1-2

 五年前、フィンは〈命蝕〉エネルゲイアに襲われた。

 いろいろな〈命蝕〉との戦いを経験した今からすると、相手は雑魚に過ぎない。しかし戦いの心得がない一般人には太刀打ちできず、父親は〈命蝕〉にされてしまった。

 襲ってきた〈命蝕〉は、目当てのフィンに食らいつく――はずだった。そこに通りすがったのが、〈命蝕狩り〉エネルディカとして〈闇色の残滓〉を追うバルグ。勝負は一瞬で決し、父親もまたバルグの手で倒された。

 バルグはフィンの父親を埋葬した後、フィンを元の町に送り届けた。しかしフィンは、町を出るバルグに押しかけ弟子としてついていった。

 見た目としては父親に止めを刺したようでもあり、父親が〈命蝕〉とされる前に駆けつけられなかったとも言えるが、恨もうとは思わなかった。垣間見たバルグの強さに心を引かれたからだ。バルグの身近で生活しているうちに、その行動が常に英雄然としているわけではないことも理解したが。

 何にせよ、今のフィンにとって旅は慣れたもの。今しているように街道で一息入れることも、暗いうちに街門をすり抜けることもだ。

(近寄りにくい町が増えた……)

 フィンは干し肉をかじりながら考えた。真昼のまばゆい太陽から責められているような気もしてくる。このように、慣れたくないものもある。

「そろそろ観念しなさいよ。貧乏生活から脱したいでしょ?」

「でもなあ」

 大きな岩へ腰かけたバルグに擦り寄っているのは、黒いローブを身にまとった妙齢の女。その右手は、左手にはめた大きな宝石の指輪をしきりになで回している。これが彼女の癖。周囲からは「守銭奴っぽさが増すからやめろ」と言われているが、どうしてもやめられないようだ。

「あんたがずっと大事にしてるアレ、このレベッカさんなら高く買い取ってあげるって前から言ってるじゃない」

 女商人のレベッカはフィンたち同様に旅から旅の生活を送っており、バルグをいい取り引き相手ととらえてよく顔を見せる。どうして行き先に都合よく現れることができるのか、そして以前から言っている『アレ』が何なのか、フィンは知らないが。

「ずっと言ってるだろ。俺にアレを手放すつもりなんてねえ。いい加減諦めろ」

 バルグはレベッカに取り合わず、煙草をふかす。レベッカは「つまんないわね」とつぶやいてバルグから身を離した。そばに置いていた黒いとんがり帽子をかぶる。

「せっかくいい情報を持ってきてあげたのにね。アレを売ってくれたら教えようと思ってたんだけど」

「情報だと?」

 バルグは目に勝ち気そうな笑みを映し、腰を上げた。ずっと追っている相手のことを思い出した目。だらしない男ではなく有能な〈命蝕狩り〉としての目。

(バルグはこういう顔をしてれば格好いいんだけどな)

 フィンはバルグに気合いが入ったことを嬉しく思った。レベッカはバルグに張り合うかのごとく挑発的なまなざしになる。

「そうよ、あんたが追ってるあいつのこと。あんたに呪いをかけたっていう〈闇色の残滓〉が、どこへ行くつもりなのか」

 フィンたちも、〈闇色の残滓〉がどちらの方角へ逃げたのか予想したうえで出発した。しかし、目的地がどこかなど思いつきもしない。そもそも〈闇色の残滓〉に行こうとしている場所があるのかどうかさえ定かではない。今までにも足取りをたどって意図を探ろうとしたことはあったが、気の向くままにうろついているだけとしか考えられなかった。

「いい話だ。早くしゃべれよ」

 バルグはレベッカを見下ろしながら催促した。レベッカは圧迫感を受けていることだろうが、たじろぐ様子はない。

「じゃあ、アレを売る?」

「嫌だ! でも教えろ!」

 身も蓋もないバルグの返事に、レベッカもわずかに引きつる。

「……あんた相手じゃまともな交渉が成り立たないわ。フィン、お弟子さんのあんたからも説得してちょうだいよ」

 話を振られたフィンは、飲んでいた水袋の水を吹きそうになった。自分は蚊帳の外だと思っていたからだ。仕方なく水袋をしまい、バルグに顔を向ける。

「なあバルグ。アレってのが何か俺は知らないけど、〈闇色の残滓〉を追うためなら金を持ってた方がいろいろ便利じゃないか」

「そうだが、アレは売れねえ!」

「駄目だってさ」

「あんた、あっさりしすぎよ」

 軽く告げたフィンに、レベッカはため息をついた。バルグは一度決めたことをそう簡単に曲げないので、フィンが説得しても無駄だ。レベッカも実のところはそれを理解しているため、どこまでも食い下がろうとはしない。

「じゃあ、あたしが預かってるお金の中から情報料をもらっておくわよ」

(預け金なんかしてたのか?)

 フィンは「じゃあ昨日は逃げなくてもよかったじゃないか」と言いたくなった。バルグはレベッカの意見に従いたくないようで、うなずき方は渋々としたものだった。

「そこまでして売ろうとするからには、よっぽど面白え話なんだろうな?」

「もちろんよ」

 レベッカは取り出した紙片に羽ペンを走らせ、バルグに渡した。フィンがのぞき込むと描き込まれた金額は決して安くなかったが、情報も商品の一つ。そして〈闇色の残滓〉の話はバルグが最も必要としているものだ。

「〈闇色の残滓〉がただの野良〈命蝕〉じゃないことは、あんたも分かってるでしょ。その上にいるやつのこととか」

「〈命砕く魔手〉か」

 バルグが低い声で答え、レベッカは「ご名答」と告げて岩に腰を落ち着かせた。

〈命蝕〉には社会性があり、知能や力を多く持つ者は群れのトップに立つことがある。〈命砕く魔手〉も、そういう強力な〈命蝕〉の一人。達人と呼ばれる〈命蝕狩り〉が数人がかりで勝負を挑み、半死半生で逃げ帰ってきた話もある。

 そして、〈闇色の残滓〉は〈命砕く魔手〉がかなり昔に作った〈命蝕〉。年季があるため、〈命砕く魔手〉の息がかかった〈命蝕〉の中では名実共に実力を持っている。

「多くの部下がいる〈命蝕〉は山の中とかで集落を作るのが普通。村を乗っ取って住みかにすることもある。それなのにここ何十年かの〈命砕く魔手〉は、なぜか部下を分散させてひっそりと身を隠しながら暮らしてる。だから〈闇色の残滓〉も放浪生活を送ってる」

 レベッカが語ったことは、〈命蝕狩り〉の間で理由の分からない事実として知られているもの。

「その〈命砕く魔手〉が、方々へ散らせてた部下を呼び集めてるらしいの。きっと〈闇色の残滓〉もそこへ行くわ」

「連中は何をするつもりなんだ」

「それは分からないけど、場所はアグロ山っていうところよ。ここから割りと近いわね」

「何だと……!」

 バルグが目を丸くした。不意に脇腹を突かれたようでもある。

 フィンは仰天してしまった。バルグのこういう顔を見たことがなかったからだ。日常ののらくらした様子や〈闇色の残滓〉の話を聞いたときの強気な姿とは明らかに違う。レベッカは商売相手の変化に気づいているはずだが、自分自身は調子を変えない。

「〈命砕く魔手〉も〈闇色の残滓〉も派手に人間を狩るタイプじゃないから、規模の大きい何かとやり合うための準備ってのは考えにくい。アグロ山に一つだけある村を制圧するためでもないはず。小さい村だから〈命砕く魔手〉一人でどうにでもなるもの」

 レベッカが語っている間にも、バルグの顔は切羽詰ったものへ変わっていく。見ているフィンも困惑を強めた。

「どうしたんだよ。〈命砕く魔手〉の目的に心当たりでもあるのか?」

「急ぐぞ!」

 バルグは言い切った。答えになっていないことは気にせず、自分の荷物を肩にかける。

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