第3話メロス、村へ帰る。妹のために


「お兄ちゃん!急に帰ってきたと思ったら、そんなに急いでどうしたの!」


 数日ぶりに都から村へ戻った兄を見て、妹はたいそう驚いた。

 メロスには今年で十六になる妹があった。

 父も母もなく、兄妹だけでこの家に二人で暮らしている。


「ああ、もう―――洗濯するから早く服脱いで」


「あ、ああ―――」


 いうが早いか、疲れ切って座り込んでいる兄の服を無理やり脱がしにかかる可憐な妹。

 その性質は世話焼きであった。

 都合の良い展開だ。

 メロスはライトノベル主人公として求められる素質の九割ほどを、大した努力もなく所有していた。


「いや、待て妹よ、急ぎの用があるのだ」


 服を性急に脱がされ半裸になったメロスだが、妹の両肩をがしりと掴んだ。

 兄の行動に、結婚を控えた妹は目を白黒させる。


「えっ、何よ急に」


「いいか、妹よ―――」


 メロスは説明しようとした。


 非道なる王の目を覚まさせてやろうと交渉した結果、三日以内にお前の結婚式をやり遂げなければならなくなったのだ。

 これは命がけである―――。

 早く婚約者である村の律儀な男との結婚式を始めよう。

 式は来週の予定だったが、少し早まったところで天は裁くまい。


 説明しようとはしたのだが、十里の道のりを走ってきて疲れたので、やや簡略化した。


「妹よ、結婚してくれ!」


 息も絶え絶えに言うと、兄の言葉は真実味を増し、妹はたいそう驚いた。


「ええっ、そんなことを言われても、お兄ちゃん、私………もうすぐ結婚しちゃうんだよ?」


「ああ、だからいま!今日にでも!」


 急いでいる。

 メロスは急いでいる。

 何しろ、時間が無いのだ。

 詳しい事情を説明しようとしたのだが、妹に余計な心労をかけるまいという迷いが生じた。

 セリヌンティウスが縄にかかっていることを説明し、妹の所為にすることは、ない。

 気が進まない。


 妹は顔を赤らめ、少しうつむく。


「お兄ちゃん、結婚って、い、今すぐ?」


「ああ、そうだ」


 メロスの迷いのなさが妹に伝わったらしく、なにやら考え始めた妹。

 結婚式の段取りの事だろう―――メロスは思った。


「でも、こんなのおかしいよ、兄妹で。法律とか、違反しちゃうと思うし―――」


「法など、構うものか!」


 そもそも法をないがしろにし始めたのは他ならぬ国の王である。

 法を守らなければならない側、いや法を決める権利すら有する者がそれだ。

 そんなざまだ。

 ―――いや、法を決めるのは議会だったか?

 まあとにかく、細かいことはいい。

 ならばこちらも正攻法など必要ない。

 メロスの本心は、彼の発言に迫真さ、眩しいまでの直情を生み出す結果となった。


 妹はぼそぼそと、くちづけキスもするの―――と問うてきた。

 それは当然だ、なにせ結婚式なのだから、とメロスは早口で答えた。


「わかった―――」


 妹は兄に向き直ると、目を閉じて、顎を上げる。

 やや唇をすぼめた姿勢になった。

 普段べにを差していない唇は淡い桃色であったが、この時はむしろ、その両頬のほうが赤みが増していた。


「いいよ、お兄ちゃん」


「?………何してんだお前」


 メロスは妹の意図をつかめず困った。


「はやくこの村のお前の婿のところに行って交渉してこいよ、あの律儀な一牧人いちぼくじんだ。それでちょっと無理を言って明日にでも式を挙げるんだよ、一人じゃあ心細いか?俺が一緒についていってやらないといけないのか?相変わらずのお子様だな」


 そんなふうだと花婿からも愛想をつかされるぞ、と口を動かしたメロス。

 妹はこの馬鹿野郎、と叫んだかと思うと、メロスに平手打ちを入れ、キレのある回し蹴りを繰り出した。

 延髄と後頭部の辺りに叩き込まれた意図せぬ攻撃に、メロスは吹き飛んだ。

 彼は床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。


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