第15話 おれたちはともだち 中編
さて、調べ物を始めて三日。少々煮詰まってきた感じが出てきたころに、不意に圭太郎が尋ねてきた。
「どうして知りたいんだよ、そのセキのこと。……いや、友達だって言うんだし、気になるのは分かるけどさ」
圭太郎はセキをテロリスト呼ばわりしなかった。気を遣ってくれていたのか、俺がそう呼んでいるからそれに倣っただけなのかは分からなかったけど、俺はそれだけのことでかなり救われている。協力してもらえるだけでありがたいんだから、疑問にはできるだけ誠実に答えたかった。自分の中でまだ消化しきれていないことがあったとしても。
「分からないことがあるんだ」
事件の日。血だまりに倒れるセキが、俺を見てにこりと微笑んだその意味。俺はあの時装備で顔を隠していたにも関わらず、どうして怪訝な顔一つしなかったのか。名前を呼んだ時に、中身が俺だと気づいたんだろう。
「セキは俺が武装官なのを知っていたんだ。それなのに、会う時会う時世間話なんてするばっかで、真剣に相談に乗ってくれて、でも見返りも何も求めなかった。それがどうしてなのか、知りたい」
もしもそこに、友情だけがあったと証明できたなら。何かセキのためにできることが見つかるかもしれないと、夢みたいなことを思っている。その夢だけは奪われないように、どうにかこうにか日々を過ごしている。
圭太郎は何か口を開きかけて、思い直したようにそっぽを向いた。
「そうは言っても、直接会って聞かなきゃ分からなくないか?」
「そうでもないかもよ? 経歴とか信条とか、そう言うのが分かれば理屈がわかるかも」
「曖昧な話だな」
「そうだね」
鼻を鳴らす圭太郎に、へらりと弱い笑みを向ける。気づまりな沈黙を振り切るように、圭太郎は話題を変えた。
「確かに、お前一時期メディアに顔出ししてたからな。気づいていたとしても不思議じゃねえ」
「……やっぱり、顔とか隠すべきだったかな」
「芸能人じゃねえんだから。あっちのアンテナが広すぎただけのことだろ」
そう圭太郎は慰めてくれたが、やはり俺の対応にもまずいところがあったんじゃないかと考えてしまう。自分が見ていたセキの、どこまでが本心なのか。それが分からなくなってしまったことが怖いんだと思う。
「セキはいつ俺の正体に気づいたんだろう」
「つい最近ってことはないだろうな。雑誌に出たのも半年以上前だろ」
「一年近い付き合いだからね。そうだと、思う……。本当に、どうしてなんだ」
本当に、どうして俺なんかの相談にいちいち乗っていたのかが分からない。ショウから利用するつもりはなかったと言われてほっとしたのも本当だけど、その分謎も深まった気がする。
「そこまで深く考えることでもなかったりしてな」
圭太郎がポツリとこぼした、その意味をはかりかねて首を傾げる。不思議そうにしている俺を見て圭太郎は微かに笑って問いかけた。
「じゃあ、俺がどうしてお前の調べものに付き合っているかは分かるか?」
「……俺が頼んだから?」
これで答えになるのだろうか。いまいち自信がなかったが、圭太郎は頷いた。
「頼られたら応えてやりたい、悩みがあれば聞いてやりたい。それは少しも不自然なことじゃない。誰も彼もが打算だけで動くわけじゃない。理由なんか、気にするほどのことじゃないかもしれないだろ」
言い聞かせるような穏やかな声音で言われ、それでも納得できずに食い下がる。
「圭太郎は、殺人犯がそんなお人好しだと思うわけ?」
そういうと圭太郎は顔をしかめ、「嫌な聞き方しやがる」とぼやいた。
「だから、セキがどう思ってるのかを気にしすぎるなって言ってるんだよ。思い詰めすぎるなって。人間損得勘定だけで動くものじゃないんだから」
圭太郎はよくそんなことを言うが、俺としてはいまいちぴんとこない。
「そんなこと言われたって……分からないままなのは嫌だ」
「……まあ、そうだな。部外者の俺がどうこう言ってもしょうがねえことだよな」
そう呟く表情がなんだか暗くて、何も言えなくなってしまう。
「本人に聞くことも考えなきゃ駄目かな」
そう呟くと、圭太郎は怪訝そうな顔をする。
「まあ、それが一番手っ取り早いが……どうやって?」
「うん。今の俺じゃ調べられることってすごく少ないし……だから、人を頼ることにするよ」
そう言うと、圭太郎は何かを察して言葉を詰まらせた。俺は厄介ごとを山ほど抱えているので、圭太郎にこういう『何を言うのが正解なのか見当もつかない』みたいな顔をさせてしまうことは割と、よくある。
「……いいのかよ。いろいろ複雑なんだろ」
「いいんだ。むしろ好都合だって思うことにする」
目を背けていた、線を引いて遠ざかっていたことに、踏み込む理由ができた。不安げな顔をする圭太郎を安心させるように、そして自分に言い聞かせるように、はっきりした声で宣言する。
「龍島議員を頼る。……後のことは、おいおい考えるよ」
簡潔に言ってしまえば、俺と議員の間には血縁関係がある……。まあそういう言い方をすると、若干語弊があるのだが。倫理的によろしくない話だ。
あの人も俺も被害者だ。異能の遺伝子操作実験。血縁に稀代の異能者がいた龍島議員を騙して、勝手に血やら皮膚片やらを使って、身勝手な実験を繰り返した。クローンと呼ぶのが近いらしいが、それなら俺が異能を使える理由が分からない。いろいろな操作がされたんだろう。その残酷な試行錯誤の果てに、優秀な異能者の出来上がり……というのが目的だったらしいが、目論見がばれて研究者らは逮捕され、ただ一人できあがっていた赤子は親も分からず、かと言って無理に捜索して世話を押し付けるわけにもいかず……というわけで、施設に放り込まれてすくすく育ったのが俺。本当かどうかは知らないが、議員が俺と塩基配列的な意味で近しいことが発覚したのは割と最近のことだそうで、それが本当だとすると随分早くに俺に知らせてくれたんだな、と少し不思議に思った。
自分の親がどんな人間だったか聞かされたことがなかったので、どうせろくな出自ではないのだろうと思っていたらまさかまさか、人の股から生まれてさえいなかったとは! 今なら軽く笑い飛ばしてやれるが、それなりに思い悩んだりもした。圭太郎には細部まで説明しておらず、議員の隠し子だと思われているようだ。訂正はしないでいいと釘を刺されている。
俺と議員は親子ほども年が離れているが、俺が議員を親とは思えないように、議員も俺を子とは思っていないだろう。スキャンダルの種になりそうなもんだし事故にでも見せかけてとっとと殺しておけばよいものを、とくさくさした気分で過ごしていたこともあったが、何度か会ってみたり、何かと人を寄越して近況を聞いてきたりすることもあってそう疎まれているわけでもないらしいと分かった。でもそれが分かったからって分かりやすく懐くのも違う気がして、今はどういう距離感がいいのかを模索中だ。このことで思い悩んでいた時、セキにもだいぶぼかして相談に乗ってもらったりもした。圭太郎にも。
何かあれば力になる。そう言われて素直に頼れるような性格はしていないんだけど、今回ばかりはなりふり構っていられない。断られたら断られたで、また違う手段を探すだけだ。そう割り切って、圭太郎に宣言したその日の夕方には連絡を取っていた。
当然、議員に直接アポイントを取るツテなんかはない。困ったときはこの人に連絡するように、と名刺を渡されている。用心のため携帯には登録していない番号にかけると、直接会って話を聞くと約束を取り付けられた。
「あの、多分無理だと思うけど、頼みたいことがありまして……」
人に聞かれたら困るから、と十分周囲を気にしてから耳打ちすると、庄司さんはあっさり頷いた。
「承りました。三日以内に結果をご連絡いたします」
あまりにもすんなり受け入れられて仰天する。しかも、結論が出るまでがとんでもなく早い。狼狽える俺を平然と見つめ、庄司さんは「何か問題でも?」と涼しい顔だ。
「てっきり、そんなことはできないって言われるものと……」
庄司さんは一瞬そっと目を伏せて、「事件の概要は聞いております」と静かに言った。俺が疑われていたことも知っているのだろう、労わるみたいに静かな声だった。
「議員からは、『友達に会いたがっていたら、その手伝いをするように』と言われていますので」
何でもないような言葉に絶句した。何もかも見抜かれている。三か月に一度、電話越しに話すか話さないかの相手にそこまで見透かされているのは正直ぞっとするが、何よりもその、情を感じさせる物言いが背筋を冷たくさせた。血の気が引いたのを気づかれないように、深く頭を下げる。
「確定ではありませんが、遅くとも二週間後にはお会いできるかと。都合が悪いときは、また私にご連絡ください」
「ありがとう、ございます」
では失礼します、と去っていった背中を見送り、壁に背をつけて顔を覆う。
『どう思われているか分からない? ……愛情を試したいんなら、ちょっと無茶なお願いをしてみるっていう手もあるよ。あまりお勧めはしないけどね』
思いつめていた時、セキはそう言って苦く笑っていたことを思い出す。意識してやったことではなかったとはいえ、結果的にそうなってしまった。そのぞっとするような因果に打ちのめされて、深く息を吐く。今思えば、セキは俺の出自についてもなんとなく感づいていたようでもあった。俺が話し過ぎたのかなあ。
「……こんなことで実践したくなんかなかった」
言葉と一緒に血までこぼれるようなつぶやきが、誰にも聞かれていないことを強く祈る。膝が震えそうになるのをこらえて、こんなところで立ち止まっていられないと己を奮い立たせる。タイムリミットは二週間、それまでにまだ、できることがあるはずだ。
「
書類仕事を押しつけられて約束の時間に遅れてしまった。一応連絡はしていたものの、待たせてしまったことに変わりはない。
「すみません、遅れちゃって……」
「いえ。そちらの仕事が時間通りにいかないのは知っています」
約束をしていたのは、警邏隊の職員である庄司蓮。庄司梨花さんの弟さんで、警邏隊の頃何度か仕事をした仲だ。連絡先なんかも一応登録してあるし、警邏隊に顔を出すときは大体蓮さんが対応してくれるのだが、なんだかんだでお姉さんと会うことの方が多いせいかいまいち打ち解け切れていない感じがする。
「今から呼んできますので、必要事項を書いてお待ちください」
「ご迷惑おかけします」
恐縮しつつ、カウンターの端の席に腰かける。差し出された書類に必要事項を急いで書いて手渡す。書類に素早く目を通し、蓮さんは頷いた。
「はい、問題ありません。処理が終わればすぐに面会できます」
「ありがとうございます……」
遅れてしまったのに文句一つ言われないのがかえって申し訳ない。気まずくて目を合わせられないでいると、まるで気にしていないように平淡な声で問われた。
「なにやらひと悶着あったようですが、今回の件もそれに関係することなんでしょうか」
「あはは……」
笑ってごまかそうとすると、まっすぐに見据えられて閉口する。なんとなく質問しづらい空気だったが、覚悟を決めて思い切って聞いてみる。
「どこまで知ってるんですか……?」
「噂になっていることは一通り、後は関係者に問合わせ中です」
やっぱり、と項垂れる。庄司姉弟は働く場所こそ全然違うけど、どちらも顔が広くて情報をつかむのが早い。普段はいろんなことを教えてもらって助かっているものの、探られている側になるとやっぱり恐ろしい。
「警邏隊の方でも評判悪いですか、俺」
「よくはありません。あなたは私たちと信頼関係を築けるほど長くはいられなかった」
まったくもってその通り。こちらも懐かしさを感じられるほど長く一緒に仕事をしたわけではなかった。働き始めてすぐ、武装官の試験を受けさせられた。その時点であまり、良い印象は残せていないだろう。
「じゃあどうして、断らなかったんです?」
「仕事だからです。武装官が面会を希望したならそれを断ることはしません」
粛々と書類をさばきながら、蓮さんは端的にだけど答えてくれた。それはそうだ。会話を続けるための問いも尽きて、うつむく。蓮さんはしばらく手元の端末で何やら作業をしていたが、不意に顔を上げて表情を少し和らげた。
「誤解しないでいただきたいんですが、評判が悪いのは警邏隊の話であって、僕個人で言うと別にそんなこともありません」
「そうなんですか?」
そう言われるのは少し意外だった。蓮さんは規律を重んじる人だ、今回の件でてっきりめちゃくちゃ嫌われたものだと思っていた。そう言うと蓮さんは心外だと言いたげに唇を歪めた。
「いいですか。僕がルールに厳しいのは、破ることで迷惑を被る人がいるからです。あなたの行動に具体的な被害を受けた人はいない。その辺は自分でも慎重にやっているんでしょう?」
尋ねられて、曖昧に頷く。言われたことはきちんとしているつもりだし、なるべく関わる人が増えないように努力している。
蓮さんは小さくため息をついて周囲を見回し、声を潜める。
「今回の問題に限っては、周囲の反応が過剰なんだと思います。おそらくは、木村優氏が利用した装置のせいでしょう。あれは今までの常識を根本から揺るがしかねない発明です」
そう深刻な顔で蓮さんは言うが、俺としてはいまいちピンとこない。今のところあの発明は広範囲に異能を妨害することができるだけで、個人であったり集団であったりを狙い撃ちできるわけじゃない。将来的にそういう利用方法もできるのかもしれないけど、実用化なんてできるのか? あれが自分たちに牙をむく図が、どうしても想像できなかった。それに。
「異能が使えなくても戦えるように訓練されているじゃないですか、俺たち」
基礎体術も応用も、骨の髄まで叩き込まれている。その場にいる全員が異能を封じられたら、専門的な訓練を積んでいる方が有利になるんじゃないだろうか? そう言うと蓮さんはぱちぱちと瞬きして、それから少し困ったように眉根を寄せた。
「きっと、そう考えられる人は多くはないんですよ」
そういうものだろうか。圭太郎にも今度聞いてみよう。
「話を戻しますが、異能者はその発明から木村氏を罪状以上に警戒しています。だから城戸さんのことも、何か木村氏と共謀してるんじゃないかと疑っているんですよ」
「……そんなことしません」
むっつりと、不満をあらわにする。セキは確かに友達だが、意見が合わないことはもちろんある。アスタリスクのやっていたことだって、目的にどんな正当性があろうと、取るべき手段は間違っていた。それに協力したりするつもりはない。でも……。
「俺が言っても、信用できませんよね」
自分以外の立場になってみれば、これほど信用できない言葉もない。圭太郎も、こんなざまでどうして協力してくれるのか分からない。返せるものだってそうそうありはしないのに。自嘲的なつぶやきを受けて、蓮さんは首を横に振った。
「別に、何か企んでるとは思っていませんよ。あなたの行動は自分の首を絞めるばかりで、だからこそ自分の利益のためじゃないことが分かる」
口元にぼんやりと苦笑が浮かんでいるのが見て取れて、俺は少しほっとした。あんまりな物言いだけど、まあ実際俺の行動は全く合理的でない。そう言われても仕方がないだろう。
「それは、お姉さんから聞いた話もあるから?」
少し意地悪く見えるように尋ねると、完璧な笑顔ではぐらかされ、俺もこのくらいうまくごまかせればな、なんて思わされた。そのまま静かに待っていると、扉の向こうから名前を呼ばれた。
「いろいろありがとうございます。またご迷惑おかけすることもあると思うんですけど……」
「周りに迷惑をかけない人間なんていませんから。大丈夫ですよ、何かあったらいつでも来てください」
よくよく見ないと分からないような、ほんのわずかに口角を上げるだけの笑み。既視感があると思ったら、お姉さんと同じ笑い方だ。送り出されて、背筋を伸ばして気合を入れなおす。
今日会いに来たのは……というより、面会しに来たのは、三か月前に逮捕されたテロリストだ。名前は伏せる。その厳めしい顔つきに凄みを与えるのは、目元から額にまっすぐ走った傷跡だけじゃないんだろう。セキ……木村優が、自分の死を偽装した際に、身を隠すために頼ったのがこの人なのだそうだ。
椅子を引いて座り、背筋を伸ばして頭を下げる。
「武装隊六十二番隊、城戸龍一と言います。本日はよろしくお願いします」
頭を上げて、まず目に入ったのが、困惑したような表情だった。何か間違ったことでもしただろうか、と思ったが、特に何も言われなかったので手早く本題を切り出す。
「アスタリスクのリーダー、セキについて聞きたいんです。友人だと聞きました」
「友人……ってほど親しくもない。あんたは一体何なんだ?」
「……捜査に当たって、個人的に気になるところがあったので。不確定要素を少しでも減らしたいんです」
一瞬迷ったものの、結局、そうとだけ言って口をつぐんだ。一応、仕事としてやってきているのだ。プライベートなことまで話す必要はない。
「あの人と、あの人の組織の目的が知りたいんです。『何をしてきたか』はもう分かっている。でも、『何のために』が分からない。……何か、聞いたことはありますか」
そう問うと、見定めるような不躾な視線で睨まれた。目をそらすことなくまっすぐ見つめ返すと、ため息を一つこぼして口を開いた。ことのほかすんなりと答えてくれるようであった。
「兵器工場の破壊と、武器の流通経路を潰して回っていた。それは知ってるんだよな」
「はい。どうしてわざわざそんなことを? 敵対している組織の弱体化が狙いですか? それにしては遠回しなような……」
いろいろな可能性を考えてみたものの、納得のいくような答えは出なかった。
「遠回しでも何でもない。あの組織にとってはあれが最短距離だ」
どこか投げやりに答えられ、怪訝に思うが黙って続きを待つ。
「あの人の目的は、テロの被害を少しでも縮小することだ。民間人が巻き込まれた時、被害が大きくならないように、公権力以外が持つ武器を極力減らそうとしたんだ」
よどみなく答えられ、一瞬何を言われたのか分からなかった。だって、アスタリスクはテロ組織で、それが、民間人のために? 驚きを隠せずにいると、ぶっきらぼうに「嘘じゃない。本人から聞いたことだ」と言われた。
「でも……そんな方法で、実際に被害は減るんですか」
「確かめたことはないな。被害の調査とか、国でもなきゃ難しいだろ」
どうにか絞り出した疑問もあっさり空振りして、いよいよ困ってしまう。アスタリスクが襲撃した工場が、潰した流通ルートが、もしも変わらずに動き続けていたら? 具体的な数字を出すのは難しいだろう。
「あんたら武装官はコトが起きてからじゃなきゃ動けない。警邏隊はテロの予防が目的だが、それだってすべてに対応できるわけじゃない。だったら少しずつでも元を断つしかない。それがセキさんの考えだった」
深いため息。セキがこの人を頼っていた期間はそれほど長くはないはずなのに、そこには確固たる信頼関係があるように見えた。
「無謀な話だ。でもあの人はそれを続けていた。それを続けられるだけの人材と作戦があった……」
もう何もかも、終わったことだがな。そう、静かな声で締めくくられて……俺は、相手と自分を隔てる透明な壁をやるせない思いで見つめた。
「セキは、どうしてそこまでしなくちゃいけなかったんだろう」
ぽつりとこぼれた疑問を、その人はきちんと拾って考え込んでくれたらしい。瞼がそっと伏せられて、しばし沈黙が流れた。
「本人が自分の行動についてどう思っていたかは知らん。……だが、あの人は、何か焦っていたように俺には見えた」
「焦り、ですか……それは、何に対してのものですか」
「さあな。聞いたこともないし……知ってるやつが多いとも思えん」
焦り。それこそ、俺の前では見せようとしなかったものだろう。常に穏やかで、慌てず騒がず冷静沈着。……その態度の奥に何があったかなど、考えようともしなかった。
うつむいて考えこむ俺に、今度は問いが投げかけられた。
「あんた、結構若く見えるが……いくつなんだ?」
「十九、です」
この手の質問は苦手だ。この仕事にとって若さに価値などなく、経験の浅さで甘く見られたりするばかりだ。嘘をついても意味もないので短く答えて、何言われても気にしやしないと身構える。しかし予想は裏切られて、納得したように頷くその表情に侮りなんて一切なかった。
「あの人が守りたかったのは、あんたみたいな若い人の未来だ。……そんな相手に、焦ってるとこなんか見せたいはずもない」
そんな風に微笑まれて、驚きにぽかんと口を開く。若い人の、未来。そこに俺が含まれている、ということなのか、つまり。
「……考えたことも、なかった。俺は、ずっと、守る側だと」
ついこぼれてしまった言葉は、しかし本心だった。学校を出てから、何もかも自分でやらなくてはと、こんな時代頼れるのなんか己くらいだと思っていたのに。よくよく考えれば、相談に乗ってくれたことが、きっと若い誰かのための無償の行為でしかなくて。同じことだったのだ、あの人にとっては。俺の悩みを聞いていたのも、兵器を鉄くずに変えるのも。それが少し歪んでしまって、あの人はこの壁の内側にいる。
話を聞いて分かったような、それでいてまた分からなくなったような……と、そこまで考えてハッとする。あくまで捜査の延長線という名目で来たのに、個人的な付き合いがあると見抜かれている……? 狼狽えて相手を見てみれば、いかにも面白いものを見たとでも言いたげに目を細めている。やらかした。
「城戸隊員、時間です」
奇跡的なタイミングで声がかかり、半分縋りつくようにしてそれに答える。立ち上がりざまにしたたか膝を打って、本当にどこまでもうまくいかない。
「……いろいろ、ありがとうございました」
そう言って、きちんと頭を下げる。よっぽどのことがなければ、もう二度と会うこともないだろう。そう思うと不思議な縁だった。
「不確定要素はなくなったかよ」
自分の言った建前をすっかり忘れていて、一瞬怪訝な顔をしてしまう。慌てて無表情を取り繕って、答える声は我ながら随分と情けないものだった。
「……余計、分からなくなった気がします」
「はは、そうかもな。……まあ、いろいろ頑張れや」
別れの言葉は朗らかで、なんだか不思議な気分だった。塀の中と外、内側と外側について思いを馳せる。罪を犯しても人は人のままだ。法の穴を潜り抜けて、弱者を食い物にする人だっている。善と悪など、絶対的なものはきっとどこにもないんだろう。
閉ざされた扉を振り返り、自分の手のひらに視線を落とす。気づかれてはいなかったが、三か月前にあの人を取り押さえたのは他ならぬ俺だった。激しくもがくその腕をつかみ地面に押しつけた、そのことさえ今日会ってしばらくしてから気づいたんだから、その時の感触なんて、覚えているはずもなかった。
暇を見つければ駐屯地内の図書館で異能について調べていた。教本に専門用語が出るたびにいちいち検索して、意味を調べて後から見られるようにする。そうしてまた教本に戻る。その繰り返し。意味が分かれば面白いが、面白いに辿り着くまでがただ長い。
セキとその仲間が作った、異能の妨害装置。あれの原理を今いろいろ調べているそうなのだが、俺も少しは理解できた方がいいかと思って、何冊か本を手に取ってみたんだけど……単語の意味は分かるものの、文章としてはさっぱり入ってこない。
「やっぱり付け焼き刃の知識で分かるものでもないよな……でも、どうしよう」
積んである本の中で頭を抱えていると、ふっと背後に人の気配。敵意もなさそうなのでのろのろ振り向くと、思っていたより近い位置で柔らかな髪が揺れていた。
「何してるの?」
「
安孫子イルカさん。圭太郎と同級生の、武装隊の整備員だ。俺の装備もよくお世話になっている。俺のだけ機構の損耗が激しいと、圭太郎がよく愚痴られているらしい。
「ちょっと、自習中です」
「随分難しいの読んでるのね」
積んであった本を一冊もってぱらぱらとめくった安孫子さんが、雑多な書き込みでぐちゃぐちゃのノートを見て片方の眉を吊り上げる。
「もっと簡単そうなのから読んだら? なんなら何冊か見繕ってきてあげるけど」
「え……でも、いいんですか? お休みなのに」
「休みなのはあなたもでしょ? 気にしないで、ちょうど暇だったの」
そう言ってさっさと本棚の方に行ってしまったので、教本の目次をぼんやりと目で追っていると、三冊ほど抱えて安孫子さんが戻ってきた。
「これは基本的な理論の解説書。こっちが実際に起きた事例とその対処法。最後のこれが用語辞典。ネットで調べるのもいいけど、こっちは同じ出版社から逆引き辞典出てるから」
立て板に水の説明にこくこくと首を縦に振る。難しいのはそれ分かってからの方がいいよ、と説明を聞いていると、高校の授業を思い出した。まだ二年もたっていないのに、懐かしいように思えるのが不思議だ。
安孫子さんはそのまま隣の席に座って、俺が読むのを諦めた本に手を伸ばしている。……いやいや、ちょっと待ってほしい。
「なんか、調べものとかがあったんじゃないんですか?」
「え? うーん」
安孫子さんはあいまいに首を傾げ、そのまま口を閉ざしてしまった。……なんだろう。答えてくれるつもりはないのか、そのまま黙り込んでしまった安孫子さんを気にしつつ、持ってきてもらった教本を開く。
「……圭太郎が、休みの間もずっと忙しそうだと思ったら。なんか問題児の世話焼いてるって聞くじゃない。だからどんな悪いことしてんのか見てやろうと思って」
本に目を落としてこちらを見ないまま、安孫子さんがぼそぼそとこぼす。
「そしたら、学生みたいにいっぱい本抱えて唸ってるものだからなんだか拍子抜けしちゃった。今、いくつなんだっけ?」
「十九、です」
答えると安孫子さんは目を見張って、俺の顔をまじまじ見つめてきた。穴が開きそうなくらいの視線にたじろぐ。
「そういえばそっか。成人もまだなのね」
「あと半年くらいです」
そっか、とこぼした声が、なんだか労わるみたいに優しい。少し気恥しいような気分で目をそらし、渡された本をぺらぺらめくる。専門用語に注がついてて分かりやすい。そのまま会話が途切れて、お互い黙りこんでしまった。
「…………」
頬杖をついて物憂げな視線をこちらに向ける安孫子さんを見つめ返す。信用されていないのにはもう慣れてしまったが、それが弁解をしない理由にはならない。
「俺がしていることは、良いことじゃないのは分かっています。でも、悪いことだとは思えないんです」
「良い悪いを判断するなら、あなたより無関係の第三者の方が公平に見られるでしょうね」
ぴしゃりと言われ、反論の言葉もなく口をつぐむ。また、自分が冷静じゃないことを忘れている。うつむくと落ち込んでいると勘違いされたのか、慌てたような謝罪をされる。
「ごめんね。厳しいこと言って」
「いいんです。そうやって面と向かって言ってくれる人の方が貴重ですから」
そう言って笑うと、少し困ったような顔をされてしまった。そんな変なこと言っただろうか。安孫子さんは時計に視線をやって、図書館の出口の方を指さした。
「ちょっと休憩したら? ジュースおごってあげようか」
「え? いや、嬉しいですけど……いいんですか?」
「いいのいいの。武装官とつるむ機会ってあんまりないしね」
そう言って図書館の外に連れ出され、二人並んでベンチに座る。俺が買ったのはアイスココアで、安孫子さんは小さなペットボトルのレモンティーを手のひらで転がしている。
「圭太郎には内緒ね」
「構いませんけど、どうして?」
浮いた話には疎いけど、圭太郎と安孫子さんが付き合ってるのは知っている。別に、嫉妬なんかするわけでもないだろうに。お互いやましいことのない、十分もないくらいのやり取り、それだけだ。説明したって「へえ」と一声で済まされそうな些細なことだ。首を傾げると安孫子さんは心底おかしそうに笑った。
「あいつが私に黙ってたのに、私はあいつに話さなくちゃいけないのって不公平でしょ」
そういたずらっぽくウインクされて、つられてなんだか笑ってしまった。人付き合いには、そういう考え方もあるらしい。そのまま、他愛もない話をした。仕事の話がほとんどで、共通点なんかそこしかないんだから当たり前だ。お互い飲み物が半分に減ったくらいで、安孫子さんは立ち上がって「そろそろ行くね」と微笑んだ。
「事情は、深くは聞かないでおく。悪いことするつもりはないんでしょ?」
「知りたいことがあるだけで、何か企んでるわけじゃありません。……いいんですか?」
「私にできることなんてたかが知れてるしね」
肩をすくめて苦笑する姿に諦念のようなものさえ感じてうろたえる。そんなこと、ともごもご口の中で呟いて、結局それらしいことも言えずに項垂れる。
「その……沢村さんのことも、すみません。休みの時間とか、ずっと手伝ってもらってて」
甘えてしまっている自覚はある。仕事面でフォローしてもらっていることも多いのに、まさかこんなことになるとは思っていなかったから……というのは言い訳でしかない。そう言うと安孫子さんは何がおかしいのか、とうとう声をあげて笑った。
「圭太郎はやりたいようにやってるよ。私が勝手に拗ねてるだけだから」
からりとした笑みが、かえっていたたまれない。何を言ったものか分からずまごついていると、安孫子さんは考え込むように視線を落とし、ペットボトルを軽く揺らした。
「武装官で一番若いのは城戸くんだけどさ、圭太郎だってあそこだと結構な若手なんだよね」
それは知っている。専門校で学びながら訓練を積み、試験を受けてようやく武装官になれる。その手口をほとんど最速で突破したのが圭太郎だ。正規の手順を踏んだとは言えない俺の昇進は、認められているとはいえ……正直、ちょっと負い目はある。
「ああ見えて結構お堅いところあるでしょ? そういうところが、年上の人たちと合わないって思うこともあるみたい」
「そう、なんですか?」
ほんの少し顎を引いただけの頷きに目を丸くする。圭太郎は俺と違ってうまく立ち回っているものと思っていた。……見たままが全てなはずもないのに、いつもそのことを忘れてしまう。レモンティーの香りが鼻先をかすめて、安孫子さんの方を窺うとどこか遠くを見ているみたいだった。
「自分一人で何でもできます、みたいな顔してた年下の同期が頼ってくれるの、結構嬉しいみたい。だからさ、付き合ってやると思っていろいろ頼りにしてあげて」
「……ありがとう、ございます」
さっぱりとした笑みに、自然と頭が下がる。何もかも自分一人で、なんて。思い上がりもいいとこだ。小さな手に力強く肩を叩かれて、圭太郎がいつかしみじみと言っていたことを思い出す。
『どんなに異能が優れていようが、武装がなきゃそのへんのごろつきと変わらない。俺たちは守っているはずの、あの手に生かされているんだよ』
細い指、白い腕、肉付きの薄いその体。守るはずが守られている、互い違いの関係性。一瞬その姿に今は会えない人の姿が重なって、流石に恋しがりすぎだろう、という自嘲を甘いココアで飲み下した。
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