第10話 君がぼくにくれたもの
(元号)○月×日
日記を書くことにした。フジミが言うには日記は別に義務じゃなくて、書くことがないときは飛ばしてもいいんだそうだ。ぼくの寿命はとっても長いので、一冊分「書くことがなかった」で終わってしまう可能性があった。それが避けられるなら別に書いてもいいかな、と思った。そこら辺の安いノートにでも書こうと思ったけど、フジミはどうせ長く使うんならいいものを使ったほうが安上がり、なんて難しいことを言っていい日記帳をくれた。つまり今書いてるこれだ。これを手に入れた経緯を書いてあったほうが、久しぶりに日記を書くときにいちいち思い出そうとしなくていい。
(元号)〇月〇日
日記を手に入れた経緯だけ書いて、その日何があったかを書いてなかった。ぼくはこういうとこどじだなあと思う。日記帳をもらって、何を書くかをフジミと話した。
今日はフジミがいなかったので、昼寝にちょうどいい場所を探して町を散歩した。野良猫くんや飼い犬ちゃんがいたので挨拶したよ。人と違うのが臭いで分かるらしくて胡散臭そうな顔されたのには参っちゃったな。
(元号)○月☆日
フジミの学校の宿題を手伝った。嘘だ。彼女が宿題をするのを横から見ていただけ。彼女の字、癖があるけど読みやすくていい字だ。そう言って褒めたらよくヘタクソって言われるの、なんて恥ずかしそうにしていた。ぼくはこれより下手な字なんていくらでも見てきたから気にならなかったけど。彼女の字をけなすくらいだ、周囲はよっぽど達筆なやつらの集まりなんだろう。嫌だね、細かいことにこだわって。字が綺麗の基準が高すぎるんだ。あなたはどんな字を書くの? って聞かれたから、いろいろ書いてみせたら全部違う人の字みたい、と驚いていた。時間を余らせていると、妙な芸が身につく。
*
(元号)×月▽日
今日はフジミが猫が好きだというので、町の隅の集会場に案内してやった。静かにしているんだよ、という言いつけをフジミは律義に守っていたけれど、でもうるさかったね。いや黙ってたんだけど、ずっとそわそわ落ち着きがなくて笑ってしまった。あんなに興奮したフジミを見るのは初めてだったなあ。猫くんたちから許可が下りれば、また連れて行ってやろうと思う。
(元号)×月〇日
フジミがスケッチブックを手にやってきた。そんなものを見るのは久し振りだったので珍しいねと言ってみれば、私が絵を描くのは意外かしら、なんて言われてしまって困った。そんなつもりじゃあなかったんだ、ただ久し振りに見たものだから、と言えば微笑んで、描いてあげようか、なんて言われた。丁重にお断りすると少しばかり不満そうな顔をしたけれど、ぼく、昔に「五十年前と同じ顔の男」なんて言われて絵が町中に広がって慌てて逃げだしたことがあるから、絵に描かれるの苦手なんだ。近いものでは写真の仕組みには興味があるけども、自分が撮られるのはいやかなあ。フジミにはそこまで説明しなかったけどね。人に慣れた猫くんを呼んでモデルをお願いしてみたら、喜んで僕を描こうとしてたことなんて頭から吹っ飛んじゃったみたい。助かったけどなんか複雑だ。
*
*
(元号)□月×日
今日は猫くんと一緒に犬ちゃんの出産祝いを持っていった。フジミは猫の方が好きなようだけど、こんなに可愛らしい子犬を見たら喜びのあまりとろけてしまうかもしれない。別のうちにもらわれる子もいるようなので、その前にフジミに教えてあげたいと思う。
(元号)□月〇日
最近フジミが来ない。犬ちゃんの子供はもう貰われていってしまった。彼女、忙しいのだろうか。ぼくはフジミが来ないせいでずうっと気もそぞろで、何も手につかない。
(空白) 月 日
フジミが来ない
(空白) 月 日
今日もフジミは来ない
(元号)▽月◇日
フジミが来なくなった理由が分かった。猫くんに聞いたら引っ越したのだという。しかも先月中! ぼくに何の連絡もなしに! そりゃぼくはフジミに堅苦しい挨拶をされるような間柄じゃないけれど、でも理由もわからず急に来なくなったら何かしたのかと不安になるし何かあったのか心配になるんだ! ぼくだってそこくらいはフジミたちヒトと変わりないんだぞ! それなのにフジミったら! もう!
……でも、ぼくは確かにフジミの普通の友達とは違って、全然成長しないし変わらない。感じ方も少しずつ違う。ヒトは敏感だから、その少しがどうしても気になる……って、誰かが言ってた気がする。ああもう、ぼくとフジミの間にあるのはちょっとした違いなんかじゃない! 近づきすぎてしまったってのか、また! 全く学習能力のない!
まあ、ぼくなんかが考えても分からないことだろうけどね! 本当にもう、腹が立つ! フジミの薄情者! どうせぼくのことなんか飽きちゃったんだろ! だから何の連絡もなしに行っちゃったんだろ! 意地悪!
……でも、でもぼくが、フジミに何か危ないことがあったんじゃないかって思ってたことが杞憂だったのは、本当に良かったと思うんだ。
*
*
*
(元号) 〇月×日
久しぶりに日記を開いた。気づけば十年もたっていたのだという。フジミがいなくなってしまった理由を知ってから、ぼくはすっかり拗ねてしまって、この日記帳を紐でぐるぐるに縛って物置に突っ込んでしまっていた。見つけた時には日記のことなんかすっかり忘れてしまっていたから、見つけた時こりゃなんだ? と訳が分からず開いてみて驚いた。せっかくいい日記帳をもらったのに、こんなひどいことをして、全く年ばかり食って大人げというのがまるでない。
しょうがないことなんだ、フジミはかわいい人間の女の子で、成長し、生き抜いて、そしていつか死ぬ。分かっていたことだってのに、ぼくはぼく以外の誰かに変わらないことを期待して、勝手に失望してるんだ。あの子はぼくのよき友達だった。それだけでいいんじゃないのか? ……まあ、あの時間を失ったことが悲しいことに変わりはないけれど。
考えていたらまた辛くなってきてしまったのでもうやめる。もう日記は書かないかもしれないけど、未来のぼく、どうか捨てることだけはやめてやってくれ。ぼくには彼女とのつながりが、これしか残っていないんだ!
「ねえ、これなあに?」
「これって何のことさ……ああ!? ちょっと、ばか、それはダメだよ!」
「日記? あなた日記なんて書くんだ」
「そんな毎日つけてるわけじゃないけどさ……こら、開くな! プライバシーの侵害だぞ!」
「それはそうかもしれないけど、やっぱり気になるし」
「気になってもやめておくれよ!」
「でも冷静になって考えてみて。昔の作家だって手紙やら日記が公開されてる。だから昔の人が書いた手紙は後世の人間が読んでもいいものなの」
「確かにそうだねと言うとでも! やめてくれったら、ぼくはまだ生きてるんだぞ! ……ああもう、フジミはどうしてきみをちゃんとしつけてくれなかったんだ!」
「だってうち、核家族だからつい最近までおばあちゃんとは離れて暮らしててお盆と正月の時しか会わなかったし」
「そういう問題じゃあないんだよ、もうよしてくれよ……」
「あーよしよし、泣かないの。昔の自分のことなんか何考えてるのか思い出せなくて別人みたいって言ってたのに」
「だから日記を見られても構わないって? 冗談じゃない」
「ごめんって。機嫌直してよ」
「もういいよ。日記、返してくれ。フジミからもらったものなんだ。大事にしてるんだよ」
「はいはい。この大量消費のご時世に、結構物もちがいいんだね」
「モノはヒトほどころころ変わらないからね」
「……ふうん。それもそうか」
「それにフジミが言ったんだ、長く使うならいいものを、って。あの時は難しい言葉を知ってるなあくらいにしか思わなかったけど、言葉の意味は多分ぼくよりわかってたんだ」
「おばあちゃんらしいかも。……ねえ、はやくおばあちゃんに会いに行こうね。連れて行ってあげるから」
「そう……だね。そうだ。ヒトの時間は短いから。幸いぼくには時間がある。会いに行くよ」
それを聞いて満足そうに頷いたあの子ではない彼女の横顔に、在りし日の面影が見えて唐突に理解した。
「ああ、そうか。フジミ、君との繋がりは、日記だけではなかったんだね」
何か言った? と首を傾げた彼女になんでもないと返した。随分と前に仕舞いこんでしまった旅行鞄を探すために家じゅうをひっくり返す羽目になる日は、きっとそう遠くないところにまで来ている。
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