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 それは、T君が小学四年生の頃だった。

 一学期が始まってすぐ、山の中ではまだ少し寒さの残る、四月の終わりのことである。

 学校から帰ってくると、なんだか家の前の道がきれいになっている。そこから先の道も、生い茂っていた雑草があらかたなくなっており、見通しの良いきれいな林道になっていた。まだ刈られてそれほど時間が経っていないのか、真新しい土の匂いに青々しさが感じられたほどだ。

 林道はT君の家を囲うように途中で大きく右側に蛇行して、さらに上へと続いていた。

 T君が驚いて家に入ると、峠に新しい家が建つそうだと母親が言うではないか。

「工事の人らが挨拶に来はったけど、なんや無愛想な人らやったわ。ふもとのひとが誰か建てはるんですかて聞いても、なんも教えてくれへんしなあ」

 母親はしきりに文句を言っていたが、T君はこの突然の変化に大喜びだった。直接的にT君にとって何のメリットがあるわけでもないのだが、孤立した山奥での退屈な日常からすると、わくわくするような出来事だったのだ。

 嬉しそうなT君に、彼の母親は、

「なんやそんな顔して。あんた、何回も言うとくけど、上には行ったらあかんで」

 と釘を刺した。これからはトラックやら大きな車が色々通るから、今よりも危ないというのだ。

 そこは母親の言う通りで、その日からほぼ毎日、人や建材を載せたトラックが林道を行ったり来たりしながら、にぎやかな建築作業が始まった。もちろん、雨が降った日とその翌々日ぐらいまでは中断することもあったが、基本的にはほぼ連日だったという。

 T君は母親に言われた通り、峠に行くことはなかったものの、普段の家のまわりにはないひとの多さと建築作業の大きな音に、その期待はふくらむばかりだった。新しい住民にはきっと自分と同い年の男の子がいるはずだと勝手に想像していたのだ。

 しかし、母親は作業の音がうるさいやら埃っぽいやらと相変わらず文句を言っていて、さらに父親までも苦々しくこう言い出した。あんなところに一から新しい家を建てるなんておかしい、と。

 T君の家族が住んでいた家はというと、元は林業をやっていた地元の夫婦から買い取ったものだった。その夫婦は高齢になったこともあって山の生活を引退し、ふもとの町に新しく二世帯住宅を建てて古い家を売りに出したのだそうだ。

 確かに、この時代にわざわざ不便な山奥に新築を建てるなんておかしいとは、T君も子供心に思ってはいた。このあたりは、別荘という大した土地柄でもない。もしかして同級生の誰かが近所に越してくるのではないかとも期待したが、小学校の誰に聞いても、山奥に引っ越す予定などないという返事ばかりだった。

 では、一体誰がこんな山奥に家を建てているのだろう?

 T君の家でも、自然とそんな話題が度々持ち上がった。

 結局それは、その年の夏を迎えてとうとう峠の家が完成した頃になってようやく判明した。どうやら、東京に住む会社員の一家がその家に引っ越してくるらしい。母親が、ふもとの町役場で働く知り合いから仕入れてきた情報だという。

 T君はそれを聞いて都会からの転校生を心待ちにした。

 しかし、その夏を過ぎて秋になり、やがて冬が来て年が明けても、結局誰もやって来ることはなかった。大勢いた建築作業員もとっくに去り、完成した峠の家は無人のまま、山奥にはまたT君の一家だけがぽつんと残されることになった。

「一体どうしたんだろうって、よく家族で話はしてました。引っ越しが遅くなっているのか、何か事情ができて、そもそも引っ越しをやめしまったのかなって」

 峠の家は、T君の家の前の林道から裏手を振り返ると、二階と屋根の一部分だけが見えたのだそうだ。

「でもそのうち、春が来る頃にはあんまり話題にもならなくなって。方角的に、別に毎日見えるもんでもないですからね。ただ、学校から帰ってきたとき、たまに眺めることがあったんです。いいなあって。うちと比べて全然新しくて、ふもとの町にどのある家よりもきれいだったので。

 中に入っときも最初はそう思いました。新しくてきれいで、ここに住んでみたいなあとか。もちろん今じゃ、絶対にお断りですけど。あんな不気味な家」

 と、T君は言う。

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