第14話 おれたちはともだち 前編

 虫を追い払うみたいに頭の上を手で払えば、そこそこ大きめの瓦礫が手の甲にぶつかった感触がした。全身装甲で覆われているとはいえ、こういう現場はこれだから厄介だ。ばらばらと降り注ぐ砂礫が煩わしいけど、戻るわけにもいかない。瓦礫を乗り越え、崩れた建物の陰に人影を探す。避難しそこなった一般人か、この騒動の原因であるテロリストが、身を潜めているはずだ。

「誰か、誰かいませんか!」

 瓦礫をどかし、声を張り上げる。スピーカーを通して響き渡る声に、はっきりとした返事はない。それでも足を止めて注意深くあたりを見回す。声も出せない状態でいる可能性もなくはないのだ。

 背後で微かな音がした。砂利を踏む音だ、と気づいた時点で振り返り、振りかぶられた斧の柄をつかむ。目出し帽で隠された顔で唯一見える目が驚きに見開かれるのを見て、ほっと溜息をついた。怪我をしている様子もなく、向けられる殺意も明瞭だ。テロリストで間違いない。ついでに受け止めた斧を見るとどうやら既製品ではなさそうだ。材質はコンクリートのようなもので、瓦礫を変質させて作ったものと見た。それでも刃の部分はやたらと切れ味がよさそうで、その出来の良さに感服する。今回テロを起こした組織の異能者にそんなことができるやつがいた、気がする。

「よかった。逃げ遅れた人じゃなくて」

 掴んだ斧を体に引き寄せ、体の回転に巻き込むようにして足を払う。倒れこんだ襲撃者の目出し帽を剥ぎとって顔を覗き込むと、武装に搭載されたカメラが指名手配犯の写真と照合してくれる。予測はあたり、今回のテロの主犯格で間違いないようだ。手早く手錠をかけて、暴れる男を地面に転がす。まずは一人確保……と連絡を入れようとしたところで、咄嗟に頭を下げる。

「うおぉっ!」

 気合と共にすさまじい勢いで飛んできた、頭一つ分くらいの大きさの瓦礫をよける。別の方向からも飛んできて、転がったままの男を引っ張り物陰に隠れた。武装があっても無事ではすまなさそうな勢いだったが、当たらなければどうってことない。しかし二対一か。相手は飛び道具が使えて、こっちはすでに捕まえた奴に逃げられないようにしなくてはならない。こういうときのために隊列を組むんじゃなかったっけ、とぼんやり思ったが、それを今言っても仕方がない。ここには俺しかいないのだ。

 仕事してる上で頼りになるのなんか自分くらいだ。自分に何度も言い聞かせてきたことを、また頭の中で繰り返す。

「それっ!」

 足元に転がしてあった男を拾い上げ、人影に向かって放り投げる。そのまま低い姿勢で、もう片方の人影に向かって飛ぶ。体当たりした勢いで、瓦礫だらけの地面を転がる。

 コの字型に歪めた鉄材で首を押さえつけ、その動きを縫い留める。本当は手足も同じようにしてしまいたいが、そこまでは手が回らない。背後で足音が遠ざかる。

「逃がすかっ!」

 唯一携帯を許されている特殊警棒を振り向きざまにぶん投げる。うまいこと足に絡まって転んだところを取り押さえた。一人でバタバタして、全くうまくいかない。

「動くな。抵抗するな。逃げ場なんてどこにもない」

 できる限り威圧的な声を出す。俺に不利な状況であることを思い出させないように、低く自信に満ちた声を。

「ビルの倒壊の可能性がある。死にたくなければ大人しくしてくれ」

 建物が崩れてはこんな大捕り物も全く無意味になってしまう。拘束した三人を一か所に集め、伏兵がいないことを確認して隊長に報告する。

「化物かよ、チクショウ……」

 実によくある捨て台詞だ。武装官になってから何回聞いたかも覚えていない。応援を呼んで、顔を覆うシールドを持ち上げた。こもった熱が逃げていき、風が吹き込んでくるのが気持ちいい。

 と、何かぶつぶつ言っていた一人が俺の顔を見て驚いたような声を上げた。

「お前、知ってるぞ。城戸龍一きどりゅういちだろ、最年少武装官の」

「俺も聞いたことあるぞ! まだ二十歳にもなってねえんだよな」

「……だったら何だ」

 嫌な展開だ。この手の輩に年齢がばれてるという状況で、愉快な思いをしたためしがない。予想を裏切らず男はぐちゃりと顔を歪めて、口汚く罵った。

「国から大層なオモチャもらってよかったなぁ、クソガキ。お前みたいな正義を勘違いした馬鹿のせいで、クソみたいな社会になったんだろうが!」

 聞いたことのあるようなことをわめく男を、大した感慨もなく見下ろす。こういう嘲笑に傷つくように見られてしまうのは、年齢のせいなのかそれとも童顔のせいなのか。体つき? 経験のなさ? どれもすぐにはどうしようもないことばかりだが。

「……そのガキに手も足も出なかったのは誰だよ」

 ぼそりと吐き捨てると、逆上したテロリストが罵詈雑言をまき散らす。聞くに堪えない、とシールドを下ろし、隊長早く来てくれないかな、と現実逃避のように思った。拘束されて抵抗できない相手を無理に黙らせるわけにもいかない。武力行使を認められているが、言葉で嬲られるとどうも抵抗できないのが、武装官の悲しいところだ。俺がうまく言い返せないのもあるけど。

 と、遠くでサイレンが鳴り響くのが聞こえた。捜索から現場処理に切り替わる合図だ。元凶を捕まえたところで、まだまだ仕事は終わらないのである。


「まだいたのかよ」

 背後からかけられた声に振り向くと、年上の同期が呆れた顔で立っていた。沢村圭太郎さわむらけいたろう、二十四歳。俺より少し前に武装隊に入り、一緒に研修を受けた仲だ。今は別々の隊に配属になってしまったが、何かと気にかけてくれている。

「うん。でも今終わったとこだから」

「そうかい」

 隣の席にどっかり腰掛け、圭太郎は持っていた荷物を置いた。重たげな音がする。

「言われてた資料借りといたぞ。返すときは俺の部屋に置いてくれればいいから」

「ありがとう。本当は俺が行ければいいんだけど……」

 そう苦笑すると、圭太郎は俺の手元に視線をやって眉根を寄せた。今まで書いていた報告書が、いつものように押しつけられたものだと分かったのだろう。読みたい資料はあるものの、図書館が開いている時間までに仕事を終わらせることができないのだ。

「気にすんな。今日は忙しかったし」

 ひらひら手を振って、圭太郎は背もたれを軋ませる。

「そういや大活躍だったそうだな? 六十二番隊」

「たまたまだよ。一人で放り出されて大変だったんだから」

 そう言うと圭太郎は顔をしかめ、俺に手を差し出した。何だろ、と見つめると、「それ貸せ」と報告書を指さす。

「俺の聞いていた話と違うぞ。また手柄を横取りされたか」

 そんなことだろうと思ったが、と苦々しく吐き捨て、厳しい視線が紙の上を走る。みるみる眉間の皺が深くなり、じろりと睨まれた。

「……怒った?」

「……呆れてるんだよ」

 圭太郎はため息をこぼして、報告書をぐいと押しつけてきた。借りてきてもらった本に手を伸ばすと、「先にそれ出してこい」と言われた。どうやら俺が帰るまで待っていてくれるらしい。報告書を出してきて、荷物をまとめていると軽く肩を叩かれる。

「とりあえず今日はもう休めよ。また本に折り目つけられても困る」

 借りてきてもらった本をベッドで読みながら寝てしまった時のことを言われて顔が引きつる。しょうがないだろ、あの時は疲れてたし、でも早く読まなきゃいけなかったから、とぶつくさ言うと圭太郎は肩を揺らして笑った。

 お互い寮で暮らしているが、部屋がある階が違う。持ってくれていた本を受け取り、「おやすみ」と別れようとしたところで呼び止められた。

「……なあ、本当に異動願出さなくていいのか? 証拠集めて出したら一発で通るぞ?」

「いいよ別に。そうしたら新しく来た人が困るだけだろうし」

 そんないつもと変わらない返事に、圭太郎は何か言いたげな顔をして、結局何も言わずに背を向ける。最後に一度だけ振り向いて、物憂げな顔で小さく言い足した。

「気が変わったらすぐ言えよ」

「わかってるよ、ありがとう」

 笑って手を振ると、怒ったような背中が遠ざかっていった。貸してもらった本を抱えなおし、部屋の鍵を開ける。

 シャワーを浴びて髪を乾かしているうちに、どんどん眠たくなってきた。どうにか本だけは整理しようとして、すぐ読めるように机の上に積んだ。机の横に貼ってある新聞の切り抜きを見るともなしに見て、深いため息をつく。今日も疲れた。

『異能テロリスト十五人殺害 犯人は死んだはずの男!?』

 センセーショナルな見出しも、犯人の写真もいつ見たって変わることはない。俺が知っているのより、少しだけ若いその写真は、四角い枠の中から穏やかな表情でこちらを見ている。多分、二十代前半の時の写真なんだろう。

 その犯人の名前は木村優。二十八歳。戸籍の上では二十四歳で亡くなったことになっているが、何らかの手段を使って自分が死んだように見せかけた。そうして名前もないまま四年間、『アスタリスク』という組織で活動を続けていたのだという。

「……セキ」

 俺にそう呼ぶように言ったその人が、テロリストだったことを知ったのはつい最近のことだ。俺も本名ではなく、名前の頭文字を取っただけのニックネームでアールと名乗っていた。SNSで知り合って何度か会っただけの、お互いの本名も仕事も住む場所も知らないような間柄だった。セキが……木村優が逮捕されて、俺がその知り合いであると判明したときは大騒ぎになったが、俺が一番困惑している。調査が一通り終わっても、俺は自分なりにいろいろと調べて回っていた。圭太郎に借りてきてもらった本もそのうちの一つ。少しくらい目を通してから寝ようかと思ったけど……明日でいいや、と布団に潜り込む。夢も見ないような、深い眠りが欲しかった。


 事件現場には俺も居合わせたのだ。テロリスト同士の抗争と通報があって、武装隊は厳戒態勢で駆け付けた。しかし現場は静まり返って、破壊の痕跡こそあれ何もかも終わった後のようで、血の匂いばかり濃厚な現場に誰もが首を傾げた。

 異能者同士の抗争となれば、能力のぶつかり合いで破壊がまき散らされるのが常で、どんなに小さな規模であろうが壁が崩れたり、火事になったりと建物への影響は免れない。それなのに不気味なほどに損傷はなかった。机や椅子がひっくり返され、書類棚が倒された、ただの強盗が金目のものを見つけられず八つ当たりに荒らしていっただけのオフィスのような、そんな景色に時折どす黒い赤が散っていた。

「異能の痕跡がない……?」

 誰が呟いたのかも分からなかったが、その場の全員の疑問だっただろう。死体を確認すると、鋭利な刃物に急所を刺されて死んでいる。持っている能力にもよるが、人を殺すのに刃物を使う必要なんてないのだ。

 血の跡を追っては死体を見つけ、報告する。残党がいるかもしれないので警戒は怠らない。血みどろではあるものの、死体は損傷が少なくて身元の確認が顔写真の照合だけで済んだ。指名手配されるような厄介なテロリストが、こんな風に死んでいることは珍しかった。

 命じられて赤い靴跡を辿って歩く。歩幅は小さく、まっすぐ歩けていない。逃げようとしたのだろうか。だが向かっているのは出口の方ではなく、それに迷った風にも見えない。廊下を歩いて、曲がった先にある部屋の扉が開けっ放しになっている。血は乾いていないから、生きている可能性はゼロじゃない……気を引き締めて、慎重に部屋の中を覗き込む。

 その日は快晴だった。大きな窓から日が差し込んで、部屋の中を照らしている。整頓された室内には大きな鉢植えが置いてある。見たこともないはずの部屋に妙な既視感を覚えて、軽く眉をひそめながら部屋の中を見回す。赤い靴跡の終着点に、人が一人、鉢植えを抱え込むようにして座り込んでいた。

 壁にもたれてうずくまる背中が、ほんのかすかに震えている。だらりと投げ出された腕の先、指先に引っかかるようにして赤黒い血のついたナイフが床に傷をつけていた。息がある。それだけで緊張感が高まり、意識してゆっくりと息を吐いた。

「武器をこっちに渡すんだ」

 そう声をかけると、人影は億劫そうに身をよじる。かすれたうめき声が誰かに似ていて、もっと言えばその背中に見覚えがあるような気がしてしまうのが恐ろしかった。振り向いたその顔を見て、その恐怖が気のせいでなかったことを知る。

「……セキ?」

 髪をバッサリと切られ、殴られたのか瞼が腫れている。しかしそんなことだけで見間違えるはずもなかった。優しい笑みばかりが印象的なその人から、きつい血の匂いがしていることに頭が真っ白になった。ゆっくりとした瞬きのあとに、俺の動揺を見透かしたみたいに唇がゆっくりと笑みの形を作る。どうして、どうしてこんなところに。何でこんな怪我を! そんな問いかけも口から出せないでいるうちに、手からナイフが滑り落ちた。目は閉じられて、呼吸はひどく弱々しい。一瞬何が起きたか分からず、我に返って慌てて通信を繋ぐ。

「生存者発見!」

 武装官としての経験の積み重ねが、後は全てを済ませてくれた。応急処置と事後処理に奔走している間、ずっと同じ疑問が頭の中を占めていた。

 どうしてあんなところにいたんですか。どうしてあなたが凶器を持っていたんですか。異能を持たないあなたが何故あんな多くの異能者を殺せたんだ。……どうしてあんな状況で、笑っていられたんだ。答えが返ってこないことを知りながら、頭と体がバラバラに動いていた。

 俺が思っていた以上に、この事件は世間を震撼させたらしい。異能力を持たないアーキタイプと呼ばれる人によっての異能者の殺害。そこには一つのカラクリがあって、あのビルには異能を無効化する機械が作動していたそうなのだ。俺たちが突入したときは異能を使う機会がなかったので気づかなかったのだが、どうやらテロリストたちは異能を封じられパニックになったところを一人一人殺されていったようだ。

 俺がその凶悪犯罪者と友人であることは、武装隊の中ですぐに噂になった。事情聴取が繰り返され、SNSもくまなく調べられ、出会ったときのことをできる限り再現させられと、まるきり犯罪者の扱いである。連日遅くまで拘束され、ようやく解放されたと思えば仕事を押しつけられて流石に疲弊していた。

 随分と久しぶりに思える休みの日。一日中寝ていようかと思ったけど、ふと思い立って身支度をする。セキに何があったのか、聞きに行かなくてはならないと思ったのだ。どうしてあんな事件を起こしたのか。どうしてテロリストなんてやっていたのか。面会に必要な手続きを調べて拘留所を訪れた。

「木村優さんとの面会は現在認められておりません」

 そんなことを言われるとは思っておらず、どうにか出た声は「そうだったんですか」と、それだけだった。頭を下げて、その場を後にする。

 気落ちして寮へと帰ったところを、同じ隊の先輩に物影に引っ張り込まれた。

「なんっ……」

 言葉もなく拳が飛んでくる。壁に押しつけられ、厄介なことになった、と顔を歪める。

「なんですか、今日は」

「なんですかァ? じゃねえんだよ城戸。お前、今日どこに行ってた?」

「警邏隊の、拘留所です」

 帰ってきたばかりのところを捕まったということは、多分後をつけられていたのだろう。普段なら気づくのに、と自分の不調を今更呪う。

「お前、木村優とダチだったんだってな? 何か隊の情報漏らしたんだろ、吐け」

「そんなことはしていません。捜査資料を見てもらえれば分かります」

「どうだかな。見つけたのはお前なんだし、口裏合わせなんかその時できるだろ」

「取り調べのプロを騙すほど嘘は得意じゃありません」

「はは、あくまでしらばっくれんのか? じゃあ、それを今から、確かめてやるってんだよ!」

 いつもだったらやられたフリもできるんだけど、今日は本当に疲れていた。殴られて倒れこんだところを、踏みつけられて声を漏らす。頭を庇い、床を転がる。

 本当に武装官になったばかりの頃のことだ。こんな風に暴力を振るわれた時、聞いてみたことがある。俺が何かしたんなら言ってください、直しますから。その言葉に返ってきたのは嘲笑で、じゃあやめちまえよお前、と吐き捨てられただけだった。じゃあ辞めますともいかず、かといって抵抗することに意味も見出せず、そのままにしてある。

 別にセキのことがなくたって、同じように殴られただろう。暴力にそれらしい理由がついた分、いつもより生き生きしているように見えた。

 先輩たちが去ったあとも、倒れたままうつらうつらと舟をこぐ。夢には知っている人たちが現れては消えて、何かを言っているのだがよく聞きとれないな、と思っていると、頭の中に響く声が少しずつ意味を持ち始めた。

「……い、……きろ! 大……か!」

「ん……けいたろ……?」

「龍一! おい、大丈夫か? 畜生、立てるか?」

 焦った顔の圭太郎が、肩を掴んで揺さぶっている。

「どうしたんだよ、立てねえくらいやられたのか? どこが痛いんだ?」

「いや……それもあるけど、疲れて、眠くて……」

 目をこすり、大きく欠伸をする。呆気にとられた圭太郎に、その辺に毛布ない? と聞くと、あるわけねーだろと怒られた。そのまま医務室まで引きずられて手当てを受けると、ようやく頭がはっきりしてきた。無言で救急箱を片付ける圭太郎の背中に声をかける。

「圭太郎」

「なんだよ」

「今……っていうか、この先忙しかったりする?」

「随分曖昧な質問だな」

「ちょっと、手伝ってほしいことがあって。無理そうならいいけど」

 振り向いた圭太郎は険しい顔をしていて、これは駄目なやつかな、と少し落胆する。

「忙しいわけじゃない。が、暇ってわけでもない」

「うん」

 じゃあしょうがないね、と言いかけたところでがしりと肩を掴まれる。

「何を手伝ってほしいのか、大体想像はつく。こんな状況で放っておくわけにもいかねえ。いいか、どんな些細なことでも分からなかったらすぐに聞け。抱え込もうとするな。分かったことはできる限り共有しろ。いいな?」

 立て板に水とまくしたてられ、かくかくと首を縦に振る。表情は険しいままだが、その言葉には棘がない。

「ありがとう」

「……まだ何もしてないうちから礼なんか言うな」

 そっけなく言われ、よく分からないまま頷く。その後は寮まで一緒に戻り、部屋の前で別れた。

 圭太郎は翌日から手伝いを申し出てくれた。どこから手を付けたものか分からなかったのですごく助かる。

「とりあえず、その組織について知るのがいいかもしれねえな。新聞のデータベースあったろ、あれ探せ」

 そうして得られたアスタリスクに関する情報は少なかった。組織名で検索すると関係のない記事を引っかけやすく、木村優で調べるとあの殺人事件の記事しか出てこない。事件のこともあってアクセスできる情報がかなり減ってしまった俺の端末を憐れんでくれた圭太郎は、武装隊のデータベースで得られた情報を見せてくれた。危険度の低いアスタリスクは小さな規模の、ある種類の施設や関係者しか狙わないテロリストであることしか示してはくれなかった。気を利かせてくれた圭太郎が、セキに殺されたテロリストたちについても調べてくれたが、これもよくある犯罪者集団であるだけだ。知りたいことにつながってくれないもどかしさに歯噛みする。

 次に、SNSを探してみることにした。俺のアカウントは消されてしまったが、簡単に新しく作り直せる。その手軽さがそのサービスの売りでもあった。念のため、圭太郎の携帯を貸してもらって新しく作り直した。

 セキは、植物に関する情報発信をよくしていた。俺が撮った珍しい花の写真に反応してくれたのがきっかけで親しくなったんだ。本当に、テロリストとは思えない趣味である。

 事件の日以降、セキのアカウントの更新は止まっている。当たり前のことなのについ落胆してしまって、それでも何かないかと探し回っているうち、一つのアカウントを見つけた。何のコメントもつけず写真だけをアップロードしている、よく分からないアカウント。妙に引っかかる、と思いながら流し見て、結局分からずセキのアカウントまで戻り……気づいた。気づいてしまった。既視感のある花壇、見たことのある景色、そして極めつけは、テープで飾り付けたジョウロなどの園芸用品。

 同じものを、アングルと時間帯を変えて写した写真だ! そう気づいたとき、ぞくりと背筋が粟立った。二、三枚くらいなら偶然と言えなくもないけど、十枚二十枚と同じものが続き、投稿する順番もセキのアカウントの投稿順をなぞっている。怪しいことこの上ない。

 とりあえず様子見で、写真の感想をメッセージとして送る。正直うまいとは思っていないんだけど、どこで撮った写真なのかを聞きだすくらいはしたい。

 翌日の仕事終わり、圭太郎に呼び出されて部屋まで行くと、携帯を投げてよこされる。作らせてもらったアカウントに通知が一つ、例の不審な写真の投稿者からだった。

『違ったら悪いな。あんた、城戸龍一だろ』

 予想もしていなかったメッセージに息を呑む。一瞬迷って、返事を打つ。藁でも何でもつかみたいくらいなのだ、この機会を逃して次の情報を得られるかは分からない。

『そうです』

 それだけを打って待つと、すぐに返事が来た。

『セキのことを調べたくてこのアカウントを見つけたんだな』

『はい。あなたは一体何者なんですか』

 レスポンスがしばらく止まって、じりじりとした気分で答えを待つ。

『弟だ』

 弟? セキこと木村優は一人っ子だったと聞いている。質問を打ち込む前に素早く次のメッセージが来た。

『ショウと呼ばれている。俺の質問に答えてくれたら、あんたの質問にも答えよう』

 唐突な取引に、一瞬息を詰める。ちらりと圭太郎のいる方を見ると、視線をさりげなく逸らされた。何かあったと、気づかれている。そのうえで、見ないふりをしてくれようとしてくれているのだ。聞かれたら答えるつもりでいた分、少し拍子抜けしてしまう。

『あんたの話は少しは聞いている。調べもした。歴代最年少武装官。生みの親は不明、施設育ち、高校卒業後すぐに警邏隊に入隊、その後半年で武装隊への転身……異例の経歴だ』

 調べればすぐわかることだ、揺さぶられるなと自分に言い聞かせる。何が目的か分からない以上、慎重にやらないと墓穴を掘ることになる。

『あんたはセキを捕まえるために、あいつと交流したわけではないんだな?』

「そんなわけない!」

 反射で叫んでしまってから、慌てて口をふさぐ。圭太郎は一瞬振り返り、イヤホンを指さすとひらひらと手を振った。本当に迂闊で申し訳ない。

『違います。セキさんの素性を知ったのは逮捕された後のことです』

『そうだろうよ。じゃなきゃ小悪党にプライベートな相談なんてするはずもない』

 どこまで筒抜けなんだろう、と一瞬背筋が寒くなった。何を話したか思い返して不安になっていると、『何か聞きたいことは?』と問われ、慌てて考え込む。

『いつから、このアカウントを動かしていたんです』

『セキが逮捕された次の日からだ。待ちわびたぞ、ご友人』

『俺を、待っていたんですか?』

『当然だ。俺はあいつが心配だった。また会えるかどうかも分からん。藁にだって縋りたくもなる』

 素早い返事に、胸が詰まるようだった。

『すみません』

『謝ってもらうようなことじゃない。分の悪い賭けに勝ったんだ、むしろ普段より機嫌がいい』

 軽い調子に、もしかしてこの人変な人なのもかしれないな、と失礼なことが頭をよぎった。気づかれるかどうかも分からない不確定な手段を取ることといい、こっちを武装官と知りながら妙にフランクな態度といい……。なんだか気が抜けて、次の質問を投げる。

『セキは俺のことをどんな風に言ってました?』

『年下の友人、意外と繊細、それなのにやたらタフ、いろいろ複雑、でも素直で優しい……くらいだな、俺が聞いたのは』

 思いのほか好意的な単語の羅列にひっそり顔を赤らめる。多分嫌われてはいなかったとは思うけれど、まさかそんな風に思われていたなんて……。

『本当に聞きたいのはそういうことじゃないんだろ』

 そんな一文にどこまでも見透かされている気がしてしまって、手が止まる。

『アスタリスクからすれば、武装官の情報なんか持ってたところで何の意味もない。独立してやっていたから情報の横流しなんかもしていないし、そもそも俺以外の奴はあんたの名前も聞いてないだろう。セキはあんたを友人以外として見たことはない。それは俺が保証しよう』

 その文面をじっと見つめる。肩から荷が下りたような、抱いていた石を下ろしたような、そんな痛みが消えるような安堵があった。

『じゃあ、次の質問です。セキがテロリストを殺した、その動機はなんなんです』

 捜査状況を見るに、セキはそのことについて全く話そうとしていないようであった。理由もなくあんな凶行に及べる人ではないと思うのに、そう断言できないのは恐ろしい。少し間をおいて、ショウは簡潔に教えてくれた。

『身内の恥をさらすようだが、別の組織と揉めてな……アスタリスクを乗っ取られそうになった。あいつはそれを嫌がって、自分一人を身代わりに阻止しようとした。どうやったかはあんたらも調べてるだろ』

 脳に働きかける装置が、建物全体に仕込まれていた。侵入者は異能をすべて無効化され、その混乱の隙をつかれて殺害された……というのが、鑑識の見解だった。セキの……木村優の供述とも一致していると聞く。

『アーキタイプでなくたって、訓練すれば戦える。あいつはそれを身をもって証明した』

 文章だけのやり取りは、相手の心情が読みにくい。会ったこともない相手なら尚更だ。誇らしいのか、悲しいのか、聞いてみたいような気もしたが、やめておいた。質問をしたら、自分もまた答えなくてはならない。

『今度はこっちから質問だ。あいつは今、どうしてる』

『留置場にいるはずですが、それ以上のことは分かりません』

『まあそうだよな。でも今にもくたばるってわけでもないんだろ?』

『はい』

『それならいい』

 端的な返事だった。それでも多分、万感の思いのこもった言葉なんだろうと思った。

『俺のことで何か言っていなかったか? 名前は出さないだろうが、いつも不機嫌だとか、偏屈だとか』

 セキとの会話を思い出してみて、わずかな心当たりを記憶から手繰り寄せる。

『機械いじりが得意な知り合いがいる、と聞きました。あなたのことですか?』

『ノーコメントだ。他には?』

『他には、あまりなかったです。自分のこともあまり話してくれませんでしたから』

『それもそうだ。誰が聞き耳立ててるか分からんからな』

 ショウはあっさりと引いて、逆にこっちが申し訳ないくらいだった。もっとセキの話を聞いていればよかったと、あまりに今更な後悔が胸に刺さる。

『これが最後の質問だ。あんたは、今もセキを友人だと思うか』

 一度読み返してみて、意図が読めずに瞬きを繰り返す。長いこと考えこむのも変だろうし、と端的なメッセージを送信した。

『俺はあの人の友達です』

 今も変わらずそうだ。俺の仕事を知りながら、自分のしていることを明かさなかった。それを裏切りとみなすのは身勝手もいいところで、セキが犯罪者だからと手のひらを返すようなことはしない。

『そうか。うん……それが知れれば、十分だ』

 この人もセキも、本当に武装官なんてどうでもいいようだ。少なからず警戒されるものだと思うんだけど、何か組織に関する情報を引き出そうとしたりとか、そういう動きが全然見られない。

『これは忠告なんだが、あいつが生きている以上、あんたは油断しない方がいい。あいつが穏やかなのは見かけだけだ』

 そんな今更なことを言われて、つい笑ってしまう。あの人は隠し事がうまい人だ――俺が鈍すぎるだけかもしれないが。何を考えているのか分からせてくれない人ではあるのだろう。それにしたってひどい言われようである。きょうだいってみんなこうなのか。

『肝に銘じます』

『素直だな、あんた』

 セキの弟か。実際に血縁関係があるのかも分からないし、こんな大胆不敵なことをする人だと思うと、一度は会ってみたいような気がしてくる。無理な話だが。

『俺も今では後ろ盾のない犯罪者、本来こういうことはしない方が賢明だ』

 その一文を読んで納得する。そう、このやり取りはお互いにとって危ない橋だ。

『分かりました。俺にはこのアカウントからあなたの居場所を突き止めることはできない。通報もしません』

『話が早くて助かる』

 画面を閉じようか一瞬迷って、結局最後に少しだけ付け加えることにした。

『待っていてくれて、ありがとうございました。どうかお元気で』

 そう送ってから、もう見ていないかもしれないな、と思った。別に構やしない、そんなこと言ったら、今やっていること、やろうとしていること全部、自己満足のためのことだ。圭太郎に端末を返そうと立ち上がりかけたとき、新しいメッセージが来た。

『セキは、あんたのそういうところがかわいくてしょうがなかったんだと思うよ』

 それが本当に最後のメッセージだった。じっとその一文だけを見つめて、深々とため息をつく。ひとまず、想定外の収穫だったといえよう。でも俺、かわいくてしょうがない、と思われていたとは思えないんだけど……? 首を傾げていると、圭太郎がベッドに寝転がったままこちらをうかがっていることに気づいた。

「大丈夫か?」

「ああ……大丈夫。今終わったところ」

「そうか。履歴消しといていいか?」

「うん……うん。大丈夫。もうアカウントも使わないと思う」

 少し惜しい気もするが、うっかり証拠を残してバレたら圭太郎まで巻き込んで今度こそ免職だ。圭太郎に端末を渡し、首を傾げる。最後の一言の意味は、どうしてもよく分からなかった。端末を机に置いた圭太郎に、ぼんやりとした口調で問う。

「かわいいってなんだったっけ」

「どうした急に。辞書引けばいいだろ」

 そういうことじゃないんだけど、とぼそぼそ言っていたら、どこから出したのか電子辞書なんか手渡され、もしかしたら悩んでいてもしょうがないことなのかもしれないな、と眠くなってきた頭でぼんやり思ったりもした。辞書は結局使わず、次の日圭太郎に返した。

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