕を伸ばした。フィンはかわそうとしたが、大きな手に喉笛をつかまれてしまった。ぎりぎりと絞められる。
「村を襲うのは準備が整ってからと聞いたが、一匹や二匹つぶすくらいはいいだろ」
(こいつら、村が狙いなのか)
フィンは〈踊る双鞭〉の手をつかんで外そうとしたが、力は人間より〈命蝕〉の方がずっと優れているのでびくともしない。偶然とはいえ〈命砕く魔手〉たちの目的が分かったのに、何もできない。血の流れを止められたことで、フィンの意識が明滅を始める。
(畜生……俺に〈命蝕狩り〉の力があれば!)
「やめなさいよ!」
鋭い声が聞こえた。アンリが青ざめながらもフィンに駆け寄り、〈踊る双鞭〉の指を引っ張る。
(まだ逃げてなかったのか!)
〈踊る双鞭〉に手を放させるつもりのようだ。しかし鍛えているフィンですらどうしようもないのだ。少女の腕力では助けにならない。
「立場を分かってないやつが、まだいるようだな!」
〈踊る双鞭〉が下品に笑い、その指が少しだけゆるむ。アンリの力ではない。〈踊る双鞭〉がフィンからアンリへ意識を動かしたからだ。
「逃げろ……!」
フィンは、辛うじて声を出すことができた。
〈命蝕〉は人間の女くらい簡単に屠ることができる。アンリも、自分の行動が危険だと分かっているはず。よく見ればアンリは手を震えさせている。それなのに、逃げようとしない。
「放っておけるわけないでしょ!」
「俺は、お前の狩り場に入ったよそ者だ……知らないやつだろ!」
「実を譲ってくれたじゃない! 悪い人じゃないと分かれば十分よ!」
人のいい女だ。しかしフィンは甘えたくない。素人に頼ったりすれば、〈命蝕狩り〉ですらない見習いの誇りも守れない。
「……そんなふうにされて、負けられるか!」
フィンは右手を強く握った。全ての力を込め、油断した〈踊る双鞭〉の腕に〈熊の爪〉を突き出す。
「うじ虫が……!」
刺し傷を刻み込まれた〈踊る双鞭〉は手を放し、右腕を縮めた。フィンは咳き込みながらも辛うじて身構える。とりあえず助かったが、危機が去ったわけではない。
〈踊る双鞭〉は真っ赤になって怒っている。刺激してしまった分だけフィンたちの状況は悪くなったと言えるかもしれない。〈踊る双鞭〉はどうあってもフィンたちを逃がすまいとするだろう。
「くたばれ!」
〈踊る双鞭〉が無事な左腕をフィンへ伸ばす。どうしたらいいかフィンは懸命に思考を巡らすが、いい手は一つも浮かばない。
「今日はこんなもんか」
のんきな声が聞こえ、〈踊る双鞭〉の左手が断ち切られた。地に落ち、重みのある音を立てる。
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